家族との別れ
第一部終了です!
「ど、どういうことなの?!麻痺毒を飲んだはずなのに……!」
「たまたまポーションを持っていたのよ」
そう言ってまた歩き出そうとすると、フレディが叫んだ。
「ま、待ってよ、レティーナ!君がいないと困るんだ!」
悪びれもせずそんなことを言えるフレディに溜め息が出る。
「そんなに私を愛人として売りつけたいの?」
「だ、だって仕方がないんだ!この屋敷を見ればわかるよね?このままじゃ首が回らなくなって、本当に子爵家がおしまいになっちゃうよ!」
「どのみちもうおしまいよ。赤の他人になった私を売るのは人身売買の罪になるし、飲まされたのは違法薬だもの。遅かれ早かれ父も母も捕まるわ。あなたは養子という立場上逆らえなかったと言えば大した罪にはならないだろうけど」
「っ!そ、それなら余計にお金が必要なんだよ!じゃないと僕は奴隷扱いから抜け出せないんだ!」
「奴隷扱い?それってどういう」
「それともレティーナが僕を逃がしてくれるの?!それならそれでいいから助けてよ!」
切羽詰まったように叫ぶフレディにレティーナは戸惑った。あきらかに様子がおかしい。
やはりなにかあったのだろうと口を開きかけたとき、廊下の奥が騒がしくなる。どうやらレティーナが部屋にいないことに気づいたようで、血相を変えた両親が玄関に現れてしまった。
「麻痺毒も効かないなんてどうなってるんだ!」
「お、叔父上、レティーナはポーションで」
「やっぱり!やっぱりお前は魔女だったのね!」
母の叫びに父とフレディはギョッとし、レティーナは思わず吹き出しそうになった。魔女、まさにそのとおりなのだ。
ただ笑っていられたのはそこまでだった。
母が突然髪を振り乱し、ギラギラした目でレティーナを睨みつけた。そして胸元から短剣を取り出し鞘から引き抜く。
英雄の色と言われる鮮やかな青い柄に青みを帯びた刀身、特徴的な色味を持つその短剣を見て、レティーナの体がぎくりと強張った。
「薄気味悪い魔女め!お前のせいで私がどれほど苦労をしてきたか!」
「お、落ち着け!危ないからその短剣は」
「うるさい!」
「うわっ!」
父が短剣を取り上げようとするも殺気立つ母には近づけない。短剣を振り回し、肩で息をしている母は目に憎悪を宿している。
「お、伯母上、落ち着いてください!」
「フレディ、私はね、あの子が生まれてから一度だって幸せを感じたことはないの!魔女を生んだと親戚中から非難されて、難産だったせいで子が望めなくなって、ずっと肩身の狭い思いをしてきたのよ!」
「で、ですが伯母上には叔父上がいたじゃないですか!大恋愛の末に結婚したって聞きましたよ!」
「そうね、だから離縁はされなかったわ。でもこの人はね、他の女に子を産ませようとしたのよ!」
母に睨みつけられ、父は一歩後ずさった。
「し、知っていたのか?!」
「当たり前でしょう!幸い子はできなかったけれど、私がどんな思いで耐えてきたか!裏切ったあなたを許すことなんてできないわ!でも一番憎いのはお前よ!お前さえ生まれなければ私は幸せになれたのに!!」
なぜ母にあれほど憎まれていたのか、レティーナはようやく理解できた。
まだ前世の記憶が戻っていないころ、母は度々小屋までやってきてヒステリックに喚き散らし暴力をふるってきた。
そのたびにひたすら我慢をし続けてきたが、そういうときは決まって父が留守にしている日だった。
愛し愛された人に裏切られ、今までずっと苦しい思いをしてきたのだろう。悲痛な叫びはレティーナの心にも届いている。
けれどレティーナは、母が持つ短剣に釘付けで微動だにできなかった。肌が粟立ち、心臓が大きな音を立てている。喉がカラカラに乾いて、声の出し方さえ忘れてしまったようだ。
――なにぼうっと突っ立ってるのよ!さっさと逃げなさい!
肩にいるルルが爪を立てる。レティーナにだってわかっているが、それでも体が硬直して動けない。母が突進してくるのがやけに鮮明で、やけにゆっくり見えた。
どうしようもなく目を閉じようとしたそのとき、一瞬にして視界が黒に覆われる。
キンッ!
