第41話 天を泳ぐ龍魚と、神速の昇龍(しょうりゅう)造り
『天下一味道会』決勝戦。 会場のボルテージは最高潮に達していた。 対戦相手は、将軍家の料理番長にして、剣術の達人『包丁侍・ソウジロウ』。 腰には、刀ではなく長大な「マグロ包丁」を差している。
「屋台屋殿。貴殿の剣技、料理人のそれではないな。……だが、魚を捌くことにかけては、拙者が上と見つけたり」 「口で捌くのは上手いようだな。腕はどうだ?」
二人の間に、巨大な結界が張られた。 その中に放たれたのは、空を優雅に泳ぐ巨大な魚影。 長い髭と、真珠色の鱗を持つ、全長10メートルの魚。 『天龍魚』。 一生を雲の中で過ごし、霞と魔力だけを食べて育つ、魚類の頂点にして神の使いだ。
「決勝のテーマは『刺身』! この龍魚を、いかに美しく、いかに新鮮に捌くか! 始め!」
銅鑼が鳴ると同時に、龍魚が咆哮した。 口から高圧の水流ブレスを吐き出し、会場を破壊しようとする。
「まずは拙者から参る!」 ソウジロウが飛んだ。 彼の長包丁が閃く。 「秘剣・三枚おろし!」 見事な太刀筋だ。龍魚の背中を掠め、一瞬で柵を切り取った。 だが、龍魚は暴れ続け、切り口から血が噴き出す。
「……雑だな」 ボルグが呟く。 「魚が痛みを感じて暴れれば、身に血が回って生臭くなる。活け造りの極意は『苦痛を与えない』ことだ」
ボルグは鞘から魔剣グラムを、音もなく抜き放った。 殺気がない。 まるで空気に溶け込むような自然体。
「いくぞ」
ヒュンッ! ボルグの姿が消えた。 空を泳ぐ龍魚の横を、風のようにすれ違う。
キンッ……。
微かな金属音と共に、ボルグは着地して魔剣を納めた。 空中の龍魚は、何事もなかったかのように泳ぎ続けている。
「はっ! 失敗したか屋台屋! 魚には傷ひとつついておらぬぞ!」 ソウジロウが笑った。 だが、ボルグは手元の皿を掲げた。
「いや、もう終わった」
その言葉と共に、空中の龍魚の体が、ハラリと崩れた。 いや、崩れたのは「鱗」と「骨」だけだ。 中身の身だけが、美しい薄造りとなって、空中で花びらのように舞い散り――、 ボルグの掲げた大皿の上に、龍が天に昇るような螺旋状に、美しく着地した。
「なっ……!? いつの間に!?」
龍魚本体(頭と骨と内臓)は、自分が捌かれたことにすら気づかず、骨だけになってもしばらく空を泳ぎ、やがて満足げに昇天して消えた。
「『天龍魚の昇龍活け造り』だ」
*
皿の上で透き通る白身。 それは虹色の光沢を放ち、まだピクピクと脈打っている。 これに合わせるのは、優勝賞品として飾られていた『千年醤油』だ(勝手に開けた)。
将軍が震える手で箸を伸ばす。 醤油を少しつけ、口へ。
「……!!」
コリコリッ! 強烈な弾力。噛んだ瞬間、身が口の中で踊るようだ。 そして溢れ出す、雲のように清らかな脂の甘み。 血の匂いなど微塵もない。あるのは、大空の爽快感だけ。
「こ、これは魚ではない……! 命そのものを食らっているようだ!」 「細胞が死んだことに気づいていないからな。口の中で初めて『食材』になる」
千年醤油の、深くまろやかな塩気が、龍魚の淡白な味を爆発的に引き立てる。 将軍は涙を流した。
「美しい……。余は今まで、死んだ魚を食っていたのだな……」 ソウジロウが膝をつき、刀を置いた。 「……完敗だ。拙者の剣は魚を殺したが、貴殿の剣は魚を活かした」
「勝者、ボルグゥゥゥ!!」
紙吹雪が舞う中、ボルグは優勝賞品の『千年醤油』の甕を受け取った。
「やったぁ! ボルグさん、優勝です! お醤油ゲットです!」 リズが飛びついてくる。 「ああ。これで卵かけご飯が食えるな」
世界最高の醤油を手に入れたボルグ。 だが、彼の腰では、魔剣グラムが深い溜息をついていた。
『……おい。なんか生臭くないか?』 「新鮮な魚の匂いだ」 『違う、そうじゃない。龍魚の脂が……こう、隙間に入り込んで……あと鱗が取れない。キラキラした鱗が張り付いて、デコレーションみたいになってる』 「おしゃれでいいだろう」 『ラメ入り魔剣とか恥ずかしいわ! 早く洗え! 熱湯と洗剤で洗え!』
和の国での冒険を終え、最高の調味料を手に入れた一行。 しかし、世界の料理を巡る旅はまだ終わらない。 次なる噂は、北の極寒の地に眠る「凍結した古代の巨獣」。
キッチンカー戦鬼、次は雪原へと走り出す。




