映し鏡
閻魔大王の部屋にある『映し鏡』を使って、閻魔大王が配下の鬼たちの様子を見ているという体で、それぞれの考えや姿かたちを紹介しています。
理屈っぽかったり、何も考えていなかったり、いろいろいるので面白がっていただけると嬉しいです。
コンコンコン
「誰じゃ?」
「私です。 ゴクです。」
「おお、帰ったか。 入りなさい。」
「はい。」
閻魔大王の部屋の扉を開けてゴクが入ってきて一礼をした。
閻魔大王はゴクの方に体を向けた。
「ただいま帰りました。」
「うむ。 ご苦労。
滝行はどうじゃったな?」
「はい。 空鬼の案内で滞りなく済ませることができました。」
「そうか。 それは上々。
今から?」
「はい。 弐の関所に向かいます。
その前にご挨拶を と考えまして大王様のお時間を少しちょうだいいたしました。」
「わかった。 行きなさい。
ヨミが選んだものが待っておる。」
「はい。 ありがとうございました。」
「うむ。」
閻魔大王は体の向きを元に戻した。
ゴクは閻魔大王の背中に向けて一礼をして、静かに扉を開けて部屋を出て行った。
ゴクの記憶は完全に消されていた。
森で見聞きしたことは全て忘れて、その代わりに滝行を行ったことになっている。
そのことを確認した閻魔大王は安心した。
『水は低きに流れ、人は易きに流れるものですよ。
人間とはしょせん弱い生き物です。
心を入れ替える とか、やり直す とか、できやしません。
その機会を、この地獄が与えるなど、もってのほかでしょう。』
閻魔大王に対しても自分の考えをきっぱりと言ってのける空鬼のことだ。
その考えはゴクとは相いれないものがある。
今回のことで空鬼はますます自分の考えの正しさに自信をつけている。
ゴクに対してもつらく当たるのではないか、母親のことで責めるのではないかと気がかりだった。
しかし、いずれにしてもゴクの記憶はすっかり消えているようだ。
心配はあるまい と閻魔大王は胸をなでおろしたのだった。
・・・・・最近の閻魔大王様は至極お忙しい。
関所守の私にできることは知れているが、何とかお役に立ちたいと考えている。
どうしてこんなに閻魔大王様がお忙しいのか?
罪人が増えているからだ。
目先の『金』に目がくらんで軽い気持ちで犯罪に走る輩が多くなっている。
なげかわしいことだ!
空鬼の『人は易きに流れる』という言葉が思い出されてくる。
閻魔大王様は地獄にやってくる人数の多さにうんざりされて、
現世で『微罪』とされた者は、精査することなく炎鬼の処に送るようにムクロに
お伝えになった。
だから毎日映し鏡出その様子をご覧になるのが日課になってしまわれた。
今日も炎鬼の様子をご覧になるのでしょう。
もしかしたらゴクの様子もご覧になるかもしれませんね。
閻魔大王は地獄に現世からこの世界に来るものを全員知っている。
その中からヨミのいる壱の関所から天上界に上る者を省く。
そして残った者達がどの鬼の処に送られるのかをムクロに任せている。
それが最近は数が増えてムクロが困っていると聞いたのだ。
だから『微罪』になった者はまとめて炎鬼に送ることに決めた。
しかし、気性が荒い炎鬼のことだから、閻魔大王も一抹の不安は拭えない。
それで炎鬼に送るとは決めたのだけれど、映し鏡でその様子を覗き見ることにしたのだった。
閻魔大王は部屋にある映し鏡に向かって低い声でつぶやいた。
「炎鬼を映せ。」
その言葉を聞いた鏡の中から映像が浮き上がって部屋の壁に映し出された。
「さっさと入れてしまえ!」
炎鬼が野太い声で怒鳴っている。
「「「「 へーーい!!!」」」」
炎鬼の命令で動いているのは炎鬼の配下の火鬼たちだ。
炎鬼は真っ赤な体をしていて閻魔大王に負けず劣らずの巨漢だ。
頭に二本、肩に一本ずつ計4本の角を持っている。
角は体と同じく赤く太い。
形は根元かららせん状になっていて先はとがっている。
眼球は真っ黒だが、真ん中にある縦型の瞳は金色に光っている。
炎鬼が怒っている時は眼球が金色になって燃えさかる。
立ち上がってまっすぐ前を向いた時は、まさしく燃え上がる炎のように見える。
それに声は低く大きいので、本人は怒っているつもりはなくても周りはびくついてしまうのだ。
炎鬼の周りを取り囲んでいる火鬼たちは色とりどりだ。
それぞれが体と同じ色の角を持っており、その場所もさまざまだ。
頭頂部に一本に者もいれば二本、三本の者もいるし、額に二本の者もいる。
白、青、緑、紫など、いろんなものを燃やした時の色をした鬼で、体も炎鬼の膝ほどしかない。
炎鬼の膝ほどと言っても人間に比べると見上げるほど大きくたくましい。
人間が見ると炎鬼は山のように思うかもしれない。
ムクロから送られた多くの罪人たちは、火鬼たちに導かれて大釜の縁まで上らされる。
皆が皆、大釜を見て驚きたじろぐが、目の前の火鬼と少し離れたところに座っている炎鬼を
見て仕方なく従うのだ。
大釜の縁まで行くと、当然皆その中を見てさらに驚くのだ。
大釜の中にはたっぷりの何やら粘りのある液体がふつふつと音の立てて沸いているのだ。
それを見て大釜から降りようとする者達がいるのだが、火鬼たちはそれを逃さず首根っこを
捕まえて投げ入れる。
腰を抜かしている者達は火鬼が蹴り飛ばして大釜に入れる。
大釜の中にはすでに老若男女を問わず大勢の罪人たちが入っている。
その中に新たな罪人たちが放り込まれるのだった。
大釜はすぐにいっぱいになる。
皆が皆、自分だけはここから逃げようとしてくんずほぐれつしながら暴れている。
炎鬼は遠くから、その声を聞いている。
火鬼はその姿を見ながら腹を抱えて笑っている。
「あさましいものよ。」
「見てみろ、あの姿。
自分だけが助かろうと必死じゃわ。」
「醜いのお。」
火鬼たちは口々に添う言い合っている。
しばらくすると、罪人たちは何人かがくっついていびつな形の真っ黒い塊に変わっていく。
火鬼たちはその塊を目ざとく見つけて、大きなタモですくい上げていく。
すくい上げられた真っ黒い塊は大釜の下で待ち構える別の火鬼たちの下に投げられる。
その塊はすぐに大釜の根元にくべられる。
真っ黒な塊は『炭』で、大釜の湯を沸かすための『炭』になるのだった。
火鬼は次から次へと大きなタモで黒い塊をすくい上げている。
「炎鬼様、ここのところすぐに『炭』になる人間が多くて休む暇もありやせんや。」
「大王様に申し上げて、小物はこっちに送らないようにしてもらえませんかね?」
「俺たちゃ、こんなケチな奴らを相手にするのはちょっとどうっすかねえ。」
「『炭』が多くて面倒ですや。」
「四の五の言うんじゃねえ!!
ムクロが送り込んでくるんじゃから仕方がない。
それも大王からの頼みらしい。
あんまりなら俺が大王に直談判しようじゃねえか。
すぐに愚痴るんじゃねえ。
俺たちの力を見せる時じゃ!!
弱音を吐かずに『炭』をすくえ!!」
「「「「 へーーーい!!! 」」」」
炎鬼に一括された火鬼たちは仕方なさそうに『炭』をすくい上げ続けるのだった。
火鬼たちは『炭』を拾い上げながらブツブツと小さな声で話していた。
「そういやあ 弐の関所のゴクってヤツが謹慎を喰らったって?」
「謹慎ってなんだ?」
「謹慎ってのはなあ、 あれ? なんだっけなあ?」
「なんか悪いことをして閻魔大王様に怒られてちょっとの間仕事を干されるってことよ。」
「へえーーー 。じゃあ、おいら、謹慎喰らいたいぜ。」
「「「 はーっはっはっはっ !!! 」」」
火鬼たちの笑い声を聞いた炎鬼は目線を火鬼たちに向けてにらみつけた。
「しっ、 静かに!
炎鬼様に聞かれたらどやされちまうぜ。」
「すまんすまん。」
「そのゴクってヤツ、なにをしでかしたんですかい?」
「ゴクっていやあ、おいら名前を聞いたことある。」
「美人か?」
「そういうことじゃなくて。
確か・・ おっかさんが掟を破ってどっかに行ったって。」
「ああ、それならおいらも聞いたことある。
おっかさんがおとっつあんを殺したとかなんとか。」
「男と逃げた とか。」
「すげえなあ。
そんな女の子供なら何をしでかしても不思議じゃないぜ!」
「炎鬼様に聞いてみるか?」
「やめといた方がいいぜ。 やめとけやめとけ。」
「気になるじゃないか? お前ら、気にならないんか?」
「まあ、それは 気になるっちゃなるけどよ。」
「よし。
炎鬼様!! ゴクってやつはなにをしでかしたんですかい?
ゴクって、おっかさんがおとっつあんを殺したって噂があるヤツでしたっけねえ?」
その言葉を聞いた炎鬼は目玉を金色に光らせて火鬼たちをにらみつけた。
「お前ら、余計なことぐちゃぐちゃ話してんじゃねえ!!!
つまらん話をする奴は氷鬼の処に飛ばしてしまうぞ!!
ゴクは俺たちの仲間じゃ。
よーーく覚えておけよ。 次はないからな。」
「「「「 す、すいません。 」」」」
火鬼たちは炎鬼の怒りに触れたことに縮こまってしまった。
火鬼たちにとっては氷鬼の処に飛ばされるということは自分たちが消滅することだと
わかっているからだ。
炎鬼は幼い頃からゴクを知っている。
いつも閻魔大王の法衣の袖や裾を持っていた。
誰とも話さず、話しかけるのをためらわせる雰囲気を漂わせていた。
炎鬼はいつも気になっていたが、話しかける勇気がなかった。
ゴクの母親のことで大人たちがひそひそと聞こえよがしに噂話をしていることは知っていた。
その話は炎鬼たちの耳にも入っていて、どう接していいかがわからなかったのも事実だった。
炎鬼たちはいつもゴクの様子を気にかけていた。
閻魔大王が忙しい時にはゴクはいつも一人で過ごしていた。
ある日、ゴクがぼんやり歩いていて転んでしまった。
炎鬼はそれを見て、すぐにゴクの処に飛んで行った。
まさしく物理的に飛んで行ったのだ。
「大丈夫か?」
炎鬼の真っ赤な顔を見たからか、突然話しかけられたからか、ゴクは驚きすぎて声もでないよう
だった。
炎鬼はそんなことにはおかまいなく、ポケットから絆創膏を取り出した。
いつも走り回って怪我ばかりしている炎鬼を想って、母親が持たせた絆創膏だった。
その絆創膏を貼ろうとした時だ。
「いきなり絆創膏はダメでしょう。」
いつの間にか氷鬼がやってきていた。
「傷口を洗ってから出ないとダメでしょう。」
「え? 俺はいつもこうしてるけど?」
「炎鬼、君は良くても普通はダメなんですよ。」
「なに? 俺は普通じゃないって言いたいのか?」
「君が普通かどうかは置いておくとして、まずは傷口を洗うというのが正しいのですよ。
ゴクだね? この真っ赤なヤツは炎鬼、僕は氷鬼。
まだまだ修行中なんだけど、これでも一応鬼なんだ。
修行中が幸いして、僕はまだ水しか出せなくてね。
傷口を洗ってしまおう。」
氷鬼はそう言うとゴクの傷口に水をかけてきれいにした。
「炎鬼、絆創膏の出番だよ。」
「おお、 そうか。 わかった。」
炎鬼は氷鬼に言われるがままゴクの傷に絆創膏を貼った。
「それにしても君はよく絆創膏なんて持っていたものだね?」
「俺は怪我が多いからな。」
「君はそそっかしいからね。」
「なんだと? 役に立ったからいいじゃないか!」
「まあ、そうだね。」
二人の会話を聞いていたゴクがクスリと笑った。
初めて見るゴクの笑顔だった。
「君の話は僕たちも聞いているよ。」
「氷鬼!!」
「いいじゃないか、本当のことだ。」
ゴクからは笑顔が消えて、いつものようにうつむいてしまった。
「でもね。 そんなこと、君の責任じゃないし、君には何の責任がないことなんだよ。
だからね、気にしなくていいんだ。
僕なんかがこんなこと言っても大人の耳には届かないだろうけどね。
君がやらなきゃいけないことはうつむくことじゃない。
まっすぐに前を向いて、堂々とふるまうことだと僕は思うな。
それは難しい。
でも、そうしなければ君はずーーっとしたを見て暮らさなきゃならないよ。
なにかひとつでいい、誰にも負けない何かを見つけるんだ。
それは君にとってそんなに負担じゃなくて、でも簡単でもないもの。
炎鬼は皆の中で一番の力持ちさ。
僕は理屈では負けない かな。
自分に自信をつけて、大人のつまらん噂話なんか吹き飛ばしてやるんだよ。
それくらいの実力を身に付ければ大丈夫だ。
僕たちはね、初めて話すけど、いつも気にしていたんだよ。
僕たちは仲間なんだから。」
「な か ま ?」
「そうさ。 僕たちは仲間だよ。
ほら、アソコにいるみんなもそうだ。
見てごらんよ。」
ゴクは氷鬼が目を向けた方を見るとそこには何人かが集まっていた。
そしてその者達はっゴクに向かって笑っているようだった。
両手を挙げて大きく振る者、片手をあげている者、ピースサインをしている者、いろいろだ。
ゴクは言葉も出なかった。
掟破りの母親を持つ自分を気にかけてくれるものがいるなんて思ってもみなかった。
ましてや『なかま』と思っていているなんて考えもしなかったからだった。
「くだらない大人たちなんかに負けるなんてくやしいだろ?
