第19話 香りの王国と、涙のタマネギ地獄
東の王国『カリーヤ』。 城門をくぐった瞬間、強烈な香りが鼻腔を直撃した。 クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン……。 無数のスパイスが複雑に絡み合い、熱気と共に街全体を包み込んでいる。
「くしゅんッ! ……すごい匂いです。空気が黄色く見えます」
リズがくしゃみをしながら目をこする。 街を行き交う人々は皆、肌が艶々としており、活気に満ちている。屋台からは絶えず湯気が上がり、スパイスの刺激的な香りが食欲を煽り立てる。
『オェ……。なんだこの硫黄のような、焦げたような匂いは……』 「天国の匂いだ、グラム。錆びた鉄の匂いより百倍いい」 『貴様、後で覚えてろよ……』
ボルグは鼻をひくつかせ、市場のスパイス屋へと直行した。 店先には色とりどりの粉末が山のように積まれている。
「親父。ここにあるスパイスを全種類、一袋ずつくれ」 「あん? 悪いな旅の人。今は一見さんには売れねえんだ」
店主は申し訳なさそうに首を横に振った。
「来週の『国王杯・カレー武闘会』のために、国内のスパイスは全部、有力な料理ギルドや貴族に買い占められちまった。残ってるのは塩くらいだ」 「……なんだと?」
ボルグの目つきが変わった。 砂漠を越え、ようやく辿り着いた約束の地で、お預けを食らうなどあってはならない。
「その武闘会とやらで勝てば、スパイスは手に入るのか?」 「ああ。優勝賞品は国宝級の幻のスパイス『マグマ・ペッパー(龍の涙)』だ。それに、副賞として王室御用達のスパイス倉庫へのフリーパスもつく」
ボルグは即座に踵を返した。 向かう先は、広場にある大会受付所だ。
「リズ、エントリーするぞ」 「やっぱりそうなるんですね……!」
*
大会受付は大混雑していた。 筋肉自慢の荒くれ料理人や、魔導コンロを背負った魔法使いシェフなど、曲者ばかりだ。
「おい見ろよ、あんな薄汚れたオッサンがいるぜ」 「包丁も持ってねえ。腰に下げてるの、あれ剣か? 人でも斬る気かよギャハハ!」
周囲の嘲笑を無視し、ボルグは受付用紙に『戦鬼の厨房』と記入した。
「予選を開始する! 課題は『下ごしらえ』だ!」
審査員の声が響く。 広場に運び込まれたのは、山のような木箱。 中には、大人の頭ほどもある巨大な赤タマネギ――『催涙オニオン』がぎっしりと詰まっていた。
「このタマネギは、切ると強力な催涙ガスを放つ! 制限時間内に、涙を流さずに100個みじん切りにした者が本戦進出だ!」
開始の合図と共に、会場は阿鼻叫喚に包まれた。 包丁を入れた瞬間、噴き出したガスで料理人たちが「目がぁぁ!」「見えねぇぇ!」とのたうち回る。ゴーグルをしていても隙間から染みてくる強力な成分だ。
「ふん、子供騙しだ」
ボルグは魔剣グラムを抜いた。
『おい、まさか』 「行くぞ。防御しろ」 『だから嫌だと言って……ギャアアアアッ! 目が! 目がないのに痛いッ!』
ボルグは魔剣を高速で回転させ、プロペラのような「風の盾」を作り出した。 そして、その風圧でタマネギのガスを吹き飛ばしながら、超高速で刃を走らせる。
タタタタタタタタッ!
もはや切る音ではない。破壊音だ。 だが、まな板の上には、宝石のように均一なみじん切りが量産されていく。 魔剣の切れ味が鋭すぎて、タマネギの細胞が潰れず、涙成分が飛び散る前に切断が完了しているのだ。
『沁みるぅぅ! 刀身に硫化アリルが! 魔剣の尊厳が泣いているぞ!』 「泣くな。塩分で錆びる」
わずか三分。 周囲が涙と鼻水でグチャグチャになっている中、ボルグだけが涼しい顔(と号泣する剣)で100個のみじん切りを積み上げた。
「ご、合格ぅぅッ!」
審査員も泣きながら叫んだ。 「すごい……すごいですボルグさん! ダントツの一位通過です!」
リズがタオルを持って駆け寄ってくる。 ボルグはタマネギの山を見下ろし、満足げに頷いた。
「いいタマネギだ。これを飴色になるまで炒めれば、最高のカレーのベースになる」 『……もう帰りたい』
こうして、戦鬼ボルグはカレー戦争のリングに上がった。 だが、本戦の対戦相手は、タマネギごときでは済まない「炎の料理人」たちが待ち受けている。




