レイナの死
『こんな夜更けに呼び出すなんて嫌な予感しかしないわ!行く必要ないわよ!』
尻尾を床に叩きつけるルルに、レイナは肩を竦めた。
深夜、王太子ジュールから突然呼び出し命令が下ったのだ。ただしこんなことは初めてではない。
「いつもの嫌がらせでしょ。どうってことないわ」
『でも私室に呼ばれるのは初めてじゃない!』
「大丈夫よ、あの王子が私に敵うはずないもの」
『だとしてもよ!どうせまたレイナをこき使って自分の手柄にしたいだけでしょ!』
そうだろうな、とレイナも思った。
先日の呼び出しは今晩中に騎士団全員分の護符を作れ、というものだった。
魔石が足りないと伝えると自分でどうにかしろと言う。仕方がないので魔石を細かく裁断してなんとか人数分用意した。豆粒サイズの護符にジュールは激怒してきたが、言いつけどおり仕上げたのだからとやかく言われる筋合いはない。
さて今日はどんな難題を言われるか、と思いつつ席を立つ。
「とにかく行ってくるわね」
『それなら私も行くわ!』
「駄目よ。ジュール殿下がうるさいもの」
神獣を連れ歩いていい気になるなとか生意気だとか言われるので、ルルにはわざわざ子猫姿に変身してもらっているのに、それでも難癖をつけられている。
苛立つルルをなんとか宥めて、レイナは一人でジュールの私室に向かった。
◇
「お前に頼みがある」
そう言うジュールはいつもの見下した態度ではなく、真剣な表情をしている。レイナに頼るなんて余程のことだろうと耳を傾けた。
「実はここ最近、私は刺客に狙われているのだ」
「刺客に?なぜですか?」
「さあな。心当たりはない」
ジュールは面倒そうに言ったが、彼には年の離れた弟がいるのでもしかしたらそちら方面かもしれない。
詳しく話を聞こうとしていると、部屋の周囲を取り囲むように人が集まってきたのが感知できた。
「ジュール殿下、廊下に10名、外壁沿いに15名、庭園にも怪しげな人影が集まってきています」
「そうか、頼んだぞ」
二人は同時に立ち上がり、体制を整える。少しすると扉が大きく開かれ、黒装束に身を包んだ刺客達が部屋に押し寄せてきた。
レイナは魔力を練り上げつつ、ふと思った。護衛はどうしたのだろうと。
王宮に侵入できる刺客なんてよほどの手練れかと思ったがさほど脅威を感じず、護衛でも十分対応できるはず。それでも刺客達が一斉に距離を詰めてきたので、レイナはジュールを庇うように彼のすぐそばに立った。
「ジュール殿下、動かないでください」
「無理だな」
その瞬間、レイナは背中にドンッと強い衝撃を受けた。
「ぐっ!」
なにが起こったかわからず、背中に強烈な痛みを感じて地面に膝をつく。後ろからジュールの高笑いが聞こえた。
「ハハハハ!やっと始末できたぞ!」
「ジュール、殿下……?」
「浅かったか。だがそれには呪術が仕込んである!いくら魔女でもおしまいだ!」
レイナの背中には特徴的な青い柄をした短刀が突き刺さっていた。そこから体中が蝕まれていくのがわかる。
(この感覚は……!)
治癒を展開させるまでもない。効くはずがないのだから。
この短剣はただの呪術ではなく、“神獣の呪い”。
なぜこんなものがとレイナが苦し気に顔を上げると、ジュールはいつものように見下した視線を投げ付けた。
「怪しげな魔女の分際で!我が物顔で城をうろつく貴様はいつも目障りだった!父上にすり寄るその浅ましい性根もな!」
「そん、な、つもりは」
「だが貴様は私の役に立った!貴様のおかげで私の評価はうなぎ上がり、そこだけは感謝してやろう!だがあれこれ吹聴されるのは困るからな!口封じというやつだ!」
ジュールは笑いながらレイナを足で蹴とばす。為す術もなくレイナは地面に倒れ伏した。
「貴様は国を襲おうとした罪で、この場で息絶えるのだ!ハハッ、貴様にはお似合いな末路だな!お前達、もういいぞ」
それが合図だったように刺客達が次々と黒装束を脱ぎ棄てて服を整える。そこに集まっていたのはジュールの護衛達だった。
レイナはすっかり騙されていた。ルルに忠告されていたのに、頼むぞなんて言われてジュールに背中を向けた。その結果がこのざまだ。
心の内から怒りの感情が押し寄せてくる。けれど傷から血が溢れ、強力な呪いによって体の自由が奪われて反撃することはできない。ジュールの足が何度もレイナの体を踏みつけた。
「ル、ル……」
呟くと宙が丸く光り、そこからルルが降りてくる。
血だまりの中で伏しているレイナの姿を見た瞬間、子猫姿だったルルは金色の豹に姿を変えた。ルルの怒りが一気に爆発し、室内に強い風が巻き起こる。
ルルは低い唸り声をあげて歯を剥き出しにし、我を忘れるように瞳が濁っていった。
「ヒッ!神獣が!神獣がお怒りだぞ!」
「大丈夫だ!確か神獣は人間に危害を加えられないはずだ!」
「だ、だが!」
ジュールも護衛達もルルの怒りに充てられがくがくと震えている。風はさらに勢いを増して豪風となり、室内は荒らされて建物にまでビシビシと亀裂が走っていく。もう誰も立っていられなかった。
レイナは地面を這いずり、ルルの側に近づいた。
――ルル、ルル、駄目よ!落ち着いて!
