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41.侯爵としての初仕事

「ドラン様にお会いしたいのですが…」


俺がお付きのメイドさんにそう伝えると、「今すぐお伝えに参ります」と快く応じてくれた。


さほど待つこともなく、メイドさんは「ドラン様が、今すぐお会いするとのことです」とすぐに知らせを持って戻ってきた。

ドラン様は王女様の側近でもあるのだ。

相当忙しい身分だろうに、俺たちの頼みにすぐに時間を割いてくれる。その心遣いが素直に嬉しかった。


俺は山積みになった手紙を持っていこうとしたが、それはメイドさんに止められた。


「ノア様がそのような大荷物をお持ちになるのは、見目麗しくありませんので」とのことだ。

そうか、貴族とはそういうものか。


ドラン様の元へ向かうのは俺だけだ。

母さんは手紙を見ている時ですら眠そうだったし、ミーナを行かせたら万が一にも無理やり婚約を押し付けられるような事態にならないとも限らない。


それに、俺も「スアルツァーラ候」の後継者になってしまったのだ。

これからは自分の家族の問題に一人で対応できるようにならないといけない。

俺はメイドさんに手紙の束を持ってもらい、ドラン様の元へと向かった。


これは昨日メイドさんに教えてもらったことだが、ドラン様の正式な名前はドラン=ヴァルクレール。

そして、その身分は公爵なのだそうだ。


俺たち侯爵よりも、さらに位が高い。

これまでは「Sランク冒険者の母さんの子供」として接してきたが、これからは俺も貴族の一員として注意して対応しなければならない。


広い廊下を歩き、メイドさんはとある壮麗な扉の前まで俺を案内してくれた。


「こちらがヴァルクレール公爵様の執務室でございます」


ドラン様の執務室は王女様の私室とかなり近い場所にあった。

これは常に王女様を補佐できるように、という配慮なのだろう。


俺は一度大きく深呼吸をして気を引き締めると、扉をコンコンと叩いた。

すると中から別のメイドさんが顔を出し、俺の姿を確認するとすぐにドラン様に取り次ぎをしてくれた。


俺は取り次いでくれたメイドさんに案内され、執務室の中へと足を踏み入れる。

そして執務机で仕事をしていたドラン様の前に進み出て、フラム師匠に教わった作法通り丁寧に挨拶をした。


「ヴァルクレール公爵。お忙しい中お時間をいただき、誠にありがとうございます」

俺は深く頭を下げ、時間を作ってくれたことへの感謝を伝えた。


「ああ、ノア殿。顔を上げてくれ。ミレーネ様に関わることであろうからな。よくぞ、私に相談に来てくれた」


ドラン様は俺の後ろに控えるメイドさんが持つ手紙の束に目をやり、少し苦笑していた。

やはりこの求婚の手紙の殺到についてはすでに知っていたようだ。


「まずはそちらの椅子に座ってゆっくり話をしようではないか」


俺はドラン様のお付きのメイドさんに案内され、革張りの立派な椅子に腰を下ろす。

もう一度呼吸を整え、今回の交渉で絶対に言わなければならないことを頭の中で整理した。


「本日私たち家族の元に多くの貴族の方々から求婚のお話が届きました。それについての返事と、今後の対応についてご相談させていただければ、と」

「ふむ…。アルヴィノーラ様からは、ミレーネ様たちの意思を最大限尊重するようにと仰せつかっているが、君たちの返事はどうなのだ?」


いつもは穏やかなドラン様の表情が、その時だけ一瞬だけ険しくなったように見えた。

俺は改めて気を引き締め、はっきりと答える。


「妹のミーナは、全ての求婚をお断りしたいと申しております」

「ほう。ミーナ嬢は結婚そのものに興味がない、と?」


ドラン様が、俺の真意を見定めるような、鋭い視線を向けてくる。


「ミーナも、そして私もまだ10歳です。結婚を考えるような年齢ではありません」


俺はそう答えたが、ドラン様はどこか不思議そうな顔をしている。


「それに、私たちは貴族らしい振る舞いもできません。今まで、平民と同じように暮らしておりましたから」


身分が貴族になったとしても今更貴族として生きろと言われても難しい。


「ふむ。残念ながらどれも断る理由としては少し弱いように思われるな…」

ドランさんは、あっさりとそう言った。


「確かにすぐに結婚ということにはなるまい。だが、貴族社会では十歳で婚約することは決して珍しくはないのだよ」


有力な家の娘や息子と今のうちから婚約しておいて、将来正式に結婚させることはよくあるらしい。


「それに、逆に言えばミーナ嬢はまだ10歳だ。貴族としての作法や振る舞いを覚えるのに遅すぎるということはあるまい」


確かにまだ10歳だ。この国では16歳から結婚が認められている。

実際の結婚までにはまだ6年もの時間がある。


その間に、貴族としての振る舞いを覚えることは不可能ではないだろう。

母さんには無理だろうが、ミーナならこれから学べばきっと可能だ。


「しかし、顔も見たことのない相手と婚約というのは…」

「貴族の婚姻とはそういうものだ。家と家との結びつきが第一。当人同士が初めて顔を合わせるのが結婚式当日、ということも少なくない」


なんと、お互いに初めて顔を合わせるのが結婚式ということもあるのか。

俺は自分の常識と貴族の常識が全く違うものであることを改めて思い知らされた。


「今回届いた手紙のほとんどが下位の貴族からのものだ。彼らは子息をミーナ嬢の婿として迎え入れたいのだろう。中には上級貴族からの手紙もあったが、そちらはミーナ嬢を側室として迎え入れたいという内容だな」


