ディクソン商会長の真実
翌日、二人で出かけると知ったマーサが、朝から小躍りでレティーナの準備をしてくれた。
ウエストを絞った上品なベージュのワンピースに、ショートブーツ。赤髪を隠すために編み込みしてアップにしてもらい、つばの広い帽子をかぶった。
カイセルはカジュアルなジャケットにメガネをかけているのでいつもとは違うかっこよさがあり、二人並ぶと小金持ちのお坊ちゃまお嬢ちゃまといった感じ。
「おはよう、レティ。そのワンピースもよく似合ってる。かわいいな」
「そ、そう?あ、ありがとう。カイも素敵よ」
カイセルはこう見えて昔からかわいいとか綺麗だとかの誉め言葉をよくくれる。
ただ不意打ちでくると妙に恥ずかしく、照れているとカイセルがクスッと笑った。
「ルルはどうした?」
「今日は寝ていたいんですって。なにかあったら呼んでって言ってたわ」
「そうか。……気を遣わせたかな」
「え?なにか言った?」
「いや、なんでもない。じゃあ行くか」
カイセルにエスコートされて馬車に乗り込んだ。
何年も閉じ込められていたレティーナにとっておでかけは久しぶりすぎて、子供のようにわくわくしてしまう。
鼻歌を口ずさみながら景色を堪能していると、カイセルが笑った。
「楽しそうだな」
「それはもちろん!ねえ、どこに行くの?」
「まずはレティに会いたいって人がいるから、その要件を済まそうと思ってる」
「私に会いたい人?」
「ああ。着いてから説明するよ」
しばらくして馬車が止まり、二人で降りる。
カイセルに誘導されて路地裏に入り込み、少し歩いた先に小さな扉があった。看板も出ておらず、どういう店かわからない。
「秘密の会合でもやるの?」
「ま、そんなもんだ」
冗談めかして言ったのに、カイセルはにやりと笑って扉をコンコココンと独特のリズムで叩く。するとギィィと扉が開き、中から執事服を着た強面の男性が出てきた。
「お待ちしておりました、どうぞご案内いたします」
本当に秘密の会合のようだ。レティーナは目を輝かせながらもカイセルとともに執事の後に続く。
一番奥の部屋まで行くと執事がノックをして、静かに扉を開けた。
「旦那様、お客様をお連れしました」
中に入ると品のよさげな初老の男性がソファにかけていたが、立ち上がって深々と頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました。カイセル殿下、レティーナ様」
「彼をお前に会わせるためにここに来たんだ」
初対面だしなぜだろうと首を傾げていると、カイセルにまずは座ろうと言われて三人とも腰かける。
執事がお茶を用意してくれた後、カイセルが男性を紹介した。
「彼は表向き、とある有名な商会を営んでいるんだ。だから彼はその名にちなんで“ディクソン商会長”と呼ばれている。聞き覚えがあるな?」
レティーナは目を丸くした。ディクソン商会長、それはレティーナを愛人として買い取ろうとした資産家の名前だ。そんな彼とどうして対面しているのか。
「どういうことなの?」
「驚くのも当然のことでしょう。私から説明させてください」
そうしてディクソンが語り出した内容に、レティーナは胸を詰まされた。
ディクソンは若かりし頃、奉公先の貴族令嬢と恋に落ちたが彼女は家族から虐待を受けており、なんとか助け出そうとした矢先に娼館に売られてしまった。
ディクソンは死に物狂いで金を稼ぎようやく彼女を買い取ることができたが、その頃には彼女の体はぼろぼろで、数年後には他界してしまった。
「それでも妻は最後に、幸せだったと言ってくれたのです」
ディクソンは悲し気に笑った。
妻を亡くし泣きぬれる毎日を送っていたディクソンの元に、ある日高貴な人物から声がかかった。
“彼女のような女性を一人でも減らす手伝いをしてくれないか”と依頼をされたのだ。
それからは虐待を受けている女性を救い出すべく、ディクソンは見せかけの商会を立ち上げて女性を買い取るようになった。
買い取った女性達は全員、他国に渡って元気に暮らしているそうだ。ディクソンはもちろんその支援もしている。レティーナが売りに出されそうになったのを知ったときも、すぐに交渉したそうだ。
「ですがまさか、失踪されるとは思いもせず……。怖い思いをさせて申し訳ありませんでした」