この炎鬼もきっとそう考えていると思うな、な?」
「おおーー。 よく言った。
俺たちは仲間だ。
俺たちがついてるから心配いらん。」
「君がついてると逆に心配だよ、僕は。」
「なんだとお!?」
ゴクは二人のやり取りを見て、また少し笑顔になった。
「僕たちはね、皆修行中なんだ。 これはさっき言ったね。
それぞれが与えられた役目を果たせるようになれば一人前の鬼として周りに認められるんだ。
僕は氷の鬼だから、氷を自由自在に操ることができなきゃダメなんだよ。
今みたいに水しか出せないようじゃ、まだまだだな。
でもね、今にきっと氷や雪、雹、それらの鬼たち全部を配下に出来る実力を身に
つけてみせるよ。 その時には体も大人になってて角だって立派になってるんだ。
今はまだ君と同じくらいの背丈しかないし、角も小さいけどね。
隣の奴は炎を操らなきゃいけないんだ。 こいつもまだまだだけどね。」
「お前に言われたかあないね!」
「でも事実だからね。
それに僕は自分のこともちゃんと言っただろ?」
「まあ、そうだな。 そうか、そうだな。 うん。」
「それでね、向こうにいる皆もそれぞれの『技』や『術』を磨くのに一生懸命さ。
皆、一人前になりたいからね。
ところで、君は何を修行しているのかな?」
「しゅぎょう?」
「そうさ、修行さ。
皆、一人前になるために修行をしているんだ。
だから君も何かしら自分ができることや得意なことを見つけて修行をすればいいんだよ。
そして一人前になったら君のことをあれこれ言う奴なんかいなくなるさ。
いいかい。 君の環境を変えるのは君自身なんだ。
僕たちも頑張る。 だから君も一緒に頑張らないかい?」
「一人前になって何をするの?」
「罪人を懲らしめるのさ。
僕らの処にやってくる奴らは現世で他の人を苦しめた悪い奴らだからね。
そいつを僕たちは懲らしめるんだ。
苦しめられた人たちに変わってそいつらを苦しめるってわけさ。」
「悪い奴を懲らしめる。」
「そうさ。 僕らはね。
他のことを任される予定の者もいるけどね。」
「他の事?」
「そう。 例えば そうだなあ。
地獄の環境を整えるとか、大王様の仕事を助けるとかね。
僕らは悪い奴をやっつけるんだ。
人間の世界は不思議なところでね、法律ってのがあってね。
まあ、規則 みたいなものなんだけど、その法律の中に書いてないことは罪にならないんだ。
それっておかしいだろ?
悪いことをしても『まだ法律ができていませんから』って言って無罪って。
それって許せないよね。
だからそいつらを逃げ得に刺せないために地獄があって僕らがいるんだよ。」
「地獄にはその 法律? 規則はないの?」
「もちろんあるさ。 僕はその中は詳しくは知らないけどさ。
ただね、地獄の法律って単純さ。 悪者は懲らしめる ただそれだけ。
皆、均等に罪の重さに応じて懲らしめるんだ。
きっぱりしてるだろ? 僕たちは地獄の正義の為に一人前になりたいんだ。」
「地獄の正義。」
「そう。 悪い奴は罰を受けるってだけのことだよ。」
「地獄にも法律はあるんだ。」
ゴクはしばらく黙って何かを考えているようだった。
そして顔を上げて、氷鬼にしっかりとした声で「ありがとう。」と言って立ち上がった。
それから向こうに集まっていた見習い鬼たちに向かってもぴょこりと頭を下げた。
そしてみんながいるところとは逆の方向に走り去った。
「おい!!」
「やめろ、炎鬼。」
「だってよ、そりゃあないんじゃないか?」
「ゴクにとってはあれが精いっぱいだと思うよ。
僕が話したことは確実にゴクに届いたと思うし、自分で考えて決めるだろう。
これからのことはゴク次第さ。
何かをするのか、何もせずに過ごすのか。
僕らは仲間なんだ。 しばらくは黙って見守ろうじゃないか。」
「氷鬼がそう言うならそれでいいけどよお。」
「ゴクの笑顔はかわいかったな。 そう思わなかったかい、炎鬼?」
「まあな。 確かに。」
「顔が赤いぞ。」
「顔が赤いのは生まれつきじゃ!!」
「ああ、そうだったっけ?」
俺たちはふざけ合いながらみんなの処に戻って行った。
そしてみんなにゴクとの会話をすべて説明し、理解を得たのだった。
その後しばらくは今までと同様にゴクは一人で遠くを見ているばかりだった。
しかし閻魔大王の後ろに隠れることはなくなっていった。
そして泣き虫でもなくなっていた。
あれからゴクはいつも何かを考えているようだった。
そして突然、閻魔大王に書院殿の出入りの許可を申し入れた。
直談判をして、ためらう閻魔大王に詰め寄ったという話がみんなに伝わった。
「ゴクは決めたんだな、自分が進むべき道を。」
「どうしてわかる?」
「誰がなんと言ったって気にしてないだろ?
それに大王様に直談判なんて、生半可な気持ちじゃできないさ。」
「そっか、そうだな。
お前が言ったこと、伝わてったんだな。」
「そうだね。 炎鬼の絆創膏も効いたかな。」
ゴクは毎日俺が見たこともないような本を読んでいた。
そのことは大人たちの耳にも入った。
相変わらず閻魔大王様の『えこひいき』と言う奴もいたがゴクは歯牙にもかけなかった。
ゴクは少しずつ大人になっていった。
書院殿の本を読破し、すべてを頭に入れた。
誰に何を聞かれても答えることが出来るほど、すべてを記憶し、自分の中で消化していた。
ゴクの努力と実力は皆が知ることになり、ゴクは一人前の鬼と認められる存在になった。
そして弐の関所の番人に抜擢されたのだ。
俺たちはゴクの努力を知っている。
ゴクがあの日のことを覚えているかは知らないが、俺たちははっきりと覚えている。
あの日、ゴクは初めて笑ったんだ。
俺たちは昔も今も仲間なんだ。
悪く言う奴は許さない。
「炎鬼様、炭は全部すくいあげて、大釜の下にくべやした。」
「おお、そうか。 ご苦労。」
「灰はどうしやしょう?」
「それは空鬼が持って行く。 なにかに使うらしい。」
「はい。 じゃあ、このままで。」
「そうだな。
炭にならなかったヤツは今どうなってるか?」
「もうそろそろ 、ですかね。」
「そうか。 よかろう。」
炎鬼はゆっくりと立ち上がって身軽に、ひょいっと大釜の縁に飛び乗った。
大釜にはやせ細ったものがたくさん浮かんでいた。
そしてほんの数人は何も変わらない体形に見えた。
炎鬼は、やせ細った者達を何人かをまとめて一度に大釜からすくいあげた。
「こってりと絞ってやるよ。」
やせた者達は炎鬼が何を言っているのかはわからないようだったが、それを聞きただす気力も
体力も残っていない様子だった。
炎鬼はやせた者達を両手に持って、『物理的』に絞り始めた。
「「「「「 ぐえーーーー!! やめてくれえーー!! く、苦しいーーー!!」」」」」
「苦しいか? 苦しかろう。
でもな、 お前たちが泣かせた者達はもっと苦しかったんだ。
お前たちが裏切り、泣かせ、悲しませた者達の辛さはこんなもんじゃないだろうさ。」
炎鬼はそう言うとさらに力を入れて絞り続けた。
やせ細った体から粘りのある液体がじんわりとしみだしてきた。
それは彼らに巣くう『毒』の心だった。
それは大釜の中にそのまま溶け込んだ。
絞り切った体は炎鬼が一つに丸めると、それは真っ黒な『炭』に変わった。
炎鬼がその炭を火鬼に渡すと火鬼はそれを大釜にくべた。
やせ細った体の者達は一人残らず『炭』になって大釜にくべられた。
「ゲホゲホッ!! ここのところ質が悪い炭ばっかりじゃなあ。」
「やけに煙が出て、すすが舞って、ゲホゲホッ!!!」
「炎鬼様、すすもだいぶ溜まりやしたぜ。」
「おお、そうか。 すすは筆鬼が取りに来るさ。」
火鬼たちは『筆鬼』の名前を聞いてクスリと笑った。
筆鬼は炎鬼たちと違っておとなしく、迫力もない。
「筆鬼だってよ。」
「ふーーん、筆鬼ってあの? いるかいないかわからんような?」
「なんであんなのが炎鬼様と同等なのか、わからんよな。」
「まったくよ。 そこらへんに置いとけば自分で何とかするじゃろ。」
「そうじゃそうじゃ。 自分でさせればいいんじゃ。」
「そうじゃな。おいらたちが筆鬼の為に働くとたあないやな。」
「へっへっへ。 炎鬼様に言いつける度胸もなかろうよ。」
火鬼たちの声はだんだんと大きくなっていったために会話は炎鬼の耳に入ってしまった。
炎鬼は烈火のごとく怒った。
それは炎鬼の瞳が金色に変わったことでも明らかだった。
「お前たち!! 今なんと言った!?」
「へっ!! 炎鬼様。」
「筆鬼は、ここで採れるすすを使って大王様の為に墨を作る仕事をつかさどる家の当主じゃ。
大王様が今の言葉を聞かれたら、お前たちただでは済まんぞ!!
