30.母の神技
「じゃあ、次はわたしの番かな」
母さんは楽しそうに鼻を鳴らす。この模擬戦で母の眼鏡にかなう挑戦者が現れるか、俺たちも少し楽しみだった。
すると短槍を手に白銀の鎧を纏った騎士が進み出た。精悍な佇まいで、若いながらも確かな実力を感じさせる。
「ミレーネ様。ご挨拶が遅れました。私はアルディン。アルヴィノーラ王女殿下の護衛騎士の一人であります。高名なミレーネ様に、この晴れの舞台でお手合わせ願えますこと、光栄の至りに存じます!」
銀虎族の若き騎士。言葉は礼儀正しいが、瞳の奥には王者へ挑むかのような熱い闘志が宿る。
「いいよ。やろう」
母さんはこの若く覇気に満ちた騎士が気に入ったようだ。木刀を軽く肩に担ぎ、余裕の笑みを浮かべている。
…まあ、母の「稽古」は「見て覚えろ、体で感じろ」が信条だ。アルディン殿も気圧されることなく、全身の気力をみなぎらせている。
「では」「「この戦いを、今は亡き英雄たちに捧げる」」
一礼と共に、母さんとアルディン殿は対峙する。訓練場に張り詰めた空気が流れた。
「母さん、こういう模擬戦では相手をじっくり観察して、一瞬の隙を突くのが好きだよね」
俺が小声で言うと、ミーナも頷く。母がいつものように相手の動きを丹念に観察し、最適な一撃を見定めるための「遊び」を始めたのを、俺たちは即座に理解していた。
戦闘が始まる。アルディン殿が先手を取り、多彩な槍技と俊敏な動きで母に果敢に攻めかかる。
一見アルディン殿が優勢に見える。彼の突きや払いは、母の体に触れるか否かの紙一重で見切られている。
「おかーさん、いつも通り。ギリギリで避けるのを楽しんでる」
ミーナが呆れたように、でも少し嬉しそうに呟いた。
「相手の手の内を全て見極めてから、本当に僅かな、相手も気付かない呼吸の乱れや重心のブレを捉えて一撃で仕留める。いつもの手だ」
俺は同意し、ミーナに話しかけたつもりだったが…
「お二人は、ミレーネ様の戦い方を本当によくご存知ですね?」
隣のドランさんが感嘆の声を漏らし、会話に入ってきた。理知的な瞳に強い興味の色が浮かぶ。
「毎朝母さんと模擬戦をしていますから。母の癖というか、どう動くか分かるんです。でないと怪我では済みません」と俺は肩をすくめる。
「ふむ…」
ドランさんが頷く。
「ぜひお二人の見識を。よろしければ、お母様とアルディン殿の戦いで、あなた方に見えるものを教えていただけませんか?私ではお母様の動きの真髄までは…」
ドランさんの言葉に、俺とミーナは顔を見合わせる。冒険者の手の内を話すのはご法度だが、母だ。許してくれるだろう。
母は相変わらず、アルディン殿の槍の一撃一撃を、舞うように最小限の動きで見切っている。
「腰をもっと鋭く。間合いに入ったら一撃入れて離脱。そう、そのタイミング。悪くない」
あろうことか、アドバイスまでし始めた。アルディン殿の動きが心なしか洗練されていく。
「母はただ避けているだけじゃないんです」
と俺はドランさんに説明を続ける。
「あの状況で相手の呼吸、筋肉の収縮、重心、魔力の流れ、視線の揺らぎまで、全てを読み解こうとしています。母にとっては、全てが情報なんです」
「ほう、それはなぜですかな?」
ミーナが付け加える。
「…母が本気なら一瞬で終わりますから。相手の技から何か学ぶか、相手を試すため、あえて長期戦に持ち込むんです。今回はアルディンさんを気に入ったみたいなので、あれでも鍛えるつもりなんですよ」
「ふむ。Sランク冒険者ともなれば、後進の育成までとは。魔王軍との戦では一撃必殺の場面を多く拝見しましたが、これはまた新鮮ですな」
ドランさんは魔王大戦の参加者だったか。ならば母の規格外の実力は承知のはず。その彼が「新鮮」と評する。
俺は母の魔王大戦での様子を、もっと知りたくなった。
しかしその時、戦況が動いた。アルディン殿が距離を取り、魔法を詠唱する。
「ノクス・ヴェール!」
母の姿が濃い闇色の霧に包まれる。ドランさんたちからは、母が魔法を避けきれなかったように見えたかもしれない。
「おかーさん、わざと当たってる」
ミーナがぽつりと呟く。その通り。母さんならあの程度の魔法、発動前に潰すことも容易いはず。わざと攻撃を受け、この状況を楽しもうとしている。
