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戦鬼の厨房(キッチン) ~伝説の魔剣は、老兵の包丁になりたいようです~  作者: 九条 蓮夜


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第16話 魔女の報酬と、熱油(ねつゆ)のカルパッチョ

蒸気都市ヴァルカン、ギルド支部・支部長室。  重厚な扉を開けると、そこには書類の山に埋もれたエレナがいた。


「……戻ったか。早かったな」


 エレナは顔を上げず、ペンを走らせたまま言った。  まさか数日で帰ってくるとは思っていなかったのだろう。命からがら逃げ帰ってきたと判断したのか、彼女の声には少しの落胆が混じっていた。


「無理だったか? まあ、相手は神獣だ。生きて戻っただけでも褒めて……」 「とれたぞ」


 ドサッ。  ボルグは机の上に、布に包まれた巨大な肉塊を置いた。  冷気が漂い、書類の紙が湿気でシナシナになる。


「……は?」 「フェンリルのハラミだ。約束通り、一番脂の乗ったところを持ってきた」


 エレナの手が止まる。  彼女は恐る恐る布をめくった。  そこには、ダイヤモンドダストのような輝きを放つ、霜降りの赤身肉が鎮座していた。


「馬鹿な……。本当に狩ったのか? 無傷で?」 「あいつとは友好的な『通商条約』を結んできた。今後も定期的に仕入れられる」 『カツアゲしただけだぞ』  グラムが余計な補足を入れるが、ボルグは無視した。


          *


「信じられん……。だが、食べてみればわかる」


 エレナは執務机の上の書類をバサバサと床に落とし、スペースを作った。  そこへボルグがまな板を置く。


「この肉は、熱を加えると冷気を発する。その特性を活かして『カルパッチョ』にする」


 ボルグは、カチンコチンに冷えたフェンリル肉を、透き通るほどの薄さにスライスして皿に広げた。  その上に、刻んだネギ、ニンニクチップ、そして岩塩を振る。


「仕上げだ」


 手鍋で煙が出るまで熱した「ごま油」を、肉の上から回しかける。


 ジュワァァァァァァッ!!


 爆ぜる音と共に、香ばしい煙が支部長室に充満した。  熱せられた油が肉の表面を一瞬だけ焼き、脂を活性化させる。しかし、肉の中心部は凍ったままだ。


「『神狼の熱油ねつゆカルパッチョ』だ。熱いうちに食え」


 エレナはフォークを突き刺し、油の滴る肉を口へと運んだ。


「……んッ!!」


 衝撃が走る。  舌に触れた瞬間は、熱い油とガーリックのパンチ。  だが、噛み締めた次の瞬間、肉の中からキンと冷えた清涼感が溢れ出す。  熱さと冷たさ。  濃厚な油と、さっぱりとした肉の旨味。  相反する要素が口の中で乱舞し、脳髄を痺れさせる。


「素晴らしい……! これだ、私が求めていた『冷たい炎』は!」


 クールな将軍の仮面は完全に剥がれ落ちていた。  エレナは引き出しから高級ブランデーを取り出し、ラッパ飲みしながら肉を貪る。


「合格だ、ボルグ! 貴様の腕は世界一だ!」 「報酬は弾んでもらうぞ」


          *


 一時間後。  ご機嫌なエレナから、革袋いっぱいの金貨と、特別な「推薦状」を受け取ったボルグたちは、街の出口にいた。


「さて、次はどうする?」


 ボルグが地図を広げる。懐も温かい。食材も豊富だ。  リズが目を輝かせて覗き込む。


「ボルグさん! 私、あったかい所がいいです! もう雪はこりごりです!」 「ふむ。……エレナが言っていたな。東の『大砂海グランド・サンド』を越えた先に、香辛料スパイスの王国があると」


 スパイス。  その言葉に、ボルグの喉が鳴った。  現在の調味料は塩、胡椒、ハーブ、醤油程度だ。  もし、クミン、コリアンダー、ターメリック、そして唐辛子が手に入れば……メニューの幅は無限に広がる。特に、魔獣のクセのある肉にはスパイスが不可欠だ。


「よし。次は東だ。砂漠を越える」 『おい、雪山の次は砂漠か? 極端すぎないか?』 「錆びなくていいだろう、グラム。乾燥した空気は鉄に優しいぞ」 『砂が入る! 鞘の中に砂が入ってジャリジャリするんだよ!』


 文句を言う魔剣を腰に、ボルグは再び「人間馬車」の引き具を装着した。


「行くぞリズ。次は『カレー』だ」 「かれー? なんですかそれ?」 「食えば飛ぶぞ」


 雪国での冒険を終え、一行は灼熱の砂漠へと針路を取った。  まだ見ぬ黄金のスパイスを求めて。  キッチンカー『戦鬼』の旅は、第2章「砂塵と香辛料編」へと突入する。

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