そのことをよおくわきまえておくことだな!!」
「「「「「 ヒイーーーーー。 も、申し訳ございません。
どうかお許しを。
大王様にはどうぞ内緒でお願いします。」」」」」
「次は容赦せんぞ!」
火鬼は黙って大釜の底に着いたすすを丁寧に集め始めた。
大釜に残ったのは平然と大釜の中で不敵な笑みを浮かべている三人の男だった。
「お前たちは別の処に渡すことにする。」
大釜に残った三人に対して炎鬼が言った。
大釜の中で平然としている奴らは笑いながら口々に炎鬼に大口をたたいた。
「ほお。 お前では俺たちは手に負えないということかな?」
「俺たちに恐れをなした ということか?」
「鬼のくせにだらしがないんじゃないのかな。」
炎鬼はそんな言葉は気にも留めず、「食鬼!!! 食鬼、出てこい!!」と叫んだ。
「ほおーーほおーー
炎鬼、おいらを呼んだかい?」
すると炎鬼よりも一回り大きな鬼がやってきた。
食鬼と呼ばれたその鬼は、頭頂部に一本太い角を持ち体の色は茶色で大きな口をしていた。
食鬼はニヤニヤ笑いながら大釜に残った者達を見て舌なめずりをした。
「お前たちは現世でよほど『人を喰って』暮らしていたようだ。
だから特別に『喰われる』経験をさせてやる。
ありがたく思え。
食鬼、連れていけ。」
「いいのか? 皆もらって、いいのか?」
「ああ、構わん。 皆連れていけ。」
「ほおーほおーほおー。
じゃあ、もらい受ける!」
そう言うと食鬼は大釜に残った三人を大事そうに両腕に抱えて嬉しそうに消えていった。
「火鬼、次!」
「へーい。 みんな! 次、入れるぞ!」
「「「 おおーーー!!!」」」
「やれやれ、こんなに半端モンがいっぱいいるようじゃあ、現世はうかうかしてられねえな。
普通に生きるのが難しいってどうなんだ?
地獄なんて暇に越したこたあないんだが。」
・・・・・まさに炎鬼のいうとおりじゃわい。
さて、食鬼の様子はどうじゃ?
相変わらずかのお、あいつは・・・・・
そう言って、次は閻魔大王は食鬼の様子を映し鏡で見ることにした。
「おかえりなさいませ。」
食鬼の帰りを出迎えたのは、代々食鬼の家に仕える刀鬼と刺鬼だった。
「ただいま。」
「炎鬼様は何の御用でしたか?」
「ほおーほおー これを見てよ。」
食鬼を満面の笑みを浮かべて両手を開いて中を見せた。
「まあーー!! これはこれは!! すばらしいじゃあありませんか。」
「そうだろう?
あとは頼む。 おいらは着替えてくる。」
「かしこまりました。」
刀鬼と刺鬼は食鬼から三人の罪人を受け取ると手際よくグルグル巻きにした。
「おい! 俺たちをどうするってんだ?」
「縄をはずせ! 俺を誰だと思ってやがんだ?
おい! 失礼だろ!!」
「客をこんな扱いをしていいと思ってんのか!?」
「客? お前たち、自分を客だと思っているのか?」
「違うのか?」
「罪深いお前たちがこの地獄で『客』として迎えるものなどおらんよ。」
「俺たちをどうしようってんだ?」
刀鬼と刺鬼は三人を横目で見た。
「騒がしい三人ですね。 食鬼様がお着替えになって戻ってこられますから、
もう少しお待ちなさい。」
「着替え?」
「はい。 食鬼様は食事の時には正装に着替えられますから。」
「食事? 食事って?」
「もしかして・・俺たちを喰うってことか?」
「さあ、 どうでしょう。」
「俺たちを喰ってもうまくないぜ!
おい、この縄をほどいてくれないか?
ほどいてくれたら礼をするからよお。」
「礼?」
「そうだ、礼だ、礼をするさ。
なにがいい? 金か? クスリか? それとも女か?」
「おわかりではないようですね。 あなたたちはもうすでに死んでいるのです。
それにここではそのようなもの、なんの価値もありませんよ。」
「なんだと!?
てめえ、痛いメにあいたいのか?
この縄をほどけって俺様が言ってんだよ!」
「あなたたちなんかちっとも怖くありませんね。
まあ、今のうちにせいぜい言いたいことを言っておくんですね。」
男たちはグルグル巻きにされたまま、何とか縄を抜け出そうともがいている。
しかし、もがけばもがくほど縄は男たちの体を締め付けるのだった。
そこに食鬼が正装をして戻ってきた。
刀鬼と刺鬼はテーブルの上に大きな皿を三枚準備していた。
そして食鬼の姿を見ると、大きな皿の上に一人ずつ男たちを置いた。
食鬼は椅子に座って、首にナプキンをかけた。
「せっかく炎鬼がくれたものだ。
丁重に扱わないとな。」
「そうでございますね。」
「嬉しすぎるなあ、ほおーーほおーーほおーーー。」
食鬼は一人目を指でつまんだ。
男は口汚くののしりながら暴れている。
食鬼はそれを気にも留めずに慣れた手つきで次々と大きな口に放り込んだ。
「ぐおーー!! やめてくれえ!」
「何だ、お前! 人間を喰うってのか?」
「俺は嫌だーーーー!!!!」
それぞれが叫んでいるが、もう遅い。
食鬼はにこにこ顔で三人を食べ終わると、もう一度舌なめずりをした。
「さあて、この三人、どうすっかなあ?
ねえ、どう思う? 刀鬼、刺鬼?」
「さあ、どうでしょうね。 とにかく品のない者達ですからね。」
「そうですね。 助け合いますでしょうか?」
「どうするか、楽しみ楽しみ。 一緒に見る?」
「「そうですね。」」
食鬼の腹の中の様子が壁に映し出された。
三人が次々と袋に落ちたところだった。
男1は子供のころから『ガキ大将』と呼ばれ、そのままただの乱暴者になってしまった。
街では知らない者はいないくらい有名で、近づく者はいなかった。
店に入っても、何かをせびるということ渡される金銭を拒むこともしなかったし、代金を支払う
こともしなかった。いつも肩で風を切って歩いていた。
手元がさみしくなると、年下の者に悪さを強要してその『あがり』を奪い取っていた。
結局、追い詰められた若者たちにめった刺しにされて死んだのだった。
今でも自分の腕っぷしの強さには自信を持っていて、人を顎で使うことをはばからない。
男2は幼いころはかわいさでちやほやされた。
少年時代はかわいカッコいいと言われて騒がれた。
大人になってからもイケメンで評判だった。
女性だけではない。
いわゆる『人たらし』で、男性にも好感を持たれるのだ。
ちょっと困った顔をすると必ず周りにいる人が何くれと助けてくれることも知っていた。
男2は自分で働かなくても贅沢な暮らしができる術を身に着けていた。
次から次へと金持ちに寄生しながら生きてきた。
利用価値がなくなると、すぐに『バイバイ』することにも躊躇しなかった。
全財産を男2に貢ぎ、一文無しになった一人の女の企てた無理心中で死んだ。
自分の容姿は亡くなった今でも価値があると思っている。
男3は、貧しかった。
貧しさゆえに『文化的な生活を送る権利がある』とうそぶいて盗みを重ねた。
人をだまして金品を巻き上げることも自分が文化的な生活をするための当たり前のことと考えて
盗みも詐欺のやめなかった。
男の生活は贅沢になっていった。
その生活の水準を保つために、犯行は大胆になっていった。
すべてが嘘で固められた生活の中で何が嘘でなにが本当か、自分でもわからなくなっていった。
そして警察に捕まり拘置所にいた時に、同じ拘置所に男に騙されて人生を狂わされた者がいて
その者に刺され、死んだのだった。
男1 「いってえ! いてえじゃねえか。
俺の上に落ちるって、お前、何考えてんだ?」
男2 「そんなこと言われても、落ちるところなんか選べねえだろ?」
男3 「おおお。 ここ、結構やわらかくねえか?
俺、直接落ちたけど別に痛くねえしい。」
それを聞いた男1は両手で床?の感触を確かめた。
男1 「あ、ほんとだ。 でもここ、胃袋じゃあねえな?」
男2 「どうしてそう思う?」
男1 「そりゃあ、腸に続いてない。 普通に袋じゃないか。」
男2 「本当だ。 普通に袋だな。」
黙って二人の会話を聞いていた男3があることに気が付いた。
男3 「おい、あそこ、見てみろよ。 階段じゃねえか?」
男二人は男3が指をさした方向に目を向けた。
なるほど、階段がある。
男1 「よく見つけたな。 お手柄お手柄。
これで俺たちここから出られるかもしれねえぜ!」
男三人は顔を見合わせてうなずいたと同時に階段に向かって走り出した。
床がなよなよで足を取られて早く走ることはできなかったが、何とか階段までたどりついた。
男1 「よし! のぼるぜ!!」
男2と男3はうなずいた。
三人の男たちは長い階段を慎重に上り始めた。
上まで登り切った男1は足元が思いのほか狭いことに気づかず、そのまま向こう側に滑り落ち
てしまった。
そこは別の小さな袋だった。
男1はその袋の中をジロジロと隅々まで確かめた。
するとそこには次に続く小さな穴があった。
次に階段を上った男2は男1に手を差し伸べた。
「つかまれ!」
「ありがたい。 すまん。」
「気をつけろよ。」
「ああ。」
男3が上ってきた。
「やっとここまで上ってきたけど、ここからどうする?」
男1 「向こうは小さい袋がって、そこには次に続く穴があったぜ。」
男2 「じゃあ、そこから抜けていくか、それとも他に道はないか?」
男3 「穴を抜ける前にそこから顔を出して次の様子を見てみるってのはどうだ?
そこからまたどっかに落ちるなんてのはごめんだからな。」
男1 「じゃあ、お前が行ってみたらどうだ?
それで俺たちに教えてくれ。」
男3 「俺が? お前がリーダーなんじゃないのか?」
男1 「リーダーもなにもない。 さっきは俺が行ったんだ。 順番で行こうぜ。」
男3 「わかった。 それじゃあ俺が行くとしよう。」
「ほおーほおー 案外助け合ってるんじゃないか?」
「そうでございますね。 でも、これからですよ。」
「そうだね。 今からが本番だな、ほおーほおー!」
男3は自ら小さな袋に入って、男1が言っていた穴を捜すと、それはすぐに見つかった。
「穴があったのはあったが、細いな。
まあ、入ってみるとするか。」
男3は細い穴の中に無理やり体を入れ込んだ。
すると、その穴は男3に合わせるように広がった。
男3は思っていたよりも楽に穴の中を進んで行った。
穴から顔を出すと、そこには次の袋が見えた。
その袋は最初の袋くらいの大きさで、今度は梯子が掛けてあるのが見えた。
男3は穴の中を今度は後ずさりをして進んで行った。
男1 「どうだったか?」
男3 「次に大きな袋があって、梯子が掛かってた。
どうする? まるで蟻の巣みたいだ。」
男2 「それでも進まないとなあ。 このままここにいてもしかたがない。
あのでっかい鬼の腹の中にずうっといたくない。
次に行けば次の道があるんじゃないか?」
男1 「じゃあ、進もう。」
男3 「それしかない。」
三人は次の袋に入って、穴を抜けてさらに次の袋に着いた。
男1 「本当に蟻の巣みたいだ。 まあ、実際に入ったこたあないがな。」
男2 「そうだな。 蟻の巣だな。」
男3 「あそこに梯子がある。 上ろう。」
男1 「おい、お前。 お前が上がってみろよ。」
男3 「俺が?」
男2 「他にいないだろ? お前に決まってるさ。 上って見せてよ。」
男3 「さっきも俺だったろ? 次はお前じゃないのかよ。」
男2 「僕? とんでもない! 僕はそんなキャラじゃないさ。」
男3 「キャラってなんだよ。 順番って言っただろ?」
男1 「あれこれとめんどくせえなあ。
さっさと行けよ!」
男3 「なんで俺が。」
男3は渋々ながら梯子の方に向かった。
男2 「そうそう、わかりゃいいんだよ、わかりゃあ。」して
男3は不満そうな顔をして梯子を上り始めた。
上り切ったところには人一人が入るくらいの洞窟のようなものが見えた。
下の二人に声をかけようとしたが、二人は笑いながら話していた。
男3はむかむかしてきた。
俺に上れって言ったんだから、せめて俺の様子を見るくらいのことをしてもいいんじゃないか?
それをなんだ。 二人であんなふうに笑いながら話してて。 楽しそうじゃないか。
二人でいる方が楽しいんだろ? じゃあ、そうしてやるよ!
