24.アルヴィノーラ
「ここで王女様がお待ちです。中にお入りください」
メイドさんはそう言うと一礼して薄暗い廊下を音もなく遠ざかり姿が見えなくなってしまった。
これまでは常に扉はメイドさんたちが開けてくれていた。つまりこの部屋の扉は俺たちが自分で開けて入らなければならないということか。
目の前にあるのは磨き上げられてはいるものの、無数の細かい傷が長い歴史を物語っているかのような、黒光りする重厚な木製の扉だった。
母さんが扉に軽く手を触れ、ふむ、と呟いた。
「この扉、ちょっとした仕掛けがしてある。相当な魔力か、あるいはよほどの実力がないと開かないように細工されているみたい」
母さんの言葉に、俺はごくりと唾をのんだ。つまり、この部屋に入るには相応の実力者であることが最低条件ということか?
「母さん、開けられそう?」
「当然」
母さんはふふん、と言い躊躇うことなく扉を開けて部屋に入る。俺とミーナも続いて部屋に入るのだが──
薄暗い部屋の奥、ゆったりとしたビロード張りのソファに、見覚えのある純白のドレス姿の女性がだらしなく腰掛けているのが見えた。
え、あれって……。
彼女は、貴婦人とは到底思えないほど大胆に脚を投げ出し、両腕をソファの背にだらんと広げている。
そして、大きくあくびをしながら「あーーー、疲れたぁ」なんて、とんでもないことを呟いていた。
晩餐会で会った時の、あの清楚で神秘的なアルヴィノーラ王女殿下の印象は、この数秒で木っ端微塵に砕け散った。
俺たちが呆然と立ち尽くしていると、ソファの上の彼女がこちらに気づき、顔を上げた。
「お、ミレーネ!ようやく来たか!待ちくたびれたぞ!」
さっきまでの女神のような優雅な口調や、近寄りがたいほどの気品は一体どこへ行ったんだ!?
目の前にいるのは、まるで気の置けない悪友に声をかけるような、とんでもなく砕けた態度の女性だった。これが本当に、あの王女様なのか……?
その乱暴とも言える言葉遣いには、しかし母さんへの深い親しみが感じられた。
王女様は早くこっちに来いとばかりに、大きなソファの上から手で招いている。
母さんは「さ、いこうか」とまるでいつもの散歩にでも行くかのように軽く俺たちに声をかけ、戸惑う俺たちを促して王女様に近づいていく。
俺は内心ビクビクしながら母さんについていった。今の状況がよくわからないが今は母さんに任せるしかないだろう。
母さんが近づくと王女様が笑い出した。
「ぶはははは!なんだそのドレス、全然似合ってないぞ、ミレーネ!いつもの無骨な冒険者服はどうしたんだ?それにしても、もうそんなに汚しちゃってまあ…。ふふ、あとでちゃんとクリーニング代、請求させてもらうからな!」
王女様は母さんの正装姿について指摘し始めた。確かにドレス姿の母さんは初めて見たが、似合わないということはないと思う。
「ノーラだって、そんなに着飾っちゃって。あんまり似合ってないんじゃないの?」
かあさん!? 王女様相手にいきなり何を言っているの!
自分が似合わないと言われたことに対抗しようと思ったんだろうが、相手を選んで言わないと…
俺とミーナがポカーンとしていると、王女様が呆れたように言った。
「ミレーネ、あんたねぇ…。子供たちが完全に置いてけぼりになってるじゃないか」
そう言うと、王女様は自分の向かいにある、これまた立派なソファを手で示した。 母さんは相変わらずズカズカと迷いなく歩き、そのソファにどさっと腰を下ろした。
「し、失礼します」
俺とミーナはかしこまって、一言声をかけながらソファに腰掛ける。
「ノアとミーナよ。そんなに畏まらんでいいぞ。ここにはそれ相応の実力者しか入ってこれない、私専用の部屋だからな!」
この部屋は相当の実力者でなければ入ることすら難しいらしい。だからなのか、お付きの人が誰もいないのか。
「晩餐会ではミレーネが一番食っていたと報告があったぞ。子供らはあまり食べていなかったようだが」
どうも俺たち家族の様子はどこかで見られていたようだ。母さんが遠慮もなしにガブガブとお肉を口に放り込んでいた光景を浮かべて恥ずかしくなった。
王女様はふと立ち上がり、部屋の奥のテーブルの前で手をかざした。ふんわりと青い光が立ち、そこには先ほどの晩餐会ででた料理が出てきた。
あれは転送魔法だろうか。料理はまだ暖かく美味しそうな香と湯気が出ている。
「ノア、ミーナ。皿を運ぶのを手伝ってくれ。お前たちはあまり食べていないからお腹が空いているだろう?一緒に食べようじゃないか。ああ、ミレーネは手伝わなくていい。お前は絶対に一枚は皿を落とすからな!」
俺とミーナは立ち上がり、転送されてきた料理をソファーの前のテーブルに起き始めた。
母さんに皿を触らせないなんて王女様はよく母さんのことを知っているようだ。
母さんに運ばせたら、いくつの料理が犠牲になったことやら。
がつがつがつがつ──
がぶがぶがぶがぶ──
王女様はさっきまでの晩餐会での優雅な姿など嘘のように、大きな肉の塊にかぶりつき勢いよく頬張っている。
