外伝 四人の少女たち
地獄に堕ちた2番と、事故の時一緒にいた三人のその後のお話です。
それぞれの心情の移り変わりと置かれた立場の変化を書きました。
「そうなんですよ、驚きました。
結構遅い時間なのに若い子たちの声が聞こえてきて、こんな時間になにしてるんだ? って思って
アパートのベランダに出てみたら、女の子が四人笑いながら話してて。」
「どうしてその四人の女の子が気になられたんでしょう?」
「うちにも娘がいるもんでね、 早く帰ればいいのになあ って思いながら見てたら、
その中の一人が橋の欄干に上り始めて、他の三人は手をたたいてあおってるって言うの?
そんな感じに見えて。それで 危ないことさせてる って思った途端、その子が川に落ちたんすよ。」
「待ってください。 それでは他の三人の女の子が『あおってた』んですか?」
「俺にはそんなふうに見えましたね。
普通そんなこと、止めるんじゃない?
それを皆手をたたいてはやし立ててたっていうか、あおってるふうに見えたんすよ。
そりゃ本人たちに聞かないとわからないんでしょうけど。
あくまで俺にはそう見えたって話っすから。」
「そうですよね。 あくまでも『あおっているように見えた』ということですね?」
「そうですね。」
「それからどうされましたか?」
「そりゃあもう! 俺、びっくりして。 ドボンって大きな音がしたんすよ。」
「女の子が川に落ちた音ですね?」
「そう。 それに女の子が急に見えなくなったし。
これはもう落ちたんだって思ってね。 焦ったっすよ。
そしたらそこにいた三人の女の子たちが、逃げたんすよ。」
「逃げたんですか?」
「あのお、蜘蛛の子を散らすっていうの? そんな感じで。
速攻、走って逃げたんっすよ。
それで俺、またびっくりして、 やばい! って思って救急に電話したんすよ。」
「あなたがお電話されたんですね?」
「そう、俺が電話したんだ。
でもね、俺も電話したけど、女の子の誰かもかけてると思ってたんだけどさ、
俺しかかけてないって言うんだから、ビックリだろ?」
「もし、あなたが電話をかけていなかったら、どうなったと思いますか?」
「どうって? どうって何がどうって?」
「その女の子がどうなってたかなあって.どう思われますか?」
「そりゃあ、次の日の朝、川に浮かんで見つかったんじゃないのかなあ?」
「それではその女の子が一人でいたということになっていたかもしれませんね。」
「そうだなあ。 そうかもしれないな。
その、死んだ子?その子が一人でいたって思われたかもしれないなあ。」
「それではその亡くなってしまった女の子が一人でいて、一人で橋の欄干に上って、
そして勝手に落ちて亡くなった というふうに思われていたかもしれませんね。」
「そうだね。 そうかもしれないな。」
「では、あなたが四人の様子をご覧になっていらっしゃらなかったら、他の三人の女の子の存在は
誰もわからなかったということでしょうか?」
「そりゃあそうだろうね。
だって、その時に電話もかけないんだよ?
あとになって本当のことを話すとは思えないからさ。」
「そうでしょうね。
真実が葬られていたかもしれないということですね。」
「そうだろうね。
でも、俺が電話したって言っても、女の子は助からなかったし、結局間に合わなかったわけだから。
複雑だよ。
助かってくれてればさ、連絡した甲斐があったんだけどさあ。」
「そんなことはありませんよ。 絶対にそんなことはないと思いますよ。
次の日か何日か後になって、川に浮かんで見つかるなんて悲しすぎますし。
それに残されたご家族にとっては、本当のことを知ることができたのですから。
それはとっても大きな違いがあると思います。
それで、それからどうなったんですか?」
「どうって。 救急に電話して、女の子が川に落ちたって言って。
そしたら、『すぐに向かいます』って。 本当にすぐにレスキューとかも来て。
潜水って言うの? 何人かわかんないけど、川に潜ってさ。
夜だからさ、ライトをつけても暗いじゃない。
なかなか見つからなくってさ。
俺も気になってたから橋まで行ってさ。 見てたらさ。
『連絡をくれた人はいらっしゃいますか?』って大きな声で聞いてたからさ、自分ですって言って。
そしたらどんな感じで落ちたんですかって聞かれたからさ。
それで三人の話をしたわけさ。
そしたら今度は警察出事情を聞かせてくださいって言われて。 大変だったよ。」
「それはお疲れさまでした。
警察ではどんなことを聞かれましたか?」
「本当に四人だったか?とか。 他の三人の顔を覚えているか?とか。
なんだか俺が疑われてるんじゃないかって思ったよ。」
「疑われる とは?」
「だから他の三人なんていなかったんじゃないか みたいな、ね。
でもさ、近くの防犯カメラに四人で歩いてるところが映ってたってことで信じてくれたけどさ。
俺としてはちょっとひっかかったけど、まあ最後には頭を下げてさ、お疲れさまでした なんて
言われたから、まあ、いいけどよ。」
「どなたが お疲れ様でした とおっしゃったんですか?」
「そりゃ、警察だよ。
あれは結構な お偉いさん じゃなかったかな。
なんだかんだ服に、制服にさ、いろいろついてたからさ。
俺は善良な通報者なのに疑ったりして申し訳ないって思ったんじゃないかなあ。」
「それはそのお偉い方がきちんとお礼をおっしゃるべきですからね。」
テレビのワイドショーでは連日この話題で持ちきりだった。
インタビューにすっかり慣れてしまった通報者は虚実を混ぜながら、最初とはずいぶん話が盛られている気がするのだが、誰もそれを指摘しないでいる。
その方が話題性があるからなのだろう。
なにせ三人の女の子が、川に落ちた友達を見捨てて逃げた というのだから世間の関心が寄せられるのは当然のことだった。
世間の声を受けて警察も会見を開いた。
そこでは三人の存在も認め、それが誰かと言うことも突き止めてはいるが、皆未成年と言うこともあって名前の公表は差し控えるということだった。
そして積極的に何かをしたというわけではないので罪には問えないと言った。
それに対して、ワイドショーのコメンテーターたちは無責任に好き勝手なことを言い合った。
「未成年とはいえ、何らかの罪に問うのは当然なんじゃないか。」
「私は現場に行ってみましたけど、あの橋の欄干はとても細いんですよ。
そんなところに上らせて、落ちる可能性があることくらいわかっていたはずなんですよ。
それが全くの無罪と言うのはおかしいんじゃないでしょうか。」
「日本の法律では未成年の罪は減じるとなっていることがおかしいんですよ。
義務教育を終えた時点で、実際働いている人だっていらっしゃるんですから。
大人として罰するべきだと思いますね。」
「周りに言われたからと言って、欄干に上るという行為もどうかと思いますね。
自分だって落ちる可能性があることはわかっていたと思いますから、責任は両方だと思いますね。」
「しかしですよ、手をたたいてあおったというじゃありませんか。
そんななか、断るというのもむしろ難しいんじゃないですかね。
日頃どういった関係、つまり上下関係があったかどうかも知りたいですね。」
「逆らえなくて仕方なくということもあり得ますからね。」
「殺人罪にも『未必の故意』というものがありますが、この場合はどうなんでしょうか。
落ちるかもしれない。落ちたら死んでしまうかもしれない。
それをわかった上で、みんなで無理やり欄干に上らせたとなると、話は違ってきますからね。」
「三人が誰なのか、常日頃どういった付き合い方をしていたのかがわからないと、この事故に関しては
本当に事故なのか、あるいは事件性があるのかについてもコメントできませんね。」
「逃げて行って連絡もしなかった三人は一体誰なんでしょうね。
話を聞いてみたいですね。」
「話を聞いてみたいといえば、亡くなった女の子のお母さんにもお話を伺いたいですね。」
「日頃の三人との付き合いをご存じかどうかも含めて、聞いてみたいですね。」
「一緒にいた三人というのは少なくとも友達とは言えないと思いますね。
友達なら何を置いても救急車を呼ぶでしょうし、その場から逃げるなんてことはあり得ませんから。」
「友達以前の話ですよ。 通報された方は赤の他人ですよ。
でも、放っておけないからって電話をされて、そのあと様子を見に行かれたわけだから。
本来、人間はそういったものだと思うんですが、最近の子は我々と感覚が違うんでしょうか。」
人としてもそもそも論を唱える者がいたり、これは未必の故意による殺人といってもいいくらい罪深いなどと極論をブツ目立ちたがりもいて、その論争は鎮まりそうになかった。
そうなると気になるのが三人の正体だ。
マスコミは先を争うように三人の正体を突き止めようと躍起になった。
マスコミだけではない。 いわゆるネット民たちも我先に調べ始めた。
警察は再度会見を開いて、加熱する『正体探し』を辞めるように提言した。
そして亡くなった女の子の母親からのマスコミへのメッセージとして、
『私は娘を失くしてとても悲しい気持ちで毎日を過ごしています。
そのなかで、マスコミの皆さんが娘についてあれこれ言われるのはより私を苦しめています。
これ以上は何も追及することなく、静かに暮らさせてください。
なにとぞ私たち家族の気持ちをお汲み取りいただいて、よろしくお願いします』
という文章を代読した。
しかし、それは逆効果だった。
警察が隠すのだから、もしかしたら権力者の孫とかじゃないのかと勘繰るものが出て来て、正体探しはより本格的になっていった。
警察の権力をもってして母親を黙らせたのではないかと勘繰る者も出てきた。
親なら真実を知りたいに決まっている。
警察は当てにならない、我々で正体を暴いて真実を突き止めようと言い出す輩もいた。
その波は誰も止められなかった。
警察の権力をもってしても国民の知る権利を脅かしてはならない などと言う者もいる。
自分の穿った理念を掲げて、とりつかれたように躍起になっているものもいる。
そして、とうとう突き止めたのだった。
突き止めたのはネット民だった。
防犯カメラをハッキングして、あの時、逃げ出した三人の足取りを追っていくという地道な作業で三人の
正体を突き止めたのだった。
その方法は警察なら合法だが、民間人がするのは違法になる。
自分の名前を明かすことはできない。
自分が警察に逮捕されたくないからだ。
それで匿名でマスコミにリークしたのだった。
三人の名前はもちろん、素顔や生い立ち、学校名、住所も家族構成、親の勤め先までがネットにさらされた。プライバシーも何もあったものない。
彼らからすれば、被害者は顔が出るのに、未成年を理由に加害者の顔が出ないというのはおかしいという理屈が成り立つらしい。
被害者が同情を引くのはその見た目にも理由がある。
年齢より幼く見えるかわいい顔立ちで、ポニーテールに赤いリボンを結んでいる写真がネットに上がったことも一因だった。
『あんなにかわいい子が自分から悪事を働くはずがない。
きっと一緒にいた三人に巻き込まれたに違いない』
などと独断と偏見に満ちた思い込みによって、悪い三人を絶対に突き止めようという風潮が広がったせいで、誰が一番に三人を突き止めるかを競争になってしまっていた。
しかし、誰かがマスコミにリークしたことでその競争にも決着がついたのだ。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
「空鬼、やっときてくれたか。」
「ムクロから聞いた。私に何か用か。」
「そう言うな。 ずっと呼んでいたのに、お前が捕まらないからムクロに頼んださ。」
「で? つまらないことならすぐに消える。
お前と違って私はいろいろと忙しいのだからな。
どうせお前のことだ。 何もかもを源鬼に任せて遊んでいたのだろう。」
「人聞きの悪いことを言うさ。
源鬼は雑用が好きなのさ。」
「え? 誰が何を好きだって?」
「なんでもない! 空鬼と話してるのさ。 お前は知らなくってもいいさ!」
「はっはっは! 空鬼、こんなやつだが、よろしく頼む。」
源鬼は『繭』を作っている。
遊鬼が『もし部屋』と言っている代物だ。
『繭』は鬼の村にある蔓植物を編んで作っている。
誰も入っていなければ青々しく、誰かが入ると赤く変わる。
そして他の空間に行くと消えてしまう。
だからいつもいざという時に備えて源鬼が作るのだ。
「お前も手伝え。 いつも源鬼一人でやっているではないか。」
「あたしには合わないんだよ、あんなこまごましたこと。
結局源鬼に怒られてやり直しになるから蔓がもったいないさ。」
「困ったものだな、お前は。」
「まあ、そんなことはどうでもいいさ。
源鬼が気に入ってやっているんだから波風を立たせないでもらいたいさ。
それで、お前にわざわざきてもらったのは相談というか、頼みというか があって だなあ。」
「頼み? 嫌な予感がする。」
「まあ、そう言わずに黙って聞いて欲しいさ。」
「話は聞く。 しかし頼みを聞き入れる約束はできないな。」
「それでいい。
実は、この『もし部屋』にいる若い女の事なのさ。」
「ほお。 お前が『もし部屋』にいる者の心配をするのか? 珍しいことがあるものだな。」
「それは否定できないさ。
いつもならここでいたぶったらそのまま炎鬼か氷鬼の処に丸投げしてやるんだがな。
そいつらはみんな『仕方がなかった』とか『周りに恵まれていなかった』とか、責任転嫁ばかりで
どうしようもないヤツばっかりだからさ。」
「それで? その若い子は違うのか?」
「なんか違う気がするさ。
最初は泣いてばかりいたんだけど、今はもう泣きもしない。
涙が枯れるっていうんかな? 自分が地獄にいるのは全て自分に責任があるって。」
「それはその通りだな。」
「そうなんだけど、お前は知らないんだよ。
ここに来るものはたいがいが自分を肯定するのさ。
どんな罪を犯していてもそれは自分のせいじゃなくって、例えば環境のせいとか、貧乏のせいとか。
必ずと言っていいほど自分だけが悪いわけじゃないって言い訳ばかりするのさ。」
「それで、お前はどうしたいというのか?」
「お前の『秘密の場所』においてやってはもらえないかと思ってさ。」
「『秘密の場所』? なんだ、それは。」
「いまさらなんだ。 皆、噂では知っているのさ。
お前は皆が知らない場所を知っていて、そこを自由にできるってさ。」
「どうしてそう思うのか。」
「じゃあ、あの時の親子三人はどこにやったのさ?
