Sランク魔物の出現
双頭大蛇
その名のとおり首から上が二つに分かれている超巨大な蛇で、人間なんて余裕で丸呑みできてしまうSランクの魔物だ。
巨体にもかかわらず動きが俊敏な上に表皮がかなり固く、同じ個所を何度も斬りつけなければ首を落とすことができない。
さらに問題なのは、二つの首をほぼ同時に落とさなくてはならないことだ。生命力が異常に強いのでもたもたしていると切り落とした方の首がまた生えてきてしまい、振り出しに戻ってしまう。
(まさか双頭大蛇なんて……)
冒険者が減って討伐がすすんでおらず、瘴気が広がったせいでとんでもない魔物が出現してしまった。
レティーナはゴクンと唾を飲み込む。レティーナですらそうなのだから、他の団員達は青ざめ慄いている。
「当然我が団は緊急要請に従い、辺境地に向かう。だけど馬での移動になるから」
「ま、待ってください!転移石がありますよね?!辺境地と繋がっている石板があるはずですが」
団員の一人が声を上げたが、メイナードは首を横に振った。
「残念ながら辺境地への転移石は故障してしまって使えないそうだよ」
「そんな……!」
双頭大蛇なんて一刻も早くどうにかしなければならないのに、辺境地の被害は大丈夫なのかと皆に不安が押し寄せる。
ざわめきが大きくなる中、オーウェンが奥歯をぎりっと噛みしめ悔しそうに叫んだ。
「あれは故障ではありません!破壊されたのです!」
オーウェンの父であるギュンター辺境伯は双頭大蛇が現れてすぐ、討伐団に緊急要請の書簡を送った。
約束を取り付けた昨日、事が事だけに嫡男のオーウェンが直接転移石板を使って王城に赴いたのだが、なぜかジュリアスの元に案内され、魔道銃を大量に渡されてこれでなんとかしろと言われてしまう。
双頭大蛇相手になにを考えているんだとオーウェンは怒り、メイナードの元に向かおうとするも明日まで待てと命令され身動きがとれなくなってしまった。
王城内では無理もできず、やきもきしながら一夜を明かしたのだが――
「今朝、親衛隊から転移石が使えなくなったと報告されたのです。その原因はカイセル殿下にあるとも!」
ジュリアスの奇跡の力を妬んだカイセルが自棄になって転移石を壊した。もしカイセルが自分の罪を公表し謝罪するのなら、ジュリアスの奇跡の力が作用するかもしれない。
だからオーウェンは罪を償うようカイセルを説得しろと言われたという。
メイナードが大きく溜め息をついた。
「そもそも私は辺境伯からの書簡を受け取っていないし、それがジュリアスの元にあるのがおかしい」
「おっしゃるとおりです!なぜ昨夜、無理を押してでもメイナード団長に面会を申し出なかったのか悔やまれてなりません!それにカイセル殿下がそのようなことをなさるはずがない!私は学園に在学中、あの方が周囲に軽んじられながらも王子としての誇りを持ち、何事にも真摯に向き合う姿を見てきました!今さらジュリアス殿下に嫉妬するなんてありえない!ですが……!」
オーウェンは今にも泣き出しそうに顔をくしゃりと歪めた。
「ですが、転移石が使えなければ移動手段は馬しかない!徹夜で駆けても二週間はかかります!それでは我が領が持ち堪えられません!全滅してしまう……!」
そう言ってオーウェンは崩れ落ちるように片膝を地面についた。
「一体どうしたら、どうしたら我が領は……!」
ドン、と床に拳を叩きつけるオーウェンに誰もが黙り込み、場内が静まり返った。
確証はない。けれど薬草園の一件を鑑みれば、おのずと答えは出る。
(カイに罪を着せるために、ジュリアス殿下サイドが仕組んだのね)
レティーナはジュリアスを心底軽蔑した。放置されていた王城結界より複雑な術が施されている転移石を、誰かが簡単に修復できるなんて思えない。
例えばカイセルが罪をかぶれば、カイセルは間違いなく失脚する。逆に認めなければ、奇跡の力が起こらないのはカイセルのせいだと主張できる。
どう転んでもジュリアスにとってはプラスに働き、それで奇跡の力が起きなくても、つまり転移石を壊したせいで辺境地の被害が甚大になろうとも、ジュリアスは構わないのだ。
レティーナがぎゅっと拳を握り込んだとき、頭の中に声が響いた。
――それで、レティはどうするの?
頭に響くルルの問いに、決まってるわと答える。
前世では割を食うのは自分だけだった。だから放っておけた。
でも今世はジュリアスを増長させるだけでなくカイセルの足を引っ張り、さらにはなんの罪もない人達にも危害が及ぶ。こんなことは到底許容できない。
「転移石は私が修復します」
レティーナがそう告げると、メイナードが驚いたように目を丸くした。
「それは助かるけど、でもいいの?」
力が露呈してしまうけどいいの?