ドラン様は手紙を直接読んだわけでもないはずなのに、その内容をすでに正確に把握しているようだ。

話が早くて助かるが、どこまで知っているのか少しだけ恐ろしくもなる。


「ノア殿やミーナ嬢には、まだ馴染みはないだろうが一族の血を絶やさぬため、またより強固な繋がりを築くため、高位の貴族ほど多くの妻を持つものなのだ。それにミーナ嬢は容姿も美しい。嫁として迎えたい貴族は多いだろう」


理屈では分かる。だが、それに納得できない自分がいる。

ミーナは双子の妹だが、その顔立ちはとても可愛らしいと思う。

兄だから贔屓目に見てしまっているのかもしれないが、この王城で見かけたどんな女の子と比べてもミーナが一番かわいいと思えてしまう。


貴族たちが美しい少女を自分の家に迎えたいと思うのは当然のことかもしれない。

だが、正妻ならまだしも、ミーナが誰かの側室になるなど俺には到底受け入れられない。

やはり俺には貴族という生き方は根本的に向いていないのだろうな。


「貴族の皆様の事情は理解いたしました。ですがミーナにその気はございません。全ての申し出をお断りさせていただきたいのです」


俺はドラン様の目をまっすぐ見てはっきりとそう言った。


「では、ミーナ嬢は将来どうしたいと申しているのだ?」

ドラン様が少しだけ興味深そうな表情で質問してきた。


「ミーナは将来は母上のように冒険者になりたいと申しております」

「ほほう。冒険者、か」


ドラン様は意外そうな顔をしている。

ミーナが冒険者になりたい、というのは母さんにはまだ秘密にしていることだった。ミーナはいつか独り立ちして、自分の力で本当の冒険者になりたいと言っていた。

…まあ、その裏には母さんのあの厳しい修行から逃れたい、という切実な理由もあるようだが。


「そうか。…これはただの興味本位なのだが、君は将来どうなりたいのだ?」


俺の将来か。あまり深く考えたことはなかったな。


「私はまだ、はっきりと決めてはおりません。ただ、魔王大戦でその数を大きく減らしたという、私たち黒穂族のために何かできないかと考えることはあります。

フラム師匠の元でスアルツァーラの仕事を手伝うのも良いかもしれません。

あるいは、もし将来ミーナが本当に冒険者になったら、その隣で妹を守るために剣を振るう冒険者になるかもしれません」


俺はまだ漠然とした将来の夢を正直に述べた。


「ふむ、そうか。答えてくれて、ありがとう」

ドラン様が、穏やかな笑顔で頷いてくれる。


「それと母上への求婚の件ですが、母上はまだ再婚は考えていないとのことなのでこちらも全てお断りさせていただけますでしょうか」


俺は母さんへの求婚についてもお断りしてほしいと伝えた。


「ほう。『まだ』、ということは、いずれは、ミレーネ様が再婚する可能性もある、と?」


しまった!「まだ」という一言で母さんが将来再婚するかもしれない、と伝わってしまったようだ。


いつか、母さんがフラム師匠と再婚してくれたらいいな、という俺の密かな希望がうっかり口から滑り出てしまった。

まあ、あの二人の様子を見ている限りお互いをそういう相手とは見ていないようだが。


「いえ、失言でございました。母上は再婚する気は毛頭ないと申しております。お相手もおりません」


俺は慌てて謝罪し、母さんが再婚する気は全くないのだと改めて伝えた。


「分かった。君たち家族の意思、確かに承った。今回届いた貴族からの求婚については全て私から正式に断りの連絡を入れておこう。公爵である私から伝えれば、彼らも素直に諦めるだろう。そこは安心して良い」


ドラン様からそう言ってもらえれば、これほど心強いことはない。

これで、何をしでかすか分からない貴族たちと俺たちが直接やり取りする必要がなくなったのだから。


「ドラン様、ありがとうございます。何から何までよろしくお願いいたします」


俺は心からの安堵と共に深く頭を下げてお礼を伝えた。


「なに、私の方から礼を言いたいくらいだ。貴族の常識を知らない君たちが直接交渉していたら、下手すれば拗れて大きな揉め事に発展する可能性もあったからな。そうなる前に、よくぞ私に相談してくれた」


どうやら、ドラン様は俺のその行動を評価してくれたらしい。


「それとこれは忠告だが、領地に帰るまではミーナ嬢やお母上から、決して目を離さぬようにな」

俺が良く分からない、という顔をしていると、ドラン様は苦笑し続けた。


「手紙を送ってきた貴族の中には、諦めの悪い者もいるだろう。

中には、ミーナ嬢を力づくで攫ったり、直接交渉して婚約の約束をさせるといった、強硬な手段に出る馬鹿者が出ないとも限らん。

もちろん、我らもそうならぬよう、常に目を光らせておくが、ミレーネ様との縁を結びたいと願う貴族は手紙を送ってきた者以外にも数多くいる。貴族の常識を知らぬ君たちを手に入れさえすれば、英雄ミレーネを意のままに操れる、と考える不届き者もな」


もしそんな手に出る者がいれば、間違いなく母さんが激怒するだろう。

だがその時にどれほどの被害が出るか想像もつかない。

だからミーナを守ってほしい、とドラン様は言うのだ。


「分かりました。ご忠告、心より感謝いたします」

俺は、貴族社会の非常識さに内心で困惑しながらも、ドラン様にお礼を述べるのだった。

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