レイナは必死に心の声を上げて、ルルの首元に抱き着いた。金色の美しい毛並みがレイナの血で汚れてしまうが、それでも抱き着かずにはいられない。
――あなたを闇堕ちさせたくないの!この短刀のように!お願いよ、ルル!
神獣の魔女への愛は、深く重い。
この短刀の呪いは人の手によって魔女を失ってしまった神獣が、怒りのあまり人間に手をかけ闇堕ちしてしまった呪いの残骸。理由がなんであれ、神獣が人間に手を出すのは禁忌に触れてしまうのだ。
ルルまでこんなふうになってほしくなくて、必死に言葉を繋ぐ。
――ルル、ルル、こんなところで私を死なせる気?
茶化すように伝えたその言葉にルルはハッとして、レイナを見つめた。まだ瞳は濁っているけれど、ようやく声が届いたようだ。今のうちにルルをここから遠ざけたい。
――ねえルル。早く行きましょ。こんなやつらに死に顔をみられたくないわ
レイナが微笑むとルルは苦しそうに顔を歪め、低く屈んだ。その背に倒れ込み首にしっかりしがみつくと、ルルは立ち上がり窓に向かって駆け出した。
バリンッ!
ガラスが割れて、ルルは空を飛ぶ。レイナを落とさないように丁寧に、素早く。
後ろからジュールの怒鳴り声が響いた。
「あの女を逃がすな!打ち落とせ!」
けれどもう遅い。レイナはルルの背の上でゆっくり瞳を閉じた。ルルが闇堕ちしなくてよかったと心の底から安堵して。
それから三か月後、レイナは静かに息を引き取った。
「ジュール殿下はよほど私を捕まえたかったのね。国を襲った魔女として私を指名手配にかけたみたいだから。おかげで紅蓮の魔女なんて怪しい通り名が定着しちゃったわ」
レティーナは肩を竦めながら冗談交じりにそう言った。
あまり重い雰囲気にならないようにと笑ってみるものの、カイセルは眉間に皺をよせて苦しそうな表情をしている。
「そんな顔しないで、カイ」
「だが……」
「残された時間は短かったけど、ルルと師匠がなんとかしてくれて、呪いの苦痛だけは取り除けたの。だからのんびり過ごすことができたわ」
「そう、なのか?」
「ええ。無茶はできないけど起き上がれたし、美味しい食事を堪能したり読みたかった本を読んだり、割と充実した日々を送れたのよ」
「……そうか。それならまだ救いがあった」
カイセルが悲し気に、それでも優しく微笑む。レイナの死を惜しんでくれているのが分かり、レティーナも微笑み返した。
あの当時はレイナと同じような出来事が大陸中で起こった魔女狩りの時代。魔女を亡くし呪いとなってしまったあの神獣もそう。
だからきっと仕方がないのだ。
「結局ジュール殿下も長生きできなかったみたいだしね」
「そのようだな」
神獣の呪いは強力だ。使われた方もだけれど、使った方にも強く影響がでる。それを見抜けず鞘から抜いたのは自業自得といえるだろう。
歴史上では青髪青目の英雄は若くして病没したとされているが、そんな生易しい死ではない。
「さっきはジュリアス殿下に初めて会ったせいで取り乱しちゃったけど、もう大丈夫よ」
「本当か?」
「ええ。聞いてくれてありがとう、カイ」
カイセルに話せたおかげで心は穏やかになっている。ルルとカイセル、二人がいれば大丈夫という自信があるからかもしれない。
レティーナは足元に座っていたルルを抱きしめた。
「ルルが闇堕ちしなくてよかった。それから、カイを転生させてくれてありがとう」
『急にどうしたのよ』
「だって二人がいれば、私は強くいられるし安心できるわ。それにやっぱり楽しいもの」
二人に笑顔を向けると、カイセルは柔らかい笑みを浮かべた。
「それは俺も一緒だ。強くいられるし、安心できる場所でもある。それに楽しいな」
『………………私も一緒よ』
ルルがデレた。
こんなことは本当に久しぶりで、レティーナとカイセルは顔を見合わせて笑った。