男3は梯子を持ち上げた。 そして梯子を上げ切った時、それを逆に持ってそのまま洞窟に入っ
て行った。
異変に気付いた二人は慌てて男3に呼び掛けた。
男1 「おい! お前! そこで何をしてるんだ?
どうするつもりなんだ、ええ!?」
男2 「悪い冗談はやめてくださいよ。 梯子を下ろしてくださいよ。」
男3は返事はせずそのまま洞窟を進んで行った。
男1 「ちっくしょうーーー!!! あいつ、今度会ったらただじゃおかねえ!
覚えてろよ!!」
男2 「今度って、 僕たちに今度ってあるんですか?」
男1 「はあ!? お前も何か方法がないか、考えろ!」
男2 「あなたもですよ。」
男1 「なんだと?」
男2 「あなたが命令ばっかりしてるからあの人、切れたんじゃないですかね。」
男1 「全部俺のせいってか?」
男2 「そういうわけじゃあ・・・ とにかく他に出口がないか、探しましょうよ。」
男1 「ここでけんかしても始まらねえからなあ。」
男二人は袋の隅々まで念入りに出口らしいものがないか探し始めた。
「ほおーほおー 意外な展開になってきたね。」
「そうでございますね。 で、どうされますか?」
「仕方ないね。 出そうか。」
「はい、かしこまりました。」
男3が洞窟を抜けると、そこは外の世界だった。
外といっても腹の中から出たというだけのことだ。
男3はにやりと笑って大きく深呼吸をした。
「やっぱり外はいいなあーー」
「おかえりなさいませ。」
男3を出迎えたのは刀鬼と刺鬼だった。
男3はぎょっとした。
「三人で助け合って外に出たら他のことを考えたんだけど、お前、裏切った。
そんな奴はおいら、嫌い。」
食鬼はそう言うと、男3を指でつまんでまた口の中に放り込んだのだ。
「ぐえーーーー!!!!」
男3はもう一度腹の中に落ちて行った。
落ち切った時、男3は最初の袋とは違うことに気が付いた。
「ちくしょう。 どうなってるんだ?」
袋は細く長い。
目を凝らして見ると、らせん階段があった。
それはどこまでも続いているように長いらせん階段で、その向こうに光が見えた。
「これを上ればまた外に出られるのか?」
階段を上ったからと言って、また腹の中に落とされるかもしれないが、ここにこのまま
何もせずにいる訳にも行かなかった。
男3は心を決めて長いらせん階段を上ることにした。
男1と男2は袋の隅々まで『なにか』を捜して見つけたのは、袋の壁から飛び出たヒモだった。
男2 「こんなところにヒモが出てますよ。」
男1 「何だって? 見せてみろ!」
男1は男2のいるところに走り寄った。
男1 「本当だ。 なんだ、このヒモは?」
男2 「ヒモ、引っ張っちゃいます?」
男1 「え? お前が引っ張ってみろ。」
男2 「僕がですか?」
男1 「そうだ。 お前が見つけたんだ。
お前が引っ張れ。」
男2は納得がいかない様子だったが、逆らって痛いメに合いたくないから仕方なく自分が引っ
張ることにした。
・・・・命令するばっかりだな・・・・・
男2がヒモを引っ張ると袋の上から縄梯子が下りてきた。
男2 「わあ、縄梯子だ!」
男1 「なんだと?」
袋の上から一本の縄梯子が下りてきて二人の前でピタッと止まった。
男1 「よし! 上るぞ!」
男2 「僕から?」
男1 「そうだな。 お前、上ってみろ。」
男2 「そうですね、ぼくから上りますよ。」
男2は縄梯子に飛び乗って、ゆらゆら揺れながら上って行った。
男3はブツブツ言いながら長いらせん階段を上っていた。
「俺は悪くない。 これはただ皆が持っていた鉛筆が欲しかっただけだ
皆が持っていた消しゴムが欲しかっただけだ。
貧乏で親に買ってもらえない俺がそれらを手に入れるためには盗るしかなかったんだ。
それしかなかった。 俺は悪くない。 貧乏な家が悪いんだ。
他に何か手段があったか?
俺が『文化的な生活』を送るためには誰かからもらうか取るかしかないじゃないか。
俺だって他の奴らと同じレベルの暮らしがしたかった、それだけだ。
周りが悪い。 誰も助けてくれなかったんだ。
自分の力で何もかもを手に入れるしかなかったんだ。 俺は絶対に悪くない。
俺が地獄に堕ちてこんなメに合うなんて、絶対に理不尽だ!」
「だましたのね。」
俺にそう言ったのは***だった。
「だましたんじゃない。 気が変わっただけさ。」
俺は平然とうそぶいた。
***は俺の為に、それまでコツコツ貯めた金を全部つぎ込んだ。
持ち金がなくなったから、もう用はなかった。
「これまで何人、だましたの?」
「はあ? 気が変わっただけだと言っただろ?」
***は地味な女だった。 いつも砂のような色の服ばかり着ていた。
ただただひたすら俺に優しく尽くしてくれた女だった。
趣味もなく、あえて言えば貯金が趣味のような、俺にとっては都合のいい女だった。
「警察に訴えるわよ。 それでもいいの?」
「できるもんならやってみろよ。 俺は気が変わっただけだって言うだけさ。
警察だって振られた女の言うことなんてまともに相手にしやしないさ。」
「最低ね。」
「なんとでも言えよ。」
「私・・・」
「なんだよ。 まだ何か俺に用か?」
「もういい。 もういい!」
***は泣きながら部屋を出て行った。
「うっざ!」
どうして今***のことなんか思い出したんだろう?
今まで思い出したことなんかなかったのに。
あの時、***は何を言いかけたんだろう?
何人もいた女の中で、どうしてあいつを思い出したんだろう?
結局俺のところに警察は来なかった。
正直ほっとした。
どうして***は警察に行かなかったんだろう?
どうして、どうして、どうして?
考えれば考えるほど、あの時の***の泣き顔が浮かんでくる。
俺が拘置所で昔だました男に殺されたことを***は知っているんだろうか?
俺の為に泣いてくれただろうか?
それともバチが当たっただけだと思ったか?
もう俺のことなんか思い出すのも嫌だろうか?
不思議と俺の目から涙がこぼれた。
「ううううーーーーーわーーーーーー!!!
すまなかった!! 俺が悪かった!
俺が 悪かったんだ、 うううーーー」
男3はらせん階段の手すりに縋り付きながら泣き崩れた。
「嵐鬼、嵐鬼はいるか!?」
嵐鬼の正体は竜だ。 だから正しくは嵐鬼竜なのだが、普段は竜の姿をしていない。
それは闘う時の姿だからだ。
そしてみんなはそれを知っているから嵐鬼と呼んでいる。
嵐鬼竜と呼ぶときは、何かしら竜の助けを必要としている時に限るからだった。
「おお、何か用か、食鬼?」
「あいつを遊鬼の処にやってくれ。」
「ほおー。 遊鬼か。 承知した。」
「あと二人いる。 頼む。」
「わかった。」
嵐鬼は体をクルクルと回して風を起こした。
するとその風は男3を巻き込んで飛んで行った。
その瞬間、男3は遊鬼の『もし部屋』の中にワープした。
「ここはどこだ!?」
「そこはね、『もし部屋』て言ってね、あんたの人生の『もし』を見せてやるのさ。」
男3はなにがなんだかわからない様子だった。
男2が縄梯子を上っていると、男1も上ってきた。
男2 「ちょっと、今上るのやめてくださいよ。
二人分の重さがかかるじゃないですか。」
男1 「あいつみたいに梯子を隠されちゃかなわんからな。」
男2 「そんなことしませんよ。 ちょっと、ゆれるじゃないですか!」
男1 「しょうがねえだろ。 縄なんだからよお。」
男2 「もう! 絶対に一人ずつ上ったほうがいいって!」
男1 「るせえ! 俺は誰も信じちゃいねえんだよ!」
その時、男1の手の上の縄がぷっつり切れた。
男1は真っ逆さまに落ちた。
男2 「だから言ったのに。」
男2はそのまま縄梯子を上り切った。
そして下に落ちた男1に向かって叫んだ。
男2 「僕だってあんたのことなんか信じちゃいないさ。
信じるに足る人間じゃないってことは顔を見ただけでわかるさ。
僕はこのまま出口に向かって進む。
あんたはせいぜい頑張りなよ!
そこに他の何かが見つかれば の話だがね。 じゃあ、さようなら。」
男1 「下りてこい!! おい!!
お前、一人で行く気か!? 下りてこい!
下りてこないとただじゃすまねえぞ!」
男1の声は、もう男2の耳には届かない。
男2は次へ次へと進んでいたのだった。
「どうされますか、食鬼様?」
「ほおーほおー そうだなあーー
二人とも反省もしてないようだしなあ。
もう少しだけ見て、それで決めよう。」
「かしこまりました。」
男2は身軽に上っている。 もともと細く軽いので少しくらい足元が不安定でも大丈夫
らしい。
男2 「ここはどこだ? もうそろそろ表に出てもいいころなんだけどなあ。
僕なんて、こんな暗いところに居続けること自体がもったいないんだよね。
明るいところで、脚光を浴びてって言うのが似合ってるんだよね。
僕を喰ったあの鬼、僕の美しさに気付かなかったのかなあ。
それとも、もしかして、嫉妬!? 笑える。
僕はさあ、世の中の女性の為にいるんだからさあ、一人のためになんて
暮らせないさ。 そこんとこ、鬼はわかんないんだろうね。 困るな。
女性の鬼がいたらいいんだけど。 そこに行かせてくれないかな。
外に出たらさっきのでかい鬼に言ってみようかな。
泣き落としで何とかなりそうな気がするんだけど。
まあ、とにかくここから出なきゃね。」
男2はくじけることなく前に進んで行った。
「あ、あれは? あれは光じゃないか?
よし! これで外に出られるぜ。
あのでっかい鬼に取り入って、テキトーなこと言って女性の鬼の処に
行かせてもらおう。
そっからは僕の本領発揮さ。 地獄であろうとどこであろうと僕の魅力は
万能だからね。 メロメロにしてあとはこっちのペースでいける!」
男2は明るい表情で光に向かって歩いた。 そして、外に出た。
「ああ、やっぱり外はいいなあ。」
そこは食鬼の耳の穴だった。
男2はそれに気がついた。
「あ、さっきの鬼さんでしたか。」
男2は追従笑いをしていた。
食鬼はそれを醜いと思った。
「嵐鬼!! 嵐鬼は居るか?」
「おお、ここにいるぜ。 で、どこに飛ばす?」
「奈落。」
「わかった。 面白いことになりそうだわい。」
嵐鬼は今度は強い風を吹かせて、その風を巻き上げて男2をその中に捕らえてから
すぐにいなくなった。
男2は奈落の処に飛ばされた。
「いらっしゃい。」
男2は目の前に現れた強面の鬼を驚いた。
「ここはどこだ? お前は誰だ!?
一体どうなってるんだ!?」
慌てる男2を見た奈落はふてぶてしい笑いを浮かべた。
「お前は選ばれてここに来たんだ。 よかったじゃないか。
俺は奈落。 優しい鬼だぜ。」
男2はとてもやさしいと思えない風体の奈落を見て足が震えた。
「女の鬼じゃなくて悪かったな。 俺も優しいから俺で勘弁してくれよ。」
男2の自慢の『美しい顔』は恐怖で醜く歪んでいた。
一人残された男1は、心の底から後悔した。
男1 「あいつが言う通りだったかもしれない。
でも、あいつを本当に信用できるか?
誰がそんなこと、言えるか?
あいつが俺を信用していなかったように、俺もあいつを信用しなかった。
だからあの時、俺が縄梯子に乗ったのは仕方がないことだったんだ。
ああああーーーーー!!!
このままじゃ俺はずーっとあのでっかい鬼の腹の中じゃないか。
どうしたらいいんだ?
