前世の記憶
レティーナは頭の中が混乱していた。
当時の記憶が蘇り、あるはずのない痛みが体中を襲う。感情と呼応するように魔力が暴発しそうになる。今の自分はレティーナなのか、レイナなのか。あの青髪青目は誰なのか。
もしあれがあの男なら……!
――落ち着きなさい、レティ。アレは違うから
その声にハッと我に返る。
ルルを見ると、忌々しそうな顔で毛を逆立てはいるけれど、瞳は濁っていない。その姿を見たら少しだけ落ち着きを取り戻した。
そうだ、今はカイセルとメイナードと王宮内を歩いていたら、ジュリアスと出くわしたところだった。彼はジュールではない。そう理解しつつもまだ心臓がばくばくと音を立てている。
そんなレティーナの様子など知る由もないジュリアスは、見下した笑みをカイセルに向けてきた。
「やあ、兄上。行き違いにならなくてよかったよ」
「なんの用だ、ジュリアス。お前の宮は左翼だろう」
「兄上に一言言っておこうと思ってね。今回の件、わざわざ父上に問題提起したらしいじゃないか。これでまた兄上の評価は下がったはずだよ」
「そんなことはどうでもいい。ニック・クロスの刑に問題があったから提言した。それだけだ」
「でも結果は同じじゃないか。国王である父上が決定したことを覆そうなんて、兄上は自分の立場をわかってないの?ああ、そうか。“英雄の再来の兄”でしかないから、王子って自覚もないんだね」
ジュリアスがいやらしい笑みを浮かべ、側近達がクスクスと笑う。
カイセルは無表情を貫いているが、メイナードはうんざりしたように溜め息を吐いた。
「ジュリアス、いつまでも陛下が自分の肩を持ってくれると思っていたら大間違いだよ」
「叔父上こそいい加減兄上に見切りをつけたらどうです?親衛隊ならいつでも歓迎しますよ」
「親衛隊?この私が?冗談もほどほどにしなよ、ジュリアス。恰好だけは取り繕ってるけど魔物一匹殺せない、そんな集団に属してなんの意味があるの?まあ、軟弱なお前が引き連れるにはぴったりだけどね」
「軟弱って!」
メイナードの言葉にジュリアスの顔が真っ赤になった。
「お前ね、普段はいくら気取っていても、なにかあるとそうやってすぐ顔に出すのはみっともないよ。それこそ王子の自覚が足りない」
「っ!もういい!あなた達と話しているほど無駄なことはない!」
「自分から話しかけてきたくせに」
「うるさい!」
怒鳴りつけるジュリアスにメイナードは呆れ返りカイセルは無表情のまま。
苛立ちを隠しきれないジュリアスはこの場を去ろうと歩き出し、ふとレティーナに目を向けた。目が合ってしまいゾクッとしたレティーナだったが、ジュリアスはどうでもいいとばかりに視線を正面に戻してそのまま通り過ぎていった。
「レティ!」
ふいに呼ばれて隣を見上げると、カイセルが眉間に皺を寄せている。
「大丈夫か?!顔が真っ青だぞ!」
「え、ええ……」
「手が冷え切っている!叔父上、悪いが食事はまたにしてくれ」
「あ、ああ。わかった」
「ルル、俺の肩に移れ。レティ、持ち上げるぞ」
ルルがカイセルの肩に乗り、レティーナは横抱きに持ち上げられた。
「カイ……」
「いいから。部屋に戻るぞ」
「……うん」
レティーナは素直にカイセルに甘えた。それだけジュリアスとの出会いは衝撃が強かったのだ。
だからレティーナは気づいていなかった。
ジュリアスが連れている取り巻きの最後尾にいた女性が、憎々し気にレティーナを睨みつけていたことに。
カイセルに抱きかかえられて部屋に戻ると、マーサがすぐにやってきた。
「レティーナ様、どうなさったんです?大丈夫ですか?」
「マーサ、温かい飲み物を用意してやってくれ」
「は、はい。すぐに」
カイセルはレティーナをソファに下ろし、ブランケットでレティーナを包んだあと隣に座って手を握った。
