そんなつもりじゃなかったのよ!
翌日、レティーナは明け方に目を覚ました。
最初は「ここはどこ?!」と焦ってベッドから飛び出したが、とんでもなく豪華な部屋を見渡して、そういえばと思い出した。子爵家を除籍されたこと、前世の記憶を取り戻したこと、さらにはカイセルとの再会。目まぐるしすぎる。
ルルを探すと、ベッドの脇に用意された専用の寝床で寛いでいた。
豹姿でも問題ないほど大きく、ふかふかクッションにふわふわ毛布で包まれたゴージャスなベッド。あれは絶対ルルがカイセルに命じたやつだ。
「おはよう、ルル。そのベッド、気持ちよさそうね」
『おはよう、レティ。さすがカイね、私の希望に忠実よ』
案の定の答えが返ってきた。ルルはふわふわ毛布が気に入っているようで、ごろごろと寝転がっている。
呆れていると静かなノック音が聞こえて、マーサが入ってきた。扉からはルルのベッドは死角になっているとはいえ、ルルはちょっと気を抜きすぎ。あんな大きな金色の獣が部屋にいるとわかったらマーサが卒倒するじゃないかと心配になる。
「おはようございます、レティーナ様。よろしければカイセルぼっちゃまとご一緒に朝食はいかがですか?」
「そうね。お願いしようかしら」
「ではせっかくなのでドレスアップしましょうか。ぼっちゃまも惚れ直しますよ」
そんなことを言い出したマーサにギョッとする。
「ほ、惚れ直す?!あ、あの、私達、そんな関係じゃないのよ!」
「そうでございますか?ですがぼっちゃまが女性を連れてくるなんて初めてですからねぇ」
「それは私が倒れてしまったからだわ!カイは優しいから!」
「そりゃあぼっちゃまはお優しいですけどねぇ。ほら、こちらなんていかがです?」
話を聞いているのかいないのか、クローゼットの中にあったドレスを手に取るマーサ。
「ちょっと待ってマーサ。その着替えはなに?」
「ぼっちゃまがレティーナ様のためにご用意したものでございますよ。好みもあるだろうからとまだ少ししかございませんが」
クローゼットの中には色鮮やかなドレスが何着も用意されている。いつの間にと驚愕しかない。
「えっと、私、自分の服で」
「王宮内ですからねぇ」
やんわりと否定してくるマーサに、レティーナは言葉に詰まった。だからといってドレスはない。いや、貴族令嬢なら当たり前だけれど、レティーナにとってはすでに縁遠いものだ。
「でもやっぱりドレスを着るのは」
「さあさあ時間がありませんよ、レティーナ様」
レティーナの言葉をさらっと無視したマーサによって、勝手に着替えされられていく。さらには髪をハーフアップにして軽く化粧まで自然な流れだ。
これが年の功かとレティーナはされるがまま。マーサすごい。
そうして鏡の前に立てば、女性らしさ溢れる貴族令嬢がいた。こんな姿は久しぶり過ぎて照れる。
レティーナがはにかみつつもお礼を伝えるとマーサが喜んでさらに手をかけようとしてきたので「それはまたに」と説き伏せ、ようやくカイセルの待つ部屋へとたどり着くことができた。
「おはよう、カイ。待たせたわね」
声をかけると読書をしていたカイセルは顔を上げて、嬉しそうに目を細めた。
「おはよう、レティ。そういったドレス姿を見るのは初めてだが、とてもよく似合ってるな」
「ふふ、ありがとう」
前世では国王と謁見する機会も多いからと師匠クシュナにマナーも叩き込まれたし、パーティーではドレスも身に着けていた。
とはいえサリュート国の正装は細かい刺繍とビジューが施されたレヘンガドレスだったので、ふんわりとしたAラインのドレス姿を見せるのは初めてだ。
そういう彼は最初に会ったときと同じように討伐団の制服を身に着けていた。
(改めて見ると、文句なしにかっこいいわね。カイこそとても似合ってるわ)
再会したときは魔物相手でそれどころではなかったけれど、かっちりした黒色の軍服はまるでカイセルのために誂えたようだ。見惚れそうになってしまい、慌ててお礼を伝えた。
「着替えまで用意してもらってありがとう。それからルルのベッドも。ルルもお礼を言いなさい」
「にゃーん」
ものすごく気のない“にゃーん”だった。
――ちょっと!もっと気合の入った“にゃーん”にしてよ!
