あの女、許さない (ミランダ視点)
「くそっ!この僕をバカにするなんて!いくら叔父上でも許さないぞ!」
自室に戻るやいなや、ジュリアスは机の上にあった一輪挿しを手に取り力いっぱい壁に投げ付けた。
バリンッというものすごい音が響き渡り、無残に砕け散った破片が床に散乱する。
「お、落ち着いてください、殿下」
「うるさい!」
「おいミランダ!ぼさっとしてないでさっさと片付けろ!」
「は、はい」
命令されたミランダは慌てて扉の外にいるメイドに声をかけて掃除道具を借り、破片を拾い集める。
室内は緊張感に包まれており、上級側近達はジュリアスの怒りを静めることに必死だ。いつものミランダなら怒りの矛先がこちらに向かないよう、そつなく行動できているはず。
けれど今はそんな余裕なんてない。
どうにかなりそうなほど怒りが浸透していてそれどころではなかったのだ。
(なによ、あの女!フレディをあんな目に合わせたくせに、カイセル殿下に大事そうにされてるなんて……!)
先ほどみた光景が頭の中をぐるぐると巡り、同時にフレディの笑顔を思い出したミランダは、唇を強く噛みしめた。
男爵令嬢のミランダはジュリアス親衛隊の最下層に所属している。とはいえ他のメンバーとは入隊の経緯が少々異なる。
ジュリアスと同い年のミランダは学園を卒業後は文官職についたが、当時の上司が最悪だった。
彼は女性蔑視が酷く、なにをやっても嫌味と文句のオンパレード。それだけならまだしも、手柄を横取りされたりミスを押し付けられたり、嫌がらせまでされるようになった。
辞表を叩きつけてやりたいと何度も思ったけれど、人のよい父が知人に騙されたせいで借金がある。城での仕官は給金がよく、辞めたとしても今ほどの収入を得ることは難しい。借金ごと引き受けてくれる嫁入り先は怪しげなところばかりなので踏ん切りがつかず、なんとか現状維持を保っている状態だった。
そんな苦しい毎日を送っていたとき、ジュリアス親衛隊の上級側近から声がかかった。
「ジュリアス殿下のために手を汚す覚悟があるのなら、倍の給金を払ってやろう」と。
どうやら上位の成績で卒業した頭脳を買われたようだ。
その話に飛びついたミランダは様々な仕事を請け負った。犯罪めいた仕事が大半なので思うところがないわけではないが、給金に見合った仕事ならば致し方ない。
それにジュリアスに有利に働くような法案を提案したり資金運用をしたり、役に立つとわかればおのずと任される業務も増える。上司からの嫌がらせに耐えながらの日々よりも、よほどいい環境だと思えた。
そんなある日、最下層に新しいメンバーが追加された。
上級側近からきつい洗礼を受けたフレディはそれだけで委縮し、常におどおどしている。それがまた上級側近達を苛立たせ、的にされる。
あまりに不憫で声をかけるようにしていたら、フレディは心を開いたのか懐かれるようになった。
彼は大人しく真面目で、とても素直だった。
仕事のできるミランダを尊敬しすごいすごいと褒めてくれる。年下とはいえ男性から手放しで賞賛されるのは照れくさく、またしっかり者のミランダと気の優しいフレディは馬が合い、ミランダは徐々にフレディを意識するようになっていった。
「ねえ、フレディ。フレディはローファン子爵家の養子になったんでしょ?それなのにお金を用意できなかったの?」
最下層まで堕ちるのはそれなりの事情がある。平凡なフレディなら特に問題はなさそうなのにと聞いてみると彼は言葉を濁した。
どうやら従姉と両親の折り合いが悪いのでフレディが子爵家の養子に入ったが、その従姉が出奔してしまったために金が工面できなかったようだ。
「まさか、その従姉が家のお金を持ち逃げしたの?!」
「え、えっと……まあ、そんな感じかな……」
「なにそれ!酷い女ね!」
「し、仕方がないんだ。レティーナは両親に疎まれていたから……」
