こっそりやっちゃえ!
レティーナがやってきたのは王宮の裏手にある庭先だ。
この時間、彼はここにいると聞いていたし気配も感知している。足を進めると、奥からぼそぼそと声が聞こえた。
「お待たせちまちたねぇ。ご飯の時間でちゅよ。いっぱいありまちゅからねぇ」
(やっぱりいた!)
地面にしゃがみ込み、数匹の猫と戯れているのはカイセルの執務補佐官、猫好きトウリだ。
彼は鋭利な雰囲気を漂わせているというのに、猫とは赤ちゃん言葉を使っている。
これは見られたくないだろうと、レティーナはわざと地面を踏みしめて音を立てた。トウリはハッと振り向いて立ち上がる。
「レティーナ様?」
「そうです。こんばんは、トウリ様」
「こんなところでなにをなさっているのです?」
「トウリ様にお聞きしたいことがあるのです。少しお時間をいただけませんか?」
そう言うとトウリは眉間に皺を寄せた。
「私のことは呼び捨てでかまいません。言葉も崩してください。カイセル殿下とご自由にお話されているのに、私に敬語を使われるのは違和感があります。それで聞きたいこととは?手短にお願いします」
(うわぁ、かなりご機嫌ななめね)
猫との戯れを邪魔されてかなり苛立っているようだ。けれどこちらも引けない。
「じゃあ敬語はなしにするわ。それで聞きたいのは討伐団のことよ。団長ってカイのことではないの?」
「ああ、ご存じなかったのですね。討伐団の団長はメイナード・マクスウェル大公様ですよ」
「それって!」
今日会った、ディクソン商会長の後ろ盾になっている人物、すなわち王弟だ。
「そもそもカイセル殿下は正式な団員ではありませんから」
「え?カイって団員じゃないの?」
「はい。以前もお伝えしましたが、カイセル殿下はジュリアス殿下に面倒な執務を押し付けられています。ですのでメイナード団長から入団許可が下りなかったのです」
カイセルが忙しすぎてまともに活動するのは難しく、討伐に参加できる日も多くなかった。そんな状況で正式な団員となってしまうとまたジュリアスサイドがあれこれ付け込んでくるから、と。
それでもカイセルは時間ができると討伐団に混ざっていたので、団員達からの信頼も厚い。
「ですから現在、カイセル殿下はメイナード団長の代理を勤めていらっしゃるだけなのです」
「代理……。では体調が悪いっていうのはメイナード様のことなのね。ご病気なの? 」
「それは……」
トウリはだんまりになった。仕方がない、奥の手を使おう。
「ルル」
宙がぼんやりと光り、中から子猫姿のルルが現れレティーナの肩に乗った。トウリは一瞬にしてルルに釘付け。怖いぐらいにガン見している。
実はトウリ、初めて会ったときからルルに首ったけらしい。
実在しない紫の猫、にじみ出る高貴さ、柔らかそうな毛並み、ツンとすました表情、なにもかもがかわいすぎるとカイセルに延々語ったそうだ。
「トウリ、話してくれたらルルが触らせてくれるかも」
「!!」
「ルルってかわいいでしょ?でもそれだけじゃなくて、手触りもよくてふわふわなの。すっごく柔らかいのよ」
ルルをよしよしと撫でてうっとりしてみる。
――急に呼んだと思ったら、私を出汁に使う気?
――ごめんなさい、でも情報収集中なの!協力してくれない?
――ったく、しょうがないわね
ルルはレティーナの手にスリスリ頬をすりつけた後、トウリを見つめて甘い声で「にゃーん」と鳴いた。
「はうっ!」
トウリが胸を抑えている。ものすごい効果だ。瞳を潤ませてルルに手を伸ばしてくるので、レティーナは一歩後ろに下がった。
「トウリ、その前に教えてくれなくちゃ」
「……そうですね。これは討伐団のメンバーなら誰もがご存じのことですし」
そう言ってトウリはレティーナ、ではなくルルを見つめて説明し出した。
魔道銃所持がギルドの規定となったせいで冒険者が一気に減り、魔物討伐団の負担が急激に増えたころ。
討伐団は魔物の大群にあい、死闘を繰り広げポーションも使い切ってしまった中、帰り道で大毒蛾に出くわした。
大毒蛾は獲物が確実に弱るまで、空から猛毒の鱗粉を振りまき続ける厄介な魔物だ。討伐団は逃れることができず、メイナードがおとりになることでなんとか事なきを得た。
けれど猛毒を浴び続け、さらに処置が遅れたせいでメイナードの体は蝕まれて、未だに寝たきり状態。
そしてカイセルはそのメイナードの剣の弟子にあたる。
幼いころから“英雄の再来とその兄”なんて付属品扱いをされていたカイセルは王宮に身の置き場がなく辛い日々を過ごしている中、手を差し伸べてくれたのがメイナードだった。
ずいぶんきつく扱かれたようだが、おかげで心身ともに鍛え上げられたカイセルはメイナードに感謝し、誰よりも慕っていた。
「ですからカイセル殿下はメイナード団長の代わりに討伐団を率いることにされたのです。執務でお忙しい身だというのに」
