第32話 天空の綿あめ羊と、雲上のすき焼き
ゴオオオオオ……。 皇帝ネロの所有する超豪華飛空艇『ジュピター号』は、雲海を突き抜けて上昇していた。
「見ろ、下界があんなに小さい。神の視点だ」
ネロがワイングラス片手に優雅に語るが、ボルグは甲板の縁に座り込み、釣り糸を垂らすように魔剣グラムを雲海にぶら下げていた。
「風が強いな。火力が安定しないかもしれん」 『おい、我を風速計にするな。あと、高度が高すぎて気圧で鞘が膨張してる気がするんだが』 「爆発したら呼んでくれ」
そんな会話をしていると、白いモコモコした塊が、風に乗ってプカプカと流れてきた。 一匹ではない。数十匹の群れだ。 空を飛ぶ丸い羊――『クラウド・シープ(雲羊)』だ。
「おや、愛らしい。あれは観賞用の珍獣だ。捕まえて宮殿で飼おうか」
ネロが微笑む横で、ボルグが立ち上がった。
「ちょうどいい。腹が減っていた」 「は? まさか食う気か? あれはただの毛玉だぞ」 「いや、あいつの毛はただの毛じゃない。『糖分』だ」
ボルグは甲板を蹴り、空中に飛び出した。
*
「メェェェェ~ッ!?」
平和に漂っていたクラウド・シープたちがパニックになる。 ボルグは空中で魔剣を抜き、高速回転させた。
「散髪の時間だ」
バリバリバリバリッ!
斬撃ではない。魔剣の刃を「バリカン」のように使い、羊たちのモコモコした毛を一瞬で刈り取ったのだ。 裸になった羊たちは「寒っ!」という顔をして、慌てて雲の中へ逃げていった(殺しはしなかった。毛と、一匹分の肉だけで十分だ)。
ボルグは腕いっぱいに抱えた「白い毛」と、上質なロース肉を持って着地した。 「調理開始だ。今日は『すき焼き』にする」 「すき焼き? こんな空の上でか?」 「ああ。高山は寒いからな」
ボルグは甲板に卓上コンロと、浅い鉄鍋をセットした。 牛脂(以前の残り)を溶かし、薄切りにした羊肉とネギを焼く。 ジュワァァ……。 香ばしい香りが漂う。 通常、すき焼きの割り下には「砂糖」と「醤油」を使うが、ボルグは醤油しか取り出さなかった。
「砂糖がないぞ?」 「これを使う」
ボルグは、刈り取った「羊の毛」を、鍋の上に山のように盛り付けた。 真っ白でフワフワな毛が、鍋を覆い尽くす。 見た目は完全に「綿あめ」だ。
「いくぞ」
上から醤油と酒を回しかける。
シュワワワワ……。
熱と水分に触れた瞬間、羊の毛が一気に溶け出した。 そう、クラウド・シープの毛は、空気中の水分と魔力を吸って結晶化した、純度100%の「極上ザラメ糖」なのだ。 溶けた毛が濃厚な甘みとなり、醤油と混ざり合って、黄金色の割り下へと変化していく。
「完成だ。『雲羊の綿あめすき焼き』」
グツグツと煮える鍋。 甘辛いタレが絡んだ羊肉を、溶き卵にくぐらせる。
「食ってみろ、皇帝」
ネロは疑わしげに箸(ボルグに渡された)で肉を摘み、口へ運んだ。
「……ッ!!」
目が見開かれる。 甘い。けれど、くどくない。 綿あめ由来の砂糖は、空気をたっぷりと含んでいるため、口当たりが驚くほど軽やかだ。 それが、少し癖のある羊肉の脂と絡み合い、極上のハーモニーを奏でている。
「なんだこの上品な甘みは! 羊肉の臭みが消え、旨味だけが引き立っている!」 「雲羊はずっと空を飛んでいるからな。筋肉が柔らかく、脂も軽い。すき焼きには牛より合うかもしれん」
ネロの箸が止まらない。 リズも「あふあふ!」と言いながら、白米に肉をバウンドさせて食べている。
「美味い……! 余の宮廷料理人が作るすき焼きより、数倍美味いぞ!」 「砂糖の鮮度が違うからな」
空の上、雲海を見下ろしながらの鍋パーティー。 冷たい風が吹く中、ハフハフと熱い肉を食らうのは格別だ。
『……おい』 グラムがまたしても文句を言う。 『さっき毛を刈った時、刃の隙間が砂糖でベタベタなんだが。アリが来るぞ、空飛ぶアリが』 「舐めとけ」 『我に味覚はないわ!』
鍋をつつき合い、奇妙な連帯感が生まれた頃。 飛空艇の前方に、巨大な影が現れた。 雲を突き抜けてそびえ立つ、岩とクリスタルでできた浮遊大陸。
「着いたぞ。あれが『天空の浮島』だ」
ネロがナプキンで口を拭い、立ち上がる。 そこは、地上とは異なる生態系と、神代の食材が眠る未踏の地。 ボルグの目が、狩人のそれに変わった。