そう聞かれているのがわかり、レティーナは首を縦に振った。
聖女になると決めたわけではない。“ベルダン王国の聖女”、それになるにはまだ躊躇いがある。
ただ現状、保身に走って力を出し惜しみしている場合ではない。双頭大蛇はそれほどに脅威で、力を隠してどうこうできる相手ではないのだ。
場合によってはレティーナの治癒も必要となるはずで、そうなれば自ずと聖女の力も知れ渡るだろう。
「ひとまずは魔術師として、堂々と修復しようと思っています」
「“堂々と”修復するんだ。それはいいね」
メイナードにクスッと笑われ、レティーナは言葉を間違えたのかもしれないと少々恥ずかしくなった。
みなまで言わずとも理解を示してくれたメイナードからは礼を言われ、団員達もレティーナの決意に目を輝かせている。
ただなにも知らないオーウェンには理解ができず、膝をついたまま困惑気味にレティーナを見上げた。
「君は……?それに、修復とは?」
「小隊長をしておりますレティーナと申します。修復とは言葉のとおりですのでご安心ください。それからメイナード団長、できましたらご用意いただきたいものがあるのですが」
レティーナは周囲に聞こえないように小声で伝える。
「あの、実は黒水晶がご用意いただけると助かるのですけど。やっぱり難しいですか?双頭大蛇の討伐に必要なのですが」
「黒水晶ね……。私がすぐに用意できるのは二つが限度かな」
「十分です、よろしくお願いします」
黒水晶は驚くほど高価な代物だ。おいそれと用意できない中二つもあるのはありがたい。
メイナードはオズマに指示を出し、了承したオズマはすぐさまその場を後にする。その背を見送ったメイナードは周囲を見渡して声を張り上げた。
「全員、今すぐ装備の点検を!すぐに発つよ!」
「「「はいっ!」」」
緊迫した中で団員達がそれぞれ装備の点検をし、確認終了と同時に演習場を出て転移広場に向かう。オーウェンはわけがわからないながらもメイナードの後に続いた。
転移広場に到着すると、そこにはすでに人だかりができている。
出勤前の文官やなんらかの理由で登城した貴族達、さらには一部の親衛隊までもが揃っており、彼らの目線の先には大きな亀裂が入っている石版があった。
「おい、本当なのか?カイセル殿下が転移石を壊したなんて」
「カイセル殿下はここ最近、ジュリアス殿下への対抗心をあらわにしていましたからね」
「英雄の再来と、その兄じゃあなぁ」
「ジュリアス殿下は奇跡の力にも目覚められましたし、よほど妬ましかったのでしょう」
親衛隊によって、まるでカイセルがやったことのように話が誘導され、それを鵜呑みにする貴族達。
勝手なことを言う彼らに怒りがこみ上げる中、メイナードが彼らの背後に進み出た。
「その話に確証はないよね?」
「そうなのですが、状況的にみてまず間違いな…………メ、メイナード様!」
噂作りに夢中になっていたため討伐団の存在に気づいていなかったようだ。親衛隊の面々はメイナードの冷たい視線と討伐団の険しい表情に狼狽え、周囲の人だかりも気まずそうに視線を逸らす。
「親衛隊風情がずいぶん勝手なことを言ってくれるね。それともなに?カイがやったっていう証拠でもあるの?」
「そ、それは……その……」
「まさか証拠もないのに第一王子に罪をなすりつけたの?それこそ立派な王族侮辱罪だよね。ニック・クロスを思い出すよ」
ニックの名を聞いて彼らは一斉に顔を青ざめさせた。
同じ親衛隊でありながら、ジュリアスの名前を勝手に出したとして烙印まで押し、国外追放にした彼らの仲間。いや、奴隷扱いだったのなら仲間と呼ぶのは憚られるが、そのニックと同じことをやっていると今さらながら気づいたようだ。
旗色が悪くなった親衛隊の一人が反発するように声を荒げた。
「こ、今回のことは確かに確証はありませんが、カイセル殿下が女性に現を抜かして仕事を疎かにしているのは事実です!現に今だっていらっしゃらないじゃないですか!」
「そ、そうですよ!辺境地の一大事だというのに討伐に参加されないなんて、怖気づいたとしか思えません!」
「遅れているだけでカイならまもなく来るよ。それにそこまで言うならジュリアスもここに連れてきてよ。あの子も一緒に討伐に連れてくから」
「なにを!ジュリアス殿下は討伐団員ではありませんよ!」
「カイだって団員じゃないから同じだよね」
「そ、それは……」
言い返す言葉見つからず、更にはメイナードの冷めたい態度に彼らは怯んだ。
これで引き下がるかに思えたが、一番後ろに控えていた女性がぼそぼそとなにかを進言したことで彼らの視線がレティーナに移る。
「おい!そこのフードをかぶった女!なんだその恰好は!」
「平民のくせに失礼だろう!さっさとフードを取れ!」
「まさかできないのか?!やはり噂は本当だったのだな!」
親衛隊が騒ぎ立てたことでレティーナに衆目が集まり、後ろに控えていた女性が冷笑を浮かべた。




