57.キミはキレイだ 2
突如神妙な顔をして亜子を見据える小鳩に
泰次はひやりとしたものが背筋を駆け巡るのを感じて。
「・・・小鳩。やめろ」
泰次は小鳩の膝に手を置き、軽く揺らしながら静かな声で制した。
小鳩はそんな泰次の手を無言で払いのけるとキッと睨みつけた。
そのあまりの形相に怯んだ泰次をよそに亜子へ向き直ったかと思うと
額がテーブルについてしまうほど、勢いよく深々と頭を下げた。
「ケータのこと、大事にしたってください。お願いします!!」
「・・・小鳩?」
予想だにしなかったその行動に泰次は一瞬思考が停止した。
それは恵太も亜子も同じだったようで、動揺を隠せずにいた。
恵太はただ小鳩の名を呟くだけで精一杯だった。
顔を上げた小鳩はそんな恵太には一瞥もくれず、
真っ直ぐに亜子を見つめた。
「ケータは、亜子ちゃんのことめっちゃ好きなんです。
撮影に身が入らんようになってまうくらい」
「・・・え・・・」
真っ直ぐな強い瞳が亜子を捉え、亜子は呼吸するのも忘れ
小鳩から視線を外せなくなった。
「だから・・・。だから、頼むからケータのこと、大事にしたって。
ちゃんと亜子ちゃんの『一番』にしたってください。
どんな理由があっても・・・ケータを不安にさせひんって約束してください」
そう言うと、また深々と頭を下げた。
亜子は返す言葉もなく・・・。
いや・・・。正確には何か口にしようと思っているのに
何も出て来てくれなかった。
声にならない声が、亜子の口元を揺らす。
その場にいる全員が緊張感の走る沈黙に動けずに
僅かな時間が流れた。
そんな沈黙を破るようにガバリと、音がしそうなくらいの勢いで
小鳩は顔を上げ、今にも泣き出しそうな亜子の様子に
ふっと表情を崩した。
「いやぁ、何?ほら、うち、芸能界でケータのねーさんやからなんや心配で!
ごめんなぁ、過保護な姉で~。
なんか、ここにいるケータがあまりにも幸せそーやから、可愛い弟嫁に出す気分になってまうわぁ。
あれ?弟やから婿か!ケータ、婿養子か?!
大きくなりよってぇ・・・」
そうおどけて、わざとらしいまでのテンションで捲くし立てた。
艶やかな自身の黒髪を豪快にくしゃくしゃにしながら笑ってみせた。
その痛々しいまでの笑顔に、泰次は胸を締め付けられ、
迂闊にも瞳が潤んでしまいそうになった。
先ほどまで宣戦布告を豪語し、憤慨していたはずの小鳩が・・・。
それを思うと抱きしめてしまいたい衝動を寸で堪えて
小鳩のその努力を無駄にしないよう、大きく息を吸い込んだ。
「いやぁ亜子さん、ごめんなさい。いきなりで驚いたでしょう?」
努めて穏やかな表情とトーンで、亜子に微笑みかける。
「こいつ、ほんと恵太溺愛してますんで許してやってください。
恵太のことになるとすぐ熱くなるんですよ~。
俺より恵太の才能に惚れこんでて。
ちょっと引きますよ、こいつの世話焼きっぷり!
この前なんか、恵太が台本に書き込もうとしてたら・・・」
「どぅわぁぁぁぁぁ!!!いいっ!!言わんでもいいっ!!!
口を閉じーっ!今すぐ!!!」
そう言いながら小鳩は泰次の躯体になだれ込み、慌てて口を両手で塞ごうとした。
その二人のじゃれ合いに、今まで緊張で動けなかった恵太と亜子が
顔を見合わせて吹き出した。
そんな二人の様子に安堵し、もがき合いながら小鳩を見やると
同じようにどこか泣きそうな、でも恵太と亜子を愛でるような大人びた横顔が飛び込んできて。
(あぁ・・・。こいつ、こんなに綺麗だったんだな・・・。)
初めてそう思った。
同時にこんな表情をさせるまでにも
小鳩が深く深く、恵太を想っていることも知ることとなったのだが・・・。
そのまま、さりげなく小鳩の想いの方向を、恵太の『才能』へシフトチェンジし、
撮影現場での様子を面白おかしく話して聞かせた。
亜子の緊張が解かれた頃を見計らって泰次はワザとらしく時計を見やる。
「さて・・・。小鳩、そろそろ帰ろうぜ。
明日お前何時集合か知ってるか?」
「あ、ごめんなさい。わたしったらぜんぜん気が付かなくて・・・」
弾かれるように立ち上がろうとする亜子を、泰次は片手で制した。
「いえいえ。長居したのは俺らですから。
亜子さんは明日恵太が遅刻しない程度に、今日のこと話してやってください。
じゃないと、この姐さんがまぁたでしゃばりますんで」
そういって小鳩の頭をぐりぐりと押しながら立ち上がる。
それを合図に小鳩もその泰次の手を掴みながら腰を上げ、服を整える。
「姐さんゆうな!うちはあくまでねーちゃんやの!そこは譲れひんで!!