――猫の鳴き声なんてどれも一緒よ
――全然違うわ!それに今は私の使い魔なのよ!
周りに使用人がいるのでルルは紫色をした子猫姿の使い魔だ。けど見た目だけでやる気がない。
魔術師と使い魔は一心同体なので、お礼のにゃーんに気合が入っていなければ、それはレティーナの内心がたいして感謝していないのと同じこと。わかっているくせに、ルルは眠気を優先させている。
欠伸をかみ殺すルルを睨みつけていると、カイセルがククッと笑った。
「礼は必要ないから気にするな。それより席についたらどうだ」
促されてレティーナが座るとすぐに料理が運ばれてきた。
二人の前にはそれぞれ似たようなメニューが次々に運ばれてくるが、カイセルの前にはさらに肉料理が、レティーナの前には胃に優しそうな料理が並べられた。
すべて整えられた後、カイセルは使用人を下がらせた。
「ルル、もういいぞ。なにが食べたい?」
レティーナの肩にいたルルは、空いた椅子に飛び乗ると同時に金色の豹に戻る。眠気より食い気が勝ったようだ。
『カイのところにある鶏肉と、レティのオムレツがいいわ』
「鶏肉だな。わかった」
カイセルが丁寧に肉を取り分けてルルの前に置いた。神獣に食事は必要ないのに、ルルは美味しそうなものだけを厳選して食べたがる。
「もう。カイは相変わらずルルに甘いんだから」
「ルルだけじゃないだろ。ほら、お前の分だ。それにレティだってオムレツをルルと俺用に取り分けてるじゃないか」
「だ、だってルルが食べたがる料理って絶対美味しいから」
「だろ?だから俺達は分け合うんだ」
サリュート国は式典などでない限り、親しい者としか食事を共にしない風習があった。食べ物が不足しがちな砂漠の地だからこそ、食事はなにより大切な時間とされていたのだ。
地面に座り、小さな円になって料理を囲む。親しい間柄だからこそ、美味しいと思った料理は共有して幸せを分かち合う。
レイナもカイザーもそうやって一緒に過ごしてきた。
「レティ、まだ食べられるか?このソーセージも美味いぞ」
「いただくわ。カイもこのスープどう?あっさりしてるけど美味しいわよ」
「もらおう。うん、美味いな」
「でしょう」
そうして食べながらもレティーナは思う。
(でもこれ、世間一般から見たら間接キスになるのよね)
そんなことを考えたらほんのり顔が赤くなる。
ナイフやフォークはそれぞれのものを使っているが、同じ皿からというのは普通やらない。カイセルはどう思っているのだろう、そう思ったとき隣で大きな溜め息をつかれた。
「な、なに?どうしたの?!」
「ああ、いや。こうやって食べていると懐かしくて、地面に座りたくなるな……」
そんなことを言いながら床をちらちら見るカイセルに、レティーナは噴出した。
気持ちはわかる。前世、サリュート国を離れたばかりのころレイナも地面に座りたいと何度も思った。
クスクス笑っているとカイセルは恥ずかしそうに頬を掻きながら話題を変えた。
「そういえばレティ、ルルに聞いたが、薬師になるのか?」
「まだ決めたわけじゃないわ。地味に生きるならちょうどいいとは思ってるけど」
「地味に生きる?どういう意味だ?」
「えっと、ほら、私の力って桁外れでしょう?だから目立ちたくないの。今世はひっそりこっそり生きていこうと思って」
前世ではこの国の王太子にいいように使われたから今世は利用されたくない、なんてことをストレートに言う気になれず、適当に誤魔化しながら伝えると、カイセルが聞き返してきた。
「正体を隠したい、ってことか?」
「そういうことになるわね」
