フレディの追い打ち
第二王子の執務室勤務。
喜ばしいはずのその報告に、レティーナの顔が強張る。
「第二王子殿下のお側に上がるなんてすごい出世よ!さすがフレディね!先日親戚中で集まって盛大にお祝い会もしたのよ!みんな喜んでいたわ!」
機嫌のよさそうな母の声が耳をすり抜け、レティーナはようやく理解した。なぜ子爵家から除籍されたのか、なぜフレディが母の言葉に同意したのか。
こうなった以上自分がここに居続けるなんて無理だ。レティーナはフレディの邪魔をしたいわけじゃない。それでも心がついていかない。
「祝福もできないなんて、なんて子かしら」
母の言葉にハッと顔を上げる。そうだ、自分のことばかり考えているときじゃない。従姉として祝いの言葉をかけなくては。
「おめ、でとう、フレディ。すごいわね。さすがだわ」
絞り出すように口にした祝福の言葉に、フレディは眉間に皺を寄せた。
「僕はこのチャンスを大事にしたいんだ。仕事を頑張るのはもちろんだけど、今後はもっと社交にも力を入れなくちゃいけない。それにはレティーナ、君が問題になってくるってことはわかるよね?」
「ええ、わ、かるわ」
「髪のことだけじゃないよ。はっきり言うけど君のその姿、そんなみっともない恰好じゃ誰にも紹介なんてできない。君の存在は僕にとっても出世の邪魔でしかないんだ」
追い打ちをかけるその言葉に、レティーナは胸を抉られるほどのショックを受けた。
(私の境遇を知っていて、そこまで言うの?)
レティーナだって自分がみすぼらしいことはわかっている。ぼろぼろの肌も、パサついた髪も、枯れ枝のように細くなってしまった手足も、薄汚れた格好も。けれど好き好んでこんなふうになったわけじゃない。当たり前だ。
それを知っているはずなのに、みっともない姿と、邪魔とまで言われるのか。
少し離れた場所で、レティーナよりもよほど身綺麗にしているメイド達がクスクス笑っている。
あまりにも惨めで、心が張り裂けそうだった。
「そんな顔されても困るよ。僕はローファン家の次期当主として、最善の道を選ぶ必要があったんだ。だから君の除籍にも賛成したし、奉公に上がってもらうことも決めたんだよ」
「奉公……」
先ほど父にも言われたばかりだ。どのみち貴族令嬢としての生活なんてしておらず、除籍された以上働き口があったことはよかったと思う。
けれど嫌な予感しかしない。両親だけでなくフレディにまで邪魔者扱いされ、明るい未来が待っているとは到底思えない。
「フレディ、私の奉公先って」
「お前の奉公先はディクソン商会よ!」
叫ぶように答えたのは母だった。レティーナが目を見開くと母はさらに歪んだ笑みを浮かべた。
「ディクソン商会長がお前のことを気に入ったそうよ。それで奉公に出すことが決まったの。せいぜい可愛がってもらうといいわ。この意味、わかるでしょう?」
わかるに決まっている。一気に血の気が引いた。
両親の散財のせいで子爵家の家計はもうずっと火の車だ。そしてディクソン商会長は金に困っている貴族家の令嬢を買い取って愛人にしていると噂の資産家。奉公なんて言っているが、要は売られて愛人になるのだ。
真っ青な顔でフレディを見ると、彼は眉間に皺を寄せながらもはっきり告げた。
「君には悪いと思ってるよ。でも子爵家の経済状況を考えたら仕方がなかったんだ」
フレディは同意したのだ。幼いころから仲良く過ごしてきた従姉を愛人として売ることに。追い出すだけに留まらず、恥ずべき立場に追いやることを。
レティーナはもうこの場にいられなかった。
人目も憚らず泣き崩れてしまいそうで、それを必死に我慢する。二人の前では泣きたくなくて、フレディの横をすり抜けた。
「廊下を走るなんてみっともない真似はよしなさい!本当に忌々しい娘だこと!」
母の悪態が後ろから聞こえたが、それを無視してレティーナは走った。
本邸の裏口から外に出て、ひたすら足を動かす。
誰にも会いたくなかった。惨めで悲しくて、唇をぎゅっと噛みしめても涙が勝手に零れ落ちていく。
そうやって走り続けて鬱蒼とした森に入り込み、ようやく足を止めて大きな木の幹に手をついた。
