03. グラッツェル村
フラム師匠の大声で、妹のミーナも布団から飛び起きてきた。
ミーナも、母さんとフラム師匠のやり取りは安心できるのか、ほっこりした顔をしている。
「ミーナ、ほっこり?」
余計な一言に、フラム師匠の頬がまた真っ赤に染まった。
『逆鱗、天を穿つ』――龍が逆鱗に触れられて激怒すると天をも貫くという伝承がある。普段は穏やかな師匠が怒ると、本当にそんな感じだ。
「お前は―――!!!!!」
「ミーナ、異常は…なさそうだな」
「うん。元気満タン」
俺はミーナの体調を確認する。
…うん、問題なさそうだな。さすが伝説の回復薬、聖命水。
「ミーナ、外に行こう」
「にーに、どこへ行くの?」
「神殿で女神ウィンディス様にお礼をしてから、それから…。」
長引きそうな説教戦から、俺たちは一目散に脱出する。
ドアを開けると、いつもの雪道にルピナが待っていた。
「ワン!」
「ルピナ!」
ルピナをわしゃわしゃすると、雪の上でしっぽがぷるぷる震える。
ミーナも嬉しそうに撫でている。
ルピナは俺が昔拾った犬だ。
母さんには「捨ててきなさい」と言われたが、泣いてお願いしたんだっけ。
母さんから「これからは言うことを聞く。約束」と言われ、このとき「うん」と返事をした。
何となくだが、それから訓練が厳しくなった気がする。
でも、ルピナを拾ったことに後悔はない。
俺は妹とルピナと一緒に神殿まで向かう。
寝ぼけ眼で一歩踏み出すと、そこはレグニア大陸北方の小さな漁村――グラッツェル村だ。
冬の陽射しが凍てついた田んぼと水平線を淡く照らし、北風が頬をくすぐる。
グラッツェルは俺たちの種族の黒穂族が多く住む村だ。黒穂族は猫の耳と黒い尻尾が特徴の種族だ。
雪を踏みしめながら、俺たちは村はずれの細い石畳を進んだ。
向かう先は、風の女神ウィンディス様を祀る小さな神殿だ。
石段を昇ると、司祭様が柔らかな笑顔で迎えてくれた。
「やあ、ノア、ミーナ。今日は何のご用かな?」
「冒険から帰ってきたので、無事の帰還を祈りに来ました」
司祭様は感心したように頷き、
「その年で冒険とは…。まあミレーネ様と一緒なら何も心配はいらないか」と、朗らかに微笑む。
俺たちは苦笑いを返す。
司祭様が想像しているのは、きっと楽しい冒険風景だろう。
「母から妹とともに雪山の猛吹雪の中に放置され死にかけました」なんてとても言えない。
息が白く立ち上る中、胸の前で手を交差し、祈りの言葉を唱えた。
女神の御風がそっと背中を撫でるような気がして、震えていた体が少しだけ温かくなる。
神殿を出ると、再び石畳の路地を進む。
次は村の食堂「猫潮堂」で食事だ。
領主様のご厚意で、子供は誰でも無料で腹いっぱいになれる。
俺とミーナが注文した食事はほどなく運ばれてきた。
『潮風のがっつり炊き込み丼』を口に入れると、湯気に混ざる昆布と椎茸の香りが濃厚で、口に入れた瞬間に海の塩気と魚の旨みがふわりと広がった。
雪山訓練の凍えた記憶が、ゆっくりと溶けていく。
――ああ、帰ってきたんだな。
心の底からほっと息をついた。
ミーナも隣でにっこり笑い、ルピナは残り香を追いかけてごちそうさまのしっぽを踊らせる。
その後は妹の希望で海辺まで雪道を歩き、夕暮れの水平線を眺めてから、家路についた。
「「ただいまー」」
家に着くと、まだ師匠の説教が続いている。
「ノア、ミーナ、そろそろフラムを止めて―…」
母さんが珍しく涙目になっていた。
伝説の冒険者でもフラム師匠の説教には勝てなかったか。
ルピナ(ペット)6歳) 一家大好き。特にノアとミーナが大好き。