レティーナとカイセルのよからぬ噂
ジュリアスと遭遇してから1か月ほどが経ったが、レティーナはあれ以来ジュリアスとは会っていない。
カイセルが言うには、メイナードにバカにされるのが嫌で近づいてこないのだろうとのことだった。
そのせいというか、ジュリアスの嫌がらせが加速しカイセルの業務負担が増え、ここ最近カイセルは討伐にも参加できていない。
朝食の時間は作ってくれているので一応顔は合わせているのだけれど、かなりのハードワークらしく心配でもあった。
そしてレティーナの方はカイセルに相談後、フレディの面会に行ってきた。
ニックが追放された話、証言者保護の話をしてみたが、フレディはピクリとも動かず。むしろ儚げな雰囲気まで醸し出していて、“心を壊した記憶喪失の青年”が板についてきてしまっていた。
一生あのまま演技を続けるつもりなのだろうか。それはそれで茨の道な気もするけど。
(それにしても、私のことを睨んでいた女性って一体誰なのかしら)
後からルルに知らされて驚いた。調べてみたところその女性がミランダという男爵令嬢だとわかったけれど、まったく心当たりがない。
そもそも閉じ込められていたレティーナに知り合いはおらず、睨まれるようなことをした覚えなんて皆無だ。
考えられるとするならカイセルとの仲を勘繰って嫉妬されていることぐらいだけれど、ジュリアスの親衛隊に所属しているならそれも違う気がする。よくわからないが、向こうからの接触もないのでどうしようもない。
「レティ隊長!そちらに三匹いきました!」
「任せて!《炎裂弾》」
拡散する炎の弾が直撃し、網から逃れた魔物を燃やし尽くした。
討伐団は今、大毒蛾の巣を叩いている最中だ。大毒蛾といえば、皆を守るためにおとりになったメイナードを毒まみれにした魔物。
団員達は朝から興奮気味で、目を血走らせながら討伐に励んでいる。
「えい!思い知れこのやろう!メイナード団長の仇だ!」
「そうだそうだ!報復だ!」
「メイナード団長の無念は俺らが晴らすぜ!」
「いや私、死んでないよね」
わいわいしていてなんだか楽しそう。
討伐手順としては、まず巣の周辺を粘着のある大きな網で覆い、逃げ道を塞いでから、小型の魔弾を巣にぶつける。魔弾とは魔力を込めてから物にぶつけると爆発する魔道具で、小型だと威力はそれほど強くないが魔物を巣から引っ張り出すには十分だ。
そうして巣から逃げ出した大毒蛾が網に引っかかるので、それを退治する。もし網から逃げ出せたとしても待機しているレティーナチームにざっくりやられるだけ。
簡単に思うかもしれないが、大毒蛾は猛毒を含んだ鱗粉を舞い散らせるので迂闊に近づけず、巣ごと叩くなんて危険すぎてできなかった。
けれど今は問題なし。レティーナが毒ごと浄化するからだ。
正直いって、毒を浄化する魔術なんて聞いたこともないけれど、もはや誰もなにも突っ込まなかった。
――毒を浄化なんて前世ではできなかったから、聖女の力なのよね
――そうよ。なんだかんだ言ってレティも聖女に近づきつつあるわね
――近づいてはいないわよ
そうこうしている間に周囲一帯の討伐が終わり、団員達から歓声が上がった。
その声につられて冒険者達がぞくぞくと集まってくる。今回の討伐では別の魔物が近づいてこないよう、冒険者達に周囲の見張り役を依頼してあったのだ。だからレティーナは髪が見えないよういつも以上にしっかりとフードをかぶっている。
「レティ隊長、思ったよりスムーズに終わりましたね」
「そうね。ソフィアが腕を上げてくれたおかげだわ」
「もう、隊長ったら!そんなこと、あるかも?」
ソフィアが照れくさそうにエヘヘと笑った。
なんでも恋人から「仕事に打ち込む女性は素敵だ」と言われ、今まで以上に訓練にも精を出している。
