レイナとカイザー(カイセル視点)
深夜、カイセルは自室でワインを傾けながら窓の外をぼんやりと眺めていた。
レティーナが目を覚ましたことでようやく肩の力が抜けた。ルルには「大丈夫だから」と何度も言われたが、やせ細り、顔色の悪いレティーナが意識を失っている、それは前世のレイナを彷彿とさせるようでカイセルは気が気ではなかった。
城壁の向こうではこんな時間でも明かりが灯り、夜の街を照らしている。
砂漠で覆われたサリュートとは大違いだと、カイセルは瞳を閉じた。
サリュート国第三王子として生を受けたカイザーは幼いころから王子という立場を理解し、勉学に剣にと励みつつ、庶民の暮らしを知るためにと宮殿から抜け出したりもしていた。
その日も少し距離のある集落に出向いた後オアシスに立ち寄り寝そべっていると、ふいに影が差した。
「こんなところで寝てるなんて、あなた暇なの?」
「暇じゃないぞ。ラバを休ませているだけだ。見かけない顔だが、お前は誰だ?」
「私?私はクシュナ様の弟子よ」
少女はそう言って照れくさそうにはにかんだ。
暁の空のように深く美しい赤い髪とアメジストを思わせるパッチリとした大きな瞳、サリュート国では見かけない真っ白な肌。エヘヘと笑うその笑顔は愛らしく、庇護欲をそそる。はっきり言って一目ぼれだった。
レイナは大陸東部の山間にある小さな村の生まれなのだそうだ。あるとき近隣諸国の無茶な伐採のせいで土砂崩れが起きてしまい村は全滅、運よく生き残ったレイナが途方に暮れていたところにルルが現れ魔女となり、サリュート国と契約している大魔女クシュナの元に連れて来られたらしい。
魔女とは神獣から刻印を授かった者で、全属性魔術、風、水、土、炎、氷、雷すべてを使いこなすだけでなく、魔道具作製や付与魔術にも精通しており、治癒も可能な一線を画す存在。クシュナのように国と契約して手を貸してくれる魔女もいれば、森に隠れ住む者、薬師や占い師などの職業に就く者、さまざまである。
レイナは愛らしい笑顔とは裏腹に行動力がありすぎて、振り回されることも多かったがそれすら楽しく、また立派な魔女になるためにと努力を惜しまない彼女にカイザーはどんどん惹かれていった。
月日が経ち、20歳となったカイザーはようやくレイナに結婚を申し込める許可を得た。
難色を示していた父王の説得に時間がかかってしまったが、クシュナの後任となったレイナが目覚ましい活躍をみせたことで、ようやく許可をもらえたのだ。
しかし。
「レイナとの契約を解除したって、どういうことです?!」
王の御前、片膝をつきながらもカイザーが声を荒げると、父王は静かに口を開いた。
「我の方で、レイナにおぬしとの縁談を勧めてみた」
「なぜ父上から!俺は自分で」
「おぬしは王族、我から話すのは当然だろう。だがレイナは拒否した。おぬしには親愛の情しかないそうだ。魔物が減り瘴気が収まった今、契約を解除したいと本人が望めば拒否することはできぬ」
「俺はレイナからなにも聞いていません!」
「おぬし宛に手紙を預かっておる。それを読んで理解せよ」
自室に戻ったカイザーは手紙の封を開けると、そこにはよく知ったレイナの字が並んでいる。
魔女として自由に生きたい。黙っていなくなることを許してほしい。幸せになって。
そんな言葉が淡々と書き綴られていた。
“魔女はね、何事にも縛られないのよ。だって神の使いである神獣がそばにいるんだもの”
以前、クシュナに言われた言葉を思い出す。
「自由に生きたい、か。ハハ、レイナらしいな」
笑みを浮かべたカイザーだったが、ある種の感情が押し寄せてきて溢れ出てしまう。それを隠すように、片方の手で自身の瞳を覆った。
その後、表面上はいつもどおりの生活を送っていたカイザーだったが、10日も経たないうちに父から驚くべき話を聞かされる。
カイザーに隣国の王女との縁談が持ち上がっているというのだ。
「俺はレイナ以外と結婚する気はないと伝えてきたはずです」
「そのレイナはもうおらぬではないか。我はおぬしを次の王に推す。そのためにこの縁談は不可欠だ」
第一王子は遊び惚けていて役立たず、第二王子は脳筋で剣の腕は見事だがそれ以外はからっきし。だから第三王子の自分を、ということなのだが。
「それだけではない。おぬしの功績は誰もが認めるところだ」
「すべてはレイナが協力してくれたおかげです。王にはマハトがいるでしょう」
「あやつは第四王子。年功序列をとるべきだ」
「第一王子を選ばない時点で年功序列は意味を為しません。それに俺の母は身分が低く、王位には一番遠い存在です」
「だからこその縁談だ。隣国の王女を迎え入れれば、おぬしの立場を確立できる」
カイザーは頭が痛くなった。妾の母を愛しているとはいえ、父はいつからこれほど愚かになったのか。
「マハトの母は長年国を支えてきた一族です!俺が王になれば彼らは敵に回る。国を割るおつもりか?!」
そこまで言うと父は少し沈黙した。わかってくれたかと思ったが。
「おぬしが王になれば、母も喜ぶぞ」
「……話にならない。御前、失礼します」
カイザーはその足でマハトの元に向かった。彼に事の顛末を話し、あとを頼むと伝える。
「あとを頼むって、まさか出奔する気?」
「ああ。あの父上の様子、俺がいてはなにをするかわからんからな」
