54・泰次の憂鬱 1
都内某所−−−−。
たくさんの撮影機材やセットが並ぶそこは、日付変更線を越えた頃から明かに空気が変わっていた。
息をするのも躊躇してしまうほどのピリピリとしたムードに誰もが逃げだしたい気分と戦っていた。
それは主演の恵太と小鳩はもちろん、監督である泰次も同じで・・・。
ポケットを探りタバコを取り出そうとするも、その中身は空っぽで。
「ちっ」と舌打ちすると思いっきり握り潰した。
そのまま力任せに床へ叩きつける。
監督用の、赤に黒の縁取りのキャンピングチェアーにどかっと背を預けると
大きく息を吐きながら天を仰いだ。
そこにあるのはもちろん、無機質ないつくもの鉄骨とライトだけで・・・。
ゆっくりと目をつぶるものの、お気に入りのチェアーの座り心地さえ感じられない疲労感を
味わっていた。
セットの中の人物たちは・・・。
各々神妙な面持ちのまま微動だにしない。
「これだからお子様相手は・・・」
聞こえるか聞こえないか微妙な音量で本音を吐露しながら
体を起こした。
「あのさ。時間ないんだけど。やる気ないんなら降りろよ」
泰次が惚れ込んだ、恵太の強い瞳が返ってくると思いきや
「・・・すみません」
恵太は泰次の顔すら見ることなく俯いたままだった。
小鳩も下唇を強く噛み締めたまま、恵太をじっと見据えていた。
その表情は切なげで、両手は拳を強く握り締めいていた。
「はぁぁぁぁ~。も~、お前ら何なんだよ~。どーすりゃいいわけ?!」
泰次は思わず顔を覆うとそのままうなだれた。
今までも何度かこういうことはあった。
うまく進まず、怪しげな雰囲気になったが恵太が不調なときは
小鳩がムードメーカーとして盛り立ててくれていたし、
小鳩がゴキゲン斜めのときは恵太が小鳩の隣に黙って座っていた。
それでなんとかここまで来たのに、二人の抜きの撮影から
全く進まなくなってしまった。
何度となく休憩を挟んだり話をしたりしたが、二人のシーンだけがどうしても撮れない・・・。
いや、実際はもう何十テイク目か判らないほど撮っているが
一見何の問題もないような空気感を、泰次が見逃すはずもなく。
タイムキーパーや助監督はそれを泰次の頑固さと思い、
辟易していたが、泰次と当の二人はそれに気付いていて・・・。
いつもならこんなときは何時間撮ってもいい結果にはならないので翌日に持ち越すのだが
明日は屋外ロケも予定していたし、多少の猶予はあるにしてもスタジオも無限に借りれるわけではない。
加えて小鳩はテレビ番組の撮影なども加わり映画ばかりにかかれなくなってきていた。
もう少しすれば年末年始の特番やスペシャルドラマの予定も食い込んでくる。
年明けにはこの映画クルーでの海外ロケもある。
早い話が、時間がないのだ。
普通は撮影期間が長くなるにつれ、出演者たちの息もあってくるため
ところどころの難はあっても比較的テンポよく進んでいくものだった。
それがここで・・・ほぼ毎日過密に接していていきなりその呼吸が崩れるとは・・・。
(恋愛関係ごちゃまぜ三昧・・・か)
泰次は容易にその結論にたどり着くと二人に居残りを命じて
タバコを買いに深夜のコンビニへと出かけた。
「うっわぁー!!泰次生意気ー!!なんでディスカバリーなんて乗ってんの?
ランドローバーやろ?!あんた、なんか悪いことしてんねやろ。白状しいっ!!」
「・・・そんなにすごいの?この車。左ハンドルだから外車なのは分かるけど・・・」
恵太が驚いたように座席をポンポンと叩きながら小鳩に訪ねると
泰次が答える前に小鳩が恵太に噛み付いた。
「ケータ、知らんの?!あんた男の子やろ?!
もっとこう、がっつり興味持ちーなぁ。そんなんやからにーちゃんに割り込まれるねん。
ローバーやで?イギリスの高級外車!高級4WDと言えばローバー差し置いてないねんで!
ケータかて、レンジローバーくらいは聞いたことあるやろ?」
「な・・・名前くらいは・・・」
途中むっと来るフレーズがあったが、
恵太はあまりの小鳩の剣幕にとても知らないと言えず曖昧にかわした。
そんな恵太の返事なんてお構いなしに、がっつりかぶせ気味に小鳩は続ける。
「そのローバーよ!ディスカバリーも人気上位車!シリーズ化されてバージョンアップしててな。
あ、でも、昔のごつごつしたモデルもかっこええんよ~。
何?こー男っぽいフォルムって言うん?荒々しい猛者のようでなぁ。
『俺に走れない道はないぜ!!』みたいなっ!!
せやから、そーゆうモデルは中古でもありえへんほど高いねん!
新車で買おう思ったらなぁ、あんた郊外にマンション買えるで!!