なんとその従姉は魔女と同じ赤い髪らしく、そのせいで両親から虐待めいた扱いをされてきたそうだ。
それに関しては同情するものの、金を持ち逃げしたことでフレディがつらい思いをするのは違う。
憤慨するミランダになぜかフレディは居心地が悪そうにしていたが、優しすぎる性格が邪魔して従姉を攻めきれないのだろうと悟った。
その話を聞いた数日後、フレディはいつも以上に青い顔をして執務室に現れた。
体調が悪いのかと心配したがそうではなく、逃げたはずの従姉が魔物討伐団に所属しているという。
「だったら直接話をするべきだわ!お給料だってもらってるはずだし、きちんとお金を返してもらいましょ!フレディが言いにくいなら私が」
「ま、待ってミランダ。き、気持ちはありがたいけど、叔父上に手紙を書いて判断を仰ぐことにするよ」
「でも!」
「だ、大丈夫だから、ありがとう」
そう言っていたフレディは、従姉との話し合いの当日に記憶を失くして病院送りになってしまった。
さらにはそれなりに交流のあったニックまでもが捕まり国外追放。詳しい情報がわからないまま、二人はミランダの前からいなくなってしまったのだ。
だというのに、その従姉は王弟と第一王子と肩を並べて歩くほど親密な関係を築き、自由に暮らしている。
金を持ち逃げしたにもかかわらず、最下層にいる自分達の苦しみさえ知らず。
「……ンダ!おい、ミランダ!」
怒声まじりの声が耳に届きハッと顔を上げると、側近達が全員ミランダに視線を向けていた。ジュリアスはまだ怒りが収まらないようで険しい表情のままだ。
「お前、ジュリアス殿下の御前でなにをぼうっとしているんだ!」
「申し訳ありません」
「いいか、今しがたカイセル殿下が連れていた女の素性を調べろ!」
「カイセル殿下が珍しく女性を連れていたからね。城内なのにフードもかぶったままで怪しさ満載だったし」
「顔に傷でもあるんじゃないか?」
「どちらにせよ討伐団に在籍しているような下賤な女を連れて歩いている時点で、ジュリアス殿下とは格が違いすぎます」
「そのとおりですね。比べるのすらジュリアス殿下に失礼です」
いつものように側近達のおべんちゃらが始まる中、ミランダは気分が高揚していくのがわかった。
レティーナのことを伝えれば、ジュリアスが放っておくはずがない。“英雄の再来”の名を高めるために紅蓮の魔女は恰好の餌食になるのだから。
レティーナが余計なことをしなければ、フレディは今でも自分の隣で笑っていられた。環境が劣悪でも、手を汚すことが苦しくても、ミランダならフレディの支えになれていたのに。
(だから私がフレディの代わりに仇を討つ。そのチャンスがきたのよ)
ミランダは自分が正しいと信じて疑わなかった。まさかフレディが外聞を気にして、レティーナを愛人として売ろうとしていたことを隠していたなんて思いもしなかったのだ。
フレディのために、そんな強い思いを抱いたミランダは、逸る心を抑えて側近達に目を向ける。
「聞いてください。先ほどの女性は、実はフレディの従姉なのです」
「フレディの?」
ミランダはフレディから聞いた話を隠すことなくすべて伝えた。
彼女の名はレティーナ、かつてはローファン子爵家の令嬢だったこと。両親に疎まれて後継から外され、家出をしてしまったこと。現在は魔物討伐団に在籍していること。
魔術師としては大した腕ではないが、万年人手不足の討伐団だから入団できたのでは、という憶測まで。
「大体の話はわかったが、そもそもなぜ子爵家の跡取りになれなかったんだ?一人娘だったのだろう?」
「それは彼女の髪が魔女と同じ、赤い髪だからです」
「赤髪だと?!本当なのか?!」
「それが確かなら……!」
側近達は騒めき、ジュリアスに視線が集まる。
ジュリアスは先ほどの怒りを吹き飛ばし、冷たさを感じさせる青い瞳でミランダを見据えて楽しそうにニヤリと笑った。




