第23話 腐敗の沼と、激辛麻婆ヒドラ
砂漠の国を出た一行は、南へと下っていた。 乾燥した空気は徐々に湿り気を帯び、やがて視界は鬱蒼としたマングローブの森と、淀んだ水面に覆われた。
「うぅ……ジメジメしますぅ……。服が張り付いて気持ち悪いです……」
リズが湿気で爆発した髪を押さえながら呻く。 『腐敗の沼地』。 常に毒の瘴気が漂い、普通の人間なら足を踏み入れただけで病に倒れる魔境だ。 だが、キッチンカー『戦鬼』は、防腐加工された車体と、何より店主の頑丈さでズンズンと進んでいく。
「いたぞ。あれだ」
ボルグが足を止めた。 巨大な樹木の根元、綺麗な水が湧き出る場所に、真っ白でプルプルした物体が群生していた。
「『ホワイト・スライム』だ。泥を食う通常種と違い、湧き水だけを摂取して育つ変異種だ。臭みがなく、大豆のような風味がある」
ボルグは荷台から桶を取り出すと、魔剣グラムを抜いた。
『おい、まさか』 「スライムは衝撃に弱い。手で掴むと体温で溶けるし、強く握ると崩れる。だから――」
ボルグは魔剣の平らな側面(腹)を、地面すれすれに滑り込ませた。 スッ……。 刃を全く立てず、まるで高級なケーキを皿に移すように、スライムを優しくすくい上げる。 その手つきは、赤子を扱うように慈愛に満ちていた。
『やめろ! くすぐったい! ヌルヌルしたのを腹に乗せるな! 我はフライ返しではないぞ!』 「静かにしろ。振動で崩れるだろう」
ボルグは魔剣を巨大なヘラとして使い、次々とホワイト・スライムを桶の中に回収していく。 桶の中でプルンップルンッと揺れる白塊は、まさに極上の「絹ごし豆腐」そのものだった。
「よし、十分に確保したな」
その時だった。 スライムを奪われたことに怒ったのか、それとも単にエサが来たと思ったのか。 沼の水面がボコボコと泡立ち、凶悪な影が現れた。
シャアアアアッ!
水しぶきを上げ、九つの首を持つ大蛇が現れた。 『ポイズン・ヒドラ(毒九頭蛇)』。 それぞれの口から紫色の毒液を垂れ流し、沼を汚染している元凶だ。
『ゲェーッ! ヒドラだ! 臭い! あいつの血、酸性だぞ! 我の肌荒れの原因になる!』
魔剣グラムが鞘の中で拒絶反応を示す。 だが、ボルグは目を細め、手近な木にスライム入りの桶を避難させた。
「ヒドラか。ちょうどいい。スライム(豆腐)だけじゃ味が物足りないと思っていたところだ」
ボルグは手ぬぐいで口元を覆うと、嬉々として構えた。
「ヒドラの肉は、淡白で弾力がある。毒さえ抜けば上等な鶏ひき肉代わりになる」 「豆腐の次は挽き肉……麻婆豆腐の材料が向こうから来ましたね!」
*
戦闘は一方的だった。 再生能力を持つヒドラだが、ボルグは再生する端から首を落とし、切断面を魔剣の摩擦熱で瞬時に焼き固めて再生を阻害した。 山のようなヒドラの肉片を確保し、調理開始だ。
「ヒドラの肉には神経毒がある。だが、毒はタンパク質だ。熱と『極限の辛味』で変性させれば無毒化できる」
ボルグが取り出したのは、優勝賞品の『マグマ・ペッパー』。 一振りで口から火を吹く伝説の唐辛子だ。
まず、中華鍋にごま油と刻んだニンニク、ショウガ、そして大量のマグマ・ペッパーを投入。 弱火でじっくりと香りと辛味を引き出す。 煙だけで目が痛くなるレベルの刺激臭が立ち上る。
「ここに、粗く叩いたヒドラのひき肉を入れる」
ジュワァァァァッ! 強火で一気に炒める。 ヒドラの毒々しい紫色の肉が、熱とスパイスで食欲をそそる茶色へと変わっていく。 毒成分が分解され、旨味へと昇華される瞬間だ。
「スープを注ぎ、味付けは豆板醤と甜麺醤。そして主役の投入だ」
ボルグは、先ほど魔剣で優しく採取したホワイト・スライムを、サイコロ状にカットして鍋へ滑り込ませた。 見た目は完全に「豆腐」だ。 スライムは煮崩れしにくいが、味を吸いやすい性質を持つ。真っ赤な激辛スープが、白いスライムに染み込んでいく。
「とろみをつけて、最後に追いマグマ・ペッパー、そして山椒だ」
完成した皿は、地獄の釜のように赤く煮えたぎっていた。 『ヒドラと白スライムの激辛麻婆』。
「け、結構刺激的な匂いがしますけど……」 「湿気で身体が重い時は、発汗するのが一番だ。食え」
リズは恐る恐る、レンゲでスライムと肉をすくい、口に運んだ。
「……んぐっ!?」
ドカン! と口の中で爆発が起きた。 マグマ・ペッパーの突き抜けるような辛さ。唇がビリビリと痺れる。 だが、その直後に訪れる、ヒドラ肉の力強い弾力と旨味。 そして何より――。
「スライムが……ちゅるんです! 滑らかで、辛いスープを吸ってて……熱いけど、喉越しが最高です!」
ハフハフと息を吐きながら、リズの手が止まらない。 辛い。痛い。でも美味い。 全身から汗が噴き出し、身体に溜まっていた毒素や疲れが、汗と共に洗い流されていくようだ。
「ご飯! ご飯ください! これ絶対、白米に乗せなきゃダメなやつです!」 「炊いてあるぞ」
ボルグも丼飯の上に麻婆をぶっかけ、豪快にかき込む。 ヒドラの首は九つあった。肉は大量にある。 沼地の湿気など吹き飛ばす、熱気と辛味の宴。
『……おい』
グラムが呆れた声を出す。
『さっきスライムを掬った時、ヌルヌルがまだ取れてない気がするのだが』 「おかげで肉がくっつかずに炒めやすかったぞ。テフロン加工みたいなもんだ」 『ポジティブすぎるだろ! 我が身を調理器具扱いするな!』
汗だくになって完食した二人は、毒の沼地とは思えないほど健康的な顔色になっていた。 マグマ・ペッパーの威力は絶大だ。
「よし。精もついたことだ。このまま沼地を抜けて海へ出るぞ」
次なる舞台は、南の海。 そこには、ボルグが「究極の出汁」と目をつける、島のような巨大生物が待っている。