母の持っていた短剣が宙を舞い、レティーナは自分が抱き込まれていることに気づいた。
「カイ……」
「大丈夫か、レティ」
「え、ええ。大丈夫よ」
カイセルはレティーナを片腕で引き寄せると同時に、剣で母の短剣を弾き飛ばしていた。そのおかげで強張っていた体がやっと解かれ、レティーナはほうっと息を吐く。
「なぜ、ここがわかったの?」
「ディクソンから緊急の手紙が届いたとトウリが演習場まで持ってきたんだ。中を読んだら子爵がやらかしそうだと書いてあるしお前は演習場にいないし、それでもしかしてと思ってな」
「そうだったの。ありがとう」
レティーナが無理やり口角を上げると、カイセルは無理するなとでもいうようにレティーナの頭をフード越しにぽんぽんと撫でた。
父も母もフレディも、カイセルの登場に目を見開いている。
「だ、第一王子殿下?!な、なぜあなた様がここに?!」
「レティーナは俺の部下だ。当然だろう」
「ですがその娘は魔女です!」
叫んだ母に、カイセルは腹立たしそうに眉間に皺をよせた。
「だからなんだ。魔女だろうとなんだろうと、俺にとっては大切な人だ」
そう言ってカイセルはレティーナをさらに引き寄せた。
カイセルのその言動に両親は一気に顔色を失くす。疎まれるはずの赤髪の娘が第一王子に庇護されている、その距離の近さにも衝撃を受けたようだった。
「た、大切な人って……」
同じく青い顔をしたフレディの呟きが聞こえ、カイセルは一瞥した。
「そのままの意味だ。衛兵、三人とも連行しろ」
「「「はっ!」」」
「ま、待ってください!私はなにもしていない!刺そうとしたのは妻で私は無実です!レティーナ、助けてくれ!」
「放してちょうだい!悪いのはあの魔女よ!すべて魔女のせいなのよ!」
「大人しくしろ!縛られたいのか!」
誤解だ無実だと暴れる父と泣き叫ぶ母は、結局は縛り上げられて引きずられるように外に連れ出されていった。
その後ろにいたフレディは暴れることはなかったが、レティーナを片腕で抱き寄せるカイセルを見て苦しそうに表情を歪ませた。それはまるで大きな後悔でもしているかのようで、けれどレティーナにはなにを意味しているのかはわからない。
フレディはなにかを言いたげに口を開いたが、結局はなにも発することなく静かに連行されていった。
それから一週間後。
いつもの朝食の席で、レティーナはカイセルから事の顛末を聞いた。
父は違法薬物の所持、人身売買未遂、母はそれに加えて殺人未遂罪も追加され、二人は爵位剥奪の上収容所に移送された。その後は過酷な労働が待っているだろう。
父は最後まで言い訳を繰り返してレティーナに面会を求めてきたが、レティーナが顔を合わせることはなかった。心にもない謝罪を聞かされ助けを求められてもどうしようもないと思ったからだ。
当初は母も魔女のせいだと暴れていたが、あのときのレティーナはポーションを飲んで助かったと聞かされてからは大人しくなり、粛々と刑を受け入れた。
生みの母親だけあって、レティーナの本質を本能的に見抜いていたのかもしれない。
自分が転生者じゃなければ、そんなことを思って少しだけ感傷的になった。
父が持っていたヒウムの根は賭博場に出入していた人物から購入したそうで、組織性もなく個人で栽培したものを売り払っていただけなので、こちらもすぐにお縄についた。
そしてフレディは――
「今日、予定どおりに医療施設に送られる。……本当によかったのか?」
「ええ。私はそれで構わないわ」
フレディはあの日、牢に連れていかれる際に階段から落ちて頭部を強打し、今までの記憶をすべて失ってしまった。
しかも精神的な負担が大きかったのか、心を閉ざして声をかけてもほぼ無反応になっている。尋問もままならないので、ひとまずは専門の医療施設に送られることになったのだ。
けれどこの処遇には少しだけ裏がある。
レティーナはフレディの面会に行ったときのことを思い返した。
「フレディ、大丈夫?」
医務室のベッドで寝かされていたフレディは頭や腕に包帯が巻いてあって痛々しく、思わず顔が曇る。心配になって声をかけてみたけれど、フレディは天井をぼんやりと眺めているだけだった。