ごめんなぁ、亜子ちゃん、ほんまの弟みたいでついついちょっかい出してまうんよなぁ」
そう笑う小鳩に、亜子は向き合う形で深々と頭を下げた。
「あの・・・今日は・・・。本当にごめんなさい。
小鳩さん・・・松浦監督・・・本当にありがとうございました・・・」
そう言って顔を上げた大きな瞳は、少し揺れているようで。
「あれ?やだなぁ・・・。泣くつもりなんてないのに。
ごめんなさい。言いたいこと、たくさんあるんだけど・・・」
困ったように笑い、そのまま言葉を紡げなくなる亜子と、その背中に優しく手を添える恵太。
二人の様子を微笑ましく捉えた後、ふと小鳩を見ると、
同じタイミングで泰次へ視線を動かした小鳩と目が合う。
どちらからともなく頷いて、恵太と亜子に見送られながら部屋を出た。
階段を降りる二人の足音が、静寂の中響き渡る。
一段一段下る度に、幕が下りていく舞台のように
少しずつ・・・本当に少しづつ演じ切った達成感と、
同時にやってくる現実へ引き戻される焦燥感に支配されていく気がした。
メインキャストではない自分がその波に飲まれそうなんだ。
それが当事者の小鳩は・・・。
そう思うと、泰次は後ろから響くその足音を振り返ることが出来なかった。
一言も発しないまま、車まで戻り、ふっと視線を感じ亜子の部屋を見上げると
無邪気に笑う亜子と、穏やかな微笑をたたえる恵太がベランダから手を振っていた。
「小鳩」
泰次の言葉に俯いた顔を上げた小鳩に、顎で恵太と亜子を指す。
途端に弾かれたように破顔し、大げさなまでに両手を大きく揺らし、二人に応える小鳩。
その様子に恵太と亜子が顔を見合わせ、一段と微笑んだ。
(・・・そこからじゃ見えないか)
泰次はその頬に一筋の涙の跡を見つけたが、あえて気付かぬ振りをして小鳩の肩にそっと触れる。
その行為に自然と絡まる視線を確認して、無言のまま車を指差し乗車を促す。
コクリ、と小さく頷いた小鳩が後部ドアに手をかけた。
その瞬間、泰次の中で思いもよらない感情が沸き起こり、小鳩の細い腕を掴んだ。
「・・・なにやってんの?お前はこっちだろ?」
「は?」
「早く乗れ」
半ば引きずるように助手席側へ誘導し、ドアを開けた。
戸惑う小鳩に、自分でも信じられないくらいイラつき
「ちっ」
小さく舌打ちすると小鳩の両脇の下に自分の手を差し込み、
ひょいっと抱え上げ、車高の高いディスカバリーの助手席の放り込んだ。
自分で想定していたよりずっと小さな力で浮き上がる小鳩の躯体に驚いた。
こんな小さな、細い体で色んなことに立ち向かっていたんだと
泰次が気付かされた瞬間だった。
「た、泰次?!」
何が起こったのか分からない小鳩をよそに乱暴に助手席のドアを閉め、
運転席へと回る。
そんな泰次と小鳩の様子に気が付いたらしい恵太が、微動だにせず
その強い瞳で泰次を射抜いた。
(・・・ったく・・・。これだからガキは・・・)
そう思いながら、拳を作ると親指だけを立てたあと、
自分の左胸をトトンッと、2回叩いて見せた。
その様子に、恵太もやおら真剣な表情で一つ頷いて
同じように自分の胸を叩いた。
(ガキのクセに生意気でやんの・・・)
乾いた笑みを吐き出し車に乗り込み、亜子のアパートを後にした。
「小鳩」
最初の信号待ちの車内で、泰次はポツリと名前を呼んだ。
「お前・・・。オットコマエだなぁ」
「し、失礼な!!こんな可憐な乙女に向って」
今にも泣き出しそうな弱々しい切り返しの小鳩の表情を見ることも出来ない自分は
恐らくとびっきりの臆病者だろう。
「でも・・・。いままで俺が見てきた誰より・・・イイオンナだった」
タバコに火を付けながら、ポツリと呟いた。
聞こえるか聞こえないか。
微妙な音程と音量で。
「!!!・・・アホちゃう?泰次・・・」
小さな嗚咽に塗れながら吐き捨てる小鳩の強がりが
愛しくて仕方がなかった。
今しがた点けたばかりのタバコの火を乱暴に消すと
前を向いたまま、小鳩の手を握り締めた。
小鳩の小さな手は、一瞬ピクリと強張ったが
次の瞬間、泰次の手は強く握り締められ、
小鳩自身によってその柔らかで滑らかな頬へ寄せられていた。
「・・・なにしてんの?」
顔までも心臓になってしまったんじゃないかと思うくらい、
全身が脈を打っているというのに、出てくるのは憎まれ口ばかり。
そんな自分を心底恨みながらも、一度出た言葉をしまえずにいた。
それでも。
「しゃーないやん・・・。あ・・・あんな幸せそうに・・・わら、笑われたら・・・」
一度あふれ出した感情はそう抑えられるはずもなく。
もはやうまく言葉を紡げないのに、
必死に自分の掌に頬を摺り寄せながら泣きじゃくる小鳩を目の前にして
自分の中の何かが弾け飛んだ気がした。
気が付くと助手席へと体を乗り出し、右手を小鳩の後頭部をしっかりと固定していた。
左手で小鳩の頬をそっと撫でる。
「・・・嫌だったら、全力で抵抗しろ・・・」
そう呟いて、小鳩の形のいいぷっくりとした唇へ親指を滑らせる。
そっと往復するように撫でる感覚に、一瞬身を硬くした小鳩だったが
静かに瞳を伏せた。
「俺にしとけ・・・」
耳元でそう囁いた。
小鳩は何も応えない。
それでも今は良かった。
流れ落ちる一筋の涙を、泰次の舌が重力に反して撫で上げ
形の良い、その唇へ自身のものを重ねた。
スッと離し、すぐにまた、吸い寄せられるように重ねる。
次第に深くなっていくその行為に、小鳩の両手は自然と泰次の首へと回された。
深夜の小さな道路の信号が青になっても、
二人を乗せた車が発車する気配はなかった。