ゴクから頼まれて、あたしの協力したけど、結局は空鬼、お前が最後を引き受けただろ?
あたしたちの村にいるのかと思ったけど、そうじゃない。
やっぱりあの噂は本当だったんだってことになったさ。
で、今回もお前に頼もうと考えたさ。」
「あの時はゴクがすべてをかぶったからゴクだけの謹慎で済んだのだ。
今回は、お前も私も謹慎、いや、二度目ともなればそれではすまないかもしれないな。
お前、それでもいいのか?」
「そこんところは大王様にうまく言って、ごまかしてくれるさ。」
「誰が?」
「それは決まってるさ。 お前さ、空鬼。」
「なんという・・・ 他力本願。」
「ない、それ?」
「人を当てにしてるってことだ。」
「そう。 当然さ。 お前は大王様からの信頼も厚いからさ。
謹慎なんてならないさ。 もしそうなったらあたしも一緒に怒られるからさ。」
「様子を見させてもらう。」
「それはそうだな。
2番、起きてるか?」
「はい。 起きてるというより、寝てません。」
「寝られないのか?」
「はい。 いろいろ考えちゃって。」
「ふーん、で、なに考えてる? 行先、決めた?」
「いいえ。 それは自分で決めることはできないから、任せます。」
「そうか。 任せるか。」
「行き先ってなんだ?」
「熱い処と寒い処と、どっちがいいかって聞いたんだよ。
炎鬼か氷鬼かってことになるんだけど、自分で選ばせようと思ってさ。」
「それで、お前に任せるのか。 お前に任せて大丈夫か?」
「いや、だから、お前を呼んだんじゃないか。
お前に行き先を決めてもらおうと思ってさ。」
「私がもし炎鬼と言ったらどうするつもりだ。 それに従うのか?」
「それはないだろうと思ったさ。
お前は見た目と違って優しいさ。 だからあの時ゴクに協力したのさ。
で、頼めるか? いや、頼みたい。」
「しかし。 あの親子と2番とは全く違うから、同じというわけにはいかないな。
あの親子は三人で一緒にいられればいいということだったから簡単だったし、それだけで幸せなら
悪事を働くことはないだろうと考えたからな。
とはいえ、私の目の届くところに置いてある。
もし、不具合があればすぐに連絡が入ることになっているから心配ない。」
「そこだよ、そこ!
そう言うところになんとか潜り込ませられないか?」
「潜り込ませる って。 言い方よ。」
「頼むよ。 何とかなるだろう? 一人だよ、一人。
二人が何とかなったんだから一人くらいなんとかなるさ。」
「ちょっとうるさい、黙っていてくれ。 考えているんだ。」
「わかった。 悪かったよ。 でも大王にバレる前にちゃっちゃと済ませたいのさ。」
「お前、大王様に向かってなんという言葉遣いを!」
「わかったわかった、大王様だ、大王様! 今後気をつけるさ。」
「むむむ・・・ じゃあ・・ でも、厳しいぞ。 大丈夫か?」
「駄目なら後のことはお前に任せる。 文句は言わないさ。」
「わかった。 手が欲しいところがあるにはある。」
「じゃあ、そこに決まり!! よかった。 2番に話すぞ、いいな。」
「厳しいところだと伝えてくれ。 寒い方がましかもしれん。」
「でも、それじゃあ変わらんだろ? そこなら『将来』がある。」
「そうだな。 2番ではなくなるかもしれないからな。」
「そう。 それが大切さ。 番号で呼ばれるなんて、切ないさ。
認められて、きちんと新しい名前を付けてもらいたいじゃないか。」
「お前、そんなに優しかったか?」
「昔っから優しいさ、あたしはさ。」
「まあ、そう言うことにしておこう。」
「2番。 お前を今からここにいる空鬼に預ける。
空鬼に連れていかれるところはとても厳しい処ではあるが、この地獄で唯一生きなおすことができる
場所さ。 真面目にやって認められれば名前も付けてもらえるさ。 そこから先は今は約束できな
いが、辛抱すれば必ず報われるさ。」
「はい。 わかりました。
私、生きている時は周りに流されているだけで、頑張ったことって一つもなかったから。
それでなんでも他人のせいにしてたんです。 自分で決めてないからって言って。
だからこそ、頑張りたいです。 私、空鬼様と一緒に行きます。
よろしくお願いします。」
「わかった。もうこれで、あたしとはさよならさ。」
「遊鬼様、 ありがとうございました。」
「あたしはお前をいじめただけさ。」
「いいえ。 本当のことを見せてもらったから、私いろいろ考えられた。
それに別の生き方ができるチャンスをもらって。 やっぱりありがとうです。」
「そうか? じゃあ、そう言うことにしておくさ。」
「もう会えないんです?」
「さあ、どうだろうね。 それは空鬼に聞いてみないとあたしにはわからないさ。
ね、空鬼?」
「どうだろうね。 私次第というよりは2番次第ということだな。
そこまでのことは私の一存ではさすがに決められないだろうね。」
「え? 大王かい?」
「大王様と言いなさい。 そんなことではイエスもノーになってしまう。」
「わかったわかった。 大王様にイエスをもらえるようにあたしも気をつけるさ。」
二人の会話を聞いて、2番が『フフフ』と小さく笑った。
「笑われちゃったさ。」
「笑われたのはお前だけだと思うけどね。」
「そうか? まあそう言うことにしておくさ。
2番。 あたしは手伝うことはできないけど、応援はしてるから、頑張るさ。」
「はい。 また会えるように頑張ります。」
「2番、お前は言葉遣いから教育しないといけないようだ。
敬語と謙譲語を遣えるようにならないと、今から行くところは到底務まらない。
厳しくしつけてもらいなさい。」
「はあ、 よくわからないけど、やってみます。」
「じゃあ、行くぞ。
強風で目がやられてしまう。 両目をしっかりつぶりなさい。」
「はい。」
「嵐鬼!! 頼む!!」
「おお!!」
ゴオーーーという大きな音を立てて嵐鬼が現れたかと思うと、嵐鬼が巻き上げた竜巻の中に二人が巻き込まれてそのままヒューーと飛んで行った。
「がんばるさーーーー!!!」
遊鬼は両手を大きく振りながら二人が入っている竜巻を見送った。
空鬼は慣れているようだったが、2番はとても目を開けていられるような状況ではなかった。
開けろと言われても開けてはいられないほどの強い風の中にいた。
2番は怖くて空鬼にしがみついていた。
暫くすると風が収まった。
「着いた。 もう目を開けても大丈夫だ。」
2番が目を開けると、すでに嵐鬼がいなかった。
自分がいるところがどこなのか? 見渡す限り、山だった。
山の上の、少し開けた場所のようだった。 目の前には大きな家がある。
私はここに住むのか?
「おじい、連れてきた。 手が欲しいと言っておっただろう?」
空鬼は家の玄関を開けながら声をかけた。
誰かいるのか?
