01.遭難
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どどど…どうしてこうなったあぁぁぁああーーー!!!
俺の叫びは、すぐに猛烈な吹雪にかき消された。肌を刺すというより、もはや叩きつけてくるような風雪。一瞬前まで見えていたはずの妹の姿すら、今は白い闇の向こうだ。視界は完全に雪で覆われ、自分の足元が地面なのか雪の吹き溜まりなのかさえ判別できない。
「に、にーに……さ、寒い、よぉ……」
かろうじて隣から聞こえるミーナのか細い声。吐く息も凍りつきそうな寒さの中、彼女は必死に俺の薄い防寒着の袖を掴んでいる。涙で潤んだ目が、吹雪の中でも痛いほど伝わってきた。
指先の感覚はとうに無くなり、爪が紫色になっているのが辛うじて見える。
一歩足を踏み出すたびに、ズボッと雪に膝まで埋まり、冷たさが骨の髄まで染みてくる。呼吸をするたびに肺が凍てつき、針で刺されるような痛みが走った。
なんでだよ、母さん! 俺たち、まだ10歳なんだぞ! こんな場所に子供だけで放り出すなんて本気か!? 死んじゃうって!
だが、俺たちの母親――Sランク冒険者の母さんはそんな常識など通用しない人だった。「ノア、ミーナ、これくらいの雪山で生き残るのは当然のこと。普通の冒険者ならできる」と。
母さんは表情一つ変えず俺たちをこの雪山に置いて行った。
「くそっ・・・ 火魔法さえ使えれば・・・!」
必死で震える指先に意識を集中し、魔力を練り上げようとする。
だが、容赦ない寒さと、心の奥底から湧き上がる恐怖が邪魔をする。
指先どころか、体全体が意思に反してガチガチと震え、思考そのものが鈍っていく。
魔法を発動するためのイメージが、吹雪のように乱れて定まらない。
集中力が、まるで溶けるように失われていくのだ。俺は詠唱ができなければ、魔法は使えない。
基本的な火起こしの魔法すら、今の俺には難しい。
このままじゃ…確実に、死ぬ。
じわじわと迫る死の予感が、冷たい手で心臓を鷲掴みにする。ドクン、ドクンと、やけに大きく自分の心臓の音が聞こえた。
不安と恐怖で息が詰まる。
その時だった。
グルルルルル……
吹雪の音に混じって、明らかに異質な、低い唸り声が聞こえてきた。獣の威嚇する声だ。それも、かなり近くから。
――嘘だろ?
白い吹雪のカーテンの向こうに、巨大な影が揺らめいた。雪煙を蹴立てて猛然とこちらへ突進してくる。
雪山に棲む獰猛な魔獣――ニヴェウス・アッフェだ。
純白の毛皮を持ち、吹雪に紛れて獲物を襲う厄介な魔獣。
その巨体は大型の馬ほどもあり、鋭い爪と牙が雪の中でも鈍く光っているのが見えた。
最悪だ…! なんでこんな時に限って…!
「ミーナ、下がれ!」
咄嗟に妹をかばおうとするが、凍りついた体は重く、思うように動かない。
刀を抜くことすらままならない。どうすればいい? 何ができる? 思考が空回りする。
すると隣にいたミーナが最後の力を振り絞るように、か細くも凛とした声で唱えた。
「…イグナス…ブレイズ……!」
ミーナの小さな手から放たれた炎の塊が、吹雪を切り裂いてニヴェウス・アッフェに直撃する。
ジュッという音と獣の苦悶の咆哮が響き渡った。
魔獣は炎を恐れたのか、あるいは予想外の反撃に怯んだのか一瞬動きを止め、すぐに踵を返して吹雪の奥へと消えていった。
助かったのか?
だが、危機が終わったわけではない。むしろ、さらに悪化した。
「…にーに…ねむい…もう、ねて、いい…?」
魔法を使った反動でミーナの体から急激に力が抜けていくのが分かった。
焦点の合わない目でとろんとしながら俺に寄りかかってくる。
「ミ、ミーナッ…! 寝るな! おい、しっかりしろ! 寝たら死ぬぞ!!!」
俺は必死に妹の肩を揺さぶる。だがミーナの体はぐったりとして反応が薄い。
妹は魔法の才能がある。火、水、風、雷、闇…複数の属性を扱える稀有な才能だ。
だが魔法を使うには集中力と体力、そして正確な詠唱が必要だ。
この極限状態での中級魔法行使は明らかに妹の限界を超えていた。
くそっ、どうすれば…! 何か手はないのか!? 頭を必死に回転させるが、何も浮かばない。
そもそも装備が貧弱すぎるのだ。母さんが用意していたのはこの薄っぺらい防寒着と武器だけ。
非常食も、発火道具も、携帯用の防寒用具も何一つ持たされていない。
「魔物が出た時のことだけ考えればいい」
母さんの言葉が頭の中で虚しく響く。
…俺の母さんは、世界に10人といないSランク冒険者。本物の英雄だ。
だが、Sランクの子供が同じように英雄として生まれるわけじゃない。
母さんは戦いや冒険のことは教えてくれる。剣の振り方も、魔法の基礎も。でも、その基準は常に自分自身だ。
自分が出来ることは、子供にも出来て当然だと思っている所がある。
極寒の中での魔法の使い方なんて、環境順応スキルを持つ母さんには想像もつかないんだろうな。
フラム師匠に相談しておけば良かった。
いや、師匠ならこんな無謀な訓練、絶対に止めてくれたはずだ。何よりフラム師匠は用事でいなかった。
母さんに準備を任せっきりにするんじゃなかった!後悔ばかりが頭をよぎる。
「にーに…ね、る…」
ついにミーナの体が完全に弛緩し、俺の腕の中で動かなくなった。
「だ、ダメだ! 起きろ! ミーナ!!」
必死に呼びかけ、揺さぶり続ける。冷たくなっていく妹の体を抱きしめる。
だが、無情にも俺自身の意識もまた急速に薄れ始めていた。視界が霞み手足の感覚がさらに遠のいていく。
「あ。、あぁ……」
ここで…終わり、なのか……?
母さんの顔が、師匠の顔が、一瞬だけ頭をよぎった気がした。
(帰って…ぬくぬくのお布団で寝たいな……)
ささやかな願いが、意識の奥でかすかに灯る。
それが、俺が最期に見た光景だった。
ノア 10歳 (黒穂族)
ミーナ 10歳 (黒穂族)
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