今回の件でフレディは子爵家の後継から外されたのだが、両親が残した借金を肩代わりできる者がおらず爵位は国に返還されるため、必然的にフレディの身分も平民となり親戚も散り散りになった。
フレディの実の両親は自分達とは無関係と言い張って、フレディの見舞いにすら来ていないそうだ。
反応がないことはわかっているけれど、レティーナは声をかける。
「いろいろあったけど、フレディのおかげで幼いころの私が救われていたのは事実よ。いつも励ましてくれてとても嬉しかったの。あなたが笑いかけてくれたから、私は耐えることができた。今までありがとう、フレディ。元気でね」
一方的な別れの挨拶になってしまったが、言いたいことは言えた。
レティーナは席を立ち、扉に向かって歩き出す。取っ手に手をかけたとき、背後から呟くような声が聞こえた。
「ありがとう、レティーナ」
ハッとしてフレディを見るも、先ほどと変わらず天井を眺めている。けれど彼の瞳にはうっすらと膜が張っていた。
レティーナは口を開きかけたが結局はなにも言わず、静かに扉を閉めた。
カイセルの元に戻ったレティーナはフレディの様子を報告した上で、そのままにしてあげてほしいと頼んだ。
どのみちフレディは主犯の両親と違って大した罪には問われない。だからいいというわけではないが、彼には恩を返しておきたかった。
カイセルはあまり納得していないようだったが結局は折れてくれ、フレディを専門の医療施設に送ってもらうよう手配してくれた。
それが今日なのだ。
「本当によかったのか?二度もお前を売ろうとしたんだぞ?」
カイセルが再度確認をしてくるので、レティーナは笑った。
「いいのよ。もし私が売られていたとしても、ディクソン商会長が助けてくれただろうし」
ディクソン商会長には今回の件でお礼の手紙を送っている。“ご無事でなによりです”と返信をもらった。
「それにフレディは完全に開放されたわけではないんでしょう?」
「まあな。一応罪人扱いになるから施設内でも監視下におかれる。正常な者なら窮屈に感じるだろうな」
「それならそれで十分よ」
「被害者のお前がそれでいいというなら、まあいいが」
渋々了承するカイセルにレティーナは微笑む。
結局レティーナは、フレディがなにから逃げたかったのかわからないままだ。
“奴隷”というあの言葉は一体なにを指していたのか、なぜ記憶喪失のフリまでしなくてはならないのか。
ただ今はフレディには休む時間が必要ということだけはわかった。レティーナはそれができる環境を整えてあげただけ。
どちらにせよ永遠に逃げ回ることなんて、できないのだから。
フレディの件を含め、今回の騒動を片付けてくれたカイセルに改めて礼を伝える。
「ありがとう、カイ。大変だったでしょ?」
「気にするな。今はちょうど騎士団長が遠征に出ているから、俺が指揮をとったまでだ」
そうはいっても各所に配慮しつつひっそりと片付けたのは、レティーナに注目が集まらないようにするためだ。
しかも表向きは困窮して爵位を返上としているので噂にもなっておらず、おかげでレティーナは変わらずにただの(?)魔術師として過ごせている。カイセルの手腕に改めて感謝した。
二人の間に少しの沈黙が下り、カチャリと食器の音が響いたところで、レティーナはずっと気になっていたことを口にしてみる。
「ねえ、カイ。お母様が私に短剣を向けたとき、私はなにもできなかったわ」
「そうだったな」
「戦闘力を誇る私が一歩も動けなったのよ?おかしいと思わないの?」
レティーナが問いかけると、カイセルは苦笑した。
「いくら関係が破綻していても、母親から短剣を向けられれば硬直ぐらいするだろう。別におかしなことでもない」
「……そう。そうね」
「だから俺は気にしていないぞ。それともなにかあるのか?」
「う、ううん、特にないわ」
レティーナが笑顔を作ると、カイセルも同じように笑みを返してきた。
(そうよね。前世で私がこの国にいたとき、カイは遠く離れたサリュート国にいたんだもの)
だから彼が知っているはずはないのだ。
魔女レイナの死にざまなんて。
お読みいただきありがとうございます!!
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