「わざと…ですか」ドランさんが信じられないといった声で問う。「視界を奪われれば不利かと…」「母は暗闇の中でも戦えるんです」と俺は答えた。
「あれは母にとって闇ではないのかもしれません。音、空気の流れ、相手の微かな殺気や魔力から全てを捉え、白日の下にいるかのごとく、いえ、それ以上に鮮明に相手の動きを読み切ってしまうのです。母の五感は、私たちの知るそれとは根本的に違うのかもしれません」
俺たちの目には、闇の中でも母の輪郭が、いや、それ以上のものがくっきりと見えていた。母がどう気を練り、どう相手の動きを予測し、次の一手をどこに置こうとしているか、思考の流れまで分かるのだ。血の繋がりか、日々の過酷すぎる訓練の賜物か…。
闇の中でアルディン殿の動きが鋭さを増す。彼がこの好機に勝負を決めに来るのは明白だった。…それが、母の仕掛けた罠とも知らずに。
「シュトルムスピア!」
アルディン殿の奥義が闇を切り裂き、母へと殺到する。穂先が母の喉元を捉える、寸前──。
俺は「あ」と声を漏らした。ミーナも手を握りしめる。それは熟練の狩人が見せる獲物の油断、母にとって絶好の「隙」だったからだ。
次の瞬間、闇が爆ぜた。いや、母の動きが速すぎて闇が内側から引き裂かれたように錯覚したのか。
雷光ですらない。音もなく、予備動作もなくただ結果だけが現れる。
俺とミーナの目には母の踏み込み、腰の回転、剣柄を握る指先の力の込め具合。それらがアルディン殿の槍をいなし、カウンターへと繋がる一連の動作がまるで時の流れが緩んだかのように完璧に見えていた。
母の姿がアルディン殿の懐に吸い込まれるように現れ、木刀の柄が意志を持ったように鎧の隙間、的確に急所へと叩き込まれる。
「グッ…!?」
衝撃音すら遅れて響き、アルディン殿の巨体が木の葉のように宙を舞い、土へと叩きつけられた。白銀の鎧が悲鳴を上げ、胸当てが砕け散る。客席から押し殺した悲鳴と、理解不能な出来事へのどよめきが起こった。
アルディン殿はピクリとも動かない。母は静かに木刀を下ろし、霧散する闇の中で表情一つ変えずに立っていた。庭の草でも刈ったかのような、あまりにも当然の所作。その「日常感」が逆に彼女の異常さを際立たせていた。
「母さん、やり過ぎだ!…ドランさん、アルディン殿の鎧の弁償とか、言われませんよね…?」
俺がそう考えてドランさんを見ると、彼の顔から表情が消えていた。穏やかな笑みはなく、ただ唖然とした、あるいは畏怖に近い感情が目に浮かぶ。
「…これが、Sランク冒険者…。英雄ミレーネ殿の…神技か」
その呟きは天を仰ぐように発せられた。
「…まさか、今の動き…全て見えていたと、あのお子様たちは…?」
ドランさんが信じられないものを見る目で俺とミーナを交互に見た。俺たちは、黙って頷くしかなかった。
◆◆◆
その後俺たちは順に対戦相手と模擬戦を行った。母さんとミーナは全勝、俺は勝ったり負けたりで、戦績は七戦五勝。勝ち越せなかった。
少し情けない結果だが、得るものも多い模擬戦だった。スキルが伸びたのも感じられ、とてもいい時間になったと思う。
聖火台を見れば、朝の光よりもより輝いているように見える。──父さんたち、満足してくれたのかな。俺は青く、力強く輝く炎に少し感傷的になるのだった。
時刻は夕刻。予定ではそろそろ閉会式の時間だ。
俺は閉会式の準備が進む会場を見回していたが──一人の覆面剣士がこちらへ歩いてくる。その闘志は、今までの相手とは比べものにならない。内から漏れ出す闘気は、隠しているようだが俺には分かった。これは母が内に秘めているものと同質だと。
ずっと俺たちの模擬戦を見守っていたドランさんが、今までにないほど動揺している。これは、いや、まさか。俺から冷や汗が流れ、止まらない。妹も胸を押さえている。
俺は観客席にいるはずの王女様を探す。王女様は変わらず観客席にいた。
やはり、この覆面剣士が王女なわけがない。一瞬、影武者という言葉が頭をよぎる。いやいや、そんなことが起こるはずがない。
剣士から声が発せられた。凛とした、女性の声が俺たちに響く。
「ミレーネよ。一戦申し込む」
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