32.閉会式と王女様から夕食のお誘い
最後に大波乱が巻き起こった鎮魂奉武祭も、いよいよ閉会に向けての準備が粛々と進められていた。
俺は母さんの横顔をそっと見る。本人は平然とした顔を装っているが、その顔には隠しきれない疲労の色がわずかに浮かんでいる。
ミーナの回復魔法と、慌てて駆けつけた王宮魔導士たちによる応急処置のおかげで派手な出血や大きな傷は塞がっているものの、問題は今の格好であった。
あの謎の覆面の剣士──もといアルヴィノーラ王女は、母さんの激闘の後、いつの間にかその姿を消していた。まもなく始まる閉会式に向けて、王女様自身も準備が必要なのだろう。
となれば、俺がその間に母さんのこのみすぼらしい格好をなんとかしなければならないだろう。
王女様との文字通りの真剣勝負によって、母さんが身につけていた軽鎧は見るも無惨に斬り裂かれ、その下の衣服もまた滲んだ血と泥で汚れ、ところどころ鋭利な刃物で切り裂かれたような痕跡が生々しく残っている。
さすがにこの姿で厳粛な閉会式に臨むのはみっともないだろうし、何より他の参列者や王宮の関係者にどう思われるかが心配だ。
「俺、母さんの着替えを取ってくる」
母さんの返事を待たずに俺は自分たちの客室へと駆け出そうとした。母さんの返事を待っていたら、どうせ「別にこのままでいい」と言い出すに決まっている。
とはいえ、勝手に王城内を駆け回るのはまずいと思い直し、先ほどまで俺たちの戦いを見守ってくれていたドランさんに声をかけ、客室まで案内してもらうようにお願いをした。
「ああ、お荷物を取りに戻られるのですね。それでしたらお付きのメイドを手配致しましょう」
ドランさんは先ほどの戦いを目の当たりした時の、あの困惑と畏怖の表情が嘘のように、柔和な笑顔で快く応じてくれ、すぐに部屋までの付き添いのメイドさんを呼んでくれた。
俺は礼を述べると、メイドさんと共に足早で客室へと向かい、母さんのものと念の為に自分の収納袋も持ち出した。この収納袋は便利な魔術具になっていて、見た目の何倍もの量を仕舞い込むことができる優れたものだ。
自分の収納袋まで持ち出したのには理由がある。あの物臭な母さんのことだ。もしかしたら自分の予備のケガ絵など用意していないかもしれない。そう考えた俺は、自分の袋にも母さんの着替えをいくつか用意していたのだ。
俺は母さんと自分の収納袋を担ぎながら再び訓練場までの道を引き返していった。
訓練場に戻ると、母さんとミーナ、そしてドランさんが何やら楽しそうに言葉を交わしているのが見えた。どうやら今日のミーナの模擬戦についてドランさんが感想を述べているようだ。
今日の反省会、か。どうせ家に帰ったら、今日の模擬戦について母さんから厳しいダメ出しが待っているんだろうな。
ミーナは全勝したからまだ良いとして俺は2敗もしてしまっている。きっと母さんの評価は辛口になるに違いない。
それを思うと少しだけ憂鬱な気分になるが、それよりも今は母さんの格好をなんとかするのが先決だ。
「母さん、荷物を取ってきたよ。これで着替えてきて」
俺がそう声をかけると、やはり予想通りの言葉が母さんの口から飛び出した。
「えー、めんどくさい…。今の格好のままでもいいでしょ?激戦の後って感じになっているし」
どうやら母さんは王女様との激闘の余韻が残るこのボロボロの姿をとても気に入っているらしい。
母さんはそれで良くても、周りの目というものがあるのだ。一人だけ血と泥にまみれた今の格好で閉会式に出席するなんて、どう考えてもまずいだろう。
俺のそんな心の声を察してくれたのか、ドランさんが助け舟を出すように母さんに声をかけてくれた。
「ミレーネ様、私からもお着替えをお願いしたく存じます。ミレーネ様お一人だけがそこまで激しい戦いの跡を残されたお姿で式典に望まれますと、アルヴィノーラ様から私が厳しくお叱りを受けてしまいますので」
おそらく王女様はそんなことでドランさんを叱ったりしないだろうが、そこは気遣いというものだろう。
さすがの母さんもドランさんのその言葉には観念したのか、「しょうがない…」と小さな声で不満を漏らしながらも、渋々といった様子で訓練場に隣接する控え室の方へと向かった。
「ミーナ、悪いけど母さんについて行ってあげてもいいか?母さん一人だとちゃんと着替えるか不安だから。俺の収納袋も持っていってくれ。母さんの着替えも一応入っているから」
「わかった。行ってくるね、にーに」
ミーナも不安を感じていたのだろう。俺の言葉に快く
応じてくれて、俺から収納袋を受け取り母さんの後を追いかけていった。
これで母さんの着替えはなんとかなりそうだなと俺が胸を撫で下ろしていると、隣にいたドランさんがふと声をかけてきた。
「ノア殿、実はアルヴィノーラ様がご家族の皆様と本日の夕食をご一緒したいと仰せです。ミレーネ様には既にお伝えし快諾いただいておりますので、ノア殿もぜひご参加いただきたい」
「それは、昨日のようなあの秘密のお部屋ででしょうか?」
俺は思わず小声で、昨日の王女様の様子を思い出しながら尋ねた。
「いいえ、本日は王女様の私室にてお食事会を開く予定でございますよ」
ドランさんはにこやかな笑顔でそう答えたが、その言葉の端々には王女様が母さんと勝手に真剣勝負を演じたことに対する家臣としての静かな怒りというか、呆れのようなものが込められているような気がしてならなかった。
「分かりました。お招きいただき光栄です」
俺はそう答えるので精一杯だった。
しばらくして母さんとミーナが控え室から戻ってきた。母さんの格好は、いつもの動き慣れた冒険者服であった。
どうやら一応母さん自身も着替えは用意していたらしく、俺が持ってきた服の出番はなかったようだ。それでもあの血と泥に汚れたままの格好よりはずっといい。
「それでは私もアルヴィノーラ様の元へ戻らせていただきます」
母さんの姿を確認したドランさんは優雅に一礼し、足早に訓練場から去っていった。
王女様も、もしかしたら母さんがフラム師匠からお説教されるのと同じようにドランさんや他の家臣たちから厳しいお説教を受けるのかもしれない。
そう思うと立場は違うけれど、母さんも王女様もやはりどこか似たもの同士なんだなと思わず少し笑ってしまったのだった。
やがて、係の騎士が訓練場の参加者たちに聖火台の前へ整列するように呼びかける声が響き渡った。俺たち家族は、開会式の時と同じようになぜか最前列へと案内された。
周りを見渡すと開会式の時よりも心なしか参加者の数が減っているように感じられた。
激しい模擬戦で怪我をして参加出来なくなったのか、それとも途中で帰ってしまったのだろうか?
