62.見えない予感
都内某スタジオ。
時計はすでに23時を回っていたが撮影は一向に終わる気配がなかった。
次の撮影用の衣装に着替えた後
メイクルームが空くのを待ってメイクを直してもらう。
その僅かな休息と呼べない空き時間
控え室へ戻った恵太は携帯を閉じるとひとつ、短いため息をついた。
畳の上に腰を下ろし、足を伸ばして座る。
ここ最近は、国内での撮影も終盤に差し掛かりかなりハードなスケジュールが続いていた。
土日はもちろん朝から28時終了、翌日8時集合などザラになっていたし、
スタジオに篭るともはや一体何時かもわからないような生活だった。
平日はフラフラのまま学校へ行っては数時間出席して現場へと戻ったりと
朝一からまともに出席できない日々で。
気がつけばすっかり秋も深く、冬の足音が大きくなる11月になっていた。
ここ数ヶ月は休みさえない状態だった。
「国理にいるなら特別扱いはできないよ。
傍から見たら理事長の息子だし、人一倍頑張らないと甘えに見えるからね。
それが嫌なら留年覚悟して芸能人するんだな」
二学期が始まって早々郁に呼び出され、そう言い放たれた。
今までももちろん学業優先でスケジューリングを樹がしていたし、
映画の撮影で急激に仕事量が増えていたことは確かだったが
特別出席日数が足りないわけでも単位が怪しいわけでもなかった。
特段呼び出されてまでされる忠告ではないと思った。
その時の威圧的な郁の態度が妙に引っ掛かったが、
日々に忙殺されそのことだけに心を傾ける訳にも行かなかった。
当然のように、亜子とまともに顔を合わせる時間すら取れずにいた。
仕事の合間合間に届いているメールに短い返信を返すので精一杯だった。
亜子のほうも学校案内のパンフレット制作委員の一員になったとかで
日々の授業に加え、学外の進路指導の教諭の応接や
時にはこちらから出向いてPRしたりと一人でも多くの生徒を獲得しようと
奔走しているそうで。
少子化の今、少しでも多くの優秀な生徒が欲しいのはどこも同じらしい。
お互い多忙を極める中で亜子からのメールが格段に減っていることは
仕方ないと思っていた。
しかしここ1週間ぱたりとメールが途絶え
着信を残しておけば必ず何かしらの応答があったはずが
それも残らず、恵太は妙な胸騒ぎを覚えていた。
(倒れてなきゃいいけど・・・。まさか、また郁・・・?)
今すぐにでもここから抜け出して、亜子の顔を一目みたい。
無事を・・・色んな意味での無事を確かめたい・・・。
そうは思うもののとてもそれが叶えられる状態ではなく
ままならないわが身にジレンマを感じるわけで・・・。
「・・・なんや百面相やなぁ・・・」
その声に弾かれたように顔を上げると、
目の前にある大きな姿見に小鳩が写っていた。
振り返ると控え室の扉にもたれる様にして腕を組んでいた。
「小鳩・・・。ノック位しろよ」
「うわっ。おもろない優等生的な返事!18点やな」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべてこちらを見る小鳩につられて
思わず恵太も笑顔になる。
「なんだよ、それ。会話かみ合ってないし」
撮影が始まった当初から比べ
小鳩は華奢な体がより一層細くなった気がする。
ここのところ小鳩主演の連ドラも撮影が佳境で
それに伴う番宣を兼ねてのTVへの露出も増えていたし
年末年始の特番の収録も容赦なく入っているようで。
まだまだ役者としては無名な恵太以上に休めていないのは
言わずもがな、だった。
「なんやねん、人の顔じーっと見て。
惚れたんなら抱っこしてやってもええよ?」
思わず小鳩を凝視していた恵太に
至極完璧な笑顔を湛えながら小鳩が両手を広げた。
「ハイハイ。その時はお願いします」
恵太はクッと笑みを漏らすと、そのまま携帯を閉じて
バッグの中へとしまった。
もはや挨拶同然となった会話に、今までの鉛を抱えたような不安が
知らず知らずのうちに水面上に浮くかのごとく
軽くなっていることに気がつく。
(小鳩・・・いいヤツだな)
小鳩のことだ。
全部お見通しで恵太が一人にならないように気がけてくれたんだろう。
本当は隙も惜しんで体を休めたいところだろうに。
そう思うと、恵太は小鳩に対して
人間として役者として、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
「で?なんか用だったの?」
体ごと小鳩へと向き直り
畳の上に胡坐をかきながら両手を後ろへとついた。
その様子に小鳩は恵太をツっと軽く睨むように見下ろす。
「無粋やなぁ。用があらへんかったら可愛い弟の顔見に来たらあかんわけ?
まぁ・・・ええわ。ケータ、今からちょっと5階行きひん?」
「5階?5階って・・・防音ブースと練習スタジオしかないよ」
恵太は自分がサックスの練習用に指定された防音の部屋が
このビルでは5階であることを思い出しながら答えた。
1階のスタジオのうちのいくつかが音楽機材など豊富な設備が整っていることから
ミュージシャンのPV撮影や、生バンドの収録などに使われることも多い。
そのため音合わせ、調弦などが出来るように
5階は全て防音の個室とスタジオのフロアーになっていた。
「知ってるで。ケータいつもそこでサックス練習してんねやろ?
うち疲れてるんよ。ちょっとケータのサックス聴かせて」
「・・・余計疲れるんじゃない?控え室で休むほうが・・・」
「う・ち・は・ケータのが聴きたい言うてんねん。持って来てるんやろ?サックス」
小鳩はかぶせ気味にわざと声を荒げると、
恵太の控え室にあるサックスの入ったケースを顎でツイっと指し
威嚇するように片頬を膨らませた。
しかしその様相はまるで小動物のようで、恵太は思わず吹き出しそうになる。
堪えなければまた「なに笑ろうてんねん!!」と小鳩に体当たりされるので
ぐっと飲み込んで平常を装いながら返事をした。
「そりゃ・・・監督がいつ使うって言い出すか分からないから・・・あるけど」
「ほんならええやん。はよ行くで」
そう言うが早いか遅いかで小鳩は恵太の控え室を先に出た。
こうなってしまってはお姫様の仰せのままにするより他ない。
恵太は小さく溜息をつくとやれやれ、と小さく呟いて腰を上げた。
ケースを持って立ち上がろうと中腰になった時、
姿見に写る自分が目に留まる。
そこにはいつの間にか小鳩の我がままを楽しんでいる
案外頬の緩んだ自分がいて。
(構ってもらって嬉しいのは、意外に俺なのかもな)
そう思いながら控え室を後にした。
すぐそばのエレベーターの前に小鳩は立っていた。
「でも小鳩、時間は?そんなに休憩ないだろ?」
「あれ?ケータ聴いてひんの?なんか泰次に緊急のお客やとかで
1時間ブランクやで」
恵太の顔を見上げながら小鳩は迷惑そうに苦笑いをした。
「へぇ・・・。この忙しいときにな・・・」
「なぁ!ホンマ迷惑。どこのどいつやねん!
緊急か過呼吸か知りひんけど、撮り終わるまで待てっちゅーねん。
これやから無神経なヤツは・・・」
ぶつぶつと文句を言いながら頭上の電光表示板へ目を向ける小鳩につられ
恵太も数字が順次降りてくるのを、ボウっと見つめた。
この日訪れた泰次への『招かれざる客』と
恵太と小鳩の行動。
絶妙に絡み合いながら新たな歯車となって動きを早めていくのだった。