第38話 涙の清流と、激流アユの鮫皮おろし
都を目指して街道を進む一行の前に、清らかな川が現れた。 水底まで透き通る美しい川だが、なぜか川岸に近づくにつれて、リズが鼻をすすり始めた。
「うぅ……グスン。なんか、目が痛いです……鼻水が止まりません……」 「む、拙者も目が染みる。これは毒の霧か?」
十兵衛が涙目になりながら刀に手をかける。 川辺には、鮮やかな緑色の葉を茂らせた植物が群生していた。 だが、そのサイズがおかしい。一本一本が大木ほどもある。 『オーガ・ワサビ(鬼山葵)』。 近づく外敵に対し、目と鼻を破壊する「辛味ガス(アリルイソチオシアネートの霧)」を噴射する、天然の催涙兵器だ。
「ゲホッ! なんだこの刺激臭は! 前が見えん!」 「騒ぐな。最高の香りだ」
ボルグだけは平然としていた(事前にゴーグルとマスクを装着済み)。
「清流で育った本ワサビだ。こいつは金で買えば一本で城が建つぞ」 「でも、近づけませんよ! 目が潰れちゃいます!」
その時、川の水面が割れ、巨大な魚影が飛び出した。 全長3メートル。美しい流線型のボディを持つ『ミスリル・アユ(鋼鉄鮎)』だ。 アユは苔を食べる魚だが、この巨大アユは川岸のワサビの葉を狙って飛び跳ねていた。
「よし、両方いただくぞ」
ボルグは魔剣グラムを抜き放った。 十兵衛も続く。
「助太刀する! 拙者の赤味噌丸で……」 「待て! その刀は使うな!」
ボルグが珍しく大声で止めた。
「ワサビの繊細な香りは、味噌の強い匂いに負ける! 今回は味噌禁止だ!」 「な、なんと……! 侍から刀を奪うとは……!」
ショックを受ける十兵衛を放置し、ボルグは川へ飛び込んだ。 襲いかかるミスリル・アユ。その体表は細かい鱗に覆われ、やすりのようにザラザラしている。
「いい鮫肌だ。いや、鮎肌か」
ボルグはアユの突進をかわすと、すれ違いざまに魔剣の峰で延髄を強打し、一撃で気絶させた。 そして、気絶したアユを抱え上げると、そのまま岸辺のオーガ・ワサビへと走った。
「ワサビは金気を嫌う。金属のおろし金だと風味が落ちる。最高なのは『鮫皮』だが――」
ボルグは抱えた巨大アユのザラザラの背中を、そのままワサビの根元にこすりつけた。
「アユの皮でも代用できる!」
ジャッ、ジャッ、ジャッ!!
豪快かつ高速のすり下ろし。 生きたアユ(気絶中)を「おろし金」として使い、巨大ワサビの根をすり下ろしていく。 アユの細かい鱗がワサビの繊維をきめ細かく破壊し、クリーミーなペースト状にしていく。 同時に、強烈な辛味成分が揮発し、周囲は地獄のような空気に包まれた。
「目がぁぁぁ! 目がぁぁぁぁ!」 十兵衛とリズがのたうち回る。 ボルグは十分にすり下ろすと、アユを川で洗い(お役御免)、手早く三枚におろして串を打った。
*
河原で焚き火を囲む。 炭火でじっくりと焼かれたミスリル・アユは、皮がパリッと黄金色に輝き、香ばしい脂の匂いを漂わせていた。 その横には、山盛りの「すり下ろし立てワサビ」。
「『鋼鉄鮎の塩焼き、鬼山葵添え』だ」
醤油はいらない。塩焼きにしたアユの身に、たっぷりのワサビを乗せて食べる。 涙目の十兵衛が、恐る恐る口に運ぶ。
「……むっ!?」
辛くない。 いや、辛いのだが、嫌な刺激がない。 鼻に抜ける爽やかな清涼感と、甘みさえ感じる奥深い香り。 それが、アユの淡白で上品な脂と混ざり合い、口の中を洗い流していくようだ。
「これが本物のワサビか……! 辛味が瞬時に消え、後にはアユの旨味だけが残る! 拙者が今まで食べていた粉ワサビは何だったのだ!」 「ワサビは揮発性が高い。すり下ろして3分が命だ。泣いてる暇があったら食え」
リズも、ご飯(炊いた)の上にアユの身とワサビを乗せ、お茶をかけてかき込む。
「ん〜っ! お茶漬け最高ですぅ! ツーンとするけど、それがまた美味しいっ!」
新鮮なワサビは「甘い」という事実を知り、一行は箸が止まらない。 アユ一匹(3メートル)があっという間に骨になった。
『……おい』 グラムが呆れたように言う。
『さっきアユでワサビを擦ってた時、アユが途中で目を覚まして「何すんだコラ」みたいな顔でこっち見てたぞ』 「背中のマッサージだと思って許してくれただろう」 『お前、食材との対話が一方通行すぎるぞ』
涙と鼻水、そして感動の食事を終え、一行はいよいよ都の城門へとたどり着いた。 そこには『天下一武道会』ならぬ『天下一味道会』の看板が掲げられていた。
優勝賞品は『千年醤油』。 ライバルは全国から集まった猛者たち。 いよいよ、和食決戦の火蓋が切られる。




