表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦鬼の厨房(キッチン) ~伝説の魔剣は、老兵の包丁になりたいようです~  作者: 九条 蓮夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/50

第13話 頂上の静寂と、誘惑のポトフ

氷獄の山脈、そのいただき。  そこは、死の世界のように静まり返っていた。  猛烈な吹雪は嘘のように止み、雲海が足下に広がっている。  空はどこまでも高く、深い蒼色アズールに染まっていた。


「……いない、ですね」


 リズが小声で囁く。  見渡す限り、岩と氷だけの荒野だ。伝説のフェンリルの姿はおろか、生き物の気配すらない。


『いや、いるぞ』


 魔剣グラムが、かつてないほど緊張した声を脳内に響かせた。


『気配を断っているが、空間そのものが歪んでいる。どこかから見ているぞ。……おい人間、気を抜くなよ。瞬きした瞬間に首が飛ぶぞ』 「わかっている」


 ボルグはキッチンカーを止め、周囲の地形を確認した。  フェンリルは賢い。  ただの狩人が来れば襲いかかるだろうが、自分たちのような「得体の知れない存在(魔剣持ちの料理人)」に対しては、慎重に距離を取って観察しているのだ。


「向こうが出てこないなら、招待状を送るしかないな」


 ボルグは荷台から、最大の寸胴鍋を取り出した。


「招待状って……まさか」 「風向きは最高だ。ここから匂いを流せば、山の裏側に隠れていようが鼻孔を直撃する」


          *


 即席の野外キッチンで始まったのは、これまでの旅の集大成とも言える煮込み料理だった。


 まずは、氷雪クジラの皮下脂肪(本皮)を細かく刻み、鍋底で炒める。  大量の脂が溶け出し、甘く濃厚な香りが広がる。  そこへ、大きくぶつ切りにしたクジラの赤身肉と、金剛雪蟹ダイヤモンド・スノークラブの剥き身を惜しげもなく投入。


 ジュウウウゥッ……!


 肉と魚介の焼ける音が、静寂の山頂に響く。  表面を焼き固めたら、雪解け水を注ぎ、香味野菜(タマネギ、セロリ、ニンジン)を丸ごと放り込む。


「味付けはシンプルに、岩塩と、数種類のハーブ。そして隠し味に白ワインを一本」


 グツグツ、コトコト。  鍋から立ち上る湯気は、暴力的なまでの「旨味の塊」だった。  クジラの脂のコク。  カニの濃密な出汁。  それらが野菜の甘みと融合し、白ワインの芳醇な香りが全体を上品にまとめている。


 『北の海の幸・贅沢ポトフ』。  その香りは風に乗り、岩陰を抜け、頂上の全域へと拡散していく。


「あぅ……お腹が、お腹が痛くなるくらい美味しそうな匂いです……」  リズが耐えきれずに生唾を飲み込んだ。  その時だった。


 ピクリ。  ボルグの眉が動いた。


「……来たか」


 音はなかった。  だが、圧倒的な「圧」が背後から迫っていた。  振り返ると、岩山の上に、それが座っていた。


 銀色の毛並み。  体高は五メートルを超え、その瞳は透き通るような氷の青。  神々しいまでの美しさを持つ巨狼――フェンリルだ。  狼は、鍋から立ち上る湯気をじっと見つめ、それから人間のような流暢な言葉を紡いだ。


『――よい香りだ』


 鈴を転がすような、しかし腹の底に響く声。


『久方ぶりに目が覚めたと思えば、我が庭で煮炊きをする不届き者がいるとはな。……人間よ、それは我への供物くもつか?』 「そうだと言ったら?」 『食ってやろう。その代わり、貴様らの命は見逃してやる。……久方ぶりに腹が減った』


 フェンリルの口元から、タラリとよだれが垂れた。  神獣といえど、空腹には勝てないらしい。  リズが「あ、あげましょう! 食べていただいて、帰ってもらいましょう!」とボルグの袖を引く。


 だが、ボルグは鍋の蓋を閉じた。  カポッ。  香りが遮断される。


『……何をする?』  フェンリルの目が険しく細められた。周囲の気温が一気に下がる。


「勘違いするな。これは供物じゃない。『エサ』だ」 『あ?』 「俺が用があるのは、あんたの肉だ。『冷たい炎』の味がするっていう、その極上の霜降り肉を借りに来た」


 ボルグはゆっくりと、腰の魔剣に手をかけた。


「このポトフが食いたければ、力ずくで奪ってみろ。……もっとも、俺が勝てば、あんたもこの鍋の具材になるんだがな」


『……ハッ』


 フェンリルが、ニタリと笑った。  美しい顔が、獰猛な捕食者のそれへと歪む。


『面白い。数百年ぶりに現れたか、我を「食材」と呼ぶ狂人が。……いいだろう、料理人。その命とポトフ、まとめて頂くとしよう!』


 ガァァァァァッ!  咆哮と共に、フェンリルが跳んだ。  まるで銀色の閃光。


「リズ、鍋の火加減を見ておけ! 煮込み過ぎるなよ!」 「ええええっ!? この状況で!?」


 ボルグもまた、魔剣を抜き放ち、神速の狼へと迎撃に向かう。  頂上決戦のゴングは、鍋の煮える音と共に鳴らされた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