59.マサユキ
男は、だだっ広い部屋のフローリングにゴロン、と仰向けに寝転がると
自身の顎鬚を一方の手で撫でながら、もう一方で握っているメモを眺める。
「ヒナサワアコ・・・新米の英語教師か・・・」
誰に呟くわけでもなく声に出してみた。
背中から伝わるフローリングのひんやりとした感覚が、寝起きの体に心地よかった。
そのまましばらくの間、ゴロゴロと体を遊ばせたあと、
だるそうな仕草で上体を起こした。
家具という家具も必要最低限しかなく、雑然としているその部屋で
パソコンだけがまるで何かを呟くように
時々ディスプレイの表情を変えながら無機質な唸り声を上げていた。
足元に無造作に転がる煙草を器用に足でたぐりよせる。
上体を捻って今度は背後に落ちていたライターを手にする。
火を付けたらまたその辺へ投げ捨て、一息吸い込んだ後
口の端で咥えた。
おいしいとは思わない。
けれど無意識に火をつけ、灰にしてしまう自分は
もはや中毒なんだろうと自覚するのは容易だった。
「カオルがオンナで手こずるとはねぇ・・・」
天井へ向かって、紫煙をふーっと吹き出しながら
男――――――― 生馬 柾行 ―――――――は
ぼんやりと昨晩の会話を回想していた。
「ある女性のこと片っ端から調べ上げて欲しいんだ。
特に異性関係。ヒットするやつがいたら、
その男の事も全部洗い出して来てくれる?」
電話口でそう伝えてきた郁と柾行は高校時代の友人だった。
在学当時はそれほどまでに仲が良かったわけではなかったため
卒業後はお互いの所在も知らないほどで。
郁は会社を興してすぐの頃、
情報収集や極秘調査などを完璧にこなす有能な人物を探していた。
そんな郁に友人が紹介してくれたのが、偶然にも柾行だった。
柾行はパソコン全般、ネット関連にも精通していたことと
その面倒見のいい性格から人脈も広く、下手な探偵や興信所よりも
深く、濃密な情報を驚くほど短時間で収集した。
表向きはwebデザイナーということでフリーで仕事をしていたが
実働の大半はそう言った「裏」が大半を占めていて。
知る人ぞ知るという存在だった。
旧知の仲ということも手伝い、郁と柾行は意気投合し
お互い必要なときは惜しみなく助け合うパートナーとなった。
時間が合えば二人で飲みに出かけることも多い。
そんな柾行だからこそ、郁の依頼に少しだけ驚いた。
「・・・何?年貢でも納める気になったわけ?どこのご令嬢よ」
煙草を咥え、携帯を器用に肩と耳に挟んでメモの準備をする。
しかし返ってきた答えは意外なもので。
「ん?どこのご令嬢でもないよ。ただの英語教師。
でも・・・そうだね。年貢は納めてもいいかな。
たださ、どうもその周りうろついてる輩がいるんだよ。
それも俺の知り合いっぽいんだ。
結婚前に身辺はきれいにして欲しいじゃない?」
柾行は一瞬動きを止めた。
(・・・カオルが、ただの恋愛ゴトで依頼してきたってわけか?)
体格が良く筋肉質、剛健と表現される男くさい柾行と真逆に位置するような
綺麗と形容したくなるほどの男、郁。
その郁が普通の女一人のことで自分を使うとは信じられず、戸惑いを隠せなかった。
女に苦労した例がなく、ほどほどに遊び、切る時も後腐れなく綺麗に別れる郁。
いつも修羅場になる柾行はその郁のスマートさに舌を巻く日々だった。
郁に落とせない女なんているはずがない、そうとまで思えるほど。
「マサユキ?聞いてる?」
返事が出来ずにいた柾行の耳に、怪訝そうな郁の声が響き
ハッと我に返る。
「あ、あぁ、悪い。電波悪かったみたいだ。
で?相手の情報は?」
話を聞きながら紙に情報を落としていく。
どうやら本当に会社がらみの縁談ではなく、普通の女のようだった。
しかも郁と昔関係があったという。
「・・・めずらし。この程度なら俺使わなくてもカオルが自分で駆除できるんじゃねーの?