ディクソンが深々と頭を下げるので、慌てて顔を上げてもらうように頼んだ。
もし記憶が戻らなかったら家出なんてとてもできず、普通にドナドナされていたと思う。
「私は魔術が使えることを隠していたんです。ですからたまたまというか」
「そうでしたか。とにかくご無事でよかったです。私が追い詰めてしまったのだと」
「ですがそれがきっかけとなって今はカイ……カイセル殿下の元で頑張れていますし。あの、誤解をしていて申し訳ありませんでした。助けようとしてくださってありがとうございます」
謝罪と礼を伝えるとディクソンはいえいえと人のよさそうな笑みを浮かべた。
とてもではないが女性を買い取って愛人に、なんてふしだらな男性には見えない。それは本人も自覚があるようで、表に出るときは強面の執事が商会長になりきるらしく、おかげで交渉がスムーズだとディクソンも執事も笑った。
「ですのでローファン家からもすんなりと違約金をいただけましたよ。受け取ってください」
ディクソンは山盛りの金貨をレティーナに差し出してきた。
「そんな、受け取れません」
「どうぞお気になさらず。こちらはあなたの正当な権利ですよ」
娘を勝手に売り飛ばそうとしたのだから、子爵夫妻はそのツケを払ったにすぎないとディクソンは言い切った。
しかも彼らはすでに前金を使ってしまったらしく、かなりの額の借金をしたようだ。あの二人はずっとレティーナをストレスの理由にして散財しまくっていたので、我慢ができなかったのだろう。
改めて金貨の山を見つめる。なかなかの大金だ。
カイセルの顔をちらりと見ると、彼は優し気に頷いた。お前の好きにしろ、そう言われているのがわかった。
「でしたら、こちらを寄付という形で受け取ってもらえませんか?」
「寄付?よろしいのですか?」
「はい。私は自分で稼げるので問題ありませんし。このお金は辛い境遇にいる女性達のために、少しでも役立てていただきたいのです」
「そういうことでしたら遠慮なく頂戴いたします。お心遣い、感謝いたします」
実際のところ、お金はいくらあっても困ることはなく、事情を知っている一部の貴族家からも寄付金をもらっているのだそう。ディクソンに依頼した高貴な人物というのがカイセルの叔父、王弟だからだ。
カイセルはその補佐をしており、その関係で今回の手筈が整ったとのこと。第一王子である彼が補佐をするぐらいだから、支援者が王弟と言われて納得した。
その後は雑談を交わし、そろそろ出ようとレティーナとカイセルは席を立つ。
最後にレティーナはディクソンに深々と頭を下げた。
「見ず知らずの私を助けようとしてくださって、本当にありがとうございました。あのとき、悲しみに満ちていた私の心が救われた気がします。きっと家出をしなくても、ディクソン商会長のおかげで幸せな人生を掴めたことでしょう」
「そんなふうに言っていただけるとは……。とても嬉しいものですね」
「私が言うのもおかしいのですが、亡くなられた奥様はきっと、商会長の活動を誇りに思っていると思います」
すると彼は目を見開いた後、瞳を涙で滲ませて笑った。
「でしたら天国で妻と再会したとき、褒めてもらえるかもしれませんね」
ディクソンと別れて馬車に戻ったレティーナは、ふうっと息を吐いた。
「大丈夫か?」
「うん……。私は自力で逃げ出すことができたけど、そうじゃない人が大半でしょう?ディクソン商会長のおかげで救われた女性はたくさんいると思うの。本当によかったと思って」
「そうだな」
「もし私が記憶を取り戻さなかったら、カイとも再会できなかったわけだし。そうしたら私も他国で違う道を歩んでいたのかもしれないって考えると、なんだか不思議で」
「確かにな。でも俺はきっとどこかのタイミングで記憶を取り戻して、レティを探しに行くぞ」
「カイったら。王子様なのに?」
「王子でもさ」
カイセルがふわりと笑う。その優しい笑顔に、レティーナは落ち着かなくなった。
話題を変えようと頭を巡らし――
「ねえ、カイ!お腹すいたわね!」
妙に大きくなってしまった声にカイセルは目を丸くしたが、くくっと笑った。
「まだまだ食い気には勝てないか」
「え?なんて言ったの?」
「いいや、別に。じゃあ次は食事にするか!連れて行きたい店があるんだ」
「そうなの?楽しみね!」
そうして再び馬車に揺られた。