家の奥から誰かが出てきた。
「おお、空鬼様か。 人では欲しいとは言ったが、役にたつか?」
家から出てきたのは、見るからに おじいさん だった。
おじいは2番を見て、はあ!? という顔になった。
「こんな若い女の子じゃあ役に立つとは思えんが?」
「役に立つか立たないかはおじいの仕込みしだいじゃあないのかね。」
「空鬼様はいつもわしに無理を言われる。」
言葉とは裏腹におじいは嬉しそうな顔をしている。 まんざら嫌ではないようだ。
「この子は2番。 2番と呼んでもらいたい。」
「2番か。 わかった。」
空鬼は女の子の方に向き直った。
「この森は、閻魔大王様と私以外は出入りを禁じられているところだから他の鬼が来ることはない。
お前は私の許しを得て入ることができているということだ。
この森に住む者達は『森の民』と呼ばれていて、ここの山や森、川を守っている。
ひいては地獄全てを守ることにつながる大切な民なのだ。
まあ、皆、基本は優しい者達だからそんなに心配することはない。
今お前に紹介したのは、この森に住む『山の長老』で、炭焼きを任せている。
他にも『川の長老』、『田の長老』、『森の長老』などがいる。
そのうち会う機会もあるかもしれん。
おじいのことは私も信頼を寄せているから安心しなさい。
私はもう戻らなければならないが、2番、おじいにきちんと挨拶をしなさい。」
「はい。 あの、よろしくお願いします。」
そう言って2番はペコリと頭を下げた。
「まあ、よかろう。」
おじいは低く優しい声でそう答えた。
「じゃあ、おじい、後は頼んだ。 私も時々様子を見に来ることにする。」
「あいわかった。 気をつけてお行きなさい。」
空鬼はおじいの言葉を聞くと同時にどこへともなく消え去った。
「さあ、2番。 家に入りなさい。 皆に紹介するからな。」
「は、はい。」
2番はおじいの後について大きな家に入って行った 。
誰に紹介されるのか、どんな人が待っているのか不安だったけれど後戻りはできないと覚悟をした。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
マスコミは三人の話題で持ちきりだった。
一人は本当に大企業の社長の孫娘で、有名な私立のお嬢様学校の生徒だった。
ネットに上げられた写真に皆衝撃を受けた。
いかにもお嬢様と言った雰囲気で、とても夜遊びをしていたようには思えない。
さらりとした長い髪も、白いロングドレスもどこから見ても世間知らずのお嬢様だった。
本当に三人のうちの一人なのかと不信に思う声も上がったほどだった。
親も学校も慌てふためいた。
社長の自宅にも、学校にも連日、マスコミが押しかけてきて身動きが取れない状態だった。
そしてまず、学校が会見をすると発表した。
指定した日時に記者会見場にやってきたマスコミの関係者は想定した以上に多かった。
最初に抑えていた会場から一回り大きな会場が準備されるなど、手際よい対応がなされた。
そこに姿を現したのは弁護士が三人だった。
その中心にいる弁護士の顔を見て驚いたのは記者たちだった。
民事でも刑事でも負けたことがない屈指の敏腕弁護士だったからだ。
この弁護士が一私立学校の記者会見を仕切ることに記者たちは驚いたのだった。
そして、会見がこちらの思うように運ばないであろうことは容易に想像できたのだった。
「では、記者会見を始めます。
想定以上の方々がお見えになりましたので、急遽会場を変更させていただいたこともあって、予定より
少し遅れての会見となりましたことをまずお詫びいたします。
私はこの件に関してのアドバイザーとして会見を仕切らせていただくことになりました。
私の右側におりますのは私の助手の弁護士でありまして、左側に座っておられますのは学校の顧問弁護
士をされている弁護士の先生です。
大まかなことは私がすべてお答えいたしますが、細かいことは小紋の先生に伺ってからお答えさせて
いただくことになろうかと思いますので、よろしくお願いいたします。
さて、この度ネットに写真が出ましたお嬢さんは紛れもなく三人のうちの一人であります。
申し上げておきますが、未成年者ない場合も本人の了承もなく写真を公開する行為は違法であります。
ですからこちらから訴えるということも可能でありますが、今回はまあ、学校の『大人の対応』として
裁判にはしたくないということでこのように会見を開いたわけであります。
当該生徒につきましては、実は今回の事故が起きる以前に、海外留学を理由に自主退学をされていま
す。
留学先につきましては本校といたしましても相談に以前より応じておりまして、相手方とも話し合いが
できておりまして、近々転入されることになっております。
よって本校と当該生徒とは今回の事故以前に関係が失くなっておりますので、今後も本校に対しての
取材はお断りいたしますのでご了承いただきますようよろしくお願いいたします。
本校がこの件に対してこうした場所を設けるのも今回限りということになります。
本校に関係のない人に関してお答えできることはございません。
それでもなにかしら質問がおありの方がおられるなら、お答えできる範囲内でお答えいたします。
ご質問をされたい方は挙手をお願いします。」
何名かの記者が手を挙げた。
「はい、そこの、女性の方、どうぞ。」
「海外留学というお話でしたが、
それはどこの国のどういう学校でしょうか。」
「先ほども申し上げました通り、以前よりその件に関して学校としても相談に乗っておりましたので
すべてわかっておりますが、プライバシー保護の観点からそれに関してはお答えできません。
他にどなたか質問はありますか。 はい。ではそこの白いシャツの男性の方、どうぞ。」
「先生はこの学校の顧問弁護士ではないと思いますが、先生のような御高名な弁護士先生が
一私立学校の会見にお出になるというのは、やはり大手企業の社長令嬢だからということなんでしょう
か。 お答え願いますか。」
「私がそんな高名な弁護士だとは自分では思って下りませんので、まずそこは前提に齟齬があるようです
ね。 そして私は確かに顧問弁護士ではありませんが、こういった会見の場に少々慣れているというこ
とで、かねてより個人的なお付き合いがあった顧問弁護士の先生から個人的に依頼をされたのです。
私は一弁護士ですので、もしあなたに何かがあって私に依頼したいということであれば、私は喜んで
お引き受けいたしますよ。」
会場のあちこちから笑い声が響いた。
「では、もういらっしゃいませんか? あ、いらっしゃいましたね。 そこの眼鏡をかけておられる
はい、あなたです。 どうぞ。」
「先生はその生徒さんが今どこにおられるのかご存じですか。」
「存じません。 私はあくまでも顧問の弁護士先生から個人的に依頼されてここのいますからね。
学校の事を聞かれたときのことを考えて先生の同席をお願いしたのです。
先ほども申しました通り、当該生徒は事故以前に自主退学をしていますので、すでに学校とは無関係
ですから、それ以降については何も把握しておりません。
もしかしたらまだこちらにいて準備をされているかもしれませんし、もう出国されているかもしれま
せん。 いずれにしましても皆さんがそれを違法に調べるなどという行為は許されません。
これ以上当該生徒に接触を図ることも許しされないことです。
もしそのようなことがあれば、もしかしたら私が出る幕があるかもしれませんね。」
「じゃあ、結局先生は・・」
「質問がある方は挙手をしてくださいと申し上げています。 挙手してください。」
「はい!」るであろうということで
「では、先ほど勝手な発言をされた、そこの方、どうぞ。」
「今の言葉から察するに、先生は学校からではなくて、生徒の親御さんから依頼を受けておられるのでは
ないですか。」
「私はあくまでも学校の顧問の先生から個人的に依頼されたわけでして、その質問は全くナンセンスです
ね。 妙な勘繰りはおやめいただきましょう。
そう言ったご質問をされるなら会見はもうこれで終わらせていただきましょう。
私どもといたしましては、本来、無関係な生徒の為に会見を開く必要はなかったわけです。
それをですね、 会見を開くことで騒ぎが収まるのならば在校生や卒業生、そして保護者の皆さんが安
心されるであろうということで会見を開いたのです。
この会見は、あくまでもこちらの『誠意』だということです。
最後になりましたが、一つ付け加えさせていただきたいことがあります。
当該生徒以外の三人の女子につきましても、学校とは全く関係はありませんが、同様の対応を
取らせていただくことになりますので、そのつもりでお願いします。
事故でお亡くなりになってしまわれた方を含めて全員で四人ということです。
四人すべてのネットの記事削除の申し込み手続きをすでに始めています。
そして何度もネットに記事を上げておられる方に関しては数名を特定しております。
今後もそう言った行動が続くようであれば、こちらとしましても考えがあるということです。
なにせ相手は全員未成年と言うことでもありますので、すべての情報を削除するまで続けます。
それらは全て私が担当してまいります。
勝手に取材などをされた場合、私が全面に立って闘うことになるということです。
これは仕事ではなく、私個人の正義といいますか、一人の大人として未成年を守りたいと考えて
いるからであります。プライバシーの侵害は許されません。
それが誰であっても、です。 そのように皆さんにお願いしたい!
他になにか、私が時間を使ってお答えするに値する質問をされる方はおられますか。」
その言葉に会場は静まり返った。
「ないようですね。 ではこれで終わりにさせていただきます。
今日はお忙しい中お越しいただきまして、誠にありがとうございました。
では、失礼します。」
そう言って三人の弁護士は席を立って会場を後にした。
全国放送されたこの記者会見をきっかけにマスコミの対応はがらりと変わった。
高名な弁護士から『訴える』という言葉が出たからだった。
また、大手企業は多くの番組のスポンサーでもあり、これ以上は難しいと判断したからだった。
これに対して我慢ならないというのがネット民たちだった。
一部のネット民は『権力に屈するのか!』と騒いだが、マスコミ報道はしりすぼみになった。
そして実際に何人かのネット民の手元に『書類』が届いた。
そのことでネット民も徐々に勢いを失くしていった。
SNSの記事もすべからく削除の対象になった。
広いリビングには重苦しい空気が漂っている。
「先生、四人とも削除要請をしないといけませんか?
娘だけではだめなんですか?」
「駄目ですね。
他のお子さんの記事が残るということは、お嬢さんの記事につながってしまうということです。
他のご家庭ではこれだけのことをするだけの経済力は期待できませんので、
お嬢さんのためにもすべてを削除するようにしましょう。
お嬢さんの一生を買うと思えば安いでしょう。」
「先生がそれほど言われるならそうしましょう。
その手続きや支払いを私がすると会見で言われるのでしょうか?」
「まさかそんなことは言いません。
これはあくまでも未成年の子供たちを守りたいという私の一存で闘う決意をしたと言います。
この件に関してあなたの名前が出てはいけません。
憶測でいろいろ探ってくる輩がいるでしょうが、無視してください。
いいですね。 徹底して無関係を貫くんです。」
「わかりました。 家族にもきちんと言っておかないといけませんね。」
「そうしてください。
学校の方は私が手を打っておきましたから大丈夫です。
保護者の皆さんや通報者にも話をつけてありますので、これ以上話が大きくなることはないかと
思います。
もしまた何か変わったことがあればすぐに手が打てるよう、しばらくは監視を続けます。」
「よろしくお願いします。 まことに不祥な娘で、お恥ずかしいことです。」
「いいえ、若いうちは少しくらいは羽目を外すくらいの方が大成されますよ。
お嬢さんの将来がたのしみですね。」
「どうでしょう?」
実は、海外留学の話は全くのでたらめだった。
学校も自主退学をしていたわけでもなかった。
親と学校が弁護士と相談してそう決めたのだ。
それで学校は無関係の立場を通すことで事なきを得ることにしたのだ。
そして生徒は自主退学という形をとることで歴に汚点を残さないことになったのだ。
このことがきっかけで海外留学が本当の話として浮上した。
「ところで、海外留学はどうされますか?」
「急に受け入れてくれるところなんてないんじゃありませんか?」
「私のイギリスの知り合いが、その人も弁護士をしているのですが、
今回それとなく聞いてみたら心当たりがあるようでして。
あっちは9月からが普通なので怪しまれることはありません。 どうされますか?
