ちゃんとわかってますよ
その日の夜、レティーナは自室のソファにいながらも寛げる心境ではなかった。これから上司に会うのだから当然といえば当然か。
“今夜、内密で話がしたい”
去り際にメイナードに言われた言葉だ。それに対しレティーナは小さく頷き返した。
彼を待っている間に今日の出来事を思い返す。カイセルの評判を下げるあの噂。
実際どう広まっているのか気になったレティーナは討伐団の仕事が終わった後にこっそり城を抜け出し、王都の飲み屋街に足を向けた。酔い客がたむろするにはまだ少し早い時間だったけれど、それでも盗み聞きするには十分だった。
内容としてはダンとロックから聞いた話と遜色ないどころかもっと明け透けで、赤髪の妾を囲う物好きでだらしない王子としてカイセルの評判は著しく落ちていた。事実なんて欠片もなく、レティーナは耳を塞ぎたくなる思いで早々にその場を後にしたのだ。
噂は一か月ほど前に突然広まったというから、きっかけはジュリアスとの遭遇で間違いないだろう。
そのときにレティーナを睨んでいたミランダという男爵令嬢、彼女がレティーナの情報を持っていた可能性が高い。
そしてカイセルを貶めるために、レティーナは使われた。
(でも問題は、そこじゃないわ)
結局のところ、誰が広めたかは関係ない。レティーナがいることでカイセルの評判が下がる、それが事実だ。
最初からわかっていたことじゃないか。赤髪の自分がそばにいれば、カイセルに迷惑がかかるかもしれないって。それでも彼の言葉に甘えてしまった。
もうこれ以上は足を引っ張るなんて絶対にしたくない。それなら自ずと道は決まる。
(思ったより、早かったわね……)
再会してまだほんの数か月。けれどきっと、これが運命というものなのだ。
昔と変わらず楽しい時間を共有できた。300年越しに会えただけでも十分じゃないか。それで満足だ。
だからどこに行っても大丈夫。
そう決意を固めていると、ちょうどノックが聞こえた。
「どうぞ」
レティーナが出迎えるとメイナードが静かに入ってきた。
「こんな時間にすまないね」
「いえ、大丈夫です」
メイナードをソファに勧め、お茶の準備をする。
二人きりにならないよう腹心だという侍従長を連れてきていたが、彼は部屋の隅にそっと佇み気配を消した。
ルルは子猫姿で出窓に座り込み、警戒するようにじっとこちらを見ている。そのルルにメイナードは軽く頭を下げて、レティーナとともに向かい合わせで腰を下ろした。
「今日はお疲れ様だったね。君が毒を無効化してくれたおかげで大毒蛾の巣が叩けたよ。レティーナ君が討伐団に入ってくれたことにとても感謝してる。でもね」
メイナードは言いづらそうに咳ばらいを挟んだ。
「世話になっておきながら勝手な願いをしてしまうけど。……私の話がどういうものかわかってるかな?」
もちろんわかっている。わざわざ内密で話がしたいと言った理由。
前世ではカイザーの父であるサリュート国王に言われたこと。カイザーから、カイセルから離れてほしい。身内の彼らが望むのはそれ一択だ。
だからこそ先ほど心にケリをつけた。
「はい、もちろんです」
レティーナが冷静に返答すると、メイナードは困ったようにも、安心したようにも見える表情で頷いた。
「それなら話が早いね。レティーナ君の望みとは違ってしまうけど」
「問題ありません。覚悟はしていましたから」
「そう。そこまで潔いなら、わざわざ私が出張る必要もなかったかな」
「いえ、お声がけくださったおかげで決心がつきました。どのみち遅かれ早かれですから」
「早くてもいいんだ。じゃあ明日でもいいの?」
「はい。明日の朝までにはここから出ていきます」
神妙な顔で頷くと、メイナードはぽかんと口を開いた。
「…………え?」
「ですから今晩中には出奔します。ただ、カイ…カイセル殿下にはお手紙を残したいのです。もちろんメイナード団長のことは書きませんので」
「え?え?ちょ、ちょっと待って!レティーナ君!君、ここから出ていくつもりなの?!」
「はい。というか、そのお話ですよね?」
ちゃんとわかっていますよ、と笑みを向けるとメイナードが珍しく取り乱した。
「違う!違うよ!私が言いたかったのはそれじゃない!まさか出てくつもりだったなんて!通じ合ってると思ってたのに全然違った!こわっ!」
急に叫ばれてレティーナもびっくりする。
(え?違うの?あんなに噛み合ってたのに?)
じゃあなんの話をしてたんだ。
レティーナが困惑顔を向けると、メイナードはレティーナに向かってカッと目を見開いた。圧がすごい。
「違うから!君に出てけなんて絶対言わないから!そんなことしたらカイに殺されるから!いや、負けないけどね!とにかくまずは冷静になろう!その出ていくって発想、それはなしだよ!わかった?!」
「はぁ」
「やめてその中途半端な返事!しっかり言いなさい、私は出ていきません!ハイ言って!」
「え?……えっと。私は出ていきません?」
「なんで疑問形なの?!それに声が小さい!もっと張って!」
「わ、私は出ていきません!」
「ハイそれ約束ね!もう聞いたから、撤回できないから!わかった?!」
「は、はい……」
どうやら出ていけと言いにきたわけではないらしい。というか、出ていくな感がすごい。正直レティーナの頭の中は疑問符だらけになった。
メイナードは大きな溜め息を吐いた後、ごくごくとお茶を飲んだ。騒いだから喉が渇いたのだろう。
「この私をここまで取り乱させるとは。さすがだね、レティーナ君」
(さすがって。そんなつもりは毛頭ありませんけど)
ただそうなるとメイナードがなんの話をしにわざわざ来たのかわからなくなってしまった。
困惑していると、彼は思案気味に顎に手を置いた。
「でもそうか。君はそっちを選ぶんだね。これはカイが苦労するはずだ」
「あの、どういう意味でしょう?」
「君は例の噂を知り、自分がカイの足かせになっていると思った。それで選ぶ道が、カイから離れることなんだね」
レティーナはそのとおりだと頷いた。
「カイセル殿下はこの国の第一王子です。いずれ王太子に、王になられる方だと思っています。私がそばにいるのは得策ではありませんから」
「王位に関しては今はまだなんとも言えない。カイセルとジュリアス、どちらが王太子になるかはまだ決まっていないからね。資質だけ見れば軍配がどちらに上がるかなんて一目瞭然だけど」
メイナードは呆れ気味に肩を竦めた。
「まあジュリアスが王太子になったとしてもなんとかならなくもない。処置が面倒だけどね」
「処置……」
「そう。あの親衛隊とかいう馬鹿な連中を一掃して、側近には私の子飼いをつける。ジュリアスには徹底的に再教育を施して、それで変わるならよし。駄目なら名ばかりの王。一応準備はしているよ」
これでも王弟だからとメイナードは笑った。
「ただね、今の状況で一方的にカイを貶めるのは駄目だ。だから今日は君に話をしにきたんだよ」
ここで本題になるのかとレティーナは緊張気味に姿勢を正す。
そんなレティーナにメイナードはにこやかに笑った。
「君、聖女になる気はない?」
「………………は?」
レティーナは目をぱちくりさせた。