その結果レベルアップできたことで自信もついたようだ。
「レティ隊長!お、俺だって前より腕を上げてます!」
「ライナーさん、自己申告はみっともないですよ」
相変わらずなライナーとシリルにレティーナが笑っていると、後ろから声をかけられた。
「ねえちゃん、ちょっといいか?」
レティーナが振り向くと、冒険者二人組がレティーナを見ている。なんとなく見覚えがあるな、と思っていると彼らが笑った。
「やっぱりそうだ。あのときのねえちゃんだろ? 」
「俺らとギルドで会っただろう。忘れちまったか?」
そう言われて思い出した。
カイセルと再会する前、冒険者になろうとギルドに行った際、魔道銃の説明をしてくれた二人組のおじさん冒険者。
危険と隣合わせの討伐を続ける中、こうして再会できるのは嬉しい。
「あのときはお世話になりました。お二人ともお元気そうですね」
レティーナが笑顔でそう言うと、二人組はガハハと笑った。
「元気なのが俺達の取り柄だ」
「ちげえねえ。あんたも元気そうでよかったぜ」
「あれから見なかったから国を出ちまったのかと思っていたが、まさか討伐団にいるとは思わなかったぜ」
「ですよね。たまたま縁がありまして」
するとシリルが不思議そうに首を傾げた。
「レティ隊長、ダンさんとロックさんとお知り合いなんですか?」
シリルの言葉に二人が目を丸くした。
「おいおい、今、隊長っつったか?入団したばっかだろうにすげーな!」
「実力者だろうと思ってはいたが、さすがだぜ。俺達の目に狂いはなかったな」
「だな!えっと、レティちゃんだったか?これからもよろしく頼むわ」
「はい、よろしくお願いし」
「「ちょっと待ったぁ!」」
レティーナの返事が終わる前に、目を吊り上げたソフィアとライナーが割って入ってきた。
「いきなり“レティちゃん”ってなんですか!隊長に失礼な真似しないでください!」
「そうだそうだ!そんな呼び方うらやま……じゃなくて、ちゃんとレティ隊長って呼ぶべきだ!」
「ったく二人とも!女性と見ればそうやってすぐ声をかけるんだから!」
「お、おい、やめてくれよ!レティちゃんが誤解するだろ!」
「また呼んだ!そういうところですよ、ダンさん!!」
「そうだそうだ!馴れ馴れしいぞ!」
ソフィアとライナーの剣幕にダンとロックがタジタジになっている。なんだかんだいって仲はよさそうだ。
それでも一応助け舟を出そうとしたとき、ダンが慌てて口を開いた。
「そ、それにしても討伐団が大毒蛾の巣をたたくって聞いたときは大丈夫かなんて思ったが、まったくの杞憂だったな。カイセル殿下の噂を聞いてたから余計に……ブホッ!」
突然ソフィアがダンの腹に拳をめり込ませた。
何事かとレティーナはびっくりしたが、なぜかシリルもライナーも無表情なまま。
身体強化した拳はかなり効いたらしく、ダンは腹を抑えてゴホゴホとむせ返っており、隣のロックが引いている。
「おいおい、ソフィアちゃんよ。突然なんだってんだ」
「べ、別に、なんでもないですよ?」
「なんでもないって、そりゃないぜ。カイセル殿下のよからぬ噂は誰だって……いでぇ!」
またもソフィアがロックのすねを蹴り飛ばした。
けれどその前の言葉をレティーナは聞き逃さなかった。
「カイの、よからぬ噂……?」
レティーナが呟くと、ソフィア達はぐっと喉を詰まらせた。それで気づく。レティーナだけが知らないカイセルの噂があるということに。
「ダンさん、ロックさん、カイセル殿下の噂ってどういうものですか?」
「レティ隊長!噂なんて!」
「ライナー、悪いけど少し黙ってて。ロックさん、教えてもらっていいですか?」
腹を押さえているダンより、足をさすっているロックの方が話やすいだろうと目を向けた。