俺一人でなにができる? もう、ダメだ。」
男1は弱音を吐きながらへたり込んだ。
「もういい。 どうせ俺は死んだんだ。
このままここにいたってどうってことない。
まあ、あの鬼の腹の中にずーっといるっていうのも気持ちのいいもんじゃあないが、
人間諦めが肝心って言葉もある。 もう歩きたくない。 疲れた。」
その途端、男1の体は袋の中にのめりこんでいった。
体が少しずつ沈んでいくのがわかるほどだった。
「もしかしたら俺はこのままこの袋にとりこまれてしまうのか!?
それは嫌だ! 死んだとしても、それでもこんな袋になっちまうなんて。」
男1は立ちあがってあちこち『なにか』を探し回った。
すると、一か所、小さな穴を見つけることができた。
穴の中に指を入れるとずぶずぶと入っていくじゃないか。
そのまま手を入れると手が、腕を入れると腕が、入っていく。
男1は両手を入れて、両腕を入れて、頭を入れ、体を入れ、穴の中にすっぽりと入った。
そして男1は穴の中を匍匐前進で進んで行った。
その穴は不思議と男1の体に添うように広がり、通り過ぎると閉じたのだった。
男1は真剣だった。 これで何とかならなければ次はないと思ったのだ。
しばらく進むと小さな光が見えてきた。
男1はその光に望みを託して進んで行った。
そしてついに体が光に包まれた。 外に出られたのだ!
「やったああーーー!! ついにでたぞお!!!」
男1は一人雄たけびを上げた。
「一人で頑張ったじゃないか。」
「おお。 鬼に褒められても嬉しいもんだな。
さすが俺様だろ? 一人でも出てみせたぜ。
さあ、俺様の実力を認めて地獄の中を観光案内でもしてくれるかい?」
「ほお。」
「なんなら閻魔ってヤツに会ってやってもいいぜ。 はーっはっはっは!!」
「嵐鬼、聞いてたか?」
「おう。よーく聞こえたぜ。」
目の前に現れた嵐鬼に男1はぎょっとした。
嵐鬼と呼ばれた鬼は、食鬼よりは小柄だが、目つきが鋭く、生きていた時に自分が
いつも相手にしていた者達に似たニオイを感じ取ったからだった。
怖い と素直にそう感じた。
「で、どうする、こいつ?」
「氷鬼だな。」
「それがいいな。 あいつならな。」
嵐鬼は体を回して風を起こして男1を巻き上げて、風の上に乗せて飛んで行った。
腹の中から三人の男がいなくなった食鬼はすっきりした顔になった。
「刀鬼、刺鬼、腹がへった。
腹の中に人間がいるとメシがまずくなるから我慢したが、もう我慢も限界じゃ。
なにか作ってくれ。」
「はい。もう用意はできております。」
それを聞いた食鬼は満足そうに笑みを浮かべたのだった。
閻魔大王は小さくため息をついて首を何回か横に振った。
「皆、好き勝手にしておるな。
まあ、遊鬼を映せ。」
閻魔大王は映し鏡に向かって声をかけると部屋の壁には遊鬼の姿が映った。
男3 「ここはどこだ? お前は誰だ?
俺をどうするつもりだ? ここから出せ!!」
遊鬼 「お前、「誰に向かって口をきいてる?
お前からはあたしの姿が見えないから大目に見てやるけどさ。
あたしはこの空間をつかさどる遊鬼、地獄の鬼さ。
お前をどうとでもできる力も術も持っていることは知っててもらおうか。」
男3 「え!? 遊鬼? 地獄の鬼なのか!?
俺をどうするつもりか教えてくれないか? 」
遊鬼 「ほお、態度が変わったさ。 まあ、わかればいいさ。
本当はさ、そこでお前に見せるものは『もしお前が違う決断をしたら、お前の人生は
どうなっていたのか』なんだけどさ。
そんなことより お前、気になっていることがあるだろう?
だから、それを今から見せてやるよ。
まあ、その方がお前にとってはキツイかもしれないがな、それも仕方あるまいさ。
お前がいるその部屋の中に椅子があるだろう?
その椅子に座るのさ。」
男3 「椅子? ああ、これか。 これに座ればいいんだな。
俺が気にしてるってなんだ?」
遊鬼 「黙って見るさ。」
男3が言われるがまま椅子に座って黙っていると、壁に***の顔が映し出された。
男3 「あ! ***だ!」
***は小さい女の子と笑いながら折り紙で遊んでいた。
『おかあちゃん、ここ、どうするの?』
『ここはややこしいね。 一緒にやってみようか。』
『うん!!』
ピンポーン
『あ、かえってきた。』
二人は玄関に走って誰かを出迎えた。
『おかえりなさい。』
玄関を開けて入ってきたのは60代か70代くらいの男だった。
男3 「誰だ、あのじじいは?
まさか***はあのじじいと一緒に住んでる とかじゃないだろうな?」
『じいじ、おかえり!』
女の子は男と手をつないで嬉しそうに歩いた。
男3 「じいじ? あのじじいはじいさんだったのか。
え? じゃあ、あのじじいは***のおやじさんってことか?
じゃあ・・・もしかしたらあの女の子は、俺の 子 ってことか?
俺は何も聞いてない。」
男3はあの時のことを思い出した。
***は自分になにか言おうとして、言いかけて、言わずに出て行ったのだ。
あの時言おうとしてたのは、子供のことだったのか?
『はい、これ。』
男が***に渡したのはその日の夕刊だった。
『あ、ありがとう。 父さん、着替えてね。』
『わかってるよ。
**ちゃん。今日もいい子にしてたかな?』
『うん、ずーーっといい子にしてた、ね、おかあちゃん?』
『そうね、いつもいい子だもんね。
いい子でじいじを待ってたね。』
『ほお、それはえらかったなあ。』
男はにこにこしながら子供の頭を撫でた。
『今日の晩御飯はなにかな?』
『今日は肉じゃがよ。』
『そうか、おかあちゃんの肉じゃがはおいしいな、ね?』
『うん。 おかあちゃんの肉じゃが、大好き!』
『今日は****君は、遅いのか?』
『ううん、そんなことないと思うわ。
一緒に晩御飯、食べられると思うわ。』
『そうか、それはよかった。』
『私、それまで新聞読んでる。』
『**ちゃん、じいじと遊ぼうか。』
『うん!!』
女の子は嬉しそうにじいじの膝の上に座って折り紙の続きを始めた。
***はそれを見てからゆっくりと新聞を持って開いた。
『あっ』
***の目は一つの記事に釘付けになった。
それは男3が昔だました男に拘置所で刺されて死んだという記事だった。
『どうした? なにかあったのか?』
じいじの質問に***は、
『ううん、なんでもない。』と答えた。
その目にはうっすらと涙が見えた。
男3 「俺の為に泣いてくれるのか。」
男3は***の様子を見てこみ上げてくるものがあるようだった。
ピンポーン
『****君かな。 今日は早かったな。』
『そうね。』
***はそそくさと玄関に走って行った。
『ただいま。』
『おかえりなさい。』
部屋に入ってきたのは***と同年代の若い男だった。
男3 「誰だ、あの男は?
あの男が子供の父親だというのか?
いや、そんなはずはない。どう見てもあの子は俺に似てる、俺の子だ!
どういうことだ?」
『****君、今日は早かったね。』
『はい、おとうさん。 今日は残業がなかったから。』
『そうか、そうか。 **ちゃん、お父さんが帰ったよ。』
女の子はじいじの膝から飛び降りて男の方に向かった。
『おとうちゃん、おかえりなさい。』
『ただいま、**ちゃん。』
男は笑顔で女の子の頭をなでた。 女の子も嬉しそうだった。
『支度するからお願い、運ぶの手伝って。』
『うん、わかった。』
男は台所に入った。
『本当に私でいいの?』
『今更何を言ってるんだ?
好きになったのは僕の方だ。』
『でも、私は年上だし、子供までいるし。』
『君はきれいだ。 君の子供は僕の子供だよ。
急に、どうしたんだい? そんなこと聞いて。』
『ううん、なんでもない。 ありがとう。』
『さあ、晩御飯にしよう。僕の腹が減ったよ。』
『そうね、そうしましょう。』
四人はそのまま食卓を囲んで晩御飯を食べ始めた。
ごはんと肉じゃがとサラダと味噌汁だった。
男3 「どういうことだ?
***があの男と一緒になるということか?
俺を裏切ったということか!?
なんて女だ!!」
遊鬼 「お前さあ、自分が何を言ってるかわかってる?
あの女、お前が捨てたんじゃなかったっけねえ。
えらそうなこと、言える立場じゃないだろうさ。」
男3 「そうかもしれないが、他の男と一緒になるこたあないだろう?」
遊鬼 「自分をないがしろにした男の為に自分の人生をあきらめるのか?
お前さあ、生きてるとき、いっぱいものを盗んで、いっぱい人をだましてさ。
あの女だってお前の為に一杯泣いたさ。
あの女に比べて、お前、それほど泣いた? 泣いてないさ。」
男3 「そんなことは、ない。」
遊鬼 「お前、さっきまで忘れてたさ、女の事。
人間はさあ、あたしたち鬼を悪者扱いしてるけどさ、あたしたちはそんな風に
考えてないさ。
地獄に堕ちてくる人間は皆、絶対に罪人だからさ。
その罪人は生きてるとき、誰かを悲しませて、誰かを苦しめてたさ。
でも、そんな人達って結局悔しい思いだけを持つだけで何もできない人が
ほとんどなのさ。
あたしたち鬼はそんな人対に成り代わってそんな罪人たちを懲らしめてるのさ。
会わばあたしたちは正義の徒さ。」
男3 「せいぎのと?」
遊鬼 「お前!? むむ 知らないのか? まあいい 正義の味方ってことさ。
お前、子供のころから盗んでたようだけど、何回盗んだか、覚えてるか?」
男3 「そんなこと、覚えてられっかよ。」
遊鬼 「3000回を超えてるさ。」
男3 「え?」
遊鬼 「鉛筆、消しゴム、クリップ、ホッチキスの針、輪ゴム、リンゴ、パン。
菓子、本、本? 本は盗ってその足で売りにいってる。
お前、本当にろくでもないヤツさ。
で、捕まったのは何回さ?」
男3 「2回 だな。」
遊鬼 「それは置き引きで捕まった時さ。
でも、未成年だからって見逃されて、なんの償いもしてないさ。
大人になってからは詐欺に変わってるさ。」
男3 「詐欺なんかじゃねえよ。
俺はその時はそれを信じていたし、俺にとっては本当だったんだ。
男は皆友達だと思って勧めた話だし、女だったらその時は惚れてたんだ。」
遊鬼 「ふーーん。 でも、いつも相手だけに損をさせて逃げてるな。」
男3 「それはまあ、俺の勘の良さというか、なんというか。
損をする奴はどんな時だって損をするもんさ。
そう言うもんなんだよ、世の中はさ。」
遊鬼 「お前の考えはよくわかったさ。 それで世の中をうまく渡ってきたつもり
なんだろうが、そう簡単にはいかなかったようじゃない。
お前を刺した男をお前は忘れてたようだけど、その男にとってはお前を殺すほど
お前に苦しめられた男ってことなのさ。
だからお前がここにいるのも結局は自業自得なのさ。
もっと言えば、お前がもし、あの女を大切にしていたら、食卓を一緒に
囲んでいたのは、お前だったかもしれないさ。
男3 「ああそうか。 俺にはそんな生活もあったってことか。」
遊鬼 「でもさ、お前がそれまで苦しめた者達の恨みは消えないからさ。
お前にはあの二人を幸せにすることなんかできなかっただろうさ。」
男3 「じゃあ、俺は一体どうすればよかったんだ?」
遊鬼 「それを決めるのはお前なんだよ。
じゃあ、次を見るさ。」
男3 「次って?」
遊鬼 「お前が有り金を全部チューーーって吸い上げてから姿をくらましたのは
***だけじゃない。 他にもいただろ?
皆が今どう暮らしてるか、教えてやるさ。」
男3 「え?」
遊鬼 「自分がどれほどの存在だったか、知るといいさ。」
男3がいる部屋の壁には次から次へ、男がお金をだまし取った女たちの『今』が映し
出されていった。
女たちは今はそれぞれに幸せを手に入れていた。
今の暮らしを大切にして、日々を暮らしている。
それはまるで男3などいなかったかのように笑っている。
男3はまるで自分が捨てられたような気持になっていった。
男3は自分には何の価値もない と言われているように思えてきた。 惨めだった。
部屋の中で男3は泣いた。 声をあげて泣いた。
男3 「もういい、もうわかった。
俺が行きようが死のうが皆気にも留めないことがよくわかった。
これ以上は、もういい。」
遊鬼 「女たちは簡単に今の暮らしを手に入れたわけじゃない。
悔しくて泣いて、悲しくて泣いて、惨めで泣いて。
認めたくなくて苦しんで、苦しんで、やっと騙された事実を受け止めて、
それから一歩ずつ進んでいたのさ。
簡単じゃなかったさ。
人に騙されたことを認めることは、同時に自分の愚かさを認めることになる
からね。 それほど人をだますことは罪深いことなのさ。
お前の涙なんか、軽すぎてかわいそうでも何でもないさ。」
男3 「それが俺が受ける罰ということか?」
遊鬼 「お前、まさかこれでおしまいだと思ってるんじゃないだろうさ?」
男3 「どういうことだ?」
遊鬼 「今まではお前が騙した女たちの『今』を見せただけさ。
お前なんかいなくても、というか、いない方が女たちは幸せなんだってさ。
でも、まだお前の盗みの罪に対しては罰を加えてないさ。」
男3 「俺は貧乏で、欲しい物を手に入れるためには盗むしかなかったんだ。
他にどうすればよかったって言うんだ?
