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48.帰路と母の横顔

昨日の土砂降りが嘘のように空は白み始め、小雨がしとしとと地面を濡らしていた。

俺たち家族──母さん、ミーナ、俺、そしてルピナ──は、フラム師匠に見送られながら、王都を後にした。


馬車はフラム師匠が昨日手配してくれていた。母さんは走って帰る気満々だったが、「侯爵一家が王都で奇行に走るな」だそうだ。

まずは馬車で州都リンデルへと向かい、そこから先は自分たちの足で、懐かしいグラッツェルの家路を辿る予定だ。


ルピナは俺たちが王都にいる間、フラム師匠がグラッツェルから連れてきてくれていたらしい。

俺たちがいつ家に帰るか分からないし、俺たちが帰る時に護衛としても期待して連れてきたという。


「儂がいない間、子供たちの護衛を任せられるのは、もはやルピナくらいしかおらんからのう」と師匠は言っていた。

その言葉通り、馬車の中でもルピナは俺の足元に丸くなり、警戒を怠らない。本当に賢い犬だ。


俺は懐から、フラム師匠が昨夜用意してくれた羊皮紙を取り出す。

そこにはこれから通う学校での注意点が、師匠らしい美しい文字で几帳面に書き連ねてあった。

内容はほとんど昨日直接聞いたことばかりだが、これはきっと後で見返して確認できるようにしてくれたのだろう。


「ミーナ、これ、師匠からの注意書き。一度目を通しておいた方が―」

「にーに。今、すごくいいところだから」


俺が言い終わる前に、ぴしゃりと断られてしまった。

ミーナは膝の上に広げた分厚い魔導書に完全に心を奪われている。家に帰ってからでも読めるだろうに、その探求心は一分一秒たりとも待てないらしい。


俺は馬車に揺られながら文字を読むと少し気分が悪くなる。

だから時々窓の外の景色に目をやり、気分を落ち着かせながらメモを読み進めているというのに。

ミーナはどんなに揺れる馬車の中でも、平気な顔で本に没頭できる。

その情熱と集中力は、素直にすごいと思う。


「後でにーにが教えてくれたらいいでしょ?」


俺が再度声をかけても、返事はそればかり。

確かに俺から教えれば済む話か。俺は早々にミーナに読ませるのを諦め、ルピナのふかふかの背中を撫でながら、ぼんやりと外を眺めている母さんに話しかけることにした。


「母さんは、学校は知らないんだよね?」

「んー。少なくともわたしの子供の頃にはなかったね。フラムがこの国にはないって言ってたから、そもそもどこにも存在しなかったんじゃないかな」


母さんは窓の外に視線を向けたまま、こともなげに答える。


「でもフラムがやることだから。きっとノアたちにとって必要なことなんだと思う。だから、学校?でしっかり勉強して、もっと強くなるといい」


…どうも母さんは、学校を新しい修行施設か何かと勘違いしている節がある。

フラム師匠の説明を聞く限り、そういう場所ではないと思うんだが。


あと、母さんは自分が領主だという自覚が本当に欠けていると思う。

前に「フラムは代官を脅してリンデルに君臨している」なんて冗談めかして言っていたが、あれはあながち冗談でもなかったんじゃないだろうか。


「…母さん。一応、スアルツァーラ州の領主なわけだからさ。せめてフラム師匠が何をしているかくらい、知っておいた方がいいんじゃない?」

「でも、領主の仕事は全部フラムに任せるって、昔約束したし。それに、ノアも侯爵の後継ぎになっちゃったんだから、これからはノアがフラムの仕事を見てあげて」


(丸投げかよ!というか、俺はまだ10歳だぞ!?)

俺は心の中で盛大にツッコミを入れる。

まあ、母さんに領地の運営ができるとは到底思えないし、もしいずれ俺が継ぐのなら、今のうちから知っておくべきことなのだろう。

俺は一度ガクッと肩を落としたが、気を取り直して、王都でずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。


「そういえば母さん、王都には一度来たことがあるって言ってたけど、それって俺たちが赤ちゃんの時?」


この話題を母さんがあまり話したくないのは、その表情から何となく察していた。

だが、聞かなければならない。俺はそう思った。


「……そうだよ。ノアとミーナがまだ自分の足で歩くこともできないくらい、本当に小さい時。まだお乳をあげてた頃かな」

「それって、すごく大変だったんじゃないの?」

赤子、それも双子を連れての長旅だ。想像するだけで気が遠くなる。


「フラムがほとんど世話をしてくれたからね。すごく助かった」


だろうな、と俺は思った。母さんが赤ん坊の世話をしている姿なんて、全く想像がつかない。

俺が料理や文字の読み書きができるようになったのも、全てフラム師匠が根気強く教えてくれたおかげだ。


「母さんがフラム師匠の(あるじ)だってことも、今回初めて聞いて驚いたよ」

「言ってなかったからね。まあ、わたしとフラムの関係は、少し特殊なんだとおもう」


王女様とドラン様のような、分かりやすい主従関係には到底見えない。


「そういえば、フラム師匠が他の大陸の魔王と知り合いだってこと、母さんは知ってたの?」

「ううん、知らなかった。わたしもびっくり」


知らなかったんかい!


「母さん、もしかしてフラム師匠のこと、あまり知らないんじゃ…」

「あの人は自分のことはあまり語らないからね。ノアが手紙で色々聞いてあげたら、きっと喜ぶと思うよ」


なぜか、また俺に丸投げされてしまった。まあ、手紙のやり取りをすると約束したし、分からないことはその時に聞けばいいか。


馬車の旅は、その後も穏やかに続いた。

初日の小雨は翌日にはすっかり止み、心地よい春の日差しが車窓から差し込んでくる。


暖かな陽気と馬車の規則正しい揺れは、抗いがたい眠気を誘った。

母さんも、俺も、そして魔導書に夢中だったミーナでさえ、何度もこくりこくりと舟を漕いでしまう。そんな平和な時間が流れていった。


王都を出てから4日後、俺たちは見慣れたスアルツァーラ州の州都、リンデルの街に到着した。


「そういえば、なんで一度リンデルに?」

「リンデルの冒険者ギルドのマスターは、昔からお世話になってる人だからね。一応、ノアとミーナが貴族になっちゃったことを、報告しておこうかなって」


意外と律儀な一面を見せる母さんに、俺は少しだけ驚いた。

リンデルのギルドには、俺も何度も足を運んでいる。母さんとの冒険は、大抵ここの依頼から始まるからだ。


ギルドマスターは、背は低いが筋骨隆々のドワーフのおじさんだ。この大陸では珍しい種族だが、その実力は誰もが認めている。


ちなみに母さんは、その実力にもかかわらずギルドマスターに選ばれることはない。冒険者の管理や書類仕事が壊滅的に向いていないからだ、と昔リンデルのギルドマスターであるゼスが呆れながら話していたのを思い出す。


まあ、当の母さん自身が冒険者でいることが好きなのだ。

どこまでも自由な冒険者でいたいのだろう。ギルドマスターに推薦されても、その堅苦しい立場を選ぶことはないだろう。


そして俺も、そんな母さんの背中を見ているのが、なんだかんだで好きなのかもしれない。

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