第8章第2節
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次の日の朝、いつものように食事を摂っていると、クォークの母親から心配そうに頬を撫でられた。
「青白いじゃないか。具合でも悪いのかい?」
特に具合が悪いわけではない。ただ、湊は酷く疲れていた。森から帰ってきた後、夜通し注文を片付けていたのだから当然だろう。
「何でもないよ」
と湊は笑顔を見せる。それでも、クォークの母親は食い下がらなかった。
「今日くらいは休んだらどうだい?」
「そうはいかないよ。僕がいなかったら仕事が回らないんだ」
それは本当だった。客のためにも家で調合した薬を持っていかなければいけない。もし、湊が休んでしまったら、すべてアルダスにバレてしまうだろう。それだけは避けたかった。
「あそこはアルダスの店であって、あんたの店ではないんだよ!」
確かにそのとおりだった。けれども……
「大丈夫だよ。今夜はゆっくり眠るから、ね?」
湊はそっとクォークの母親の頬を撫で返した。もう彼女は何も言わなかった。
いつものように店へ行くと、アルダスは奥の作業場で調合をしていた。湊が顔を出すと、目もくれずに指示をする。おそらく湊が酷く疲れているのも気づいていないだろう。
湊は家で調合した薬をこっそりと棚に並べた。アルダスが無関心でいてくれるおかげで、湊の策略はうまく行っていた。だから疲れている場合ではない。湊は手のひらで自分の頬を叩いた。
店を開けるなり、客がなだれ込んでくる。湊はてきぱきと捌くが、どうも今日はうまくいかない。頭の回転が悪くて、一人を相手にするので精一杯だ。それでさえ、渡す薬を間違えそうになってしまう。
親切な客は
「どうしたんだい? 調子が悪そうだよ」
と気遣ってくれるが、それがなおのこと湊を焦らせるのだった。
一瞬だけ客が途切れる。湊はカウンターの中でうずくまって、荒く息を吐いた。まだ開店してから一時間も経っていない。次第に頭の中がぼんやりしてくるのが分かった。
再び呼び鈴が鳴って顔を上げると、ミレイユが店に入ってきた。彼女は最近、この時間に来るのが習慣になっていた。
「採取に行かれるのでしょ? 私が代わって差し上げますわ」
「しかし、アルダス様にまだ命令されていないので……」
そう言って湊は奥の作業場の方を見やる。ミレイユは断りもなくカウンターの中に入り、湊がこっそり持ってきた薬に手を伸ばした。
「触らないでください!」
と湊が制したはずみでミレイユが手を滑らせ、薬が床に落ちる。瓶の割れる音が店内に響いた。中の液体が床に広がってゆく。
その音を聞いて、作業場からアルダスが出てきた。床に落ちた薬を見て怒鳴り声を上げる。
「何やってんだ。お客様の大切な薬だぞ!」
湊は「済みません!」と謝って、そそくさと後片付けをする。アルダスはミレイユを庇いながら
「おまえなんてクビだ」
と湊に向けて言い放った。湊はハッとして顔を上げる。
「しかし、私は……」
「おまえなんかいなくてもミレイユが手伝ってくれるからな」
アルダスはミレイユを見て微笑む。ミレイユも力強く頷き返した。その表情はどこか勝ち誇っているようにも見えた。
湊の体が震えだす。これまで、アルダスのために身を粉にして頑張ってきたのに、ここまで言われてしまうのか。心の底から残念がっていると、急に目の前が真っ白になった。全身の力が抜けてゆく。ミレイユの悲鳴が聞こえた。
その時、呼び鈴が乱暴に鳴った。開いた扉からダブラーが慌てて駆け込んでくる。そして、カウンターの中で倒れている湊を見て、悔しそうに声を上げた。
「畜生……間に合わなかったか」
その声は湊の耳に届かなかった。