仕方がなかったんだ!」
遊鬼 「貧乏な家に生まれたからと言って、みんながお前みたいな罪人にはならないさ。
何もかもを他の人のせいにするんじゃない!!
お前のせいで店を閉めた者もいるんだ。
その人たちの人生を、お前は壊したってことさ。
その罰を受けなきゃならないってことさ。3000回分さ。」
男3 「俺は一体、どうなるんだ? これ以上俺になにをする気だ!?」
遊鬼 「氷鬼、聞こえるか? そっちに送る。
あとは頼む!」
そう言うと男3が入っている部屋は遊鬼の空間から出ると部屋は消え、男3は体一つで氷鬼
の処に飛ばされたのだった。
遊鬼 「ムクロ! ムクロはいるか!?」
ムクロ「気安く呼び出されるのは困る。 こっちも仕事中だ。」
遊鬼 「はあ!?
お前この前呼ばれてもいないのにゴクの『瞑想』につきあったらしいじゃないさ。
あたしは仕事で呼んでるのさ。」
ムクロ「誰からそれを? まあいい。
お前とゴクとでは大変さが違う。 一緒にするな。
それで、一体何の用だ?」
遊鬼 「ふん、 失礼なこと言ってくれるじゃないさ。
そんなことより、空鬼を知らないか?」
ムクロ「空鬼? 空鬼がどうかしたのか。」
遊鬼 「ちょっと相談したいことがあるさ。」
ムクロ「そうか、何も聞くまい。 多分、わかる。 連絡してみよう。」
遊鬼 「頼む。 急いでほしいさ。」
ムクロ「伝えておこう。」
遊鬼 「頼んださ。」
ムクロは遊鬼に返事をすると同時にすうっといなくなってしまった。
遊鬼 「昔からわかりやすいヤツさ。」
閻魔大王はその様子を見てため息をついた。
「やはり人というものはなかなかに性根がかわらないということだな。
どれだけこちらが情けをかけてやっても裏切られることの方が多い。
それでも信じようとするか、最初から切り捨てるか、難しい選択じゃわい。」
そう言うと次には奈落を映しだした。 奈落の処には男2が飛ばされていた。
奈落は罪人が物理的にも精神的にも痛い思いをして苦しむ姿を見るのが好きなのだが、あまり
自分では手を下さない。
配下の様々な小鬼たちをうまく使って、それぞれが一番嫌がることをピンポイントで責めるのだ。
動物的勘とでも言えるのか、奈落にはそれを見抜く力がある。
体は青く大きくて、同じように青い髪も伸ばしっぱなしのザンバラ髪だ。
両耳の上に太い角が二本、額に小さい角が三本、いずれも真っ黒だ。
眼は大きく、にらみつけられると震えあがってしまうほどだ。
どっしりとした鼻はいかにも力持ちを表すようだ。
口も大きく唇も厚く、上下から突き出た牙がある。
まるで人間一人くらい一飲みできてしまいそうなほどだ。
そんなところに男2は飛ばされたのだから、本人からしたらたまったものではないだろう。
ましてやそんな風体の鬼が、自分を『優しい』などというのだから、恐怖でしかない。
男2 「あの・・僕は一体どうすればいいんでしょうか?」
奈落 「どうもこうも、お前の一番の自慢はなにか、教えてくれないか?」
男2 「自慢できるものなんてなにもありません。
なんのとりえもない、つまらない男なんですよ、僕は。」
奈落 「そうかい? 聞いてた話とはずいぶん違ってるんだが、お前、俺に嘘を言ってるんじゃ
ないだろうな?」
男2 「嘘なんて、とんでもありませんよ。
僕は本当になんのとりえもない男なんです。」
奈落 「ふーーん。
俺が聞いた話じゃ、お前、器量に自信があるんだって?
俺みたいな器量の者をどう思う?」
男2 「え!? あなたは鬼ですから。」
奈落 「鬼だからなんだい?
鬼だったら器量が悪くても仕方ないってか?」
男2 「器量が悪いなんてとんでもない!
鬼としてとっても迫力があってカッコいいと思いますよ、僕は。
女の子もきっとカッコいいって騒ぐと思います。
そうですよ、きっとモテますよ!
この僕が言うんだから絶対です。 保証します。」
奈落 「お前、さすが何人もの女を泣かせただけのことはある。
内容はぺらっぺらで説得力もないし、信用ならないが、耳障りはいいことを言うな。」
男2 「女を泣かすなんて、とんでもないですよ。
僕はいつも女性を大切にしてきました、本当です!」
奈落 「お前、嘘は下手だなあ。」
男2 「嘘なんて、そんな。 嘘なんてつきませんから、僕は。 へへへ。」
奈落 「鏡鬼、隠れてないで出ておいで。」
鏡鬼 「気づかれておられましたか?」
奈落 「当然じゃ。 あとは頼んだぞ。」
鏡鬼 「かしこまりました。」
奈落に呼ばれて出てきたのは鏡鬼だ。
鏡鬼は小柄で体が鏡でできていて、人間にとっては手鏡にちょうどいいくらいだ。
足は二本あるがとても細いので、人間の男なら二本まとめて持てるほどだ。
角もあるのにはあるが、細く小さく頼りなげに見える。
鏡鬼は小さいしにこにこしているので男2はちっとも怖くなかった。
男2「君は一体何者かな?
僕をどうしようって言うのかな?
というか、何ができるのかな?」
男2はすっかり鏡鬼を馬鹿にしている様子だった。
鏡鬼はそれに慣れているようで、相変わらずにこにこしていた。
鏡鬼 「あなたは自分がとってもカッコいいって思っているんだよね?
そう思ってもいいほど本当にカッコいいからいいんだけどね。」
男2 「それほどじゃあないさ。
君も結構かわいいんじゃない?
人間の女の子にも好評だと思うよ。」
鏡鬼 「ありがとうございます。
僕はね、あなたのようなカッコいい人を映すのが好きなんだ。
だからね、僕を手に取って、鏡を覗き込んでくれないかな。」
男2 「ああ、いいよ。 お安いご用さ。
僕だって毎日鏡を見るのが好きだからね。
じゃあ、遠慮なく君を使わせてもらうよ。」
男2はかがんで鏡鬼を手に取って、鏡の中の自分の顔を覗き込んだ。
その途端、男2は鏡鬼の中に吸い込まれてしまった。
鏡の中の男2は自分が今どこにいるのかを理解できないでいる。
男2 「ここはどこだ? 鏡の鬼君はどこにいったんだ?
答えてくれないかな?」
鏡鬼 「鏡の世界にようこそ! 君を歓迎するよ。」
男2 「鏡の世界って? なにを言ってるんだ?」
鏡鬼 「君はね、今僕の体の中に入っているんだよ。」
男2 「そんな馬鹿なことがあるもんか!
君はあんなに小さくてかわいい鬼だったじゃないか?」
鏡鬼 「あの時は君が僕の中に入っていなかったからね。
僕はね、僕の体の鏡を覗いたものを飲み込むことができるんだよ。
それでね、僕が大きくなるんじゃなくって、君が小さくなってるんだ。
だから僕はおなか一杯になるんだ。」
男2 「まさかこのまま僕を食べるなんてことはないんだろう?」
鏡鬼 「当然だよ。 君のような罪人を食べる趣味はないからね。
僕は今から君に罰を与えるんだ。
でも、僕が直接君に何かをするわけじゃない。
僕はこれでも紳士だから、乱暴なことは嫌いなんだよ。」
男2 「なあ、このまま僕を外に出しておくれよ。」
鏡鬼 「はは。 君は面白いことを言うねえ。
罰を受けていない君を出せるはずがないじゃないか。」
男2 「じゃあ、僕に罰を与えるって言うのは一体誰だって言うんだい?」
鏡鬼 「君が現世で心をもてあそんで傷つけた女性たちだよ。」
男2 「そんな。 女たちがこの地獄にいるというのか?」
鏡鬼 「女性たちは被害者なんだよ。
他に何か罪を犯したならともかく、そうじゃなかったらここに来るはずがない。
僕が女性の心の内にいる魂をここに呼ぶんだ。
それでね、君を許すと言った人はここには来ない。
でも、君をまだ恨んでいたり、許せないでいたり、他にも今でも悲しい気持ちが残って
いるとここに来てしまうんだ。
それは感情なんだよ。 理性では押さえることができない感情だ。
君はそれほど傷つけたということなんだ。 男性もいるかもしれないね。」
男2 「それをどうやって探し出すつもりなんだ?」
鏡鬼 「探す? そんな必要はないよ。
君の人生にかかわった者は皆わかっているからね、呼びかけるのさ。
ほら、もうこんなに集まってきてるじゃないか。
僕も驚きだよ、こんなに君が人に恨まれているなんてさ。
罰を与える甲斐があるってものだよ。」
男2 「え!?」
男2が辺りを見回すと、そこには見覚えがあったりなかったりの者達がたくさん集まっていた。
男2は走って逃げようとしたが、どこにも逃げ場はない。
隠れるところさえなかった。
男2 「許してくれよ、昔のことじゃないか。
水に流してくれると嬉しいし、感謝するよ。 ね、頼むよ。」
鏡鬼 「ああ、悪い。 言わなかったかな?
