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52・『あの日』の真実 1

玄関を通されて廊下を抜けるとドラマや映画で見るような、

まばゆいほどの夜景が大きな窓一面を埋め尽くしているリビングだった。


高層階から見る夜景は、まるで自分が空に浮いているかのように錯覚させた。

黒と茶色を基調にしているしているスタイリッシュな部屋は

どの家具も郁のこだわりがちりばめられているようで、シンプルだけど

どこかにワンポイントがあるようなセンスの良いものばかりだった。


廊下にもいくつか扉があったことを考えると、まだ部屋がありそうで

以前付き合っていた頃に郁が住んでいた単身者向けの小さなマンションとの格差は歴然だった。



「なんか・・・。あの頃の面影一つもないですね・・・」



あまりのゴージャスさに立ち尽くし、しばし呆然と辺りを見回していた亜子が

思わずポツリと呟いた。



「んー?まぁあの頃は安月給の講師だからねぇ。あれが精一杯だよ。

社会人になってまで親の脛かじるわけにもいかないでしょ。

亜子、立ってないで座ったら?」



黒い脚のガラス製のローテーブルにハーブティらしいものを置きながら

ソファーへと亜子を促した。


亜子は小さく頷いて腰を下ろしながらも、まだ部屋の中へと目を奪われたままだった。



「先生、今何やってらっしゃるんですか?」



「今?ホスト」



「え”!!」



驚いてカウンターの向こう側のキッチンへと姿を消した郁を見ると

大笑いしながら



「そんなわけないじゃん。亜子は相変わらず騙されやすいねー」



と、心底愉快そうに亜子の向かい側の一人掛けのソファーへと腰を下ろした。

手にはコーヒーを持って。



「今は同じ塾でもコンサルタントとして仕事してる。

いずれは父の仕事を継ぐことになるから講師しながら、

経済とか経営とか勉強してたんだけど、やってみたらそっちのほうが面白くなってきて。

講師辞めて3年かなぁ・・・。最近軌道に乗り始めたところ」



「もーびっくりしました。けい・・・諫山君が諫山先生イギリスへ留学してたって言ってたから・・・。

あ、お茶、いただきます」



そう言って郁の出してくれたお茶へと手を伸ばした。

それは亜子が昔から好きなフレーバーティー ――――― アプリコットとジャスミン、ミントがブレンドされた ――――― ものだった。

その懐かしい香りに口元に運んだカップが思わず止まる。



「ふっ、なんか『諫山』のオンパレードだな。いいよ。僕は郁で。昔みたいに」



「あ・・・はい」



香りに引き込まれていただけでなく、『昔みたいに』と言われて更に動揺してしまう気持ちを

誤魔化そうとゆっくりと口の中へと流し込む。

一口含むと爽やかな香りが口に広がった後、スーッと鼻腔を抜けた。



「・・・おいしい・・・」



「そう?良かった。亜子、それ好きだったよね」



自分はコーヒーを口に運びながら、目で亜子の持つグラスを指すと

そのまま芳醇な香りと香ばしさを楽しんでいるようだった。


(もしかして、と思ったけど・・・先生、やっぱり覚えてくれていたんだ・・・。)


再会した時は、真っ青になるほどの衝撃だったし戸惑った。

でも、それと同時に懐かしさと嬉しさを感じていることも事実だった。


あの頃と変わらない優しい気遣いに触れたとき、

自分ではどうしようもない感情が沸きあがってくる。

1年ちょっとの恋人同士だった期間。

悪いことばかりではなかった。


その淡く、穏やかな日々が郁と接している中で蘇ってくるのは仕方のない事だろう。

ましてや初めて恋心を抱いた相手だとしたら・・・。



「あの後、大学院行ったんだよ。2年通いながらコンサルティング業の会社立ち上げたんだ。

留学はそのスキルアップのため。去年から先週までね」


「すごいですね・・・。先生は・・・ちゃんと前を向いて確実にステップアップしてたなんて。

わたしは・・・。逃げて立ち止まったままでした」



亜子は決まり悪そうに笑って見せた。

出来れば一番思い出したくない過去。

思い出したくないぐらい、落ち込んだ日々。


あの日を境に志望校すら変えてしまった亜子には、人生初の分岐点だと言えた。


その間も、郁はしっかり道を見据えていた・・・。

さすが、というかやっぱり、というか。

改めて郁と自分の差を思い知った。



「そんなことないよ、僕だってコレでも亜子に振られてかなり凹んだんだから」



郁はコーヒー片手にソファーへ体を預け、笑いながら続けた。



「亜子全く話聞いてくれないしさ。少し冷静になってくれる時間を置こうと思ってたら

いつの間にか県外に進学してるし」


「ごめんなさい・・・。私・・・先生から逃げ回って・・・。

面と向かって振られるのが怖かったんです・・・」


「うーん。許さない」



そう言って今度は前かがみに亜子へと向き直ると



「まず、先生って呼び方やめね。僕、もう先生じゃないし。

これから父の手伝いも増えるからちょくちょく学校に顔出すけど、

そういう場以外では敬語も禁止。約束してくれたら許す!」



そうおどけてみせた。

許さないと言われ、一瞬のうちに硬直していた亜子は

その笑顔に一気に肩の力が抜けた。



「本当に・・・ごめんなさい」


「じゃ、約束成立ね。今度は僕が謝る番だね」



そう言うと立ち上がって別の部屋へと出て行った。

郁の動きを目で追い、姿が見えなくなってから小さく息を吐いた。

自分では緊張していないつもりが、肩に力が入っていることに気が付き

ゆっくりと首を回して背伸びをした。


部屋へと戻ってきた郁はそのままキッチンへと進み

冷蔵庫からビールを2本出してきて、冷えた2つのビアグラスとともにテーブルの上へと置いた。



「はい、亜子も1本付き合って。後はここからタクシーで帰るだけだから

1本ぐらいいでしょ?」



そう言うと、郁は亜子の隣へと座り先に缶のタブを引いて

グラスに注ぎ、乾杯を待った。

亜子もなんとなく断りづらいその雰囲気に、それを手に取った。



「はい、かんぱーい」



軽く重ねて音を出すと、郁は喉を鳴らして飲み始めた。

真横で動く、郁の喉元に視線を奪われ鼓動が急速に速まる。

郁の顔を直視できなくなったことを誤魔化すように

亜子も一口ぐいっと飲み込む。

きつめの炭酸が喉を痺れながら体内へと入っていく。



「ぷはぁー!やっぱり夏の1杯目はビールに限る!!」



おいしそうに炭酸とアルコールの刺激を楽しみながら

郁は飲み干したグラスをテーブルへと置いた。

2杯目を注ぐと、ジャケットのポケットをなにやらごそごそと探っていた。



「せんせ・・・じゃなくて、カオルさん?なにやって・・・るの」



思わず先生と呼び、敬語で話そうとしたが隣でぴたりと動きを止め

じろっと鋭い視線を向ける郁に、先ほどの約束を思い出し

つっかかりながら言葉を繋いだ。


郁はその様子に満足げににっこりと微笑むと



「よく出来ました。そんな亜子に・・・ハイ、ごほうび!」



そういうと、薄いブルーに白いリボンがかかった小さな箱を亜子の手に乗せて見せた。




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