話は今はいったん保留ということにしていますからどちらにされても大丈夫ですよ。」
「お願いしよう。」
「お父さん!」
「かわいい孫娘のためじゃ。 費用は私が出そう。
遺産の前渡しと考えればどうということはない。」
「迷惑をおかけして申し訳ありません。 ありがとうございます。」
娘の父親は自分の父親に深々と頭を下げた。 そして、
「お前からもおじいさまにお礼を言いなさい!」
と命令した。 娘は小声で
「ありがとうございます、おじい様。」
「うむ。 英国で立派なレディになって帰って来なさい。
ちょうどいい機会かもしれないね。
向こうの社交界にもつながりができるじゃろうし、それも経験じゃ。
しっかりと学んで、社長令嬢としてのマナーを身に着けてくるんじゃぞ。」
「はい。 わかりました。 」
「そうじゃな。 どうかね、君はどう思うかな?」
おじいさまにそう聞かれたのは親同士が決めたいいなづけだった。
彼はまだ学生で、卒業したらその会社に入って修行することが決まっていた。
「ちょうどいいんじゃありませんか? ヨーロッパにはあちこちに支社もありますし。
僕も出張がてらに会いに行くこともできますから。
大丈夫だ。 君が戻ってくるまで、僕も修行をしながら待っているからね。」
「それを聞いて安心した。 孫を頼んだぞ。」
「はい。 お任せください、社長。」
「それで、今、イギリスは何時かな。 できれば直接君の知り合いに話したいと思うのじゃが。」
「何時でも大丈夫です。 向こうはこちらからの連絡を待っているはずですから。
今からここでかけましょうか。」
「そうしてもらえるとありがたいな。」
「わかりました。」
弁護士はさっそくイギリスの知り合いの弁護士に連絡を取った。
話はとんとん拍子に進んで、学校も住むところもすべてが決まった。
というより、こうなることを見越してすべてが用意されていたのだった。
学校も住環境も申し分のないもので、社長は満足だった。
「これこそ雨降って地固まる ですね。」
弁護士の言葉にその場にいた男たちはいっせいに楽しそうに笑った。
娘の顔はずっとくもっていた。
幼いころから自分には自由はなかった。
社長令嬢としての心構えや立ち居振る舞いを厳しく言われ続けた。
幼稚園はもちろん学校でも心を許せる友達はできなかった。
皆、堅苦しい口調で表面的な話しかできなかった。
一度でいいから一人で出かけてみたいと思っていた。
お買い物はいつも運転手付きの車で、共の者と一緒に出掛けた。
自分の好みや流行には無関係の社長令嬢としての服を他の誰かが選んで決めた。
一度でいいから自分で選んでみたいと思っていた。
高校生になって、初めてその思いは一層強くなった。
同年代の女の子が笑いながら歩く姿を車の窓から見て羨ましく思っていた。
あの日、避暑の為に出かけていた別荘から帰った。
家族はリビングでくつろいでいて、使用人たちは荷物の片づけに忙しかった。
誰も私のことを気にかけてはいなかった。
そして私は家族と使用人達の目を盗んで一人で家を抜け出したのだった。
それが、まさにあの日だった。
初めての開放感だった。
一人でお店に入って、いろんなものを見て、それだけで十分楽しかった。
同じ服に同時に手を伸ばしたことがきっかけで出会ったのがあの時の三人だった。
顔を見合わせて思わず四人で笑った。 それだけで一緒に歩く理由になった。
三人は私のことは何も知らなかった。
私のことは髪が長いからという理由でロング。 ロングは長いからと『ロン』と呼んだ。
生まれて初めて呼ばれる愛称で別人になれた気がしていた。
私は今日を精一杯楽しみたいと思った。
赤いリボンをしているポニーテールの子は『リボン』。
一人は自己紹介で『はな』と名乗った。
もう一人は『ぽんちゃん』と呼んで欲しいと言った。
四人で歩いておしゃべりをして、そしてあの橋にたどり着いた。
私のことを知られていないという気軽さが時間が過ぎるのを忘れさせた。
私がいなくなって、誰も何も知らないことで家が大騒ぎになってしまっていることなど
思いもよらないかった。 そこに考えが及ばなかった。
どこをどう通ってあの橋に行ったのかなんて覚えていない。
ただ、あの橋に着いただけだった。
そして、あの事故が起こった。
怖くなって、無我夢中で逃げて途中でタクシーを捕まえて帰宅した。
『リボン』が川に落ちた時、それが原因でしんでしまうなんて考えもしなかった。
どこの誰かもわからない相手のせいでこんなことになるなんて思いもよらなかった。
たった一日、ほんのちょっとの自由を味わいたくては目を外したせいで、人生の自由をすべて失っ
てしまったことだけは理解した。
『本当に一度だけのお出かけになってしまった。』
ちょっとしたいたずら心から、払わなければならない代償はあまりに大きかった。
生まれて初めてできた友達だった。
『はな』はショートカットがよく似合っていてコロコロと笑う元気な子だった。
『ロン』はモデル志望の手足が長い年下とは思えないほどしっかりしていた。
『リボン』は言葉は荒いけれど優しくかわいい子だった。
『リボン』は私たちが逃げたせいで死んでしまったのだとしたら、私のこれからの不自由は
当然の報いだ。 私はそれをすべて受け入れるしかない。
私は結局また逃げる。 今度は留学という名の下で逃げる。
私の不自由さとみんなの自由が引き換えにされるのならそれでいい。
『リボン』 ごめんね。 あの時ただ怖くて、逃げてしまった。
「ごめんね、『リボン』」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も。
この度は皆さんにご心配いただき、そしてご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
今後はこのようなことがないようにします。
弁護士の先生にもお力添えをいただきましてありがとうございました。
すべてを徹底的に抹消していただきますようよろしくお願いします。」
私はそう言って深く頭を下げた。
その場にいた者達はその言葉にうなづいた。
すぐに手続きがなされ、渡英に向けての準備も済んだ。
そして8月末には『ロン』はイギリスに旅立った。
一挙手一投足、すべてが管理される環境の中で暮らす留学生活が始まるのだった。
マスコミ報道を否定するのに決定的だったのは、通報者が前言を翻したことだった。
「あおったって言いましたよね?」
「だってさあ、あんたたちマスコミの人が毎日のように家に来てさあ。
何かないかってしつこく聞くからさ、リップサービスっていうのかなあ。
話題になりそうなことを言って欲しいって顔をするから、言っただけじゃんか。
あんたたち、一回俺がしゃべった時、それでおしまいにすりゃあよかったんじゃない?」
「でもあの時いろいろおっしゃいましたよね?」
「だからさ、言っただろ、リップサービスだって。
皆なんだって盛って話すだろ? それだけのことなんじゃない?」
「今になってそんなことを言われたら、こっちが嘘を言ったようになるんjじゃないですか?」
「そんなこと、知らねえよ。
だいたいさ、俺のアパートはあそこだよ。 わかる? 遠いってこと。
あんなところからそりゃあみんなで四人いたってことはわかるけどさ。
それ以上詳しいことがわかるなんて考える方がおかしいんだよ。
それなのにさ、俺に他に何かないかって毎日来て聞く方がおかしいんだよなあ。
俺、悪くないから。 今度から報道するときはきちんと『検証』っていうの?
きちんとするんだな。 じゃ。
言っとくけど、俺、あんたらからお金もらってないからね。 こっちは奉仕、ボランティア。
これ以上しつこくするんなら、こっちにも考えがあるからな。 二度と来ないでもらいたいね。」
通報者は全ての報道内容はマスコミの誘導の結果だと言って、マスコミ批判をしたのだった。
そうしてこのことはマスコミに取り上げられることがなくなっていったのだった。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
「入りなされ。」
2番がおじいに促されて入った部屋には、多くの者が集まっていた。
「ここにいるのは『山の民』じゃ。
『川の民』も『田の民』も皆『森の民』なのじゃが、それぞれが受け持つ場所で分けておる。
2番は『山の民』の一人として働いてもらうことになる。 いいな。」
「はい。 よろしくお願いします。」
「うむ。 それでじゃ。
わしたちは皆、木から名前をいただいておる。
名前はおいおい覚えるといいわい。
最初から何ができるわけではないじゃろうから、まず、そうじゃな。
水くみの手伝いをしてもらおう。
ここは山じゃでな、山の中腹に水が湧き出ておるところがある。
そこまで下りて、汲んで上がるのじゃ。
これは昔から女手でやることだでな。 2番にも手伝ってもらおうか。 いいか?」
「はい。 やります。」
「うむ。 いい返事じゃ。 じゃあ、そうじゃな。 ツバキ、お前が教えてやってくれ。」
「え? わたしがかい?」
「そうじゃ。お前に頼もう。 年も近いでな。」
「はあ。 空鬼様からの頼みじゃ。 わかったな。」
「え? 空鬼様の? はい。 わかりました。」
ツバキと呼ばれた女の人は2番より少し年上に見える。
空鬼様はよほど怖いらしく、空鬼様の名前をきいた途端背筋が伸びて『いい返事』をした。
そして2番に向かって話しかけた。
「私はツバキ。 よろしく。
今日はもう水は汲んだから水はいいが、水口まで案内する。 着替えも準備してあるから着替えたら
私に着いてこい。」
「はい。 わかりました。 お願いします。」
2番は空鬼様に感謝しながらツバキに頭を下げるのだった。
準備されていた着替えは、いわゆる作務衣のようなものだった。
長靴は蔓と葉っぱでできていて、丈夫でやわらかく履きやすかった。
もちろん2番は見たことも聞いたこともなかったが、着てみると何とも動きやすく楽だった。
山でどうして長靴なんだろうと不思議に思ったが、何も言わずに履いた。
着替えを済ませた2番はさっそくツバキについて山を下りた。
下り坂はきつかった。 周りの草丈も高く、長靴の意味がいっぺんに理解できた。
じっとりと汗をかきながら必死でツバキについて行った。
時に姿を見失いそうになるが、一本道なので迷うことはなかったし、時々ツバキが声をかけてくれて
歩みを止めて待ってくれたのは嬉しかった。
「お前は空鬼様から頼まれたモンだからな。」
ツバキはそう言った。 それはなんとなく嬉しく思っているように見えた。
しばらく歩くと湧き水が出ている場所に着いた。
「ここまでおりてくるんだ。 今は水を汲まないから手ぶらだけど、本当は手桶を持ってきて
水くみをするんだ。」
「え? ここまで来てお水を汲んで。 山を上るんですか?」
「そうさ。 私たちは子供のころからだから慣れてるけど、お前は手桶を持つのも大変だろうな。」
「私にできるでしょうか?」
「やるんだろ? お前、さっきやるって言った。 やらなきゃ嘘つきさ。」
「『嘘つき』か。 わかりました。 やってみます。」
「誰だって最初からうまくできるなんてこと、ないから。
まず、手桶を一つ持って水くみだ。 慣れたら私らと一緒、両手に持つんだ。 いいな。」
「はい。」
「なあに、力仕事だ。 毎日運んでたら力がついて、二つくらい運べるようになるさ。」
「はい。」
2番は逃げたい気持ちになってけれど、自分の為に頭を下げてくれた遊鬼と力になってくれた空鬼のことを思い出して、『ここはやるしかないんだ!』と思い直した。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
『はな』と呼ばれた子は、本名が本当に『はな』だった。
ショートボブで、服装もスタンドカラーのシャツとパンツとスニーカーに肩からかわいいポシェットを斜めに掛けている。 楽しそうにコロコロと屈託なく笑いながら話すのが魅力的な女の子だ。
『ぽんちゃん』はすらりと背が高く、金髪のウイッグとカラコンのせいで一見外国人に見える。
背は高いけど運動神経はいまいちだから、将来は長身を生かしてモデルになりたいと言っていた。
9月からは別の学校に転校することが決まっているとも話していた。
その理由を聞いても笑うだけで何も答えてはくれなかった。
今から気をつけなきゃ と言って、お菓子を食べすぎないと決めているとポーズを取りながら話す様子が
楽しそうだった。
今回のことで二人の周りにも変化があった。
ネットに情報を流されて、何もかもが知られてしまった。
特に驚いたのは、あの『ロン』がどこかの社長令嬢だったことだった。
そう言えば着ていた物も、持っていた物も全部高そうなものばっかりだったような気がした。
あの日が初対面だったし、あの日以来もちろん連絡もしていない。
まず、連絡先を交換する前にあんなことになってしまったのだった。
あんなことにならなくても連絡先を教えてはくれなかっただろうと後になってそう思った。
学校も家族も慌てて、何をどうしていいのかわからない状態だった。
『はな』の家では家族会議が開かれた。
親はもちろん、兄弟も矢面に立たされてしまっているのだ。
『はな』は自業自得だけれど、他の者が迷惑をこうむるのは困るということだ。
「あんたね、想像力ってものがないの!?」
はなの母親ははなを厳しく責め立てた。」
「想像力って、なに?」
「はあ!?
