11.女神の法環陣
ウェーバーとブルトボアを大型魔獣用の収納袋に放り込む。この収納袋はリンデルの冒険者ギルドから借りたものだ。
厚手の革と魔導紋が組み合わされたその袋は、大型魔獣を何体も収納することができる優れた袋だ。今回の新ダンジョンの魔獣を採取するために支給された。
母さんも似たような機能の収納袋を持っている。ただ整理整頓が苦手な母さんだ。
母さんの持っている収納袋のほうがより多くの魔獣を収納できるそうだ。
倒した魔獣をとりあえず放り込んでいる代物だ。
母さんの袋を使うとこのダンジョンで倒した魔獣かどうかわからなくなる可能性があるので、今回は使えない。
…一気に取り出したらすごいことになりそうだな。
「さあ、行こう」
母さんが軽やかに言う。草原へと続く道に音が響いた。
先に進むと金色の穂を揺らす草原エリアが広がっている。ここがダンジョンじゃなければ、草むらでひと眠りしたいところだ。そんな光景が俺の目に広がっている。
見通しは良いが、隠れる場所は少ない。
逆に魔獣からの奇襲にも気づきやすいという利点もある。
母さんを先頭に、ミーナが杖を握りしめ、フラム師匠とルピナが一歩下がって続く。ルピナの銀色に輝く瞳が草むらを探り、鋭い嗅覚で魔物の気配を探している。
ルピナが小さく吠える。その目の先には鋭く獲物を見つめている。
小型の鹿型魔獣ラニアが、茂みの合間にひょっこりと姿を現した。
「ノア、一匹だけ狩ってきて」
母さんの声が飛んできた。
俺はラニアの金色に光る瞳から目を離さないようにする。
ラニアは警戒しているようだが、まだ俺たちに気付いてはいない。
ラニアの目に警戒色が消える間もなく、俺は背を低くしながら駆け足で距離を詰める。
跳ねるように駆け出すと、ラニアもすぐに跳ねて逃げ出した。小競り合いのような追いかけっこが始まったが、俺は徐々に距離を詰める。
…今だ!閃影斬が空気を斬り裂き、草むらにラニアの悲鳴が吸い込まれた。
ドサリと衝撃が足元に伝わり、ラニアは動かなくなった。
俺はラニアとの追いかけっこで昂った鼓動を収めるように深呼吸する。
ラニアを収納袋へ入れると、母さんが微笑んだ。
「ノア、今の動き、悪くなかった。ちゃんと見てたよ」
母さんに褒められた。母さんが褒めてくれる基準はわからないが、褒められた記憶はあまりない。俺は小さな達成感と、次なる緊張が胸を満たす。
草原の風が頬を撫で、わずかな花の香りが鼻をくすぐる。
ラニアを収納袋に入れ、俺たちは遠くにある大木を目印に進む。フラム師匠が言うには、巨木から微かな魔力を感じるらしい。
大木はかなり大きかったようだ。思ったよりも到着するのに時間がかかった。木のサイズで俺の距離感がおかしくなっていたようだ。
大木をぐるりと観察する。すると一ヶ所、地下へ続く空洞があった。
「地下に続いておるようじゃな」
フラム師匠は眉を寄せる。
「ただの森林型ダンジョンじゃない可能性が高い。用心しろ」
母さんは深く息を吸い込み、取り出したランタンに火を付け階段の先を照らした。
このランタンは魔道具で、魔石の魔力が続く限り火を灯す優れものだ。
「一の陣、そのまま行く」
母さんを先頭に地下へ進む。石の階段はひんやりと湿っていて、石畳は一本一本が不揃いだ。
壁面の苔が微かに緑に光を放ち、怪しげな光景を演出している。水滴がどこか遠くで落ちる音だけが、耳に響いている。
「これはかつては神殿であったようだな。長い年月放置されて朽ち果てておるが、微かに女神の御力を感じる」
フラム師匠がささやくように呟く。あの大木の下には古代の神殿が眠っていたようだ。
階段を降り切ると広場のような場所に出た。地面には大きな石が転がっている。それはおそらく神殿が崩れた時の残骸だろう。割れている巨石には直線が見え、それがかつての建造物だったことを示している。
ランタンの光はあまり届かないな。かなり広い空間なのかもしれない。
清浄な空気が鼻を通る。古い神殿だと聞いたがほこりっぽさがなく、むしろ神聖な雰囲気を感じる。
──パリッ
突如ガラスを割ったような音が足元に響く。誰かが踏んだのだろうか、床石のひび割れが耳障りに響く。足元の床石には、何かの魔法陣が輝いていて浮いていた。
その魔法陣から青白い光が溢れ出し、周囲を光の粒子が包み込んでいった。
フラム師匠の声が震えた。
「これは…女神イヴェリナの法環陣じゃと!?」
光はまるで生物のように蠢き、全員の身体を包み込む。光が、まるでこちらを歓迎するかのように、体の周囲を踊っていた。
(ヴァルナリアに寵愛されし子達よ。命の輪環の中でどこまで踊れるか、存分に愉しませてくださいませ──)
幻聴?その割には耳にはっきりと残る、ゾワッとした声だった。あまり好意的な声には聞こえなかった。
「ノア!ミーナ!」
母さんの声に振り返る。光は徐々に輝きを増していった。ランタンの灯りを飲み込み、光の粒が宙を漂う。
次の瞬間、視界は鮮烈な光の渦へと変わり、すべてを包み込んだ。胸の奥で何かが弾け、身体中に何かの力が満ちる感覚とともに意識が遠のく──
気がつくと、俺は見知らぬ暗闇の中に、一人きりで立っていた。
石柱が天高くそびえ、人工的だが不揃いな石畳が広がる。ここも古い遺跡なのだろうか?
周りを見て気づく。
母さんやミーナ、フラム師匠もルピナもいなかった。
俺はアイテム袋からランタンを取り出し、灯りを灯した瞬間、ぞっとした。
床には壊れた女神像の頭が転がり、まるでこちらを見ているようだった。
周りは静寂だけが支配している。
耳を澄ませても空気の揺らぎひとつ感じられず、自分の鼓動すら、ここでは異質に聞こえる。
「ここは…? みんなは…?」
剣の柄に手を伸ばした。その感触だけが現実を取り戻させる。その瞬間、背筋に冷たい刃が突き立つような感覚が走った。
その迫ってくるような危機感は、言葉にならない焦燥となって胸に焼きついた。