レティーナの緊迫した様子にロックは「お、おう」と戸惑いながらも説明してくれる。その噂とは、カイセルが討伐団の仕事を放りだして女に現を抜かしているというものだった。
「女……?」
「ああ。しかも相手は真っ赤な髪をした怪しげな女だってよ」
「っ!」
この国で赤髪といえば、誰もが国を襲った紅蓮の魔女を連想する。そんな女に入れ込むなんてカイセルはどうかしている、と国中に広まっているそうだ。
冒険者達はカイセルがどれほど身を粉にして魔物討伐に励んでいたかよく知っている。魔道銃のせいで冒険者が減った上にメイナードが倒れたことで動揺が広がっていたが、王子であるカイセルが自ら最前線に立ち、団長が抜けた穴を補おうと団員達を引っ張る姿を目の当たりにしてきたからだ。
けれどやっとメイナードが復活してこれからというときにそんな噂を耳にして、落胆する冒険者も少なからずいる。
冒険者ですらそうなのだから、世間一般にはもっと辛辣な声もでているという。
「元々カイセル殿下は世間の評価が低いからな」
「しかも今日の討伐にも殿下は参加されてない。だから余計にあの噂は本当だと」
「カイには別の仕事があるからだよ」
後方から聞こえた声に全員が反応する。ダンとロックが顔を綻ばせた。
「メイナード団長!元気そうで安心しましたぜ!」
「復活おめでとうございます!いやぁ、よかったぜ!」
「ありがとう。君達にも心配させたね。それで先ほどの話に戻るけど、カイには別の仕事があるから討伐に参加できないだけだよ」
「あ、ああ。そうでしたか」
「そうだよ。そもそもね、カイが正式な討伐団員ではないことは知ってるでしょ」
「あ……」
「そういえば……」
「執務で忙しい王子が魔物討伐、それも団長代わりをするなんて無茶な話なのに、それでもカイは力を貸してくれた。だから今は自分の仕事を優先してもらってるんだよ」
説明するメイナードは笑顔だけれど目が笑っていない。ダンもロックも瞬時に空気を読んだ。
「い、いやぁ、俺らはたぶんそんな事だろうとは思っていたんですよ!なあ?」
「あ、ああ!カイセル殿下ほどのお人が仕事をサボるなんて信じられなかったし」
「だな。殿下が魔女に現を抜かすなんて、とんでもねえ話だぜ!」
ダンとロックが二人してハハハッと笑う。それに合わせてレティーナも笑った。
笑うしか、できなかった。
「わかってもらえたならよかったよ。冒険者たる者、確証のない噂に惑わされないこと。いいね?」
「うす」
「スマセンでした」
そのとき団員の一人が駆け寄ってきた。
「メイナード団長、オズマ副団長がお呼びです」
「わかった、今行くよ。ダン、ロック、今日は応援ありがとう。助かったよ」
「こちらこそありがとうございました」
「またいつでも呼んでください」
別れの挨拶を交わしたメイナードは去り際、レティーナの横でぼそりと呟いた。レティーナが小さく首を縦に振ると、メイナードは少しだけ笑ってそのまま去っていった。
「俺らもそろそろ戻らんとな。レティちゃん、じゃなかった、レティ隊長またな!」
「今度一緒に討伐しようぜ」
「ええ、お願いします」
二人はにこやかに手を振りながらこの場から離れていった。
そうして残されたのはレティーナを心配そうに伺うシリルとライナーとソフィア。三人にこれ以上心配をかけたくなくて、レティーナは笑顔を作る。
「いつの間に髪の色がバレちゃったのかしら。失敗したわね。カイにも迷惑をかけてしまったわ」
「カイセル殿下は迷惑だなんて思っていないと思います!」
「ふふ、ありがとう、ソフィア。シリルもライナーもそんな顔しないで。私は大丈夫よ」
そう、ただ決断のときがきただけだ。