だからね、これをしたらこうなって、それからああなって、みたいな。
橋の欄干に上るのは危なくって、落ちるかもしれない。
落ちたら怪我をするかもしれないし、悪くすれば死んでしまうかもしれない。
だから欄干に上るのをやめさせなければならないっていうふうに、考えなかったの?」
「だって本人が上りたいって言ったんだもん。」
「そうじゃない。 たとえ本人が上りたいって言ったって止めようとは思わなかった?」
「思わなかった。」
「どうして!!」
「だって本人が上りたいって言ったんだもん。」
「あんたねえ。 友達なら普通そんな危ないこと止めるんじゃないの?」
「友達? 友達かなあ。
『リボン』、あの子の事、『リボン』って呼んでたんだけど、それだけだよ。
本名も知らないし、どこの誰かも知らないもん。
街で会ったら話す みたいな感じ。 そういうの、友達って言えるのかなあ。」
「はな!!」
「なあに?」
「もし友達って言えるほどの仲じゃなかったにしても、目の前で危ないことしてる子がいたら、
やっぱり止めるでしょう? 止めないの?」
「ううーーーんーーー。 どうかなあーーー。
本人がやりたいことを止めるなんて、傲慢じゃない?」
「あんたねえ。 あの子は死んでしまったんだよ。 どう思ってるの?」
「だって自分が上りたいって言って上ったんだよ。
なんで私が世間から、お母さんからなんだかんだ言われなくちゃいけないのよ。
そんなの、おかしいじゃない。 絶対おかしいって。
私の方がそう言う意味じゃ被害者だもんね。」
「はな。 責任は感じないのね」
「責任って何の責任? 誰に責任を感じるの? 」
「はな。 私はどうしていいかわからないわ。」
はなの母親はとうとう泣きだしてしまった。
一人の女の子が死んでしまった。 自分の子供がその場にいて救急車を呼ばずに逃げてしまった。
そのことに関して、自分の娘は何も感じていない。
せめて悲しいと感じる心を持っていて欲しかったのだ。
母親ははなと一緒に暮らす自信がなくなってしまった。
それでたどり着いた結論は、『はな』を母親の祖父母の家に移すということだった。
祖父母の家は田舎だからネットの情報は知られてはいないんじゃないかということからだった。
それに孫であるはなを無条件でかわいがってくれている。
祖父母ならはなを受け止めてくれるのではないかと縋り付く思いで頼み込んだ。
祖父母は話を聞いて即座に承諾した。
「こっちに連れておいで。
近所のみんなも若くてかわいい女の子が来てくれたら喜ぶしね。
面倒なことなーんも聞かんでくれるだろうし。
はなには田舎は退屈で詰まらんところかもしれんが、田舎には田舎の良さもあるよ。
ちょっぴりのんびりするといいよ。
で、高校はどうするね?」
「学校に転校を申し入れようと思うんだけど。
私が通ってた高校、まだある?」
「あるよ。人数はずいぶん減ったみたいじゃけど。
学校に言うたら喜んでくださるかもしれんな。」
「わかった。 学校の手続きはこっちでするから、頼むね、母さん。」
「大丈夫じゃ。 泣かんでいい。 何とかなる、あんたの子じゃ。
いい子に決まっとるじゃないか。 はなはいい子じゃ。
親がそう信じんでどうするんじゃ。 はなを信じて待っとればいい。 わかったね。」
「うん。 ありがとう、そうする。」
それからのことほとぼりが冷めてから改めて話し合うことにした。
『はな』は仕方なく承諾した。
学校も転校することにした。 転校を申し出た時、校長や担任教師はほっとした表情をした。
そして積極的に協力することを約束し、夏休みだというのに書類を整え、手続きを済ませてくれた。
はなは今まででは考えられないような、なにもない田舎に住むことになってしまった。
次の日、さっそくはなは父親の車に荷物を乗せて母の実家に向かった。
家の前では祖父母が二人並んで待っていてくれていた。
「お義父さん、お義母さんお久しぶりです。
この度は勝手なおt願いを聞いていただいてありがとうございます。」
「父さん母さん、ありがとうね。」
「お礼なんかいらんよ。 こっちも楽しみにしとったんじゃから。」
祖父母に案内されて三人で家に入って茶の間に通された。
おばあちゃんは皆にお茶とお菓子を出してくれてから自分も座った。
「はなちゃん、いらっしゃい。 待っとったよ。」
「じいちゃん、ばあちゃん、よろしく。」
「こちらこそよろしく じゃ。
はなが来てくれて、いっぺんに家があかるくなったわ、ねえおじいさん。」
「そうじゃそうじゃ。 全く明るくなったわ。
わしも一回り若くなった気がするわ。 はっはっは!!」
「はあ。」
はなは自分がこんなに歓迎されるとは思っていなかったので驚いた。
厄介者を押し付けられて、さぞ迷惑しているんだろうと考えていたからだった。
「父さん母さん、私らはもう帰らないと。 明日も仕事だから。」
「わかった。 気をつけて帰るんよ。
あとは大丈夫、 心配せずに心丈夫にいなさいよ。」
「うん。 ありがとう。 じゃあ、たのむね。
はな。 おじいちゃんとおばあちゃんと仲良くしてね。」
はなはむすっとしたまま黙っていた。
「じゃあ、帰るね。 また様子を見に来るから。」
「無理せんでいいよ。はなはいい子じゃから大丈夫じゃから。」
おばあちゃんはにこにこしてそう言った。
両親は何度も頭を下げてから車に乗り込んで、また頭を下げながら帰っていった。
その時の母の顔が歪んでいるように見えた。
『母さん、もしかして、泣いてる?』
二人を見送った後、三人で茶の間に戻った。
「明日高校に一緒に行って先生に挨拶しようかね。
はなのお母さんが通っとった高校じゃ。 私も久しぶりに行くから楽しみじゃわ。
おじいさんはどうする? 一緒に行くかね。」
「そうじゃなあ。 先生にはなのことを頼まんといかんでの、わしも行こうかの。」
「じゃあ、三人で行きましょうかね。 はなと一緒に歩くなんて、楽しみじゃなあ。」
「そうじゃなあ。 楽しみができて、よかったわ、なあ、ばあさん。」
「そうですとも。 はなも疲れたじゃろう。 風呂にするか?ごはんにするか?」
「ごはん。 おなかが減った。」
「じゃあ、先に晩御飯じゃな。
おなかがすいたと思えるちゅうことは生きてるということじゃ。
食べることは生きることじゃからな。 ええことじゃ、なあ、はなちゃん。」
そう言うとおばあちゃんは立ち上がって台所に行って、あらかじめ用意をしていた晩御飯を運んできた。
おじいちゃんはテーブルにお茶碗を並べるのを手伝った。
はなはそれをぼんやり見ていた。
「さあ、食べようか。」
はなはお箸を持ってそのままお茶碗を持ち上げたが、その時二人は両手を合わせて、
「いただきます。」と言った。
はなは慌てて「いただきます。」と言った。
そうか、そう言えば子供の頃は食べる時にそんなこと言ってたっけ。 忘れてたな。
おばあちゃんが作ってくれたごはんはおいしかった。
ひじきの炊き込みご飯と鶏肉のから揚げときゅうりのシラス和えと豆腐のお味噌汁だった。
「田舎料理じゃから、はなちゃんの口に合うかねえ。」
「おいしい。」
「そうかそうか。 そりゃあよかった。」
「よかったなあ、ばあさん。 いろいろ考えとたがいつものごはんが一番じゃったということじゃ。」
「そうじゃな。 明日からも腕によりをかけておいしい物を作らんとね。」
「おかわり!」
はなの元気な声に二人は嬉しそうに顔を見合わせて笑っていた。
次の日、三人は9月から通う高校に出かけて行った。
話しが伝わっていたらしく、校長室には校長先生と担任の教師が三人を待っていた。
「ようこそ、いらっしゃい。こんな田舎に若い子が来てくれて嬉しいことじゃ。」
「そうですね、校長先生。 一人増えたらその分賑やかになって楽しいですね。」
「そうじゃな。 でもしかし、急な転校の理由はなんですじゃろ?」
「はい。 この子の父親が入院することになりましてね。
母親が、私の娘ですが、付き添わなきゃならなくなって。
それでしばらく預かってもらえんかって連絡がありましてね。
娘の通った高校に孫娘がお世話になるのも何かの縁かと思いましてね。」
「それは大変ですね。 で、ご病気かなにかで?」
「病気というより、ケガでして。 それでリハビリっちゅうんですかね。
なんか時間がかかるようで。 年頃の娘をひとりで置いて留守が続くのも物騒なもんでね。」
「そりゃあそうです。 若い娘さんを一人で家に置くなんてそりゃあいけません。
わかりました。 学校としても協力は惜しみません。
制服はどうされますかな。 卒業生が寄付してくれたのがあるからそれにされますかね。」
「そうしてもらえるとありがたいですね。 靴は確か自由でしたね。」
「はい。 靴は自由です。 あ、自転車通学もできますが、自転車はどうされますかね。」
「紹介してもらえるとありがたいですが。」
「わかりました。 村の自転車屋に連絡しておきますんで寄ってください。
自転車とヘルメット、ついでにリュックも店にありますよ。」
「はい、じゃあ。帰りに寄ってみます。
先生方には急なことでご迷惑をおかけしますが、孫のことをよろしゅうお願いします。」
おばあちゃんはそう言うと立ち上がって目の前の二人に深く頭を下げたのだった。
はなは驚いた。 転校の理由を聞かれたおばあちゃんは平然と嘘をついたからだった。
そして最後には自分が嘘をついた相手に頭を下げたのだ。
『おばあちゃん、頭の中、どうなってる!?』
はなは帰る時に立ち上がって「お願いします。」と言って頭を下げるだけで精いっぱいだった。
学校を出て三人で歩きながらはなはおばあちゃんに聞いてみた。
「おばあちゃん、先生に嘘ついたよね、転校の理由。」
「そうか? そうかもしれんな。
かわいい孫娘のためじゃ。 嘘をついても閻魔様は許してくださるじゃろうよ。」
おばあちゃんは普段と変わらない表情でそう言った。
「さすがばあさんじゃ。 わしではあんなふうにうまく言えんからなあ。」
「おじいさんは嘘がへたじゃからねえ。 こんな時には役には立ちませんよ。」
「そうじゃなあ。」
「それでいいんですじゃ。 二人が嘘つきじゃあ閻魔様も大目に見てはくださらんでな。」
「そうじゃそうじゃ。その通りじゃ。 じゃあ、自転車屋に寄ってはなが好きな自転車を選ぼうな。」
「そうじゃな。 好きなのがあればええなあ。 ねえ、はなちゃん。」
「え? う、うん。」
おばあちゃんが言う閻魔様がいるのかどうかわからないけど、おばあちゃんは絶対に許してもらえるに決まってる。 私は許してもらえるかどうか、わからない、見捨てて逃げた私なんかダメだよね。
はなは今までそんな風に考えたことがなかった。 『閻魔様に許してもらう』か。
はなの目になぜか涙がにじんだ。 私も許してもらいたい と思った。
自転車屋に寄って勧められた自転車とヘルメットを買うことにした。
自転車屋のおじさんは気さくで話しやすい人だった。
「孫が来てくれるなんてうらやましいわ。 わしの処は田舎を嫌ってくるのは正月くらいじゃわ。」
「この子の父親がリハビリでな、時間がかかるんで預かったんよ。」
「そりゃあ大変じゃ。 かわいい子じゃから学校でも人気者になるじゃろうよ。」
「自転車もカッコいいしね。」
「そうそう。その通りじゃ。」
「「「はっはっは!!」」」
はなは、おばあちゃんがこんなところでも嘘の理由を平然と話していることに驚いた。
自転車を押しながらの帰り道、おばあちゃんがぼそりと言った。
「あの人に話しとけば明日にははなちゃんのとこが村中に知られとるわ。
広げたい話は話す、内緒の話は絶対にしない。 自転車屋では気い付けるんじゃぞ。」
「うん。 わかった。」
はなはおばあちゃんがとってもたくましくて頼りになる存在に思えて嬉しくなった。
『ここにいたら大丈夫な気がしてきた。』
9月になってはなは自転車に乗って登校を始めた。
「はなさんはお父様がご病気で、お母さまが付き添いをされるためにおじいさまとおばあさまのお宅に
住むことになりました。はなさんは不安な気持ちでいっぱいだと思います。
皆さん、はなさんと仲良くしましょうね。」
担任の先生の言葉にみんなは「「「「 はーーーーい!!! 」」」」と元気に返事をした。
休憩時間になったらみんながはなの処に集まってきた。
「はなちゃん、今度うちに遊びに来てよ。」
「女子皆でお買い物しよう!」
