03 失せ物は記憶を語る2
公園には依頼主の女性がすでに来ていた。
栗色の髪をまとめ、疲れの色を隠しきれないが、丁寧な所作の人だ。
「依頼を受けてくださってありがとうございます。レアナと申します」
「チェチです。初めてのご依頼で慣れないところもありますが、よろしくお願いします。
お話、詳しく伺えますか」
レアナの足に小さな手が縋っている。五つくらいの女の子。
母の影からこちらを覗き込む瞳は、泣き疲れの赤みを帯びていた。
「……ぬいぐるみ、みつけてくれるの?」
「ああ、見つけるよ。どんなぬいぐるみ?」
「おばあちゃんがくれたの。うさぎのやつ。かわいいの」
ぬいぐるみのことを話すときだけ、
少しだけ笑顔が戻るのか目元がにこっと少し細くなる。
レアナが補足するように続けた。
「私の母——この子にとっての祖母が、誕生日に贈ったぬいぐるみです。
夫婦ともに仕事が忙しくて……この子は母に預けることが多かったんです。
母が亡くなってからは、あのうさぎを肌身離さず持っていて。
先週、公園で遊んでいる間に見失ってたみたいで」
言葉を詰まらせるレアナの肩が震えた。
「夫も私も探したのですが、仕事の都合で時間が取れなくて。どうかお願いします」
なるほど。想いがこもっている。
そういうものほど、残留思念は強く残るらしいから、言い方は悪いが練習にちょうどいい。
「分かりました。公園の中ですね?」
「はい。その日は公園にしか行ってないので、ここにあるはずです」
「任せてください」
俺は軽く頷き、依頼に取り掛かることにした。
◆◇◆◇
公園の入り口で深呼吸した。人の気配が少しずつ遠のいていく気がする。
ネティはどんな魔法でも、イメージが大事と言っていた。
目を閉じて、息を整える。
「透影」
瞼の裏に淡い光が広がり、再び目を開くと――世界が違って見えた。
空気の中に、色のついたモヤが浮遊している。
赤は怒り、青は哀しみ、黄色は喜び、金は……慈しみ。
感情が色で見分けられるという知識はネティから聞いていないが、そういう違いもあるのだろうか。
(なるほど、こういう見え方をするのか……)
公園を一歩進むごとに、光の密度が変わっていく。
ブランコの下には、黄色の粒が飛沫のように散り、
滑り台の裏には、転んだ膝の痛みが青い渦になって残っている。
砂場は混ざり合って複雑だ。笑いも泣きも、同じ場所に降り積もるからだろう。
そして——複合遊具の影に、ひときわ濃い金色が重なっていた。
何層にも塗り重ねたような、厚みのある光。
しゃがみこみ、手を伸ばす。
指先が金色の層に触れた瞬間、意識が柔らかな綿に包まれたようになって、
別の風景が立ち上がる。
◇◇◇◇
――木漏れ日の下、年季の入った木製の椅子に、年老いた女性が座っている。
ひざの上に座った幼いミーナが、目を輝かせて見上げている。
『おばあちゃん、これなに?』
『この子が、ミーナちゃんを見守ってくれるからね』
『みまもる?』
『そう、いつでも側にいるってこと』
『おばあちゃん、ここにいるのに? ふふ、へーんなの!』
『この子を見てるときは、たまにおばあちゃんのことを思い出してくれると嬉しいな。
でも、覚えててほしいのはそれだけじゃないの。
ママもパパも、ミーナちゃんのこと大好きだからね』
ミーナはぬいぐるみに夢中で、聞こえてないようだ。
『まったく、この子ったら……』
ぬいぐるみを気に入ってもらって嬉しい、
けれども話を聞いてないミーナの様子に困った顔で笑っていた。
◇◇◇◇
光景が淡く滲んでいく。
俺の手の中には、少し汚れたうさぎのぬいぐるみがあった。
片方の耳の付け根が緩んでいる。
両手で抱えると、布越しに誰かの体温が残っているような気がした。
公園内のベンチにレアナとミーナが並んで座っていた。
ミーナは両膝を胸に抱え、靴紐をいじっている。俺はぬいぐるみを差し出した。
「これ……!」
「おばあちゃんがくれたやつだね」
ミーナの顔がぱっと明るくなる。
小さな手が伸び、ぬいぐるみを抱き寄せる。
頬ずりした瞬間、こらえていた涙が一気に溢れた。
「本当に、ありがとうございます……。
報酬は先に払ってあるので、この完了印を見せれば、今夜にでも受け取れるはずです」
「はい、確かに完了印を受け取りました。それにしても、大切なものが見つかって良かったです」
「この子、ずっと塞ぎ込んでて、外に出るのも無理だったから……」
ぬいぐるみを強く握りしめるミーナの視線に合うように、しゃがみ込む。
「ミーナちゃんを大事にしてくれてるのは、おばあちゃんだけじゃないよ。
ママもパパも、じいじも。みんなミーナちゃんのことが大好きだと思うよ」
ミーナは母を見上げ、「ママも、ミーナのこと、すき?」と訊いた。
レアナは一拍置いて、全身で抱きしめるように娘を包んだ。
「もちろん! 世界でいちばん大好きよ」
その光景を見届けて、俺は静かに立ち去った。
◆◇◆◇
その日の夜、管理局を訪れると、受付の女性が封筒を差し出した。
「お疲れ様です。
依頼報酬と依頼主からの追加分、そしてこちらをお預かりしています」
封を切ると、淡い花の香りがした。
丁寧な筆致で、しかしところどころ急いで書いた跡が残る文字。
『チェチ様へ
娘の笑顔を取り戻してくださり、ありがとうございます。
母が亡くなってから、私は夫と共に“未来のミーナ”のために働くことばかり考えていました。
けれど、あなたの言葉で気づきました。
私は“今のミーナ”の手を、十分に握っていなかったのだと。
仕事の時間を少し減らし、家族の時間を増やすことにしました。
生活は苦しくなるかもしれませんが、娘の笑顔の価値には到底及びません。
どうか、あなたの旅路に祝福がありますように。
レアナ』
あれから追加報酬分と手紙を届けるために、急いでくれたのだろう。
「……こういう使い方もできるんだな」
受付で担保の返金と報酬を受け取り、俺は噴水広場へ向かった。
「おかえりなさい、チェチさん。どうでした?」
「見つけたよ。うさぎのぬいぐるみ。……良い依頼だった」
ネティはほっと息を吐き、微笑んだ。
「わたしも治療院で、擦り傷と捻挫を山ほど見ました。
子供は元気ですね。転んでも転んでも、走っていきます」
「そのおかげでネティの手は稼働率120%だったわけだ」
ネティは得意げにニヤリと笑い、
じゃらじゃらと小気味よい音を立てて、銅貨が詰まった革袋を掲げてみせた。
「本日は大変よく稼げました」
まるで仕事帰りの商人のような口ぶりに、俺は思わず吹き出した。
……どうやら、女神さまは完全に現世の経済に順応したらしい。