再会
「レティーナ」
声を掛けられたレティーナが振り返ると、そこにいたのは案の定従弟のフレディだった。
髪を隠すためにフードをかぶっていても顔を隠しているわけではないし、第二王子の側近になったフレディとはどこかで顔を合わせるかもしれないと思っていた。
「久しぶりね、フレディ」
そんなふうに返したが、いまいち正解がわからない。
彼はレティーナを売り払おうとしたけれど、レティーナはそこから逃げ出した。ローファン家の養子に入ったフレディは子爵子息で、除籍されたレティーナは今や平民。
いわくつきの間柄となってしまったけれど、団員達のいる前ではおかしなことは言わないだろうといたって普通に挨拶をしてみる。
そんなレティーナにフレディは目を丸くした後、おずおずと返事を返した。
「う、うん。久しぶり」
フレディと最後に会ったのは記憶を取り戻す直前、彼からみっともないだの邪魔だのとなかなかに辛辣な言葉を投げ付けられたとき。
あのときのフレディはレティーナを傷つけても前に進むんだと言わんばかりだったのに、今はやけにげっそりとしている。
しかも親衛隊の制服は青色ベースに金色の装飾が施された派手な装いなので、やつれたフレディでは余計に着せられている感が否めない。
どうしたものかと黙っていると、フレディは意を決したようにレティーナを見つめた。
「レティーナ、話があるんだ。い、今から少し時間をもらっていいかな?」
いつもはこの後演習場で皆と訓練をしている。レティーナは教える側になるので断ろうと思ったのだけれど、隣で様子を伺っていたソフィアが耳打ちしてきた。
「レティ隊長、こっちは大丈夫なので彼の話を聞いてあげてください。あの人、切羽詰まってる感がすごいです。きっとピアスのせいですよ!」
「ピアス?」
「カイセル殿下とあの人、どちらを選んでも私は応援しますから!」
「なんの話をしてるのよ」
恋愛脳のソフィアにいけいけと背中を押され、迷った末にフレディの誘いに了承した。
安心したようにホッと息を吐いたフレディが「場所を変えよう」と先導するので黙って後ろに続く。どこまで行く気なのかと疑問に思っていたのだが、馬車寄席まで連れて来られたのにはさすがに驚いた。
「フレディ、一体どこに行くつもりなの?」
「ロ、ローファン家だよ。僕達が並んでると、目立っちゃうから。お、落ち着いて話せるところがいいんだ」
確かに彼の言うとおり、敵対派閥でもあるジュリアス親衛隊のフレディと、討伐団の制服を身に着けているレティーナが並ぶのは目につく。
「でもローファン家に私を連れていけば、両親が発狂するわよ」
「そ、それは大丈夫だよ。お、叔父上達も僕も、レティーナに謝罪したいと思ってるんだ」
「謝罪?今さら?」
「そうだよ。と、とにかく行こうよ」
周囲を気にするフレディに引っ張られて、レティーナは仕方なしに馬車に乗り込んだ。
――謝罪ねえ。フレディはともかく、あの二人が謝罪なんてするかしら?
――するわけないじゃない。どうせ金の無心でしょ
――やっぱりそうよね
ルルの意見に全面同意だ。
レティーナがいなくなったことで違約金まで払う羽目になった両親が頭を下げるとは到底思えない。どうせ罵倒しまくって、委縮したレティーナから給金を巻き上げる算段だろう。もちろん応じるつもりはない。
向いに座るフレディの視線を感じながらもあえて窓の外に目を向ける。
そういえばカイセルに黙ってきてしまったな、なんて思っているとフレディがおずおずと口を開いた。
「レ、レティーナ、まずは僕から謝罪するよ。その、あのときは本当にごめん」
「今さらもういいわ。逆に私は家から出る決心もついたのだし」
「そ、それなんだけど、今は討伐団で働いているんだよね?やっぱりこっそりと魔術の練習をしていたの?」
「そんなところね」
「使い魔までいるなんてすごいよ。し、召喚術は難しいって言われてるのに」
「たまたまできたのよ」
フレディに見つかってしまった以上両親ともいつかは対峙しなくてはならないからと馬車に乗り込んだわけだが、正直にいえばこちらから話すことは特になく、詳しい説明をする気もない。
だから淡々と返しているのだが、素っ気ない態度にフレディは困惑しているようだ。
「な、なんだかちょっと会ってない間に、レティーナは変わったね」
「そうかしら」
「う、うん。なんか、す、すごく堂々としてるっていうか」
(そういうあなたはおどおど感が増したわね)
元々大人しい性格のフレディだったが、こんなふうにどもったり顔色を伺いながら引きつった笑みを浮かべたりはしていなかった。
なにかあったのかと聞こうとしたとき馬の嘶きが聞こえ、子爵邸に到着したことを御者に告げられた。
「な、内装なんだけどね、前より少しだけ印象が違うかも」
そんなことを言うフレディに先導されて子爵家の玄関を潜る。表玄関から入るなんて何年ぶりだろうかと思いつつ、辺りを見渡して唖然とした。
(フレディは少しだけなんて言ったけど……これはかなりね)
少しどころか印象がまるで違う。なんというか、寂れ具合がすごい。
案内された客間も同じで、古ぼけた家具に安っぽいカーテン、掃除も行き届いておらず部屋全体がくすんで見える。大方借金の形に家具や調度品を持っていかれ、使用人も最低限しかいないのだろう。
レティーナが家を出てからまださほど時は経っていないはずなのに、あまりの落ちぶれ具合に閉口した。
「す、少し待ってて」
フレディはそう言って客間から出て行ったが、しばらくして茶器を乗せたワゴンを引いて戻ってきた。後ろには苦虫を嚙み潰したような顔をした父と、苛立ちを隠せていない母を連れている。