口々に誘ってくれて、それが全部本気なのが驚きだった。
はなは次の日曜日にみんなでお買い物に行く約束をして家に帰った。
帰り道、自転車に乗っていると遠くに見覚えのある姿があった。 おばあちゃんだった。
急いで近づいて声をかけた。
「おばあちゃん、どうした? こんな時間に。 買い物?」
おばあちゃんの手にはエコバッグがあって、中に食料品が見えた。
「はなちゃん、今帰りかい。
なにね、今日テレビの料理番組で『若い人が好きなハンバーグ』っていうのをやっててね。
それでメモして。 はなちゃんに作ろうって思ってね。
忘れないうちに買い物しようって思って。 あれこれやってから出かけたからちょっと遅くなって。
はなちゃん、ハンバーグ、好きかい?」
「おばあちゃん!」
はなはおばあちゃんの言葉を聞いて泣いてしまった。
「あらあらどうしたね、はなちゃん。 なに泣いてるのかね。
おばあちゃん、なんか嫌なこと言ったかね?」
「ううん。 そんなことない。 荷物、自転車に乗せて。」
「ああ、ありがとう。」
「こんなに。 重かったでしょうに。」
「はなちゃんに会ったから楽させてもらって、ありがたいねえ。」
「おばあちゃん、ありがとう。」
「はなちゃん、ハンバーグ。」
「私ハンバーグ大好き。 おばあちゃん、一緒に作ろうよ。」
「そうかい? 手伝ってくれるかい? そうかいそうかい。
はなちゃんは優しい子だね。 はなちゃんはいい子いい子。」
「なにそれ!? 変!」
「そうかい? その自転車、楽かい? アシシト自転車。」
「アシシト? おばあちゃん、それ、アシストだよ。 アシスト!」
「アシシト。」
「そうじゃないって。 アア シイ スウ トオ! アシストだってば。」
「アア シイ シイ トオ?」
「違う! でも、まあ、いいや。 あししと でも アシスト でもなんでもいいや。」
「そうそう。 なんでもいいや。」
「そう。 そんなこと間違っても閻魔様は赦してくれる かな?」
「閻魔様は優しいお方だから赦してくださるよ。」
「そうだね。 赦してくださるね。」
はなはおばあちゃんと並んで歩く時間がとてもいとおしく思えた。
「次の日曜日、女子皆でお買い物に行く約束したんだ。」
「そうかい。 約束したのかい。 そりゃあよかったねえ。
よかったよかった。」
はなの家族は戸惑っていた。
高名らしい弁護士が矢面に立って『未成年の四人』を守るため闘うと記者会見を開いて宣言したからだ。
訴訟も視野に入れているという言葉でマスコミはこのことを扱わなくなったし、ネット民も鳴りをひそめたのだ。 何年も残るはずの『デジタルタトゥー』もすぐに検索不能になっていた。
はなの兄弟は独立していて一緒に住んでいなかったこともあって、実質的には被害らしいものはなかった。 その前に手が打たれたのだった。
もう大丈夫、皆そう考えた。 そしてはなをこちらに呼び戻そうかという話になった。
あんな田舎ではなが住めるとは思わなかったし、何より祖父母に負担が大きいだろうということだった。
はなの両親は田舎の祖父母に連絡をしてその話をした。
しかし、その時には祖父母にとってはなは生きがいになっていたし、はなにとっても祖父母の家はやっと見つけた居場所になっていた。 それに、前の学校に戻ることは無理だった。今の学校では友達もできて毎日が楽しかった。それどころか今では高校を卒業してもこっちに住みたいと考えるようになっていた。
進学するにしても就職するにしても、この家から通いたい とはなは言った。
両親は驚いたが、はなの気持ちを聞いて驚いたが、すべてを承諾した。
そして自分たちが時々様子を見に行くことにしたのだった。
はなには新しい生活が始まって、思いもよらなかった自分の居場所を手に入れることもできた。
そんな時、ふっと思いだすのが『リボン』のことだった。
「もう『リボン』は笑うこともなくこともできないんだ。
私はいま、こんなに笑ってられてるのに。
逃げて、ごめん。 びっくりして逃げちゃった。
遠くから男の人の声がして、それも怖くて、逃げちゃったんだ。
ごめん。 許してくれないよね。
でも、ごめん。 私、ここで暮らしたいんだ。」
はなは『リボン』に話しかけながら、初めて泣いた。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
2番は毎日ツバキの後について手桶を持って山を下った。
手桶だけでも重いのに、それに水を入れて運ぶなんてとんでもないことだった。
とてもじゃないけど運べない。 2番はその場にへたりこんだ。
「その頭のひらひらした布切れ、外したらどうじゃ? 邪魔じゃろ?」
「ひらひらの布切れ? ああ、リボンのこと?
とんでもない。 リボンは私のトレードマークだもの。
リボンのない私なんて私じゃない。 絶対に嫌よ!」
「そうか、まあ、好きにするがいい。」
ツバキはあきれたようにそう言い放った。
2番は途中で何度も休みながら上ったが、山に着いた時には手桶の中には水は半分も残っていなかった。
そんな日がずいぶんと続いた。
2番が一回水を運ぶ間にツバキは両手の手桶に水を入れて何度も往復していた。
2番の横を通るたびに、ツバキは「もうちょっとじゃからな。」と声をかけてくれた。
どんなに水をこぼしてもツバキは決して怒らなかった。
2番の両手の掌は真っ赤になって皮膚が破れ、血がにじんだ。
2番は少し考えたが、髪を結んでいたリボンを外して半分に切った。
そしてそのリボンを両掌にグルグルに巻いて手桶を運んだ。
泣き言は言うまい、いつも 大丈夫 と声をかけてくれるツバキのためにも、絶対に頑張ろうと思った。
そのうち2番の両手の掌は硬くなって、手桶を持って運ぶことが平気になった。
『よし!もう痛くない!』 どうしたら両手で水を運べるようになるんだろうかと考えた。
それまでは両手で一つの手桶を持ち運ぶのが精いっぱいだったが、それではいつまでたっても二つの手桶を運ぶことはできないままだ。 何か策はあるはずだ。
2番は両手に手桶を持って、片方は水を入れてもう片方は空の手桶を持って水くみをすることにした。
両手に手桶を持って水くみができるようになるための2番なりに考えた方法だった。
ツバキは片方の手桶が空だと知ってもなにも言わなかった。
そのうち水をこぼさずに上ることができるようになった。
そしてもう片方にも少しずつ水を入れて運べるようになった。
両手の手桶にしっかり水を入れて運べるようになるまでずいぶんと時間がかかった。
初めてそれができた時、2番はただひたすら嬉しかった。
「やったな。 やればできるじゃないか! 水くみは一人前じゃな。」
ツバキの言葉に2番は嬉しくて泣いてしまった。
ツバキは2番をそっと抱きしめた。
「お前は頑張り屋さんなんだよ。 だから空鬼様がここに連れて来なさったんだ。
長老様にもこのことを報告しないといけないな。 きっと喜んでくださるさ。」
2番は自分の喜びを共有してくれる存在のありがたさを感じていた。
「2番、水くみができるようになったとツバキから聞いた。 よく頑張ったな。」
「ありがとうございます。」
長老からねぎらいの言葉をかけられて2番は本当に嬉しかった。
「それで、じゃ。
わしからお前に謝らなければならんことがある。」
「え? なんですか、長老様?」
「実は、昔は水くみは女手でやっておったのじゃが、今では水くみはせんでもよいことになっておる。
空鬼様が嵐鬼様に話して水口を新たに作ってくださったのじゃよ。
嵐鬼様は元々龍神様じゃからな。 水脈は嵐鬼様がお決めになる。
それで空鬼様が頼んでくださった。 わしらの為に頭を下げてくださったのじゃ。
ありがたいことじゃ。」
「え? それじゃあ?」
「わしらはお前を試したのじゃ。 すまんかった。
お前が本当に頑張るつもりでいるのかどうか、わしらは知る必要があったのじゃ。
本気でなければ森に置くことはできんでな。
それでツバキにもしんどい仕事をさせたのじゃ。
ツバキも水くみは久しぶりじゃったからしんどかったと思うが、お前ががんばっておるからと
愚痴も文句も言わずにやってくれたわ。」
「長老様、私は水くみは慣れてますから、平気だったです。
それどころか久しぶりだったから楽しかったんですよ。」
「そうか。 そう言ってくれるとわしも気が楽じゃ。
2番、お前はわしを許してくれるかの?」
「もちろんです。 許すなんて、それどころか私、生まれて初めて頑張ったって自信をもって言えます。
今まではなんでも中途半端で、頑張ったことなんて一つもなかったけど。
今回は頑張ったって言えるほど頑張りましたから。
それにこんな私に着きあってくれたツバキさんには本当に感謝しています。」
「そうか。 それで安心した。
明日からはもう水くみはせんでええ。
皆と一緒に家の事をしてもらおうか。
皆、出て来なさい。」
すると、隣の部屋から村の女の人達がぞろぞろと出てきた。
皆、にこにこ笑っている。
「ここにいるのはこの山の女性たちじゃ。 家のことは全部任せてある。
山の仕事は力仕事じゃから男の仕事じゃ。
家の仕事は女衆が采配しておるのじゃ。
一緒にやっていろいろ習うとええ。 お前たち、2番を頼むぞ。」
「はい、わかってますよ。
水くみを頑張ったんだから、私らの仕事は全部できると思うよ。
皆で楽しくやりましょうね。
私の名前は ヒイラギ。 順番に サクラ、ウメ、サツキ、スギ。
他にもいるが、今日は5人じゃ。 名前はおいおいに覚えるとええからな。」
「はい。 ありがとうございます。 」
2番はそう言って頭を下げた。
「じゃあ、これ。」
そう言ってヒイラギが2番に差し出したのは赤いリボンだった。
「これは?」
「赤いリボン、掌を巻くのに使ったんだって?」
「ありがとうございます。」
2番はヒイラギたちの優しさに触れて、泣いた。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
この度の件で一番実害がなかったのは『ポンちゃん』だっただろう。
ポンちゃんはモデルになりたいと言っていたが、実は昔は今とは全く違う体形だった。
子供のころからポンちゃんは背が高かった。
小学校に入学するときにはすでに140センチを超えていた。 頭一つ抜け出していた。
幼稚園の頃からずっとニックネームは『のっぽちゃん』だった。
学年で一番背が高い子で有名で、知らない人がいないほどだった。
ぽんちゃんはそれが嫌だった。 目立ちたくなかったのに、目立ってしまう自分が嫌だった。
学年を追うごとにそのストレスが溜まって、太り始めた。
するとニックネームは『のっぽちゃん』から『トンちゃん』に変わった。
聞こえよがしに『おデブ』と呼ぶものがいたり、『ファットちゃん』と言って笑う者もいた。
ポンちゃんは学校に行くことができなくなった。 そしてついにはひきこもるようになった。
小学校2年生の時からずっと、学校鬼行けない状態が続いた。
ランドセルを背負って玄関までは行けるんだけれど、玄関ドアを開けることができない。
靴を履くことができない。
ランドセルを見ると胸が苦しくなる。
教科書を見るだけで吐き気がするようになった。
それを毎日見ていた母親は、
「学校に無理して行かなくってもいいよ。」 と言った。
ポンちゃんは申し訳なくて、でもほっとして母親に縋り付いて泣いた。
「ごめんなさい。 ごめんなさい。」
母親は娘を抱きしめて、ただ、大丈夫 とだけ言って一緒に泣いた。
それからはポンちゃんは毎日家にいるようになった。
共働きだから昼間は一人だった。
昼間もカーテンを閉め切って、母親が用意してくれた食事をしながらテレビを見るのが日課だった。
そんな毎日が何年も続いた。 ポンちゃんは中学生になる年齢になっていた。
ある日、いつものようにぼんやりテレビを見ていたら、売れっ子モデルがインタビューを受けていた。
「子供の頃のニックネームって覚えていらっしゃいますか?」
「のっぽちゃん、でしたね。
小学校に入った時には140センチくらいあって、皆より頭一つ大きかったですからね。」
「背が高いことで嫌な思いはしませんでしたか?」
「どうしてですか? 全然しませんでしたよ、嫌な思いなんて。」
「そうなんですか!?」
「そりゃそうでしょう。
だって背が高いって、素敵じゃありません?
