第5章第2節
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ある日、いつものように湊が店に出勤すると、奥の作業場からアルダスがふらふらになって現れた。顔がほのかに赤く、目元がトロンとしている。誰の目から見ても、風邪を引いているのは明らかだった。
「アルダス様、具合が悪いのですか?」
「いや、大丈夫だ」
アルダスの声はかすれていた。湊の脳裏に物語の一場面が過る。確か、この後にミレイユがやってきて、自分の部屋へ連れていくはずだ。そして二人は……。湊は、そうなる前になんとかして阻止しなければいけないと思った。
「アルダス様、部屋で休みましょう。私が一人で店番をしますから」
「だが、客から頼まれている薬を完成させなければいけないのだ。私が休んでしまえば、店が回らなくなってしまう」
あくまでもアルダスは仕事を続けるつもりだ。
「あの……調合なら僕にもできますが」
と言いかけた湊に向かって
「余計なお世話だ」
と物凄い剣幕でピシャリと撥ねつける。
「とにかく、私のことは放っておいてくれ」
そう言って奥の作業場に入ってしまった。
怒らせてしまった。掃除をしながら湊は悲しい気持ちになる。アルダスは他人に甘えるのが下手な人だ。何でも自分で背負いこんでは、後で大変な目に遭ってしまう。それは物語でも現実でも同じだった。
せめて自分が役に立てたらと思って、こうして弟子になったというのに、何もできないのがもどかしい。
掃除が終わると、次は薬草を摘みに行くよう命じられる。湊が躊躇していると「早く行かないか!」とどやしつけられた。具合が悪いせいか、今日のアルダスは機嫌が悪い。
湊は草原にいる間中、ミレイユが店を訪れているのではないかと気が気でなかった。ただ、ダブラーと鉢合わせしないように、早く薬草を摘むしかなかった。
その後は駆け足で店へと戻る。
「アルダス様、戻りました」
と奥の作業場に声をかけるが返事はない。湊は籠をカウンターに置いて覗き込む。すると、アルダスがテーブルに突っ伏していた。辺りには液体がこぼれ、器具が散乱している。
「アルダス様!」
湊はアルダスを揺するが、意識を失ったままだ。おでこに手のひらを当てると物凄く熱い。どうしようかと考えを巡らせていた時、不意に呼び鈴が鳴った。
店に出ると、そこにはミレイユがいた。頼んでいた薬を取りに来たらしい。湊は努めて冷静に振る舞い、事務的に薬を渡す。しかし、ミレイユは
「あら、アルダス様は?」
と奥の作業場に目を向ける。湊は「今、取り込み中です」と誤魔化そうとしたが、それより早くアルダスが店に出てきた。
「アルダス様、いかがなされたのですか?」
尋常ではないアルダスの様子に、ミレイユはカウンターをくぐって駆け寄る。
「熱があるわ」
と額に手を当てて不安げな顔をした。
「早く病院へ行きましょう」
そうミレイユは促すが
「いや、自力で治すから大丈夫だ」
とアルダスは断る。
「でも……」
「病院に行ってしまうと、この子の給料を払えなくなってしまうのだ」
そう言ってアルダスは湊を指差した。
自分のために無理をしていたのか……。真意が分かって湊は胸の奥が熱くなる。だが、このままではアルダスの体が持たない。
「……だったら、私の部屋に来てくださいませんか? 薬もありますから」
ミレイユは自分の肩にアルダスの腕をかける。
「ミレイユ様、何をなさるおつもりですか」
湊は慌てて前に回り込んで制止する。
「私だって医療に携わる身です。風邪を引いた患者くらい治せますわ」
その目は至って真剣だった。あまりの気迫に湊は言葉を失ってしまう。
「さあ、アルダス様。行きましょう」
ミレイユは店を出てしまった。後に残された湊はこぶしを強く握りしめる。何もできなかった。やはり、二人は物語のとおりに結ばれてしまうのか。だが、湊には妨げる手段が思い浮かばなかった。アルダスがミレイユを抱くところを想像して地団駄を踏む。
このままでは、アルダスが店を潰してしまうのも時間の問題だろう。湊にできることは一つしかなかった。
奥の作業場に入る。こうしてじっくり眺めるのは初めてだった。棚には大小さまざまなガラス瓶が並ぶ。焦げ跡のある古びた火皿、薬草を乾燥させるための網。材料のストックも確かめる。そして、やりかけの注文書に目を通した。
「僕がこの店を守ってみせる」
そう言って、散らかったテーブルを片付け始めた。




