第11話 氷の魔女の夜食と、厚切りカツサンド
蒸気都市の夜は早い。 労働者たちが去り、静けさを取り戻した広場で、ボルグは屋台の片付けをしていた。 そのカウンターの端に、かつての上官――エレナ・ハウンド元将軍が、肘をついて座っている。
「……で、フェンリルを狩れだと?」
ボルグは鉄板の油を拭き取りながら訊ねた。 エレナは懐からスキットル(携帯酒瓶)を取り出し、琥珀色の液体を煽る。
「ああ。この北の最果て、『氷獄の山脈』に、主として君臨する神狼だ。通常の武器も魔法も通じない化物だが……貴様のその魔剣なら斬れるだろう?」
『当然だ! フェンリル! 神殺しの狼! 我が宿敵に相応しい!』
鞘の中でグラムが武者震いする。カタカタと鞘が鳴るのが少し情けないが。
「俺はもう軍人じゃない。世界を救う義理もないし、化物を退治する趣味もない」 「『味』だ」 「あん?」
エレナは妖艶な笑みを浮かべ、舌なめずりをした。
「文献によれば、フェンリルの肉は『氷の魔力』をサシとして蓄えているという。口に入れた瞬間、熱い肉汁と、凍えるような清涼感が同時に弾ける……『冷たい炎』のような味がすると言われている」 「……冷たい炎、か」
ボルグの手が止まる。料理人の本能がピクリと反応したのだ。
「私はそれを食いたい。だが、私の部下たちでは束になっても勝てん。……どうだ? 報酬は弾むし、この街での営業許可も永年フリーパスにしてやる」
ボルグは少し考え、それから無言でパンを取り出した。 食パンを厚めにスライスし、鉄板の上で軽くトーストする。 その間に、残っていたクジラの赤身肉に衣をつけ、ラードの中へ。
ジュワアアアッ……。
夜の広場に、再び揚げ物の音が響く。 エレナが「ほう」と目を輝かせた。
「カツサンドか。懐かしいな。戦地の塹壕で、貴様がネズミの肉で作ってくれたのを思い出す」 「あれはウサギだと言ったはずだ。……ほらよ」
揚げたての鯨カツを、特製ソース(ウスターソースとケチャップ、隠し味にマスタード)にドブ漬けし、焼き目のついたパンで挟む。 ザクッ、と半分にカットして差し出した。
「頂こう」
エレナは手袋を外し、豪快にカツサンドを掴んだ。 サクッ。 静寂の中に、衣が砕ける音が響く。 分厚い鯨肉は、揚げ加減が絶妙で、簡単に噛み切れる。ソースの酸味とマスタードの刺激が、肉の甘みを引き締めていた。
「……んッ。やはり、貴様の料理は罪作りだ」
クールな「氷の魔女」の表情が、一瞬だけ少女のように緩む。
「パンの香ばしさと、ソースを吸った衣のしっとり感……。それにこの鯨肉、血の臭みが全くない。下処理の正確さが伝わってくる」 「リズ、お前も食え」 「は、はいっ! いただきます!」
話を聞きながらオロオロしていたリズも、カツサンドを頬張ると「ふぁ~!」と幸せそうな声を上げた。
「……わかった。依頼を受けよう」
ボルグは自分用のカツサンドを齧りながら言った。
「その『冷たい炎』の味、俺も興味がある」 『おい! 動機が不純だぞ! そこは「世界の平和を守るため」とか言えんのか!』 「黙れ。お前も狼の血が吸えるんだ、文句あるまい」
エレナは満足げに頷き、スキットルの残りを一気に飲み干した。
「交渉成立だな。……地図と情報はくれてやる。ただし気をつけろ。『氷獄の山脈』は、ただ寒いだけじゃない。あそこは時空が歪んでいる」 「時空?」 「ああ。過去の亡霊が出る……なんて噂もある場所だ」
エレナは意味深な言葉を残し、席を立った。
「期待しているぞ、戦鬼。いや――三ツ星シェフ殿」
手を振って闇に消えていく元上官。 残されたのは、食べ終わった皿と、これから向かうべき過酷な死地への地図だけだった。
「フェンリル……か」
ボルグは夜空を見上げる。 伝説の巨狼。 そいつの肉は、ステーキがいいか、それともシャブシャブか。 想像するだけで、ボルグの腹の虫がグゥと鳴った。