お洋服って背が高い人の方が似合うようにできてる物の方が多いでしょ。
私、子供のころからおしゃれが大好きだったから、子供なのに大人の服が着られたりして。
得でしたね。 まあ、かわいい系が似合わなかったっていうのはあるけど、まあそれは
しかたないとしても、得だって思うほうが多かったように思いますよ。」
「そうなんですか。」
「だって、モデルの中でも、それ以外の方でも、最近結構顔をいじる人、いらっしゃると思うんですよ。
昔ほど抵抗もないし世間的にも受け入れられてるのかなあって思いますけど、
手足の長さはそうはいかないじゃないですか。
生まれながらに背が高くって手足が長いって、モデルとしては最高ですよ。
お化粧で顔ってどうにでもなるけど、あ、こんなこと言っちゃいけなかったかしら?」
「いけなくはないと思います。」
「毎年流行りのお化粧って出るでしょ? だからそういう意味では毎年顔が変わるってことかな。」
「なるほど。 でも、例えばスポーツ選手になろうとか考えたりされませんでしたか?」
「スポーツ選手? とんでもない!
背が高い、イコール、スポーツできる てわけじゃないですよ。
私、運動は苦手で、それよりポーズを取る方が得意でしたね。」
「そうなんですか。 じゃあ、子供のころからモデルの素養があったとうことですね。」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、それはどうかしら。」
「と言うと、それはどういう?」
「モデルって自分を律して暮らして自分を維持することができないと長くは続けられないんですよ。
背が高くて手足が長いだけではダメです。
食事もそう、生活態度もそう。 ちゃんと暮らすことができないとモデルは務まらないと思いますね。
一時は可愛さだけで何とかなっても40代、50代になっても続けるには努力が必要だし、
今も現役で活躍されてる先輩方は皆さんそれができておられる方ばかりだと思います。
私もそうなりたいと思っていますよ、もちろんね。」
「では、例えば、ラーメンとかは、召し上がりますか?」
「私、ジャンキーフードって大好きなんですね。 だから、大きなお仕事が済んだ時とか、そんな時、
ラーメンとか食べることにしています。 自分へのご褒美なんです。」
「それは一人で何回くらいですか?」
「一回か、多くて二回かな。」
「えええーーーー!!! それはさみしい!」
「はっはっは! その時のラーメンが、むっちゃおいしい!」
「プロですね。」
「プロです!!」
ポンちゃんは目が釘付けになっていた。
『自分を律する』という言葉が耳の残った。
素敵な言葉だと思った。
「私もそんな風にできるかなあ。」
ポンちゃんはその日、仕事から帰ってきた母親にその日の出来事を話した。
こんなに夢中になって話したことはそれまでにはなかったことだった。
学校には行けそうにはないけど、まず、痩せたいと思った。
そしていつか外出ができるようになりたいと言った。
その言葉を聞いて母親は嬉しくて泣いた。
何年も外に出ようともしない娘をどう扱っていいのか、もう将来を期待してはいけないのか、自分がいっぱいいっぱいの状態にあることを母親もわかっていた。 追い詰められていたのだ。
それだけに前向きな話をする娘の明るい顔を見て、思わず涙が出てしまったのだった。
それからは食事にも気をつけた。
そして、ポンちゃんの要望で、小学一年生からの通信教育を受け始めた。
相手には事情を説明して協力を依頼し、承諾してもらった。
実際の年齢と学年が異なるので、説明をしない訳には行かなかったのだったけれど、
逆に積極的に協力を申し出てもらえたのだった。
ポンちゃんの生活はそれまでとは全く違ったものになった。
モデルになれるかどうかはわからないけれど、後悔しないように頑張りたいと思った。
両親はそれをすべて受け入れ、認め、そして協力を約束してくれた。
ポンちゃんは久しぶりに見る両親の笑顔が嬉しかった。
ポンちゃんは年齢と同じ学年の内容を受けられるまでになった。
そして、いずれは通信制の高校に進みたいと思うようにまでなっていった。
それであの日、久しぶりに母親と一緒にお買い物をする予定になっていたのだ。
それが、母親に急用ができて少し遅れると連絡があって一人で時間をつぶしていた時に出会ったのが
『はな』だった。
なんとなく気が合って、楽しかったので母親には『女の子の友達ができたから大丈夫』とラインをした。
それから、『リボン』と『ロン』と出会って一緒に行動をすることになった。
皆が初対面で、でも気が合って、楽しくて時間はあっという間に過ぎていった。
自分を『ポンちゃん』と名乗ったのも、昔のニックネームののっぽちゃんから思いついただけだ。
両親はあまりに帰りが遅いので、何回もラインをしたが既読にはならなかった。
警察に連絡を使用可と話していた時にポンちゃんが帰ってきたのだった。
ポンちゃんは『心配かけてごめんなさい』と言うばかりで他には何も話そうとしなかった。
両親はしつこく聞くのもどうかと思ってそれ以上は何も聞かなかった。
ただ、今後はこんなことのないようにとだけは釘を刺した。
ポンちゃんはテレビは見るけどニュース番組は見ない。
ネットは見るけど目ッとニュースは見ない。
もちろん新聞なんて読んだことなんてない。
『リボン』が死んだことも、世間が騒いでいることも何も知らないでいた。
両親にこっぴどくしかられて、さすがに反省したということもあって、二度とあの町には行かなかった。
沢山の若者であふれる街ではポンちゃんを覚えている人はいなかった。
マスコミもネット民も学校に在籍していなかったポンちゃんのことを詳しく調べることができ
なかった。
小学校の途中でいなくなった子のことは誰も何かを話すこともできないくらいの存在でしかなかった。
誰からも何も聞きだすことができなくて、情報は皆無だったのだった。
ただ、背が高くて太っていたからからかわれていたという話はあったが、ポンちゃんは背は高いがスラ
リとした体形だったので、人違いではないかという話になった。
弁護士の要請もあって、ポンちゃんのいい加減な情報は訂正されたうえで謝罪がなされたのだった。
良くも悪しくもポンちゃんだけは正体不明ということになって、ポンちゃん自身も両親も、あの日の出
来事に娘が関係していることを知らないままに世間は鎮まった。
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
2番はヒイラギたちと一緒に台所に立った。 が、今まで包丁も持ったことがない。
まず、食器や食材を洗うことから始めることになった。
洗剤などない。 藁を編んだ用具を使って洗うのだ。
何もかもが初めてで、2番は一つ一つ教えてもらいながら仕事を覚えるしかなかった。
ヒイラギたちは嫌な顔一つしないで、2番に丁寧に教えてくれたのはありがたかった。
「私はこのままここに住むことになるんですか?」
「まさか! そんなことはありえないわ。」
「どうしてですか?」
「だって、ここは『森の民』のための世界だもの。
私たちは『森の民』の中の『山の民』なんだけど、2番は元人間でしょ。
『森の民』にはなれないわ。」
「じゃあ、私はこれからどうなるんですか?」
「そうね、ここで一人前と認められて名前をもらえたら、『鬼の村』に移るんじゃないかしら?」
「え!? 『鬼の村』? そんなところがあるんですか?」
「それはそうよ。 空鬼様だって子供の頃は村に住んでおられたのよ。
鬼として名のある立場になることができるのはほんの一握り。
そうなると村を出て自分の空間を手に入れられるの。
時々は気分転換も兼ねて村におかえりになるとは思うけどね。」
「気分転換?」
「だって、毎日緊張の連続でしょ。 だからたまにはご実家でのんびりされるんじゃないのかしら。」
「そうなんですか。 で、私はそこに行ったらどうなるんでしょうか。」
「さあねえ。 それは空鬼様に聞いてみれば?」
「教えてくれるかなあ。」
「『教えてくださるでしょうか』でしょ。 言葉遣いには気をつけなさいよ。
失礼な言葉遣いをするとここを追い出されるかもしれないのよ。」
「そうなんですか!?」
「追い出されたら、どうなるんでしょう?」
「さあねえ。 それも空鬼様にきいてみれば?」
「怖いから、やめておきます。」
「そうね、そうかもね。 さあ、余計なおしゃべりはやめて手を動かしましょう。」
「はい。」
2番が命じられたのは台所仕事だけではなかった。
家の掃除、庭の掃除、草むしり、など雑用全般を言いつけられた。
毎日休むことなく体を動かし続けた。
空鬼が炎鬼の処にやってきた。
「おお、空鬼。 久しぶりじゃの。」
「連絡、ありがとう。 灰とすすを受け取りに来た。」
「わかっておる。 火鬼! 火鬼はおるか!!」
「「「「 はい。 ここにいます。 炎鬼様。」」」」
「灰とすすを空鬼に渡してやってくれ。」
「「「「 はい、かしこまりました。」」」」
「すすはどうするんだ? すすはいつも筆鬼が取りに来るんだが?」
「村にはついでの用事があるから、私が持って行く。」
「そうか。 わしも久しぶりに村に顔を出そうかなあ。」
「そうだな。 それがいい。」
「「「「 空鬼様、灰とすすです。」」」」
火鬼たちが大きな袋に入った灰とすすを運んできた。
「火鬼たち、ご苦労。 世話になる。
これからもよろしく頼む。」
「「「「 承知しています。 」」」」
「では、私はこれで失礼する。」
空鬼は二つの大きな袋を浮かせた状態で浮きあがって炎鬼の空間から出た。
その時、すすが入った袋に両手をかざして「筆鬼の処に行きなさい。」と言った。
するとすすが入った袋はすうっと消えた。
「よし。」
空鬼はそのまま『繭の里』に向かって飛んでいた。
『空鬼、すすが届いた。 いつもすまん。』
筆鬼から頭の中に言葉が届いた。
「すぐに言葉を送ってくる。 律義なやつだ。」
空鬼は嬉しくなって微笑みながら里に向かった。
空鬼は結界を抜けて『繭の里』にやってきた。
それから『山の民』が住む山の稜線を抜けた森の奥にある社の前にやってきた。
社には数人の侍女と共に『森の長老』が住んでいる。
『森の長老』はこの里の全てを統べる立場にある方なのだ。
空鬼が『空鬼』を拝命されたときには、『森の長老』はすでに『森の長老』だった。
もう何年、この里を統べておられるのかわからない。 100年か1000年かそれ以上か?
