03 失せ物は記憶を語る1
昨日より少し馴染んだ街の景色を見渡しながら、俺とネティは通りを歩いていた。
リュセオンの朝は、昨日よりもずっと騒がしかった。
市場の呼び込みが重なり合い、どの店も人でごった返している。
まるで祭りでもあっているような賑やかさに、まだ慣れることができない。
俺とネティは中心街を一巡りした。
目的は“稼げる場所”を探すこと。
街の中心には、広場と噴水。周囲を取り囲むように、冒険者向けの施設が立ち並んでいた。
そのひとつに『治療院』の看板がある。
扉を押すと、乾いた草の香りと薬草の匂いが混じっていた。
白い外套の術者が、捻った手首に淡い光を当てている。
患者は冒険者もいれば、荷車に挟まれたらしい商人もいる。受付には札が立っていた——
《術者日雇い募集》。
「ここも日雇いがあるんだ」
「ええ。都市では、日銭を求める術者や、修練中の若い回復術者を受け入れる仕組みが確立しているようです。効率的ですね」
ネティは小さく頷き、掲示の細かな字を追った。術者の等級、支払いの相場、必要な誓約の文言…。村育ちの俺には縁遠い規則だが、彼女は飲み込むのが早い。
かつて旅の術者が村に立ち寄ったことを思い出す。
老人の腰痛や働き盛りである男衆の軽い傷、子供の高熱を見てくれて、その代わりに宿と食事を提供した。戦士や武闘家が訪ねてきたときは、力仕事を手伝ってもらい、俺も一緒に畑を耕した。
あれは善意の交換だった。でもこの街では、全てが金で回っている。
ゲームを遊んでいた頃は、モンスターを倒せば勝手にお金が手に入った。
宿代も食費も、画面の向こうでは気にする必要なんてなかった。
ゲームの勇者は戦うだけで報酬が手に入ったが、
現実の世界では、誰かの役に立たなければ銅貨一枚すら得られない。
勇者以外の人間たちは、こうやって一日を積み重ねて生きているんだ。
「…勇者が魔王を倒して世界が平和になったから、こんな仕組みができたのか?」
「どういう意味ですか?」
独り言のつもりだった呟きが聞こえたようで、ネティがこちらに向き直した。
「魔王がいた時代に、こんなふうに細かく取り決めして、日雇いで人を集めて、なんて余裕はなかっただろうなって」
「なるほど。平和の副産物ですね」
ネティの言葉に頷きながら、俺は少しだけ胸の奥が温かくなった。
平和の中を歩けること、それ自体が尊いことなのかもしれない。
◆◇◆◇
街の中央に近づくと、巨大な掲示板が目に入った。
木製の板には羊皮紙の依頼書がびっしりと貼られている。
誰がどの仕事を取るかで小競り合いをしている人もいる。
「……これが、依頼掲示板か」
横にいた老商人に聞くと、これは《街政院》が運営しているらしい。
冒険者や労働者への依頼、祭りや商会の告知まで、あらゆる情報がここに集まる。
「身分証があれば、掲示板の依頼を請けられる。
だが初心の者は担保が必要だ。逃げられちゃたまらんからな」
「初心……つまり経験の浅い人間ってことですか」
「そうだ。だが、悪くない。ちゃんとやれば信頼も得られる」
俺は手元の革袋を確かめた。
父にもらった路銀の他に自分が貯めていたお金があるが、最初の依頼の担保分なら、それで賄えそうだ。
「失せ物探しなんていかがでしょう?」
彼女が目を輝かせながら、掲示板の方を指した。
「失せ物?」
「はい。広い範囲ではなく、落とした場所がおおよそ分かっているものなら、
残留思念を辿りやすいと思います。
残留思念が残るのは、土地だけではありません。
思い入れが強ければ、物にも残るので、できないことはありません」
「なるほど…俺の練習にもなるし、確かに良いかも」
「それに、失せ物依頼は担保も安く済みます。お財布にも優しいですから」
「けっこう経済的だよね……」
高報酬のモンスターの退治や盗賊団の撃退といった依頼もあるが、担保も大きいし
なにより俺にそんな実力はない。
いかにも冒険者といった依頼に憧れないことはないが、「いのちだいじに」を忘れてはいけない。
◆◇◆◇
「身分証明の確認ができました。初回の受注のため、担保金をお願いします」
受付の青年が、担保金の書かれた書類を提示する。
秤の上に銅貨を置くとわずかに皿が沈んだ。
すぐに取り戻すからな、と銅貨に束の間の別れを告げ、街政院を後にした。
「大丈夫ですか?」
「最初は必要経費だよ。すぐ取り戻す。早速午後から依頼人と合う約束をしてきた」
「ちょうど良かったです、わたしも治療院に行こうかと思いまして。
今の時期は日当が良いらしいのです」
ネティは胸の前で指を軽く組み、いつになく誇らしげに顎を上げた。
紫の瞳がきらりと光る。どこか得意げな口調に、俺は思わず笑ってしまった。
………完全に、稼ぐ気満々だ。
「そうしたら、しばらく別行動だね」
「はい、また夜にお会いしましょう。良い報告をお待ちしております」
軽く手を振るネティの仕草は、どこか軽やかだった。
陽の光を受けた白銀の髪がふわりと揺れて、
通りのざわめきの中にすっと溶けていく。
俺はその背中を見送りながら、
「…元とはいえ女神様が金勘定とは、世も末だな」
と小さく笑って、反対方向へ歩き出した。