07.廃坑
雪の深い森の奥底にひっそりと口を開ける放棄された鉱山。昔は繁栄していたのだろう。家屋の残骸や柱が今でも倒れそうにたたずんでいる。
入口は木の根と蔦に覆われ、完全に忘れ去られた存在なのだと感じる。月明かりすら届かない坑道の中、空気は冷え、わずかに湿っている。
「外観はボロボロだけど、中はまだ大丈夫っぽい」
母さんはランタンの光で鉱山の内部を照らしながらつぶやいた。
俺はその横で刀の柄を握りしめ、ミーナは杖先に魔力を宿して周囲を警戒している。
今回は母さん、フラム師匠、俺、ミーナの四人だ。
ルピナはお留守番だ。炭鉱で犬は危険だからね。頼りにはなるがそれよりも危機に陥る可能性が高いとフラム師匠が判断したからだ。
フラム師匠から持ち込まれた依頼は「ダンジョン化の兆候がないか調べることと、この炭鉱で採れる『黒曜鋼』を持ち帰ること」だった。あくまで黒曜鋼はおまけ。
武器の素材として最高級の輝きを放つその鉱石を、一欠片でも採れれば大きな収穫だ。
この炭鉱は前魔王大戦でダンジョン化し、炭鉱街ごと壊滅したまま復興されていない。
母さんを先頭に炭鉱の中を進む。坑道の壁に刻まれた落書きのような跡を眺めながら、三人は奥へ進んでいく。
時折凹んだ壁には黒く風化した汚れがにじみ、長い年月の不気味さを感じさせる。
床にはひび割れて崩れかけた足場の板が散乱し、ところどころ油の染みついた黒ずみが残っている。
「この薄暗い雰囲気…奥から何か視線を感じる。幽霊が潜んでいてもおかしくない」
ヒィ、母さん、余計なこと言うなよ!
幽霊の魔物であるギアストは低級な魔物だが、壁を通り抜けできるので奇襲される可能性がある。何よりあのフヨフヨしたものを見るとなんだか不安になるのだ。
「にいには幽霊が怖いんだから、そういうこと言わないで」
ミーナ!本当のことだけどさ!そういうこと言わないで!
ミーナはそういった余計なことをよく覚えている。例えば俺が幽霊を怖がって夜トイレに行けなくなったとか、それでお漏らししかけたとか。
──パチンッ
突然、足元が激しく振動した。つま先に伝わる微かな軋みは次第に鋭くなり、機械のような金属音が響く。
「罠!」
母さんが紅狼剣を抜き放ち、鋭く叫ぶ。
「ミレーネ!…くっ!」
木屑が舞い、大きな石塊が坑道の裂け目から転がり落ちてくる。
しかし、巻き込まれたはずの母さんの姿は消え、衝撃と埃が舞い上がった後の坑道には残骸だけが転がっていた。
「母さん!」「おかーさん!」
俺とミーナはランタンを揺らしながら、暗がりに消えた母さんを必死に探す。
「ノア、ミーナ、落ち着け。落石は続くかもしれん」
フラム師匠の声が暗闇に響く。
「ミレーネなら大丈夫であろう…多分」
師匠の不安げな一言に、俺の胸に重く恐怖が立ち込める。
師匠は地図とランタンを頼りに坑道の分岐点を探しながら言った。
「遠回りになるが別の坑道がある。そちらから回ろう。焦るな。冒険者は常に冷静に──諦めないものだ」
俺は深呼吸を繰り返し、震える鼓動を抑えようとする。
狭い通路を抜けると、コバルスの姿が目に入った。
コバルスは──緑色の肌と尖った耳をした小柄な体が特徴で、翠鬼族とも呼ばれる。
繁殖力が高く、時には女性を攫いその人の体を母体に種族を増やす習性があり、やっかいな魔物だ。
俺は即座に剣を抜き、コバルスを斬り捨てた。
コバルスは弱い魔物だが、放置すればその繁殖力で時間をかけずに坑道を支配するだろう。
…コバルスを斬った瞬間、手元は震え自分が思った通りの動きができなかった。母さんと離れ離れになった不安が、思い描いた動きを狂わせてしまった。
「ふむ、やはりコバルスか…厄介だな」
フラム師匠は呟きながら魔術具のビーコンを設置する。俺には仕組みはよく分からないが、遠隔地で魔物を感知し、同時に狭い範囲の魔物を寄せ付けない結界を張る魔道具だそうだ。
俺は胸の高鳴りを抑えつつ先を行き、ミーナは杖先で母さんの魔力反応を探す。裂けた坑道は暗く、崩れた箇所もあって足元が危険だ。
しばらく進むと巨大な空洞の入り口に出た。天井は一部崩れ、転がる岩が積み重なっている。
「ノア、ミーナよ。下がっておれ」
師匠の声に俺とミーナは立ち止まる。
空洞の中には数十体のコバルスが群がっている。
「ヴィント・インフェルナ!」
フラム師匠が魔法を唱え杖を一振りする。風と炎の上級複合魔法だ。
風と炎が絡み合いながら空洞内を猛り狂う。空気を切り裂く風の渦に乗せて、炎が龍のようにうねった。
「「おおー!」」
「どうじゃ!儂の魔法は!ワッハッハ!」
ミーナが目を輝かせる。フラム師匠はミーナに向かって自慢げに言う。
俺よりもミーナのほうが魔法に詳しいからな。自慢するならミーナのほうが反応がいいんだろう。
フラム師匠の声には自慢したいというのもあるが、母さんから離れ離れになった俺たちの不安を和らげたいという気持ちも感じられた。
荒れ狂う風が止み、炎が鎮まると、まだ微かに残る炎と煙の影から母さんが歩いてくるのが見えた。
「フゥ――ラームゥ?」
母さんがジト目でフラム師匠を睨んでいる。
母さんの防具にはところどころ焼け焦げた跡があるものの、母さんに火傷や傷はなかった。
母さんは本気で怒っているわけではないが、その顔には迫力がある。
「あ、その、あの。ミ、ミレーネさん、ご、ご機嫌いかがですか…?」
数十分後──
母さんがフラム師匠に延々と文句を言いながら目的地へ進む。
「素材はあの壁面の中だ」
フラム師匠が青く光る鉱石の層を指差す。
深い青い色が暗いはずの鉱山の中で輝いている。黒曜鋼が放つ光に、母さんが目を輝かせている。
「ふむー。思ったより質がいい」
母さんはアイテム袋から小さなハンマーを取り出し、壁に一撃を加えた。カシッという金属音とともに、青黒い原石が一塊落ちる。
「ノア、持っていって」
俺は輝く黒曜鋼を持ち上げ、魔術具のアイテム袋に納めた。
坑道の外へ戻ると、夜露交じりの冷気が頬を撫でた。
「無事、帰還だな──」
師匠はハァ、と肩の力を抜き安堵する。
母さんの不満は収まっているようだが、帰り道はずっと母さんがフラム師匠を叱っていた。
母さんがフラム師匠にお説教をするという珍しい光景に俺は頬を緩めるのだった。
家に帰った後、家族で話し合って、採取した黒曜鋼は俺の刀を新調するために使うことになった。
「にーに、いいなぁ」
ミーナが羨ましそうな顔で俺に言った。
でもミーナ、黒曜鋼は杖の素材には向いていないんだ。
今回は俺の刀のために使わせてもらうよ。