◇
深夜、カイセルが自室で待っていると案の定ルルが宙から降りてきた。
「レティはどうだ?」
『いつもと変わらないわ。あれなら朝まで目を覚まさないでしょうね』
「それならよかった」
若干トラウマになっているようだったが、ちゃんと寝られているならいい。
ルルが怒りを抑えるように静かに口を開く。
『あの青髪青目を見た瞬間、本当は怒りでどうにかなりそうだったわ。でもその前にレティが爆発しそうだった』
「よく止めてくれた。話を聞いただけの俺でも腸が煮えくり返るというのに」
呪いの短剣を突き立てただけでなく、何度も足蹴にした。そんな扱いをされて、その姿を目の当たりにして、心がかき乱されるのは当たり前だ。もちろん別人のジュリアスに当たるのはお門違いだとわかっている。
ただジュールとジュリアスがそっくりで性格も似ているとなれば、複雑な心境に陥る。
(いっそのこと、レティを連れて国から出るか?いや、決断するには時期尚早だな)
そんなことを考えていると、ルルが真っ直ぐにカイセルを見つめた。
『カイ、改めてお礼を言わせて。前世で私が闇堕ちせずに済んだのは、レイナの最期が穏やかだったからだわ。あなたがあのときレイナの呪いを引き受けてくれたから、あの子は笑顔で眠りにつけた』
真摯な顔で礼を言うルルに、カイセルはあの当時を思い返す。
前世、カイザーがレイナを探す旅をしている途中、再会した大魔女クシュナに連れて行かれた先で見たのは、呪いに蝕まれて苦しそうに喘いでいるレイナの姿だった。
自分の命と引き換えに。そう願ったがそれは叶わず、レイナの寿命は確定してしまった。
それでもなにかできないかと必死のカイザーにクシュナは言った。
「苦痛の受け皿になることはできるわ」
カイザーは即座に頷き、意識の戻らないレイナに別れを告げた。
只人のカイザーにとって、神獣の呪いは拷問だ。いつ生を手放してもおかしくないほどの激痛に苛まれる。
けれどカイザーが先に死んでしまえば、呪いは再度レイナに返ってしまう。だから必死に耐え抜いた。昼も夜もなくのたうち回り、体中から血を垂れ流し、混濁した意識の中でレイナを想い続けた。
レイナはそのことを知らない。知ってしまえば罪悪感に苦しむから言わないでくれと伝えてあった。
呪いを受けて三か月後、レイナが亡くなり、カイザーも息を引き取った。
後悔はなかった。
もしまた同じ状況になっても同じ道を選ぶ。あれがどれほどの苦痛かわかっていてもだ。
それをすべて知っているルルがカイザーを記憶持ちの転生者に選び、今がある。
『ねえ、カイ。受け皿になったこと、レティに言わないの?』
転生してからルルは度々これを口にする。だから同じ返答をし続ける。
「言う必要はない。今さらな話だ」
『身代わりにまでなったカイの想いはどうなるのよ!』
「俺が欲しいのはまっさらなレティの心だ。罪悪感を植え付けてしまえば、それは違う種類の思いとなる」
『そんなこと!言ってみなくちゃわからないじゃない!』
「なら聞くが。俺が正直に話したとして、レティが俺のそばに居続けるか、これ以上迷惑をかけられないと去っていくか。どっちだと思う?」
ルルがぐぅっと喉を詰まらせる。返答を急かすと、ルルは気まずそうに顔を背けた。
『…………いなくなりそうね』
「俺もそう思う。……おい、その顔はやめろ。哀れむな」
『だってあまりにも不憫だし』
「いいんだよ。レイナが穏やかに逝けたことが、俺にとってはなによりだ」
そう告げるとルルははぁっと大きな溜め息をついた。
『その熱い想いは、いつになったらレティに届くのかしら』
「……それは俺も知りたいなぁ」
『フン。そんなこと言ってる間は全然ダメね』
手厳しいルルに、カイセルは苦笑するしかなかった。