しんと静まり返った森の中でレティーナの荒い息だけが木霊する。いつの間にか後ろで括っていた髪紐がほどけ、乱れた髪がレティーナの視界に入った。
輝きをとうに失くした赤い髪。
この髪色に生まれたせいで、レティーナは幼い頃から両親に疎まれてきたのだ。
ここベルダン王国には、国を襲おうとした“紅蓮の魔女”を、当時の王太子が撃退したという英雄譚がある。
300年前の出来事なので歴史に埋もれていたが、第二王子が生まれたことで再燃してしまった。第二王子が英雄と同じ青髪青目を持っていたからだ。
そしてレティーナは、“英雄の再来”と世間が賑わいを見せる中、紅蓮の魔女と同じ真っ赤な髪を持って生まれた。
淡黄色の自分達とは似ていないばかりか、得体の知れない魔女なんかと同色であることに愕然とした両親は、魔女を生んだ家と白眼視されないためにレティーナをメイドに預けて放り出そうとした。
そこに待ったをかけたのが前子爵夫妻、レティーナの祖父母だ。
祖父母は「この子に罪はない」と両親の代わりに愛情を注いでくれ、将来困らないようにと家庭教師をつけてくれたり、従弟のフレディと交流を持たせたりして可愛がってくれた。
けれど祖父母が亡くなると、両親はレティーナを小屋に閉じ込めていない者扱いした。
古参の使用人も家庭教師も全員辞めさせられて世話をしてくれる人が誰もいなくなり、レティーナは夜中にこっそりと厨房に行き、僅かにあまったスープとパンを食べる日々。
空腹に耐え、寒さに震え、孤独と惨めさに心が押しつぶされそうな生活が続く中、気にかけてくれる従弟の存在が心の支えになるのは必然だった。
大人しいフレディが両親の矢面に立つことはなかったけれど、それでもずっとレティーナを心配して元気づけてくれていたのだ。
“レティーナの髪はとても綺麗だよ”
“僕が大人になったらレティーナを守るから”
そんな言葉にどれだけ救われてきたことか。
お互い一人っ子同士だったせいか本当の姉弟のような関係で、どんな境遇になってもフレディだけはずっと見方でいてくれると信じていた。
けれど結局は。
「除籍されて、愛人として売られるなんて……」
フレディが同意したことがあまりに悲しすぎて、涙がとめどなく零れ落ちる。それでも大切な従弟を憎むことはできなくて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
そうやってしばらく嗚咽を漏らしていると、がさりと音がして体がビクッと揺れる。草むらからでてきたのは狼のような風貌の大きな獣で、よだれをダラダラと垂らしてレティーナを見据えた。
「ヒッ!ま、魔物!」
レティーナはすぐに逃げようと駆けだしたが、足がもつれて転んでしまう。
「いたっ……ハッ!や、やだ!こっちに来ないで!誰かっ!誰か助けてっ!!」
恐怖と痛みで立てそうになく、それでもずるずると這いずって逃げようとするレティーナに、狼の魔物はじりじりと距離をつめてきた。
(こ、こんなところで、私は死ぬの?!)
両親に疎まれ従弟にも邪魔者扱いされ、捨てられた上に魔物の餌食になるというのか。
自分の人生は一体なんだったんだ。
赤髪に生まれたのはレティーナのせいではないのに、それでもずっと理不尽な扱いを受けてきた。それなのにこんなところで誰にも知られず、ひっそりと食い殺されるなんて。
なんのために生まれ変わったのか。
(たかだかこんな低級の魔物一匹に?冗談じゃないわ!)
なぜか急に、恐怖よりも怒りが勝った。とたんに体中が熱くなる。魔力が一気に跳ね上がり、渦巻いている感覚が蘇ってきた。転んだ痛みなどすっかり忘れて地面を踏みしめ立ち上がる。
(そうよ。魔狼なんて簡単に首を斬り落とせるじゃない)
魔力を練り上げて右の手の平に集中させる。高濃度の魔力に呼応するように風がぶわりと舞い上がった。
レティーナの変化に気づいたのか、魔狼が唸り声を上げて飛びかかってきたが、それよりも先に魔術が炸裂する。
《雷烈風》
雷を纏った風の刃が一気に魔狼の首を切り裂いた。
断末魔を上げる間もなく首と胴体が離れた魔狼がどさりと地面に倒れたのを見て、レティーナはぼそりと呟いた。
「あー。……紅蓮の魔女って私のことだったのね」