そう返事しつつもレティーナは少し笑えた。
(正体なんて、カイったら大袈裟ね)
この言葉を直接カイセルに伝えればとんでもない話を聞くことになるのだけど、会話が成立してしまったせいで “正体”とやらを聞くタイミングを逃してしまった。
そんなことに気づかず大袈裟な言葉に笑ってしまったのだが、逆にカイセルは微妙な顔をしたままだ。
「なに?その顔」
「いや、だってなぁ。そんなことを言う割には、そうは見えないっていうか」
「どういう意味?」
レティーナが首を傾げると、カイセルが逆に不思議そうな顔をしてきた。
「まず空から登場って時点で、ひっそりもなにもなくないか?」
「…………え?」
「巨大毒蜘蛛討伐のとき、お前空から降ってきただろう。ひっそりこっそりを目指している奴がやる行動じゃないんじゃないか?」
言われて気づいた。
空からいきなりやってきて第一王子にタメ口を使い、魔術をバンバン使って最後にぶっ倒れた。全然忍んでない。
(え、待って待って!それどころか私、ものすごく目立ってない?!)
焦ってカイセルを見ると、残念な子でも見るような視線を向けてきた。
目立つに決まってるだろ、そう言っているのがひしひしと伝わってくる。
「で、でもあのときは緊急だったし!」
「それで俺達は助かったから感謝している。でもなぁ」
すると鶏肉に夢中になっていたルルまで言い出した。
『そうよね。“あれは何者だ?!”って言ってほしい人の登場の仕方よね』
「だよな。さながらヒロインのピンチを救いに来たヒーローの登場シーン。一番の見せ場だ」
『完全にスポットライトを浴びたい人よね』
二人の会話に体がフルフル震える。
「やめてよ!そんなつもりこれっぽっちもないわ!」
「そう、それ!レティはそこが問題だよな」
『気づいてないって時点でヤバいのよ』
「ヤバいって言わないでよ!」
今さらながら恥ずかしくなってきた。これじゃ無意識のくせに目立ちたがり屋みたいじゃないか。
レティーナが顔を赤くすると、カイセルがククッと喉を鳴らしルルは呆れ顔をした。
「ひっそりこっそり、頑張れよ。期待はしてないけど」
『私もしてないわ』
「くぅ!見てなさい、二人とも!絶対地味に生きてやるんだから!」
レティーナが叫ぶとカイセルは楽しそうにハハッと笑った。
しばらく賑やかに会話していたが食事も終わり、そろそろ時間だとカイセルが立ち上がったのでレティーナも倣う。
「俺は討伐に行ってくるが、お前はまだおとなしくしてろよ。マーサにも食事の量を少しずつ増やすように言っておくから」
「そうね、ありがとう」
「帰りは遅くなるだろうから、明日の朝また一緒に食事をしよう。同じ時間でいいか?」
「ええ、大丈夫よ。その、カイ、気をつけていってらっしゃい」
「ああ。いってくる」
カイセルは嬉しそうに微笑み、手をひらひらさせながら部屋から出ていった。
(そうね。明日もカイに会えるんだわ)
そう思ったらレティーナも自然に頬が緩んだ。先日までの孤独が嘘のようだ。
ふふっと笑みを漏らすレティーナにルルが首を傾げる。
『なに?どうしたの?』
「なんでもないのよ。ただカイもルルもいるから、寂しくないなって思っただけ」
素直な気持ちをそのまま伝えるとルルは目を丸くして、少し黙り込んだあと小さく溜め息をついた。
『今日の夜だけは一緒に寝てあげるわ』
「っ!ルル――っ!」
『ちょっと!そんなに強く抱き着かないでよ!』
そう言いながらもされるがままのルル。なんだかんだいって優しいのだ。
レティーナはクスクス笑いながらルルの首筋に顔を埋め、ふわふわの毛を堪能した。




