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38.謁見式の準備

俺たちは一旦客室に戻り、部屋に用意されていた昼食を取ることになった。


テーブルの上には焼きたてでまだ温かいパンが数種類、籠に盛られている。

白いパンに、少し黒みがかったライ麦パン、それから木の実が練り込まれた香ばしいパン。


傍らには、黄金色に輝くバターとつやつやとした赤い果実のジャムが添えられていた。

メインディッシュは厚切りのローストポークだろうか。

表面はこんがりと焼かれ、ナイフを入れると肉汁がじゅわっと溢れ出しそうだ。

付け合わせには色とりどりの温野菜が添えられ、食欲をそそる。


俺とミーナはフラム師匠に教わった作法を思い出しながら、ゆっくりと昼食を味わっている。

だが、母さんは相変わらずすごい勢いでパンやお肉を口に放り込んでいた。


「おかーさん、そんなにたくさん食べたら、せっかくの豪華な夕食が食べられなくなっちゃうよ?」

ミーナが少し心配そうな声で母さんに言う。


「以心同心…、いや、血魔法で思ったよりも魔力を使っちゃったからね。今のうちにしっかり食事で補っておかないと」


どうやら先ほどの血魔法による長距離通信は、母さんにとっても思ったより負荷が大きかったらしい。

魔力を大量に使ったことで猛烈にお腹が空いていたようだ。


母さんが物凄い勢いで、パンや肉を口に放り込んでいる。

その光景は俺たちには見慣れた風景だが、メイドさんは初めて見たからだろうか、目を点にして驚いている。

俺は母さんのことは気にせず、少しでも優雅に見えるようにお行儀よく食事をするのだった。


昼食を終えたら、午後の王女様との謁見式に備えての衣装替えの時間だった。

謁見式で着る衣装は初日の晩餐会で着たような、一番豪華なものを身につけなければならないらしく、当然母さんたちは化粧も再び施さなければならない。


俺は前回、着替えるだけでもかなりの時間をメイドさんたちの衣装合わせに付き合わされた。

初日と同じ衣装ならそれほど時間もかからないだろうと思うのだが、どうやら公式の場では同じ相手に会う際に同じ衣装を着るのは礼を失するということらしい。


すでに俺に合う衣装はメイドさんたちも把握してくれていたので、初日の時よりは時間はかからなかったがそれでもかなりの時間がかかった。


光沢のある黒い生地で作られた上着は銀糸で繊細な刺繍が施されている。首元には昨日とは違うデザインの幾重にもフリルが重なった白い飾り布。

鏡に映る自分はまるでどこかの貴族の御曹司のようだ。どうにも落ち着かない。


「ようやく終わった…」


俺が衝立の裏から出てきても、まだ母さんとミーナの準備は終わっていなかった。

俺は部屋に置かれた豪奢な椅子に深く腰掛け、二人とメイドさんたちが出てくるまで、大人しく待つことにした。


しばらくして、母さんが衝立の奥から姿を現した。その姿に、俺は思わず息を呑んだ。

母さんは燃えるような、それでいてどこか夕焼けを思わせる淡い赤のドレスを身に纏っていた。

肩から腕にかけては繊細なレースがあしらわれ、幾層にも重なったスカートは歩くたびに絹ずれの音を立てて優雅に揺れる。

グラッツェル村では絶対にお目にかかれないような、まさに貴婦人のための衣装だ。

普段の冒険者としての姿からは、想像もつかないほどの変身ぶりだった。


「むぅ。早くこの窮屈な服、脱ぎたい…」

早速、母さんが不満げに文句を言い始めた。

せっかく綺麗に着飾ってもらっても、やはり母さんには動きにくい服は窮屈で仕方がないのだろう。


それでも、俺は母さんの見違えるように綺麗な姿をもう一度見ることができて満足だった。

これだけでも王城にもう一日残ることができてよかったと少しだけ思う。


ミーナの方は、子供用のドレスよりも大人用の衣装のほうが種類が多いからだろうか。母さんから少し遅れてようやくミーナも衝立の向こうから出てきた。

ミーナもまた母さんとお揃いのような、可愛らしい淡い赤のドレスを着ている。


スカートの裾にはたっぷりとフリルが寄せられ、胸元には小さなリボンが結ばれている。

母さんと同じような色のドレスを着ているミーナは、こうして母さんと並ぶと一目で仲の良い親子だと分かるような微笑ましい出で立ちだった。


メイドさんたちは俺たち家族の着付けを終え、大変満足したような、大きな仕事を一つ終えたという表情を浮かべていた。


「それではミレーネ様、ノア様、ミーナ様。お呼び出しがあるまで、今しばらくこのお部屋でお待ちくださいませ」


お付きのメイドさんたちの中で、客室係のメイドさん一人を残し、他のメイドさんたちは客室から退室していった。


ミーナは時間ができたとばかりに早速また魔導書を取り出して読み始める。

ドレス姿で魔導書に没頭する姿は少しちぐはぐな気もするが、ミーナらしくていい。


俺も特にやることもないし、本でも読もうかな。

まだ読みかけだった『大陸見聞録』を取り出して、静かに読み進めることにした。


どれくらいの時間が経っただろうか。

ようやく、俺たち家族が呼び出された。

「ミレーネ様ご一家、アルヴィノーラ王女殿下がお呼びでございます。謁見の間へどうぞ」


母さんを先頭に、俺とミーナが続く形で、王宮の廊下を進んでいった。

改めて王城を歩くと広いという印象だ。

廊下の窓からは春らしい日光が入り込んでいる。

その光景は緊張した気持ちを少し和らげるものだったが、母さんには違ったようだ。


「ねむい…」

温かな日差しは母さんに眠気を誘うようなものだった。


「母上、謁見の途中で寝ないでくださいね」

「…がんばる」


ものすごく不安な一言を言われ、俺とミーナは顔を見合わせる。

母さんは本当に大丈夫だろうか、という心配がお互いの顔に書いてあるようだった。


「こちらでお待ちくださいませ」


案内されたのは、謁見の間の手前にある控室だった。

そこにはすでに四人ほどの人々が、静かに自分たちの順番を待っているのが見えた。


彼らもまた国の重鎮なのだろう。その佇まいからは俺たちとは違う、生まれながらの威厳のようなものが感じられる。

俺たちは控室で空いていたテーブルに案内され、そこに用意されていた椅子に腰を下ろす。


椅子に座ると、母さんは早速うつむきがちになり少し眠そうにしている。

血魔法の魔力消費、昼食での大食い、そして慣れない衣装合わせと化粧。確かに、母さんが居眠りしそうになるような出来事は多くあった。


とはいえ、これから王女様に公式に会うというこのタイミングで居眠りしそうになるなんて母さんくらいなものだろう。

俺とミーナは、緊張でそれどころではないというのに。俺なんて手にじっとりと汗をかきっぱなしだ。


王女様一人と私室で会うのであればそれほど緊張することもなくなっていたが、これから始まるのは、国のお偉いさんたちが大勢集まった公式の謁見式なのだ。

俺はフラム師匠から教え込まれ、必死になって覚えた王宮での作法を頭の中で何度も復習している。


…うん。これできっと大丈夫なはず。

俺が謁見式での立ち居振る舞いを一通り頭の中で想像していると、どうやら最初の一組の呼び出しが始まったようだ。


「スアルツァーラ侯、アルヴィノーラ王女殿下がお呼びです!」

一組目のスアルツァーラ侯の謁見が始まった。

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