フレディがカチャカチャと覚束ない手でお茶を用意している間、両親は向かいのソファに腰かけた。
「久しぶりだな、レティーナ」
父の第一声に少々面食らう。てっきり怒鳴りつけられるだろうと思っていたのに、普通に挨拶されるなんて。
とはいえ複雑な顔をしているのは変わらないので、どうせ最初だけだと感情を乗せずに淡々と返事をする。
「はい。子爵もお変わりなく」
「子爵だなんて、他人行儀だな」
「すでに除籍されていますので他人です」
「…………チッ」
(舌打ちしたわね)
父が嫌そうに眉間に皺を寄せている。ついでに母はレティーナを睨みつけたまま。
二人の態度はどう見ても和解を望んでいるとは言い難く、もう帰っていいんじゃないかと腰を浮かせるとフレディが慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってレティーナ!叔父上は君に謝罪するって僕と約束したんだ。だ、だからもう少しだけ付き合って!ほ、ほら、僕が淹れたお茶だよ。レティーナに飲んでもらうために練習したんだ」
変わらず引きつった笑みを浮かべるフレディが少々不憫で、レティーナは仕方なくカップを手に取る。
安い茶葉なのか淹れ方が悪いのか色も薄く匂いもしないが、フレディがせっかく淹れてくれたしと礼を言って口に含んだ。
「ど、どう?美味しい?」
「そうね」
「よかった。も、もっと飲んでよ。おかわりも用意するから」
はっきり言うと美味しいわけではないので微妙なところだけれど、おもてなしをしようと必死のフレディに勧められるがまま再び口をつける。
けれど二口三口、喉を通ったところでドクンと心臓の音が聞こえた。
「う…ぐ……」
やられた。
そう思うも時すでに遅く、手が勝手に震えてカップが滑り落ちる。それと同時にレティーナは崩れるように床に倒れ込んだ。
焦った顔をしたルルが視界に入る。
――レティ!
――大、丈夫。た、ぶん、ヒウ、ムの根
――ヒウムの根ですって?!なんてものを飲ませるのよ!
――おち、つい、て。攻撃、ダメ
――わかってるわよ!
ルルが怒るのも当然だ。ヒウムの根は即効性が高い麻痺毒で、昔は逃げ出さないようにと奴隷が飲まされていたものなのだから。
現在はどの国でも奴隷制度は廃止され、ヒウムの根の栽培も禁止されているはずなのに、こんなものまで用意しているなんて思いもしなかった。
ギリギリしているルルの向こうで、満足げに笑う両親の顔がぼんやりと映る。
「ハハハッ!うまくいったな!最初からこうすればよかったのだ!」
「本当ね!見て、痙攣していて気持ち悪いわ!」
「うむ。毒が効いている証拠だな」
「ど、毒?!ま、待ってください、叔父上!逃げられると困るから睡眠薬をって言ってたのに、どういうことですか?!」
「睡眠薬の代わりに麻痺毒を飲ませただけだ」
「麻痺毒?!な、なんでそんなものを?!」
「睡眠薬では目を覚ましたらまた逃げられてしまうからな。この毒は処置が遅れると体に麻痺が残るらしいから安心できる」
「ま、麻痺が残るなんて、そ、そんな……!」
「今さら怖気づくな。どのみち除籍したレティーナを売り払うこと自体犯罪なんだぞ。それより早くディクソン商会長に知らせなくては。フレディ、お前は城に戻ってろ。もしレティーナのことを聞かれたら、少し話してすぐ別れたと言えばいい」
「で、ですが……」
フレディはレティーナのことを気にしつつも、両親とともに部屋から出ていった。
(……ぐぅ……やられた…わね……)
つくづく自分は甘ちゃんだと思う。
家族といえど亀裂の入った相手なのに、言われるがままホイホイついていき違法薬を飲まされるなんて。迂闊すぎると言わざるを得ない。
悪寒と吐き気に襲われつつ、レティーナはこの後の算段をつける。
ディクソン商会長は実は善意の人、なので彼に保護してもらうまでこのまま待つのも手だろう。第三者の目が合った方が証拠になるし、治癒術を使うのは目立つ。
けれど目の前のルルがそれを許さなかった。
――さっさと治癒しなさいよ!
――だ、って、5割増し、ピカーッて
――それは全力を注ぐからでしょ!きちんとコントロールすれば問題ないのよ!
麻痺しているのに無茶を言う。
けれど尻尾を叩きつけるルルが我慢しきれず、父達を攻撃してしまったら後悔してもしきれない。神獣が人に手を出すのはご法度なのだ。
レティーナは意識を研ぎ澄ませて体の内部を探る。麻痺毒は部分的に神経を犯しているのでそこに注視し、ぶるぶると震える両手で治癒の印を組んだ。
「我が、身に、癒しを《聖光治癒》」
詠唱と同時にレティーナは柔らかい金色の光に包まれた。
神獣ルルの力を借りた聖魔術、今回はコントロールしたおかげで光が激減している。これなら部屋から出ていった父達にも気づかれることはないだろう。
数秒後に光が収まり、完全に治癒できたことを確認したレティーナはゆっくりと起き上がり、深く息を吐いた。
「ふう。なんとかうまくできたわね」
『及第点ってところね』
手厳しいルルがさっさと帰るぞといわんばかりに肩に飛び乗ってきたので、脱げてしまったフードをかぶり直して歩き出す。とっとと城に戻りたいが、如何せん聖魔術を使った後は魔術が使えないという制限があるので転移できないのが残念だ。
そうして玄関先に辿り着いたところで後ろからバタバタと足音が聞こえた。
「レティーナ!」
叫ぶ声に振り返ると、フレディが青い顔をしてレティーナを凝視していた。




