04 勇者はハンバーグを食べる1
馬車の車輪が、乾いた音を立てて回っていく。
街道脇のポプラが一定の間隔で並び、
風に葉裏を返しては、銀色の面をちらりとのぞかせた。
リュセオンの喧噪が遠くなり、代わりに土と草の匂いが濃くなる。
俺とネティは向かい合わせの席に腰を下ろし、揺れる座面に体を預けていた。
「ようやく……旅らしくなってきましたね」
ネティが小さく微笑んだ。
リュセオンで出会ってから数日。
ようやく“物語”が動き出した実感がある。
「アルディナまでは、あと半日ほどかかるそうです」
「けっこう遠いな、座りっぱなしで腰が痛い」
「アルディナは“勇者の街”。
本来は、チェチさんを勇者として転生させるはずだったのですが……
わたしのミスで……」
そこでネティは視線を落とした。
長い睫毛が、少しだけ影を作る。
「別に気にしてないよ」
「えっ?」
「ヒロパスは大好きだけど、自分が勇者になりたいわけじゃないから。
どっちかというと、傍観者でいたいんだよね」
「傍観者、ですか」
「そう。ゲームってそういうものでしょ。
勇者の苦悩とか、選択とか、客観的に見られるのが面白いんだ。
物語を自分で動かすより、動くのを見てるほうが楽しいんだよ。
裏設定とか考える方が好きかな」
「……裏設定」
「うん。たとえば勇者の好物とか、パーティーメンバーの相関図とか、公式では語られない部分を想像するのが楽しくて」
「あと、開発インタビューで“本当は没にしたエンディングが~”とか語られると、
もうたまらないんだよね。あ、ドン引きしないで」
「えっと……私も頑張って理解しようとしてます」
その“頑張って”が余計に悲しいんだが……。
「レアナさんからの特別報酬、助かったな」
「はい。しばらくは宿と食事に困りません。ただ、アルディナでも路銀は稼ぎましょう」
「結局そこに行き着くの、経済的だよね……」
「旅は現実の積み重ねですから。あら、道が安定しましたね、そろそろ到着するといいのですが」
陽がわずかに傾き、丘の陰が長く伸びる。
馬車は石畳に乗り、揺れが細かくなった。
◆◇◆◇
馬車の揺れが止まる。
門前には「勇者セリオス生誕の地」と彫られた立て看板。
「いらっしゃい、勇者の街へ」
門番は言い慣れた調子で、それでもどこか誇らしげに言った。
リュセオンよりは小ぶりだが、通りは活気がある。
石造りの家々。店先にぶら下がる香草の束。
子どもが木剣を振り回し、母親に叱られている。
角を曲がるたび、看板に“勇者”の二文字が踊る。
《セリオスまんじゅう》《勇者の湧き水》《英雄の足跡ツアー》
……そして極めつけは、《勇者なりきりセット(貸衣装)》。
「勇者なりきり……」
「気になります?」
「ちょっとだけ」
「ふふ。さっき“傍観者でいたい”と仰っていたのに」
「資料として興味があるだけだよ!」
ネティの口角がわずかに上がる。俺は視線を逸らし、咳払いでごまかした。
広場の中央に、白大理石の台座と、その上に立つ像――。
勇者セリオス像。剣を携え、遠くを見つめて微笑んでいる。肩が広く、体格はがっしりしていた。
けれど、その顔は俺の知る“ヒロパスの勇者”とは違う。
「……なんか、思ってたのと違うな」
「どんな風に違うんですか?」
ヒロパスのセリオスは、熱血漢で理想に燃える青年。
燃えるような瞳に、常に前を見据えた笑み。
仲間を導くリーダーらしいカリスマを感じさせるデザインだった。
「ゲームの勇者セリオスはさ、もっと熱血漢で、
誰よりも真っ直ぐで、目が燃えるように輝いてて、
“俺が世界を救う!”って全身で言ってる感じだったんだけどな」
対して、この像には、そんな熱さを感じない。
同じ熱でも、こっちは「暖」といった雰囲気だ。
英雄というより、“近所の優しいお兄ちゃん”が似合う。
「……すごく、いい人そう」
「はい。お人好しそうですね」
「褒めてるのか、それ」
「最上級の褒め言葉です」
ネティは素直に頷いた。
俺も頷き返しながら、胸の奥に小さな違和感が残るのを感じた。
英雄譚の挿絵でも、既にゲームの勇者と容貌が違うのは知っていた。
けれど、立体で、街の空気の中に立つ“人間の等身大”の笑みは、
想像以上に“ゲームの勇者像”から遠かった。
逆に、ネティがミスをせずに俺を本来の時代に転生させていたら、
像として飾られているのは、俺だったわけで。
(全身像ってちょっと恥ずかしいかも……)
「今日は移動だけで疲れましたね。まずは宿を取りましょう。
野宿だけは絶対に嫌です」
「言い切ったな」
「神聖な身は、土の上で寝るようには作られていません」
言葉だけ聞けば高貴だが、
内容は単なる“野宿拒否宣言”だった。
◆◇◆◇
夕方。宿の一室。
ベッドに沈みながら、俺はぼんやりと天井を眺める。
ネティは隣の部屋で静かに休んでいる。
横になると、身体の各所から“座っていた”時間の重みが遅れて届いた。
(勇者は、どうやって“勇者”になったんだろう)
ヒロパスの画面は、いつも“冒険のはじまり”から始まる。
演出が入り、操作ができるようになって、気づけば主人公は勇者だ。
その経緯は、どの資料にも載っていなかった。
でも、現実のセリオスには“選ばれる瞬間”があったはずだ。
神託か、血筋か、政治か、偶然か。
「いいよなー。なんだって勇者だもん」
勇者。唯一無二の存在。
そう呼ばれることは、やはり特別で憧れる。
呟いた瞬間、ノックの音がした。
「チェチさん? そろそろ夕食の時間ですよ」
ネティの声だ。時計を見ると、約束の時間をとうに過ぎている。
「ごめん、考え事してた。すぐ行く」
廊下に出ると、ネティが待っていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。腹も減ってるし」
「それは何よりです」
どんなに考え込んでいても、腹は減る。
勇者の謎も、世界の理も、空腹の前じゃ分が悪い。
小さく息をついて、俺はネティのあとに続いた。