「とか言って。本当はレイナ殿を追うつもりだったんでしょ?」
ニヤニヤと笑う異母弟に苦笑する。どうやらバレていたらしい。
父親経由で終わらせるなんて、長年の思いはそんな簡単なものじゃない。それに強大な力を持ちながらもどこか抜けている彼女が心配でもあった。
「今すぐとは考えていなかったが、こうなった以上一日でも早い方がいい」
「でも本当にいいの?縁談相手、かなりの美姫らしいよ。会ってからでもいいんじゃない?」
「美姫だろうと俺には関係ない」
「硬いなぁ。まあいいや、どのみち僕が王になるのは既定路線だったし。そろそろ父上にも退場してもらおうかな」
無邪気な顔をして腹の黒いこの異母弟なら、立派な王になるだろう。
「マハト、サリュートを頼んだぞ」
そう言って立ち上がるとマハトも立ち上がり、寂しそうな笑顔を浮かべた。
「覚えていて、兄上。どこにいてもここは兄上の故郷だから」
「ああ」
「レイナ殿に振られたら戻ってきなよ。慰めてあげるから。あ、もう間接的に振られてたね」
「はっきり言うな」
カイザーが苦笑するとマハトが笑い、ハグを交わしてから部屋を出た。
それからカイザーはひっそりと国を出て、冒険者をしながら放浪を続けた。砂漠の国では見られなかった自然の景色に心を奪われ、人の多さに圧倒し、食べ物の美味しさに目を見張った。
国を出てから半年ほど、レイナを探して北の地に進むたび、カイザーは不穏な空気に包まれていく。魔女は邪悪だと口にする人々が増えていくのだ。
「神獣を連れている魔女が邪悪なはずないだろう」
反論するカイザーに魔女の肩を持つのかと喧嘩に発展し、剣を向けられることもあった。
なぜこんなことにと不安が募り、レイナの無事を祈るカイザーの元に、ある日クシュナが現れた。
長い髪を靡かせ、年齢不詳の彼女は相変わらず妖艶な雰囲気を纏っているが、その顔には焦りが見える。いつもは余裕たっぷりのクシュナからはほど遠いその表情に、嫌な予感がしたカイザーは挨拶の言葉も出ない。
「クシュナ様、レイナは、レイナは無事なのか?!」
「……今からレイナの元に連れていってあげるわ」
そうして連れて行かれた先で、カイザーが見たものは――
カイセルはゆっくりと目を開けたあと、手に持っていたワインを一気に呷った。
当時の出来事は歴史上、“魔女狩り”なんて言葉が使われている。魔女を貶め手柄を横取り、もしくは飼い殺しにしようとする国が後を絶たなかったのだ。
魔女達がおめおめと捕まるはずもないが、王太子に目を付けられたレイナは餌食になったうちの一人。
レティーナの姿にレイナが重なり、またも心が騒く。
そのとき宙がぼんやりと光り、中から金色の豹が降りてきた。
「ルルか。レイナ……レティの様子はどうだ?」
『大丈夫よ。問題ないって何度も言ってるじゃない』
「そうだったな」
そう言いながらもカイセルの心は晴れない。するとルルが口を開いた。
『カイ、レティに本当のことを言わないの?』
カイセルは一瞬目を丸くしたが、答えは決まっている。
「前世でも伝えたが、言う必要はない」
『はぁ、まったく。なにが病でぽっくりよ、嘘つき。本当のことをレティに伝えるべきだわ!』
「今さらな話だ。あれは俺が勝手にやったことだし、知らなくていいことだってある」
『だけどそれじゃあカイは!』
「俺のことはいい。あんな話を聞かせたところであいつが気に病むだけだ。そんな姿を見たいわけじゃないだろう?」
そこまで言うとルルは黙り込んだ。
レティーナは知らないが、実はレイナの死にはカイザーも関わりがある。しかしそれを話すつもりはない。ルルの気持ちはありがたいが、真実を伝えることがすべてではないと思っている。
「それよりルル、俺を転生者にしてくれたんだな」
『それこそ私が勝手にやったことだわ』
フイと顔を背けるルルに、カイセルはクスッと笑みを漏らす。前世の死に際では余裕なんてまったくなく、ルルに転生術をかけられたことを自覚していなかった。
「ありがとう、ルル。おかげで俺はまた彼女に会えた。感謝している」
心からの言葉を伝えたのだが、それがルルの勘に触ったようだ。尻尾をビタンと勢いよく床に打ち付けて、カイセルを睨みつけてきた。
『ならさっさと告白しなさいよ!まずはそれからでしょ!』
「…………」
『なによ、その惨めそうな顔は』
「惨めそうって言うな。……口に出したくないが、俺は前世ですでに振られている」
呻くように言うと、ルルは目を丸くした。
『嘘でしょ?!いつの間に?』
「サリュートからいなくなる直前だ。俺に対しては親愛の情しかないらしい」
『親愛……』
部屋の中がしんと静まり返った。
気まずい空気が流れ、それを打ち消すようにカイセルはゴホンと咳をする。
「とにかくあれだ。レティは今日目を覚ましたばかりだし、この先どうしたいのかも聞いてない。長期戦は覚悟の上だから、少し時間をくれ」
ルルはなにかを言いかけたが、結局は飲み込んだようだった。
『急かして悪かったわね』
顔を背けてそう言い残し、姿を消した。
苦笑したカイセルは空になったグラスに再びワインを注ぎ、一口含む。
たとえこの気持ちが一方通行であろうと、今世こそは幸せに生きていってほしい。そのために手を尽くすのみだ。
カイセルは窓の外を見つめながら、大切な彼女の笑顔を思い浮かべた。