初対面の時だった。
「私はただの年寄りですじゃ。年をとっているだけの者ですじゃ。
あなた様は選ばれて空鬼様になられたんですから、私のことは『おばば』と呼んでくだされ。」
と言われて空鬼はたいそう困ったのだけれど、しかたがない、その時からずっと『おばば様』と呼んでいる。
空鬼にとってはずいぶんな先輩なのだが、『森の長老』は空鬼の言葉は閻魔大王様のお言葉なのだからと言って、空鬼に対しても丁寧な話し方をされるので、空鬼はいつも緊張してしまう。
今日も緊張しているのが自分でもわかるほどだ。
「長老、空鬼でございます。 お目にかかりたく参じました。
お目通り願います。」
「お入りください。」 長老の声が響いた。
社から侍女が二人、灯りを持って空鬼を迎えに出てきた。
「どうぞ、こちらに。」
「はい。」
空鬼は灯りにいざなわれて長老のおられる部屋まで歩いて行った。
「お久しぶりです、おばば様。」
「こちらこそ、ご無沙汰ばかりで、お元気でしたかな、空鬼様。」
「様はやめてください。
私はおばば様の半分にも満たないのですよ。」
「年齢はそうでも私はただの長老、あなたは空鬼様ですからな。」
「もう、やめましょう、おばば様。」
「ほっほっほっほ。 まあいいわ。
ここのところ山には時々お見えのようじゃが。」
「はい。 少し前には『田』で三人、今は『山』で人間を一人預かってもらっていますので。」
「そのようですな。 それでその人間はそろそろ名前をもらえそうで?」
「三人はすでに『田の長老』に付けていただきました。
『山』の方でもそろそろだと感じています。
「そうかそうか、それは上々。 なによりですな。」
「はい。 ありがとうございます。
今日は炎鬼の大釜から取れた灰を持って参りました。」
「おおーー、それはありがたい。
炎鬼様の大釜の灰を撒くと、森が豊かになりますからな。
森が豊かになると川も豊かになる。
炎鬼様にも、このばばがお礼を申していたとお伝え願います。」
「承知いたしました。」
おばばは侍女に向かって、
「空鬼様が大釜の灰をお持ちくださった。 準備をなさい。
今から『里』に撒くことにしましょう。
空鬼様もお手伝いくださいますね。」
「当然です。
では、参りましょう。 袋は外に置いてありますので。」
「承知しました。」
「どうぞ、こちらへお越しください。」
侍女が『森の長老』と空鬼に灯りをかざして足元を照らし、高台に案内をした。
空鬼は袋を浮き上がらせて高台に置いた。
その様子を長老はにこにこしながら眺め、侍女たちは驚きながら見ていた。
『森の長老』は袋の口を開けて大きく開いた。
そして両手で灰をすくってふうっと静かに息を吹きかけた。
すると灰はキラキラと光りを帯びながら、里に広がっていった。
それと同時に空鬼は霧雨を降らせて灰が確かに下りていくのを助けたのだ。
「美しい。」
「そうですね。」
「いつ見ても、何度見ても美しいものです。」
灰は霧雨を浴びてキラキラを輝きながら空を舞い、時間をかけてゆっくりと地上に降りて行く。
「これで森は豊かになり、田畑は潤い、川の淀みは流されるのじゃな。」
「そうですね。 そのことがひいては地獄や鬼村の平穏が保たれるのですね。」
「閻魔大王様もお喜びじゃろう。」
「はい。 そう思います。 きっと、いいえ、絶対にお喜びになられましょう。」
「それを聞いて安心しました。
それで、今からどこにお行きかな?」
「はい。 今から『山』に参ります。
預けた人間についてお話をしようと考えていますので。」
「それはそれは。 お気をつけてお行きなされ。」
「はい。 では、私はこれでお暇いたします。」
おばば様は黙って頷いた。
空鬼はおばば様に一礼をしてから飛び立った。
「気をつけて行きなされや。」
空鬼が『森』に向かった姿を見ていた『山の民』から聞いていた長老は、外に出て空鬼を待っていた。
「よくお越しくだされた。 今日は2番のことですかな。」
「その通りだ、さすがだな、長老。 それで、2番の様子はどうだ?」
「よくやってくれてます。 そろそろ名前を与えてもいいかと存じますが。」
「そうか。 2番の気持ちを確かめてみることにしよう。」
「お願いします。」
「2番を呼んでもらおうか。」
「ヒイラギ! ヒイラギはいるか?」
「はい。 ここにいます。」
「そうか、では、2番をここに呼んでおくれ。 空鬼様が読んでおられると伝えるんじゃ。」
「はい。 わかりました。」
ヒイラギは急いで2番を呼びに行った。
すぐに2番はやってきた。 手には箒を持っている。
「庭掃除をしていたのか。 頑張っているようだな。」
「空鬼様。 はい。 毎日教えていただきながらなんとかやっています。」
「そうか。 箒を置いて、外に出よう。 話がある。」
「はい。 わかりました。 では長老様、行ってきます。」
「ああ、いっておいで。 空鬼様のお話をよーく聞くんじゃよ。」
「はい。ありがとうございます。」
2番は長老に頭を下げて、箒を置いて外に出る空鬼の後について行った。
「2番、ここンお暮らしはどうか。 少しは慣れたか?」
「はい。 最初よりもいろんなことができるようになったし、慣れてきました。」
「それで、今からどうするつもりなのだ。」
「どうする とは?」
「このままここにいるつもりなのか。」
「はい。 このままここで 」
空鬼は2番の言葉を遮った。
「このままここで、ずっと下働きをするつもりなのかな、お前は。」
「下働き?」
「そうだろう。 雑用を任されてそれで満足か。」
「満足って。 私にはこれくらいのことしかできませんから。」
「それを決めるのはお前ではない。」
「では、私はどうすればいいんですか。」
「お前が言うようにここでこのまま下働きとして雑用係をするのも一つ。
もう一つ、長老に名前をもらってここから出る。」
「ここから出て、私などこに行くんですか?」
「鬼村だ。」
「やっぱり。」
「誰かから聞いたのか。」
「はい。」
「お前は『森の民』にはなれないことも聞いたのだな。」
「はい、聞きました。」
「『森の民』は皆、ここで生まれて、ここで暮らして、ここで死んでゆく。
お前はここに来た時にはすでに死んでいたのだから、『森の民』にはなれないのだ。」
「え? 『森の民』って死ぬんですか?」
「当たり前だ。 それが自然の摂理だろう。」
「死んだら、どうなるんですか?」
「死んだら? それはお前たちと同じだな。
罪を犯していれば地獄に堕ちる、罪人でなければ天上界に行く、それだけだ。」
「では、『森の民』は私と同じ人間なんですか?」
「それは少し違う。 それはな、『森の民』は皆天寿を全うするのだ。
事故や病気で途中で死ぬことはない。」
「そうなんですか。」
「『森』は地獄と天上界の間にあると言っていい世界なのだよ。
それぞれとは結界で区切られていて、交わらない。
もし、何らかの方法で無理をして結界をこじ開けて外に出たとしたら、どちらに行っても
消えてなくなる。 存在そのものがみんなの頭の中からも消えてしまうのだ。
『森』には閻魔大王様と私しか出入りができないのは特別は空間だからなのだ。」
「そうなんですか。」
「ある意味、お前のような人間よりは『生』と『死』を感じながら暮らしているのかもしれないな。」
「空鬼様。 私がもし鬼村に行ったら、どうなるんでしょう?」
「どうなるとは?」
「私にはどんな暮らしが待っているんでしょうか。」
「はっはっは。 もしかしたら何らかの罰を受けるとでも考えているのか。」
「はい。 怖いです。」
「鬼村にはもちろんたくさんの鬼が住んでいる。が、罰を与える力を持った者は基本、住んでいない。
みんなそれぞれ自分の空間を持っているからだ。
鬼村にはお前のような、長老から名前をもらった者達が何人か暮らしている。
大王様が『森』に預けられた者達で、ずいぶん昔のことだがな。
昔とはいえ、お前たちはもう年をとることはないから同じような年齢の者もいるだろう。
鬼村に住める人間は、ある意味罪を赦された者達だということは鬼たちは知っているから辛く当たられ
ることはない。 むしろ、優しくしてくれるのではないかな。
まあ、どちらを選ぶにしても、お前次第だ。 強制はしない。
しかし、『森』のことはここを出た瞬間に忘れることになる。」
「え? 忘れてしまうんですか?」
「そうだ。 『森』の存在を知っているのは閻魔大王様と私だけでなければならないからだ。」
「じゃあ、長老様やツバキさんやヒイラギさんのことを忘れてしまうんですか。」
「そうだ。 それが決まりだ。
それが嫌ならずっとここで雑用係をするんだな。 いつかはツバキもヒイラギも死んでしまう。
その時お前はどうするつもりでいるのだ?」
「そうか。 そうだった。」
「『森』のことは忘れてしまうが、ここでお前が身に着けたことは体に染みついているから
一人暮らしもできるはずだ。 そのための準備期間でもあったのだから大丈夫だ。
さあ、 どうするか、今 決めなさい。」
「今。ですか。」
「そうだ。 説明は済ませた。 ぐずぐずしても仕方がない。 今 決めるのだ。」
「でも、庭掃除が途中なんです。」
「そんなことは気にしなくていい。」
「どうしよう・・・ じゃあ、 鬼村に、私、行きます。」
「わかった。 そういうことだ、長老。」
2番が後ろを振り向くと、いつの間にかそこには長老が立っていた。
「そうですか。 わかりました。
じゃあ、2番、 お前の名前は、ボタンじゃ。」
「どうして私がボタンなんですか?」
「お前と初めて会った時、頭につけていたリボンが真っ赤じゃった。
それを見てふっとボタンの花が頭に浮かんだのじゃよ。」
「素敵な名前をありがとうございます。」
2番 改め ボタンは長老に丁寧にお礼を言った。
ボタンが頭を上げた途端、ボタンは空鬼と一緒に鬼村にいた。
空鬼の頭上にはすすが入った袋が浮かんでいる。
村では遊鬼と村の鬼たちが待ってくれていた。
「おかえり、ボタン。」
「遊鬼様、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「空鬼が知らせてくれたさ。 ボタンが来るってさ。」
「知らせはしたが、来るとは聞いていない。
お前、なぜここにいるのだ。」
「源鬼が村で蔓草を集めるって言うからさ、一緒に来たさ。」
「それならお前も源鬼と一緒に蔓草を集めるんじゃないのか。」
「そっちは源鬼に任せたさ。
私はこっち!」
「源鬼に感謝だな。」
「さあ、あたしが村を案内するさ。 それとも空鬼が案内するかい?」
「いや、それは遊鬼に任せよう。」
「そうだろうと思ったさ。 お前はいつもなにかしら忙しいさ。」
「そうだな。」
「空鬼様、私はこの村で暮らせるでしょうか?」
「それはお前次第だな。」
「「「「 いらっしゃい。 ようこそ、鬼村へ。 」」」」
ボタンの目の前に仲良く手をつないだ子供たちがボタンを見上げていた。
皆の目はキラキラしていて、皆笑っている。
子供たちの顔を見て、ボタンはこの場所で暮らしていけるように思えてきた。
死して尚、幸せを求め信じることで新たな『生き方』を手に入れて『生きなおす』ということは、実際に生きている者にも通じるものがあるのかもしれないと考えながら書きました。