第8章第6節
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ダブラーと湊が一緒に調合したり、薬草の採取に行ったりしているうちに、すっかり辺りは暗くなっていた。もう、店を閉める時間である。
「あっという間だったな」
とダブラーは名残惜しそうに呟く。
「そうですか?」
と湊はつれない返事をした。実際に何度もアルダスのことを考えては時間を気にしていた。
「これ、今日の給料だ」
そう言ってダブラーはローブのポケットから金貨を一枚取り出す。
「そ、そんな……今日は診療代の代わりだっておっしゃってたじゃないですか」
湊は後ずさりする。また借りを作ってしまうではないか。けれども、ダブラーは湊の手を掴み、強引に金貨を握らせてしまった。そして、そのまま強く抱きしめてくる。
「なぁ、クォーク。俺のものになれよ」
見上げた顔はいつになく真剣で、優しい眼差しをしていた。そんな目をしないでください。湊の心が静かに揺れる。自分の心がダブラーの体温にほどけかけていることを、どうにも認めたくなかった。
「でも、僕は……」
と湊が言いかけた時、呼び鈴が鳴って誰かが店に入ってきた。ダブラーの腕が緩んだ隙に、湊はするりと抜け出してカウンターに向かう。そこには、いつもの飲み屋の女がいた。
「お、おまえ。何しに来たんだ」
「何しにって、あんたを誘いに来たんだよ。ダブラー」
そう言ってカウンターに肘をつき、色っぽい眼差しをダブラーに向ける。
湊はこれ以上邪魔してはいけないと思い
「今日はありがとうございます」
と礼をしてカウンターから出る。
「おい、待てって」
ダブラーが呼び止めるが、振り返らずに店の外へ出てしまった。追いかけられて来ないように通りを全速力で駆け抜ける。やがて湊は、職人街の外れ、いつもの見慣れたアルダスの店の前に着いた。息を整えて扉を開ける。
すぐに奥の作業場からアルダスが顔を出す。湊を見るなり、喜びを露わにした。
「帰ってきてくれたのか。嬉しいな」
「当然です。私はアルダス様の弟子ですから」
湊は胸を張る。
「じゃあ、明日からもうちで働いてくれるんだな」
アルダスの問いかけに大きく頷く。アルダスは右手を差し出す。湊もしっかりと握り返した。カサカサした無骨な手の感触が懐かしい。
「これからもよろしくな」
これですべてがうまく行った。湊が心の中で安堵したのも束の間、奥の作業場からミレイユが現れた。
「あら、クォーク。おかえりなさい」
なぜ、あなたがここにいるのか。湊は曖昧に微笑む。
「これからはミレイユにも手伝ってもらうことにしたんだよ」
アルダスは先ほどよりも嬉しそうな笑顔を見せる。
「でも、診療所は……」
「辞めましたの」
ミレイユは大したことでもないかのようにのたまう。
「アルダス様が誘ってくれたのですわ」
どこか芝居がかった声に、湊は感情を押し殺すのが大変だった。
「君がいてくれると店が華やぐからね。お客さんも喜ぶだろう」
まるで自分たちの世界に入ったように二人は頷き合う。湊は二人から見えないところで顔をしかめるのだった。