ましてやモトカノだろ?すぐ落ちると思うけど」
柾行は率直な感想を述べた。
自分よりうんと恋愛能力に長けている郁が
わざわざ人の力を頼る必要がないのではないか、と。
柾行のその言葉に、
郁はハハハッと笑い声を上げた。
「うん。そうなんだよね。多分、俺一人でも充分だと思う。
でもさ・・・」
そこで一呼吸置いた郁。
「でもさ、完全に外堀を固めてからジワジワ攻め上げたほうが
大人しくなると思わない?
困るんだよね。また逃げられたりしたら。
だから今度はそんな気も起こらない様に調教したいんだ。
しっかり鎖に繋いでおかなくちゃ。
そのためにも切り札は、一枚でも多いほうがいいと思わない?」
刹那、柾行は咥えていた煙草をポトリ、とフローリングへと転がしていた。
感情を抑えた、冷たく抑揚のない声。
今まで聞いたことのないそれはまるで別人のようで
背筋が凍りつくような衝撃だった。
「・・・カオル・・・お前・・・なんかあったか?」
「やだなぁ、マサユキ。もののたとえだよ、たとえ。
そんな本気にしないでよ。
ただ今のオトコに興味があるだけ。
取り戻すために一つでも多くの武器が欲しいだけだよー」
先ほどとは打って変わり、甘いボイスで愉快そうに笑う郁に
得体の知れぬ違和感を感じながらも柾行は調子を合わせた。
「お・・・おう、だよな。
じゃっ・・・じゃあ、調査終わったらまた連絡するわ」
「うん。悪いけど大至急頼むね」
郁との会話を終えた後、焦げ臭さを感じ咄嗟に
先ほどまで咥えていたはずの煙草の存在を思い出す。
「あっち!!!」
慌てて拾い上げ揉み消したが、フローリングには小さな焦げの跡。
(引越しのとき・・・高くつくな、コレ)
そんなことを思いながら焦げ跡をぼんやりと眺める。
得も言えぬ疲労感にしばし放心状態でいた。
柾行は満員御礼よろしく、吸殻で山盛りになっている灰皿に
無理矢理隙間を作って、短くなった煙草を捩じ込むと身支度を整えた。
無造作に放り出された携帯を手にして一つの画像を開く。
昨晩のうちに郁から添付されたヒナサワアコとのツーショットの写真だった。
昨日撮ったものだと言っていた。
「んな、ワルサするような顔には見えねーけどなぁ・・・」
もはや一人暮らしの弊害としか言いようのない独り言を口にしながら
亜子を凝視する。
今年23歳と言う割りに幼く見えるその表情。
清楚な雰囲気ではにかんだその様子は、とても男慣れしているとは思えない。
今まで郁が付き合ってきた女性は、都会的で自立した凛々しいタイプ。
ヒナサワアコは、どう見積もってもそう見るには無理があった。
「結局嫁にするなら、おしとやかで家庭的なお嬢様タイプってか」
鼻で興味なさそうに笑うと
タッチパネル式の携帯を指で弾き画像をしまい
乱暴にジーパンの後ろポケットに突っ込んだ。
鍵を探すがなかなか見当たらず、じれったい。
あちらこちらを引っ掻き回しながら、また煙草に火をつける。
その害煙を肺まで送り届け、チラリと見やるテーブルの上。
「こんなところにあったか」
咥え煙草のまま、乱雑に重ねられた雑誌と雑誌の間からのぞくキーケースを
掴み上げる。
当然のことながらバサバサと騒々しい音を上げながら
フローリングへと落ちていく雑誌を
柾行は特段気に留める様子もなく。
そのうちの何冊かを踏みつけて玄関へと向った。
「さぁて。いっちょお顔拝見してきますかね」
施錠しながら呟いて
柾行はエレベーターへと向った。
柾行がこの日を境に、自分が厄介な人間関係に巻き込まれたと気がつくのは
もう少し後の話となる。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
珍しく更新頻度高めです(笑)。
郁が動き始めたことによって見えないところから怪しげになってきました。
ちなみにマサユキのような、豪快な男性、嫌いではないです。
一緒に暮らすのは大変そうですが(笑)。
それではまた次話でお会いできましたら嬉しいです。
ありがとうございました。