…いや、王宮詰めの高位魔術師たちが常に待機し、負傷者はすぐに完璧な治療をうけていたはずだ。となれば、やはり途中で帰った人がいるということなのだろう。
全員の整列が終わると、アルヴィノーラ王女の朗々とした、しかしどこか温かみのある声が会場に響き渡った。
「皆の者、本日の慰霊奉武祭、誠に見事であった。天上の英霊たちも、汝らの勇姿にさぞ満足したことであろう。これからも、このセレストリア王国の繁栄のため、それぞれの立場で力を尽くしてほしい。我らの祈りと団結が、未来永劫、王国の礎とならんことを!」
ふと聖火台に目をやると、先ほどまでの戦いの熱を映したかのような眩い輝きは落ち着き、今はまるで魂に安らぎを与えてくれるような、穏やかで優しい光をたたえた炎へと変わっていた。
神官たちが厳かに進み出て、聖火台の炎を鎮める儀式を始める。
英霊たちの御霊は、今しばし我らと共にあり、そして再び安らかなる天上の座へと還られた。これにて、本年の慰霊奉武祭の閉会を宣言する」
静かで、しかし力強い王女の言葉が締めくくりとなり、熱気に包まれた慰霊奉武祭は厳かにその幕を閉じるのであった。
俺たちは立ち上がり、他の騎士や冒険者たちに混じって、訓練場の出口へと向かう。
「母さんとミーナは、今日の夕食のこと、ドランさんから聞いてる?」
俺は王女様からの招待であることは言わず、二人が夕食会のことを把握しているか、それとなく確認してみた
「昨日よりももっと美味しいご馳走が出てくるかもしれないって言ってた。すごく楽しみだね、ノア」
「わたしもお腹ペコペコ。今日は一杯食べたいな。にーにも今日は一杯食べたいよね?」
母さんは目を輝かせている。王女様の約束で、母さんが勝ったことで美味しい料理を用意してくれていることを期待しているんだろうな。
ミーナは今日の模擬戦でかなり魔力を使っていたから、本当にお腹が空いているようだ。
当然と言えば当然だ。あれだけ魔力を連続して使っていたのだ。魔力の補充には栄養の高い料理をしっかりと摂る必要がある。
俺もドランさんや他の騎士、冒険者たちとの戦いでかなり体力を消耗したからお腹はペコペコだ。
でもまた王女様の前であの緊張感のある中での食事となると素直に喜べない。
気を使う食事よりも俺たち3人だけで、いつものように気兼ねなくわいわいと食べたかったな、というのが本音だ。
まあ、母さんは美味しいご馳走という言葉に釣られて、即答で王女様からの食事の誘いを受けていそうだし今更やっぱり行きません、なんて言えるはずもないだろう。
俺たちはまず客室に戻り、夕食会のために再び着替えをすることになった。
俺はお付きのメイドさんに、王女様から夕食会に招かれたことを伝え、王女様の私室に向かっても失礼のないような、それでいてあまり堅苦しくない程度の衣装に着替えさせてもらうことにした。
しかしやはりと言うべきか、母さんは着替えに難色を示し始めた。
「えー。さっき着替えたばかりなんだから、わたしはこのままでもよくない?」
「母さん、いくらなんでもその冒険者服のままで王女様の私室に向かうのはだめだって!」
いくらなんでも普段着同然の冒険者服で一国の王女の私室に招かれるなど前代未聞だろう。この格好で城内を歩き回れば、それこそ道行く貴族や使用人たちから白い目で見られるのは確実だ。
お付きのメイドさんもさすがに困ったように俺の意見に同意してくれた。
「ミレーネ様。昨夜の晩餐会ほど格式張ったお衣装は必要ございませんが、せめて王城内を歩かれても問題のない程度のお召し物にお着替えいただくのがよろしいかと存じます」
メイドさんの丁寧な、しかし有無を言わせぬ説得を受け母さんはようやく渋々といった体で衝立の裏へと消えていった。