お茶の準備を終えたマーサに下がってもらい、カイセルはレティーナにカップを手渡す。
「レティ、まずはお茶を飲め。体が冷え切っている」
「……そうね」
温かいお茶を一口飲むと、体にじわりと染み渡った。それを何度か繰り返し、緊張がほぐれたところでほうっと息を吐く。
「ありがとう、カイ。心配させちゃってごめんなさい」
「いや、いい。それよりどうした?突然具合が悪くなったのか?」
カイセルの問いにレティーナが口ごもっていると、豹姿に戻ったルルが嫌そうに言った。
『あのジュリアスって王子、前世のクズ王太子にそっくりなのよ。特にあの青髪青目、まったく同じだわ』
「なんだって?!まさか俺達と同じ!」
『いいえ、転生者じゃないわ。そもそもクズ王太子の穢れた魂は浄化するのに長い年月がかかるの。たかだか300年ぽっちで転生なんてできない。でもね、血筋っていうのは侮れないわ』
「血筋……」
『この国に限らず王族って血筋を大事にするでしょ。だからそれが色濃くでる場合もある。あのジュリアスって子はまさにクズ王太子の血が強くでてるわ。あれだけ顔がそっくりだもの、性格だって似てくるでしょうね。傲慢で、自己中心的で、中身がないくせにプライドだけは一丁前』
「……弟ながら否定できないな」
『とにかく面倒な相手ではあるから、今後も気を付けるに越したことはないわ』
「そうだな。今まで以上に警戒する」
『まったくもう。どの時代でもどの国でも、王子って本当に面倒で最悪よね』
ルルが溜め息混じりにそう言うと、カイセルが複雑そうな顔をした。
「ルル、俺は前世も今世も王子なんだが」
『カイはいいのよ。真面目で不器用な田舎者の王子感が抜け切れてないから』
「それは褒めているのか?」
『別に褒めてはいないわね』
「だよな」
二人の気安い会話にふふっと笑みが漏れる。レティーナが笑ったことで、二人も安心したようだ。
そのまま少しの沈黙が流れ、レティーナはカイセルの方にゆっくり向き直った。
「カイ、この国で私に起こったこと、聞かないの?」
「無理に聞き出そうとは思っていない。いい思い出じゃないことはわかっているからな。だがもしレティが話したいなら、聞かせてほしいと思ってる」
優しい声でそう言われた。労わってくれているのが十分伝わってくる。
(カイは、いつも私に優しいのね)
あんな手紙一枚残して彼の元を去ったというのに、甘えてばかりだ。
そんなふうに自嘲しながらもカイセルに話せば楽になりそうな気がして、レティーナは過去の出来事を振り返る。
「それなら聞いてくれる?前世、私がベルダン王国に来たのは……」
魔女レイナがサリュート国から離れ、遠く離れたベルダン王国までやってきたのは魔物が活性化していると耳にしたからだった。
噂通り魔物の被害は大きく、謁見した国王に頼まれたレイナはひとまず半年間の契約を結ぶことにした。そのとき国王の隣にいた王太子ジュールからは蔑みの視線を向けられ、嫌な気分になったのを覚えている。
契約後、レイナは騎士団や魔術師とともに魔物討伐に励みつつ、せっかくなら自身の知識を活用しようと毎日忙しく過ごしていた。たとえば国の主要箇所を繋ぐ転移石を作ったり王城結界を張ったり。
けれど気づけば、それらはすべてジュールの功績となっていた。
周囲もだんまりを決め込み、国王も見て見ぬふり。それどころかレイナが国を私物化しているとおかしな噂まで流れる始末。発信源はもちろんジュールだ。
腹を立てたルルからは『こんな国からさっさと出るべき』と言われたが、レイナは気にしていなかった。メッキはいつか剥がれ落ちる、同じ王子なのにカイザーとは大違い、そんなふうに思っていた。
「契約満了まであと少しだから」
怒るルルを宥めるぐらいに楽観視していた。
けれどそれが甘かったと思い知らされるのは、その後すぐだった。