せやのに泰次、いっぱいオプション付けてはるし。
一般サラリーマンの年収5、6年分やな、これ。
泰次、裏で何悪い商売してんねん!ま、まさか脱税か!?マルサか?!」
もはや独壇場の小鳩は後部座席から運転中の泰次の頭をくしゃくしゃとかき回した。
「あー、もう!!さわんなっ!ばかか!お前は。俺だって一生懸命仕事して手に入れたの。
人聞きの悪い事言うな」
運転しながら片方の手で小鳩の手を払いのける。
異常なまでに詳しい小鳩の説明に言い返すすべもない。
泰次はふーっと大きく溜息をつきながら深夜の都会を疾走する。
(小鳩恐るべし!!値段まで当ててきやがった。何でぱっと見てオプションまで分かるんだ?)
こいつは何者なんだ、と興味はあるが聞いたら多分
今の10倍の興奮度と長さで語られると思うと迂闊に口にできそうもなかった。
(何で俺が・・・)
ルームミラーで後部座席をチラリと覗くと
完全に小鳩の餌食になった恵太が一生懸命相槌を打ちながら
派手な身振り手振りの小鳩の話を聞いていた。
先ほどまでの血の気のない二人から比べれば、今のこの状態は
泰次にとって胸を撫で下ろす光景だった。
(良かった。二人とも笑ってるじゃん・・・)
泰次の目元は優しげに下がり、少し緩んだ口元から笑みが漏れた。
いつもの二人のやり取りに、微笑ましく思い同時に安堵している自分に気が付いた。
それは、父親が我が子に抱く感情というか、見守る教師の感情というか・・・。
泰次は慌ててそれを打ち消した。
(そう、そうだよ。これは映画のためだ!!映画のためにやってるんだ。
俺はガキは嫌いだ!)
ハンドルを握り締める手に力を込めながらハンドルを右に切った。
しかしそれはほんの僅かな夢うつつのような時間で・・・。
突然、車内に電子音が響いたかと思うと
『目的地周辺です。音声案内を終了します』
ナビの告げる機械的な声が車内に響いた。
後部座席の恵太と小鳩も瞬間的に話を止めた。
画面上では目的地として設定されている場所にフラッグが立っており点滅している。
「恵太、この辺か~?」
泰次は務めて冷静に、そして軽い口調で恵太に尋ねた。
恵太は身を乗り出し、窓越しにゆっくりと辺りを見渡すと
ある一つの建物を小さく指差した。
「あ・・・あそこ」
「りょーかい」
ミラー越しに恵太を確認して泰次はゆっくりと左折し、指差した場所へと横付けた。
「ケータ?どう?」
じっと一点を見つめている恵太の横顔を心配そうに小鳩が覗き込む。
泰次も後ろを振り返り恵太の返事を待つ。
「・・・電気・・・点いてない・・・」
ポツリと恵太が呟いた。
沈黙が車内を襲う。
「・・・ね、寝てるんとちゃう?な、なぁ、泰次!!」
「お、おう」
沈黙に耐えかねた小鳩が泰次を巻き込んでフォローを入れるが
恵太はゆっくりと首を左右に振った。
「いや・・・。寝る時はカーテン閉めるでしょ、普通」
恵太の言葉に小鳩と泰次はベランダに視線をやる。
暗闇で正確には分からないが、確かに薄手で遮光されていないように見えた。
恐らく中に入り、時を一緒に過ごし、カーテンの質や柄まで知っている恵太にしか分からない指摘。
その事実に今度こそ、何も言えなくなってしまう二人。
「9時までに帰るって・・・言ってたんだ・・・」
消えそうな期待の灯りを消された、表情を失くした恵太。
その心の奥底は計り知れなかった。
ただ、時刻は9時をとっくに通り過ぎ
夜明けのほうが近い時刻だという事実だけがそこにあった。
カーステレオから静かに流れる、サン・ボーンの泣きのサックスを聴きながら
しばらく誰も動かなかった。
泰次がゆっくりと窓を開け、タバコに火をつける。
車外に放たれる煙は、音もなく広がり姿を消していった。
夜風は少しずつ、冷たさを増していた。
三者三様の思惑と苦しみを抱えながら
今はただ、主のいない部屋をじっと見つめるよりなかった。
本日もお読みいただきましてありがとうございます。
更新時間が遅くなってしまいましたが、なんとか奇数日更新できました。
万が一お待ちいただいておりましたらごめんなさい。
こんなもったいぶったような修羅場直前の空気(笑)のまま新年へ向かうのは気が進みませんが・・・。
恐らく本日が年内最後となります。
うまく行けば大晦日・・・。いや、大口は叩けませんので(笑)ここで本年のお礼を・・・。
こんな拙い文章でしたが、ご愛読いただきました全ての方に深謝いたします。
いつの間にかお気に入り登録していただいた読者さまが増え、評価をいただくようになり、本音を打ち明けられる作家様と交流させていただき・・・。
そんな作家様には到底及びませんが、総PVが20万を越えていました。
私にとっては信じられない、夢のようなことで幸せをたくさん分けていただきました。
本当にありがとうございました。
今回諸事情でキチンと校正できていない部分があるかもしれません。
ご指摘いただきましたら早急に対応いたしますので遠慮なくお申し付けください。
それでは、本年もありがとうございました。
少し早いですが、あなた様にとって残る僅かな年が悔いのないもので、また来る年が、夢に近づく、もっともっとすばらしい日々でありますように!!
それでは忙しい年の瀬。
こんな隙間までご覧いただきましてありがとうございました。
良いお年をお迎えくださいませ!!
2009.12.29 里中とおこ