ここにいる者達は心の中にいる存在だから、君の声は聞こえないんだ。
だから何を言っても無駄だよ。
君を許していたら、ここには来ないしね。」
男2 「僕は一体どうなるんだ!?」
周りにいた者達が徐々に男2に近づいてきた。
もてあそばれた女性もいれば、大切な人をだまされたことを恨む男もいる。
男2の顔は不安と恐怖で満ち溢れている。
鏡鬼 「僕は暴力は嫌いだからね、眼をつぶることにするよ。
あ、そうだ。
周りにたくさんいると思うけどね、皆それぞれが納得するというか、もういいって思っ
たら、順次消えていくから大丈夫だよ。
皆がいなくなったらここから出してあげる。 約束だ。
じゃあね。」
鏡鬼はそう言うと目をつぶって耳を塞いですっかりリラックスしている様子だ。
鏡鬼が鏡に蓋をしてしまったので、男2の姿は誰からも見えなくなった。
そして、男2の声は、どんなに泣こうが叫ぼうが、鏡の外には漏れ出すことはないのだ。
奈落はというと男2のことなど忘れてしまったようにお気楽に昼寝を楽しんでいた。
閻魔大王はふうっとため息をついた。
「鏡鬼はある意味、狂気だからな。」
「次は氷鬼だな。 こいつも結構な奴だからなあ。」
映し鏡は氷鬼の様子を映し出した。
氷鬼の処には先に男3がやってきた。
氷鬼はその名の通り、水や氷を自由自在に操ることができる。
凍らせることも融かすことも自由自在だ。
男3 「ここは? やけに寒い。 このままでは凍え死んでしまうぜ。」
「はっはっはっは!!!」
どこからか大きな笑い声が聞こえてきた。
男3 「誰だ!?」
氷鬼 「失礼した。 君がとても面白いことを言ったものだからね。
つい笑ってしまったんだよ。」
男3 「なんだって? 俺がどんな面白いことを言ったと言うんだ!?」
氷鬼 「だって君は今、『凍え死んでしまう』って言ったんだよ。
君はとっくに死んでしまっているんだ。
もう一度死ぬなんてことはないんだ。
まあ、死ぬほどつらいメに合うかもしれないがね。」
男3 「気に入らねえな。 お前は誰だ?」
氷鬼 「君は面白いと同時に失礼な奴なんだね。
私はこの空間をつかさどる氷鬼だ。
君を生かすも殺すも私次第・・・
おっと失礼、君はもう殺されていたんだったね。」
男3 「くっ!! ますます気に入らねえ!」
氷鬼 「君は自分の立場が分かっていないようだからはっきり言わせてもらうよ。
私は今から君の罪に対して罰を与えるんだ。
盗み3000回以上と聞いているけど、本当かい?」
男3 「盗みって言ったって。 たかが子供の頃の万引きだ。」
氷鬼 「万引きはれっきとした『窃盗』という名の犯罪なんだよ。
窃盗は罪が重くて万引きは罪が軽いなんてことはない。 同じなんだ。
君のように万引きは罪が軽いなんて勘違いしてる奴が多いことは嘆かわしい。
いいかい? 君のように罪の意識が薄いことが大問題なんだよ。」
男3 「一体何を言ってるんだか わかんねえな。」
氷鬼 「確かなことは、君は3000回以上の窃盗の罪を償うための罰を受けなければいけないと
いうことだ。」
男3 「じゃあ、どうすんだ? 3000回謝るのかい?
それなら何度でも頭くらいさげてやるよ。」
氷鬼 「自分の為に頭を下げる行為は謝ったことにはならないね。
謝るというのは、相手に対して行うことだからね。
君が何回頭を下げたって、それは謝っていないってことなんだ。」
男3 「ややこしくて、わかんねえよ。」
氷鬼 「そうかい。 それは残念だよ。」
氷鬼は一見鬼とは思えない。
腰まである長い銀髪はうなじ辺りから緩く三つ編みにしている。
服装はと言えば着流し姿で裸足に雪駄と決まっている。
細めの男帯を締めて、後ろで片結びにして流している。
およそ 鬼 の風体とはかけ離れている。
それは角が銀髪に隠れて見えないほど短いせいでもある。
氷鬼は理論家で、相手を理詰めで追い詰める。
ただ、自分独自の理論を通すところは周りを困らせることがあることについては自覚がない。
男3 「ここはどこだ? 俺は一体どうなるんだ?
もういい加減にしてくれ。 もう十分償ったじゃないか!?」
男3はうんざりしていた。 鬼の腹の中に入って、やっと出たかと思ったらもう一回食べられて
それでも頑張って出たら、なんかの部屋に入れられて自分を否定する映像を延々と見せられた。
もう十分じゃないか。 俺を憎み恨んでいる奴らがまだ他にもいるのか?
俺が盗ったものは安い物ばっかりなのに、それでも罰を受けないといけないのか?
今まで以上のことが起きるのか?
氷鬼 「では、始めましょうか。
今回君が受けるべき罰は、盗み3000回に対してと言うことだからね。
それは『盗もう』と考えた君の『脳』と実際に盗みを働いた君の『手』と、店に
行った『足』に対してが主になる。 わかるかね?
そもそも盗もうなんて考えさえしなければよかったんだよ。
もしそんな不届きなことを考えたとしても、行かなければよかったんだし、行ったと
してもお前の手が盗まなければよかったんだ。
だから君はその『脳』と『手』と『足』に罰を受けることになる。
まあ、他の処にも少々の被害は出ることにはなるのだけれどね。」
そう言うと氷鬼は両掌を上にして顔の下に並べてからふうっと息を吹きかけた。
すると大きな球体ができてきて、男3を包み込んだ。
男3はそれを割って出ようとするが、球体は硬質ガラス並みの強さがあってびくともしない。
氷鬼 「それはね、君ごときがどんなに暴れたところで日々の一つもできやしない。
なにか私に聞きたいことはあるかな?
今なら何でも答えようじゃないか。」
男3 「この中で俺はどうなるんだ?」
氷鬼、「君に苦しめられた人たちの怒りの強さと恨みの深さで決まるのだよ。
私は氷の鬼だからね。 水も操ることができるのだよ。
もしかしたら粉雪が降るかもしれないし、嵐が怒るかもしれないね。」
男3 「今までだって結構キツかったんだぜ。
それなのにまだ何かされないといけないのか!?」
氷鬼 「君は何もわかっていないみたいだね。
君に苦しめられた人たちは君を許していないんだ。
だからその気持ちがある限り君への罰は続くんだよ。
ただし、君に苦しめられた人たちがみーんな天上界に召されたり、君を許した場合は
罰を受ける必要はなくなるがね。
諦め じゃあなくて、許し だから。 間違えないでもらいたい。」
男3 「それはいつなんだ?」
氷鬼 「それは私にもわからないね。
君のせいで店を閉めなければならなかった人たちがそんなに簡単に君を許すとも
思わないが、その時にはその球体から出られて、君は自由になる。」
男3 「自由。 自由になるチャンスがあるのか。」
氷鬼 「話はもうおしまいだ。 君の声は私には届かなくなるし、私の声も君には届かなく
なるからね。」
氷鬼が球体にもう一度息を吹きかけると、球体は全体がくもってぼんやりとしか姿が見えない状態
になって、そして音を遮断した。
氷鬼 「自由ねえ。 君がそれまで原形をとどめていられるかは約束できないがね。
氷鬼はそうつぶやいてから男3に微笑みかけてからその場を去った。
「わーーーーーー!!!!!」
男3は両手で頭を抱えて叫び始めた。
頭の中に雹が入ってきて、脳を直接攻撃したのだ。
そしてその両手にも、それから両足にも、大粒の雹が容赦なくぶつかってくる。
男3はあまりの痛さに気を失うが、痛さで目が覚めるということを繰り返しながら思い知った。
・・・・俺がやった万引きはこんなに罪が重いことなのか!・・・・
男3はその痛みで自分の罪を初めて自覚したのだった。
閻魔大王は氷鬼の言葉にうなずいてから、映し鏡をゴクに移した。
その頃、ゴクは少し戸惑っている様子だった。
待合室にいた一人の男にはさして大きな黒点は見られなかった。
今までならヨミが見逃すくらいの黒点なのだ。 それも薄い。
「ヨミ、どうしてこの男を待たせたのだ? 待たせるほどではない気がするが。」
「それがね、その小さな黒点がね、なんとなーーく気になるのよね。
小さいけど、いくつかあるでしょ? だからどうしても見逃せなくってね。」
「黒点と言っても、いずれも色がとても薄いんだな。」
「そうなのよね。 だからこそ気になっちゃってね。
逆にゴクにその黒点の内容を調べて私に教えて欲しいのよね。」
「逆に はおかしい。 それに、丸投げだな。」
「ま、いいじゃない。 久しぶりの仕事としては丁度よくない?」
「まったく。 しかたがない。 そこまで気になるなら引き受けよう。」
「よかった! じゃあ、お願いね。」
「そこの者、部屋の中に入りなさい。」
部屋の外で待っていた初老の男は扉を開けて静かに入ってきた。
男は48歳。 見た目より年上に見える。 腎臓疾患で病死。
取り立ててどうということもない、どこからどう見ても普通の会社員だ。
悪事を企てたり、罪を犯すようには見えない。
人は見かけによらない のか。
「扉を閉めて椅子に座りなさい。」
「あ、はい。 わかりました。」
男は素直に椅子に座って膝をきちんと揃えて座った。
「あのお。」
「なんだ?」
「ここは地獄のように思うんですが、どうして私が地獄にいるんでしょうか?
私は何一つやましいことはないですし、何かの犯罪にかかわったこともないんです。
周りの人達はすんなりと別の場所に行ってそのまま天上界に行ったようなんです。
どうして私は別室で待たなければいけなかったんでしょうか。
その理由がわからないんです。 納得できる説明をお願いします。」
「そうだな。 私はこの弐の関所の番人をしている。
ここに来るものは壱の関所の番人の琴線に触れた者だけと決まっている。
なるほど、お前は一見真面目そのものに見える。
しかし、お前には小さくて色も薄いが、人の恨みや苦しみを表す点がたくさん存在している。
壱の関所の番人はそれがとても気になったようだ。
それがなんなのか、一緒に確かめることにしようじゃないか。 それでいいかな。」
「はい。 望むところです。
壱の関所の番人という方の勘違い というか、間違いが証明されると思います。」
「そうか。もし間違いだった時には潔く謝らせることにしよう。」
「そうですね。 そうしてください。 約束ですよ。」
「約束だ。」
男はゴクの言葉を本当に信じたのかはわからないが、とりあえずはうなずいた。
「では、お前の人生を振り返ることにしよう。
目の前にお前の姿が映し出される。 私と一緒に見なさい。」
「はい。 わかりました。」
「先ほども言った通り、お前には小さく色も薄い点がたくさんある。
それはどうもお前が幼いころのことのようだ。
幼稚園児、あるいは小学生の頃のようなので、その頃のお前を見ることにしよう。」
「わかりました。 私は幼稚園でもちょっとしたいたずらはしたことはあっても人から
恨まれるようなことはしていないと思いますがね。」
「そうか。 では、見ることにしよう。」
壁には男が幼稚園児だった45年ほど前の姿が映し出された。
「あ、確かに、あれは私に違いない。
本当なんですね。 懐かしい。
あ、一緒にいるのは今でも付き合いがある友達ですよ。
そうそう、あのころからいつも一緒にいたんだよな。」
『バーガー屋さんに行くんだって?』
『え? うん。 いいだろ、母さん?』
『いいけど、ポテトはダメよ。 それにバーガーもね。
サラダとかにしてよ。』
『言われなくてもわかってるよ!!!』
「そうなんですよ。 このころから少し悪くって。
それで母親がいつも口うるさく言ってましたよ。
そうそう。 友達がいつもバーガー食おうっていうと、それを聞きつけてね。
心配してくれてるのはわかってるんだけど、それが嫌でね。
周りが皆バーガー食べてるのに、自分だけサラダなんて、恰好悪いし嫌だったなあ。
それでたまにですけど、母には内緒でナゲットとか、食べてましたよ。
まさかそれで? 母が怒ってるとか ですか?」
「続きを。」
「あ、はい。 すいません、うるさくて。」
そこにおとなしそうな男の子がやってきた。
男とは関係なく、ただ単に歩いていただけだ。
男は母親に口うるさく言われたことにイライラして、思わずその男の子を蹴った。
『いた!!』
『あ、当たった。 足が当たったわ。』
男はその男の子に謝ることもなく、友達と笑いながらバーガーショップに向かった。
男の子はうずくまってうっすら涙を浮かべている。
その男の子のお母さんが他のお母さん達と一緒に話しながらやってきて、うずくまっている
自分の子供を見つけて驚いて駆け寄った。
『どうしたん? 転んだ?』
男の子は首を横に振った。
『ちがう。』
『じゃあ、どうしたん? 足が赤くなってるけど?』
『++++君に けられた。』
『蹴られた? 何かした?』
『なにも してない。』
『何もしてないのに蹴られるってこと、ある?』
『あるのよ』
別の子供のお母さんが間髪を淹れずに返事をした。
『うちの子もこの前あの子に蹴られたのよ。』
『え? うちの子って、 女の子よね。』
『男の子とか女の子とか関係ないのよ、あの子にはね。
なにかしら気に入らないことがあると、近くにいた誰かを蹴るのよ。
うちの子もスカートにきっちろ靴跡が残ってて、子供は泣くし。
なだめて慰めて、もう大変だったんだから。』
『うちもあったわ、似たようなこと。』
『え? お宅も?』
『そう。うちはね、足じゃなくって手。
両手をのばして体を回して、ほら、そうしたら腕がまわるじゃない?
