息苦しい毎日 (フレディ視点)
けたたましい目覚ましの音で、フレディはうっすらと目を開けた。
日が昇り始めるころ、澄んだ空気に鳥達の軽やかな歌声が響き渡り、清々しい一日の始まりを感じさせる。けれどそれすら煩わしいほどに、フレディの心はずっしりと重い。
「今日も一日が始まるのか……」
呟いた声に生気はなかった。
ジュリアスの元に配属されたのち、請求された法外な金を支払うことができなかったフレディは、親衛隊の最下層という位置づけに収まるしかなかった。
最下層に与えられた部屋は使っていない書斎を改装した埃っぽい空間で、ジュリアスの執務室の奥にあるため自由に出入りすることも憚られ、まるで監視付きの牢獄にでも放り込まれた気分だ。この部屋にはフレディの他にも数名いるが、全員顔色が悪く明らかに疲弊している。
そして業務内容といえば――
「おいフレディ、ここの金額、間違ってるだろ。ちゃんと確認しろよ」
「い、いえ。これはすでに決済が下りていまして間違っては」
「だからぁ、ゼロをひとつふたつ追加するぐらいの脳みそ、持ってないのかって言ってんだよ」
「わ、わかりました。ご指示どおりゼロを追加して」
「はあ?!お前ふざけんなよ。俺がいつそんな指示を出したんだよ!」
「僕達が指示したんじゃなくて、お前が勝手にやるの。いい加減理解しなよ」
「お前、脳みそ入ってるのか?カラカラ音がするんじゃねえの?」
上級側近達に取り囲まれて、寄ってたかって頭を小突かれる。気の弱いフレディにはそれだけで恐怖だ。
「こいつ、涙目になってるぜ」
「ハハハッ!だっさ!」
侮蔑と嘲笑の的にされ、見ているジュリアスも鼻で笑うだけ。逃げ場のないフレディは犯罪だとわかっていても言いなりになるしか道はない。
これでも最初、フレディは勇気を振り絞って抵抗した。「そんなことはできません」と。
そのときは魔道銃の銃口を額に突き付けられた。真っ青になって震えあがるフレディを側近達が睨みつける。
「なに?俺達に文句あるわけ?借金まみれのくせに?」
「生意気だな。お前の代わりはいくらでもいるんだよ。頭を吹っ飛ばしてやってもいいんだぜ」
「やるなら俺にやらせてよ。一度人を撃ってみたかったんだ」
「や、やめて、く、くださ」
「うるせぇんだよ、貧乏人が!」
そのとき面倒そうな声が部屋に響いた。
「おい、お前達。僕の部屋を汚すことは許さない。やるならどこかに連れて行け」
それが初めて聞いたジュリアスの声だった。
その日からフレディは抵抗するのをやめた。たとえあれが脅しだったとしても、一度受けた恐怖は消えない。
書類を改ざんして金額を水増ししたり、カイセルが必要とする重要書類を破いたり。悪事に手を染める感覚は麻痺していくけれど、同時に心が衰弱していく毎日。
そのころには最下層の中でも紅一点の先輩女性が気にかけてくれるようになったが、口先だけの励まし合いをしたところで心の重さは消せない。
内容が内容だけに誰かに頼ることも逃げることもできず、答えのない問いがいつまでも頭の中を擡げる。
(どうしてこんなことになったんだろう……)
そんなある日、使い走りにされたフレディは城門付近で魔物討伐団を見た。
森からの帰還直後だというのに皆楽しそうに談笑しており、カイセルや討伐団の悪い噂を流しているのにまったく堪えていないようだ。
王子の部下という立場は同じなのにあまりにも雰囲気が違いすぎて、つい目で追っていると一人の女性に気付いて愕然とした。
(まさか、レティーナ?!な、なんでレティーナが討伐団に?!)
目深にフードをかぶっているので顔が見えにくいが、それでも幼いころから知っているフレディにすれば一目瞭然。
しかもレティーナは以前よりも血色がよく雰囲気も明るくなっていて、団員達とも打ち解けている。子爵家の小屋に住んでいたときのみすぼらしさは欠片もなく、幼少時代を思い起こさせた。
(そういえばレティーナは、いつもああやって楽しそうに笑っていた……)
フレディはしばらく茫然としていたが、顔見知りの門番に挨拶をされて我に返る。
「どうしたんですか?フレディさん、ぼうっとして」
「い、いえ、す、少し考え事をしていました。……あの、討伐団に見かけない方がいるようですね。フードをかぶっている女性のことですが」
「ああ、最近入団した方みたいですよ。魔術師って聞きました」
(魔術師?レティーナが?)
確かにレティーナは幼いころ家庭教師から簡単な魔術を習っていたが、小屋に閉じ込められてからは魔術どころかまともな勉強もできなかったはず。隠れて練習でもしていたのだろうか。
ただもしレティーナが魔術を身に着けていたとしたら、子爵家から失踪できたことも頷ける。
自分にも秘密にしていたのかと軽くショックを受けつつ、自然に歩み出していたことに気づいて足を止める。
(レティーナに、なにを言えばいいんだろう……)
懐かしさのあまり声をかけようとしてしまったが、今さらなにを話すというのか。
あれほど大事だったレティーナを子爵家から除籍して愛人として売ろうとした。決めたのは叔父夫妻だけれど、自分も後押ししたのは間違いない。
さらにいえば、フレディが養子にならなければ直系のレティーナを放り出すことはできなかった。
結果的にフレディがレティーナの居場所を奪ったのだ。
なら謝罪すべきかといえば、そんな気には到底なれない。
レティーナが大人しく売られていれば予定どおりに金が手に入り、フレディは最低でも下級側近の位置にいられた。今のように非道な扱いをされることも手を汚すこともなかったのだ。
もやもやとした気持ちを抱えながらどうしていいかわからず、まずは情報共有が先だと思い立つ。
(と、とにかく当主である叔父上に知らせなくちゃ)
その場を離れたフレディはその夜、子爵夫妻に手紙を書いた。
レティーナは密かに魔術を練習していたのではないか、万年人手不足の討伐団だから雇ってもらえたのだろうという見解を添えて。
数日後、子爵から手紙をもらったフレディはその内容に目を見張った。
本来であればなにをバカなと諫めるべきだろうが、切羽詰まったフレディにはそれができない。金がほしい、それはフレディとて同じなのだ。
(で、でも今支払いを済ませることができたとして、僕は本当にこの状況から抜け出せるの……?)
人を人とも思わないジュリアスと第一側近達。
すでに片足を突っ込んでいるフレディを、彼らが素直に解放してくれるだろうか。今さら遅いと一笑され、このまま一生奴隷としてこき使われるのではないか。
漠然とした不安に襲われ、体がぶるっと震える。
それと同時に、遠目に見たレティーナの顔が頭を過った。
仲間達と楽しそうに笑い合うレティーナはキラキラと輝いていて、幼いころ抱いた想いが蘇る。
もし自分が選択を間違えていなければ、フレディは今もレティーナの隣で笑っていられたかもしれない。
そんなふうに思ったところで今さらなのに、考えずにはいられなかった。
フレディはもう一度手紙を読み返す。
相反する気持ちを抱えて、けれども一方を拒否するように頭を強く振った。
「なにもしなければこの生活が続くだけなんだ。だ、だから……!」
フレディには後がない。一縷の望みにかけるしかないのだからと言い聞かせ、手紙の返信文を書き始めた。
自分にはもう、まともな判断ができないのだろうと自覚しながらも。