「……そう、だったの」
レティーナはカイセルがいるはずの王宮を見上げる。
(言ってくれれば、よかったのに)
そう思ってから、首を横に振った。
カイセルは言えなかったのだ。レティーナが力を隠したいなんて言ったから。カイセルはいつだって、レティーナの気持ちを大事にしてくれる。
(なのに私は、自分のことしか考えていなかったわ)
レティーナは唇をキュッと噛みしめた後、決意する。
処置が遅すぎてポーションの効きが悪かろうと医者が匙を投げようと関係ない。なぜならレティーナは前世魔女で今世は聖女。神獣ルルの治癒術をその身に取り込むことができるのだから。
「話はわかったわ。ありがとう、トウリ。邪魔したわね」
そう言って去ろうとしたレティーナをトウリは呼び止める。
「あの、ルルちゃんとの戯れは……?」
「あ、そうだったわね。ルル、どうする?」
ルルはツーンとそっぽを向いた。触らせる気は全くないらしい。
トウリは口をあうあうさせた後、その場に崩れ落ちた。
「それでもかわいいっ!」
その思いはいつかルルに届くかもしれない。トウリ頑張れと心の中で応援しながら、レティーナはその場を後にした。
その日の深夜、レティーナはカイセルの執務室にやってきていた。
こんな時間まで仕事をしていることに少し心配になるが、今は先に話さなくてはいけないことがある。
レティーナは扉をノックしたあと少しだけ顔を見せた。
「カイ、今いい?」
カイセルは一人で執務机に向かっており、レティーナに気づいて目を丸くした。
「レティ?こんな時間にどうしたんだ?」
「カイに話したいことがあるの」
「なら少しだけソファで待っててくれるか?これだけ終わらせるから」
「忙しいのにごめんなさい」
「気にするな」
レティーナが動く前にルルが肩から飛び降りて、豹姿に戻りソファの上でだらりと寝そべる。その横にレティーナは腰を下ろした。
静まり返る中、カリカリと筆を動かす音だけが聞こえていたが、しばらくするとカイセルが書類をまとめて立ち上がった。
「待たせたな」
そう言ってレティーナの正面に腰かけると、カイセルはふわりと笑った。
「ピアス、つけてくれたんだな。よく似合ってる」
「そ、そう?」
レティーナは自分の耳を触りながら照れ笑いすると、カイセルも嬉しそうに笑った。
「それで?話ってなんだ?」
「うん。……実はトウリからメイナード様の話を聞いたの」
「そう、か」
「カイ、ごめんなさい。私が目立ちたくないって、聖女になりたくないなんて言ったから。だから隠してたんでしょ?でも私、カイの手助けがしたいの。メイナード様はカイにとって大事な人なんでしょう?」
「それは……」
「それにメイナード様は間接的に私を助けようとしてくれた方でもあるわ。このまま見過ごすなんてできない」
「だが俺は、お前に無理をさせたくない」
「大丈夫よ、私に任せて。メイナード様を治癒するわ」
「それは駄目だ。聖魔術は特殊なんだぞ。お前の力が露見してしまう」
「そう、そこよ!」
レティーナは前のめりになった。
「メイナード様が完治しても、私がやったってバレなければ問題ないわ」
「それは、そうだが」
「だから今からこっそり行くのよ!」
「今から行く?」
「そうよ。私とカイとルルに隠密をかけちゃえばこっそり忍び込めるでしょう?それでささっと治して帰ってこればいいのよ!そうしたら誰がやったかなんてわからないわ。この案、どう?」
カイセルは呆気にとられたように目を丸くしていたが、徐々に表情が崩れ出した。
「お前、忍び込むなんて、フフ、よく考えついたな」
「だって力を隠すなら正面突破はまずいでしょ?」
「フフ、確かにそうだな!ハハハッ!」
カイセルはお腹を抱えて笑い出した。レティーナは意味がわからず困惑する。
「ちょっと、なに笑ってるのよ」
「いやだって、お前。叔父上は重病なのに、ハハッ、朝起きたらピンピンしてるって!ハハハッ!全員びっくりするぞ!」
「そのあたりは適当に話を作ればいいのよ。女神が舞い降りたとか」
「女神!」
カイセルがまたも吹き出して大笑いをしている。「後始末が雑!」とか「やっぱり適当!」とか聞こえてきた。
「もう、なによぉ」
レティーナが不貞腐れると、カイセルは目に溜まった涙を拭いた。まだ笑いをかみ殺しているが、ひとまず落ち着いたようだ。
「悪い悪い。レティがあまりにもぶっ飛んだ話をするから」
「ぶっ飛んだ?そうかしら?」
「そうだな、お前は真剣に考えてくれただけなんだよな」
「それでどうする?私はやる気満々よ」
そう言うとカイセルもにやりと笑った。
「その案、乗った。叔父上を助けてくれるか?」
「任せてよ、ばっちり完治させてみせるから!ルル起きて、行くわよ!」
ゆさゆさ揺すると、ルルが面倒そうに顔を上げた。
『あなた達、一日中出歩いてたくせに元気ね』