それでうちの子を追いかけて来て。
逃げても近づいてきて、あの子、大きいでしょ?
だから少しくらい離れてても当たるのよね。
それでうちの子、家で泣いてね。 痛いより怖かったって泣いたのよ。』
『ひどい! かわいそうに。
やっぱりあの子には近づかないように気をつけるしかないわね。』
『そんなこと、あっていいの?』
『ダメよ、ダメだけど、あそこ、お母さんが子供を見てないでしょ。
知らないんだと思うわ。 知ってたらそれはそれで逆にやばいけどね。』
『黙ってるの?』
『言いつける訳にもいかないじゃない。
気まずくなっても嫌だから、我慢するしかないのよね。
だから子供にはあの子の傍には絶対に行かないように言ってあるのよ。
姿が見えたら足が届かないところまで逃げなさいって言ってある。
それしかないじゃない。』
『そうか。 うちなんか小学校も一緒になるから気まずいのは困るわね。
じゃあ、うちも近寄らないように言うことにするわ。』
『それがいいわね。 それより、足、血は出てない?』
『血は 出てないけど、 赤くはなってる。 腹立つ!!』
『押さえて 押さえて。』
「私はあんなことをしていたのか・・・
でも、そんな昔の事、覚えてませんよ。
そりゃあ、蹴ったりして悪かったけど、大昔のことじゃないですか。
そんなことを今更言われても。 今までそんなこと誰からも言われたことなかったし。
ええーー? 噓でしょ。 そんな昔のことで私は地獄に堕ちるって?
あまりに理不尽ですよ。 子供がやったことですよ。 悪気はなかったと思いますよ。」
「どうかな。」
男は小学生になっている。
ランドセルを背負って友達と一緒に下校している。
その前に一人の男の子が歩いていた。
その日は朝は雨が降っていたので、男の子は傘を持って歩いている。
男は友達と顔を見合わせると男の子をめがけて走り出した。
男たちは男の子の傘を奪って、そのまま振り回して遊び始めた。
そしてあちらこちらにぶつけて傘が折れるとそのまま捨てて走り去った。
男の子は無残に壊れた傘を持って泣きながらとぼとぼと家に帰った。
男の子のお母さんは泣いている男の子と壊れた傘を見てとても驚いた。
『どうしたの? この傘。 どっかにぶつけた?』
『ううん、僕がやったんじゃない。』
『じゃあ、誰がやったん?』
『++++君。 歩いてたら後ろから傘を取ってあちこちぶつけて遊んで
壊れたら捨てて、帰った。 わーーーーん。』
『泣かなくっていいから、大丈夫、大丈夫だからね。』
そう言ってお母さんは息子をしっかり抱きしめた。
考えれば考えるほど納得がいかなくて、どんどん腹が立っておさまりがつかなくなったお母
さんは、連絡表で電話番号を調べて++++君の家に電話をした。
電話で事の成り行きを説明したお母さんに向かって、++++君の母親は、『本当かどうか
息子に確かめます。』と答えた。
お母さんはますます腹が立った。 私が言うことを信じないのか!と。
++++君は自分がした事に来て謝って傘の代金を渡した。
お母さんは『今後一切うちの子に近寄らないでちょうだい。』と言った。そして、
『幼稚園の時からあなたの子は乱暴で、あちこちから疎まれてたのを知らないんでしょ。
もう少しは自分の子を見たらどう? 皆 我慢してたんだから!』と言い放った。
それを聞いた母親は愕然とした。
とにかく家に帰って子供に確かめたが、子供は『覚えてない』とだけ言った。
母親はそれ以上は何も言わなかった。
「そんなこと、本当に覚えてなかったんですよ。
その時だって、今だって。 皆そんな昔の事、覚えてないでしょ?」
「それはどうかな。 覚えていないのなら黒点はないはずだからな。
じゃあ、今 を見てみるかい? それとも怖いかい?」
「いいえ、確かめます。 皆そんな昔の事、忘れてますよ。
気にも留めてないと思いますよ。絶対そうですよ。」
『ねえ、母さん、++++君のこと、覚えてる?』
『++++君? ああ、子供の頃お前の傘を壊した子でしょうよ。
すっごく覚えてるわ。 腹が立ったからねえ。
その子がどうかした?』
『亡くなったって。』
『え? あ、そうなの。 で、理由は? 事故とか病気とか?』
『病気らしい。 詳しいことは知らないけど。
高校から違ったから全然付き合いもないしね、あれこれ聞くのも変だろ?
病気らしいってことしか知らないよ。』
『ふーーん。 まあ、私らには関係がない子だからね。
お前があんな乱暴な子じゃなくってよかったって思うだけよ。 あ、そうそう。』
母親はそう言うと立ち上がって、テーブルに置いてあった菓子箱を手に取った。
『今朝ね、お隣さんからどこかのお土産をもらったのよ。 持って帰って。』
『いいよ。母さんがもらったんだから母さんたちが食べれば?』
『一箱も食べられないわ。
お父さんの分とで2個。 一応食べて味の感想を言わなきゃいけないからね。
他は持って帰ってみんなで食べ。』
『いいのに。』
『この前お父さんとスーパーに言ったら丁度ポテトチップスが特売でね。
一人一袋だったから二袋買ったのよ。 一つ持って帰り。』
『もう、いいよ。 二人で食べればいいじゃないか。』
『いいのいいの。 持って帰ってみんなで食べ。
たまにはこんなジャンキーな食べ物も食べたいんじゃない?』
『へえ、母さん、ジャンキーなんて言葉、知ってるんだ。』
『ジャンキーくらい知ってるわ。 意味はよくわかんないけどね。 はっはっは!』
『はあ? 母さんらしいや、はっはっは!』
『ねえ、お母さん。』
『なあに?』
『++++君って覚えてる? 幼稚園が一緒だった。』
『覚えてるわあ。 あの頃乱暴者でね、気に入らないことがあったらだれかれ構わず
蹴ったりたたいたりしてた子でしょ?
うちも被害者だったからね、無茶苦茶覚えてるわ。
思い出しても腹が立つわ。 で、++++君がどうしたって?』
『聞いた話なんだけど、亡くなったんだって。』
『へえ、なんで?』
『病気らしいんだけど。』
『ふーーん。 じゃ、腎臓かしらね。』
『え? どうしてそう思うの?』
『あの子。幼稚園の頃から腎臓はちょっと悪かったみたいだから。』
『なんで知ってるの、そんなこと?』
『幼稚園であの子のお母さんが、塩分はダメ ばっかり言ってたからそうかなってね。』
『腎臓が悪いと塩分がダメなん?』
『そう。 減塩醤油とか使うのよ。 これがあんまりおいしくないって話。』
『そんなことよく知ってるね。』
『友達がね。 腎臓が悪くてね、それでちょっとだけ知ってるのよ。
今は改良されて減塩でもおいしくなってるんだろうけどね。』
『そうなんだーー』
『それにしてもまだ若いのにね。』
『そうよね。 お母さん、悲しい?』
『え? なんで私が悲しむのよ?』
『だって まだ若いって言ってたから、悲しいのかなあって。』
『全然。 こっちは被害者なのよ。 子供が蹴られて。 腹立つわー。』
『そんな昔の事、私が忘れてるのに。』
『誰が忘れても母親ってものはそう言うことを忘れないものよ。
そりゃあ、ご家族にとってはお気の毒だと思うし、本人も心残りだっただろうけど、
それはそれ、これはこれ。 だからって許せるってことではないのだよ!』
『しつこい というか、そこまで行ったら執念深いって言っていいと思うけど?』
『なんとでも言って。 自分の子が被害にあって忘れられる母親がいたら会ってみたいわ。』
『そんなもんかなあ?』
『そんなもんよ!
気をつけてよ。親より先にいなくならないでちょうだいよ。』
『はいはい、自分の子供のためにも気をつけますよ。』
『そうだね、そうそう。その通り! がんばって長生きしなくっちゃね。』
『お母さんも長生きしてよ。』
『ありがとう。 この世にへばりついてはびこってやろうじゃない。』
『そうそう、はびこってちょうだいな。』
『『はっはっは!!』』
「どうかね。 皆忘れていたかね?」
「いいえ。 覚えてるもんなんですね、母親って。」
「そうだな。 本人は忘れていても母親はいまだにお前を許していない。
壱の関所の番人が気になったのは、このことだったんだな。
納得したかね?」
「自分が忘れてるようなことでも許されないなんて、納得はできないが、そうなんだ とは思う。
なんか、すごいですね、母親の記憶っていうか、執念っていうか。 理屈を超えてる。」
「人によるとは思うがね。」
ゴクはこの母親たちと自分の母親を比較しないではいられなかった。
ある意味 こんな母親を持った人達を羨ましいとさえ思った。
母親とはこんなにも自分勝手で自分本位で、それでいて憎めない存在なのか。
父様、母は私をあんなふうに大切に想ってくれた時はあったのでしょうか?
ゴクは胸に手を当てて、体の中にいる父様に問いかけた。
心なしか、赤い星のかけらが胸の中で光ったような気がした。
「さて、お前をどうしよう。」
「なんとでもどうぞって感じですね。
本人はともかく母親が私を許していないから私が地獄に来たんでしょうから。」
「正確に言えばここは地獄ではない。
ここから地獄に行くか、天上界に行くか。 それを決めるのが私の役目なのだ。」
「そうですか。 いずれにしてもお任せしますよ。
そりゃあ、成仏して天上界に行きたいですがね、恨まれながらっていうのは無理な気がしま
すからね。」
「そうだな。 しかし、皆 常日頃お前を恨みながら暮らしているわけではないようだ。
お前が死んだりしなければお前のことなど話題にすら上らなかっただろうよ。」
「それはそうでしょう。」
「お前を天上界に送ることにしよう。
しかし、天主様にはこの度のことを説明しておかねばなるまい。
そのうえで受け入れていただけるならそれでよし。
無理なら戻ってくることになる。 それでよいな?」
「いいんですか? 本当に、いいんですか?」
「子供の時以外は何も悪いことはしていないからな。
真面目に仕事をして、家庭も大切に暮らしてきたことは明らかだからな。
壱に関所に戻りなさい。 話は通っているはずだ。」
「ありがとうございます!! 恩にきます!」
「鬼に? 鬼に対して恩を感じるのか? ははは。 まあいい。 さあ、行きなさい。」
「はい!!」
男は勢いよく立ち上がるとゴクに深々と頭を下げてから部屋を出て急いで壱の関所に向かった。
その姿を見たゴクは少し微笑んでいるように見えた。
閻魔大王は久しぶりにゴクの笑顔を見られた気がして嬉しくなった。
「どうかされましたか、大王様?」
「あ、関所守か。 」
「大王様が少し笑っておられるように思えたものですから。
なにかいいことがございましたか?」
「皆、それぞれ、自分の役割を果たしていると安心したのじゃよ。」
「そうでございましたか。 それはようございました。」
閻魔大王は関所守にゴクの話をしなかった。
このことは自分の胸に収めておきたいと思ったからだった。
ゴクはいつか母親を許すときが来るだろうか。
自分が母親と同じ『女』であることを拒んでいるが、いつかはそれを認め受け入れる時が来て欲し
いと願うのだった。
自分が罰を受ける立場だったらどうだろうと考えて、されたらいやだなと思うことを選んで書いています。
それが厳しいのか、甘いのか、迷いながら書いています。