母さんも母さんで、少し前にあれだけ食べていたはずなのにまるで初めてのご馳走にありついたかのように目を輝かせて料理を口に運んでいた。
「くぅ。やはり友と食べる飯はうまいなぁ!私も晩餐会ではお淑やかにしなければならないからな。腹が減っていたのだ」
すごい勢いで料理が減っていく。母さんの食べっぷりはすごかったが、王女様も負けていない。
料理が少なくなったら、転送陣まで料理を取りにいくことになる。
一度魔法が発動すれば、あとは欲しいものを念じるだけで自動的に料理が追加されていく便利な仕組みらしい。
お皿が空になるそばから、ほかほかの湯気を立てた新しい料理が次々とテーブルの上に出現する。
「お兄様…」
ミーナが混乱した様子でこちらを伺ってくるが、俺もどうしたらいいかわからない。
「ノア、ミーナ。ここには私とミレーネ、そしてお前たちしかいないんだ。もっと気楽にしてくれていいぞ。ミレーネの子供たちなんだから、私のことも遠慮なくノーラと呼んでくれ」
一国の王女相手に、本当にそこまで気楽にしてしまっていいものだろうか…。
ちらりと母さんと王女様を見ると、二人はもうすっかり遠慮なく、楽しそうに談笑しながら料理を頬張っている。
その様子を見ていたら、なんだか自分だけがいつまでも緊張しているのが馬鹿らしくなってきた。
よし、王女様が直々にそう言ってくれるなら、もう遠慮なく楽にさせてもらおう。
「ミーナ、母さんたちのことはもう気にしないで、今度こそ料理をしっかり味わって食べよう」
「うん!」
俺の言葉に、ミーナがようやく心からの笑顔を見せて元気一杯に答えた。
俺はさっきは緊張で味もわからなかった肉料理を口に頬張る。
よく焼け、炭火で焼いてような香ばしい匂いが口一杯に広がる。濃厚なソースが味を引き立て口の中でまろやかになる。
おお、こういう味だったのか。先ほどとは違いちゃんとおいしく感じられるようになった。
母さんたちほどではないが、俺とミーナも料理をかぶりつくように食べる。ミーナも美味しそうに口に頬張っている。
「いい子供たちだな」
王女様が優しい声で言うと、母さんは「当然。わたしの自慢の子供たちなんだから」と、どこか得意げにふふんと胸をそらした。
和やかな空気が流れる中、王女様はしばらく俺たちの顔を交互に見つめ、それから悪戯っぽく片方の眉をくいと上げ、にやりと笑ってから、とんでもないことを言い出した。
「ノア、ミーナ。私の子供にならんか?」
王女様の爆弾発言におもわず口にした料理を吐き出しそうになる。
俺はかちゃんとフォークを落とし、思わず動揺してしまう。
「だめ。まだわたしのもの」
母さんが腕を広げて俺たを守るかのようなポーズをする。
「大人になったら二人に任せるけど、今はまだわたしの元からは離さないから」
「むむ。こういうのは若ければ若いほどいいのだがなぁ」
でも、俺たちは黒穂族で、純粋な白霞族ではない。 王国の歴史上、王位を継ぐのは白霞族というのが慣例のはずだ。
「別に白霞族でなければ王になれない、なんていう厳密な規定があるわけじゃないぞ。たまたま、慣例的に白霞族が王家を長く繋いできたという歴史があるだけだ」
王女様の言葉によれば、過去には別の種族の王が立ったこともあるらしい。 でも今の白霞族の王家がこの国を長く治めてきた歴史は揺るぎないし、もし俺たちが王族になったりしたら、貴族たちの反発も相当大きいだろうな。
「まあ、肝心のミレーネがそんな調子じゃいくら私が望んでも無理そうだな。今回は諦めるとするか!」
王女様は肩をすくめ、からからと実に楽しそうに笑いながら、諦めの言葉を口にする。
「今回は」なんて言うってことは、王女様は俺たちを養子にすることを、まだ全然諦めてないみたいだ。
俺もミーナも貴族なんて柄じゃないし、ましてや王族なんてなる気もない。王女様にはきっぱり諦めて欲しい。
「ノーラもさっさと結婚して子を作れば?」
母さんが王女様相手にとんでもなく失礼なことを言う。確かに王女様は若いし美人だし、お相手の一人や二人いてもおかしくない。
ただその貴族らしくない性格を除いてだが。
「うーむ。私より強い男がいれば結婚相手としても相応しいのだがな。残念ながら私より強い男がいないのだ。ミレーネが男だったら良かったのだがな!」
王女様はお相手に強さを求めているらしい。王女様がどれくらい強いか分からないが、母さんが強いと断言するくらいだ。相当の実力者ではあるだろう。
でも王女様と結婚するというのは強さだけでは駄目なんじゃないかと子供でも分かる。相手の身分だってそれなりの相手ではないと周りの貴族が納得しなさそうだ。相手の強さを理由にして結婚を引き延ばしているんじゃないかとも思える。
「わたしの旦那は別に、わたしより特別強かったわけじゃなかったけどね」
母さんは少しだけ拗ねたように口を尖らせて言った。
それは、きっと俺たちの父さんのことなんだろう。父さんのことは、母さんがあまり話したがらないから、俺もミーナも詳しいことは何も知らない。
でも、もしかしたらこの機会に、少しは父さんの話が聞けるかもしれない。俺は期待に胸を少し躍らせるのだった。




