48・過去と現在 1
恵太は亜子と向かい合って座った。
亜子の愛情を肌で感じたが、何を聞かされるかという恐怖心まで消えたわけではなく
亜子の顔を見ながらちゃんと聞きたい。
ちゃんと感じたい。
そう思いながらその場所を選んだ。
そんな恵太の思いなど知る由もない亜子は
その測られた僅かな距離に胸を締め付けられる思いでいた。
真正面に座る恵太に尋問されているような・・・。
何か大きな罪を犯したわけではないが
この意地悪な偶然に、もうこのまま許してはもらえないんじゃないんだろうかという
不安が過ぎり、一層緊張する。
「諫山先生とは…」
口を開きだした亜子だったが、その先が続かない。
恵太は代わりに言葉を紡いだ。
「郁と・・・付き合ってた?」
その言葉に、亜子は小さく頷いた。
「いつから?」
「・・・高校2年の夏から・・・。塾の先生だったの」
そうであろうと予感はしていたが、やはり亜子の口から聞くと
どうしようもないショックが襲う。
郁が教員免許を取得したものの採用試験は受けずに
そのまま大手進学塾の講師をしていたことは知っていた。
まさかそこで亜子と出会っていたとは・・・。
自分の知らない、今の自分と同じ年頃の亜子を
郁が知っていた―――――触れていた・・・。
そう思うとじわり、と嫌な感情が恵太を襲う。
逆算してみるとその頃の恵太はまだランドセルを背負っていた。
埋められない『5歳差』というどうしようもない距離に
自分の幼さを見せつけられている気がした。
「そっか・・・。いつまで付き合ってたの?」
そんな感情を悟られまいと務めて平然とした態度で亜子に問うも
その答えにまたもや恵太の心はかき乱される。
「・・・わからない・・・」
「え?」
亜子は俯いていた顔を少し上げ、恵太を見つめる。
「自然消滅・・・てやつかな。
私・・・逃げちゃったの。先生から」
全く話の読めない恵太は返す言葉を見つけることが出来ず
ただただ亜子の潤んだ瞳を見つめるしか出来なかった。
「3年生の冬・・・。先生が婚約したって噂が流れたの」
テーブルの上で指を絡ませ両手を組んでいる亜子。
その小さな肩が微かに震える。
「そんな話・・・なかったよ。
結婚考えている相手がいるなんて父さんも樹も言ってなかった。
父さんたちが縁談持ち込むこともないだろうし・・・」
しかし、そんな話があったとしても当時小学生の恵太が知る由はないだろう。
恵太は「俺の知る限りではね」と付け加えた。
その恵太の答えに亜子は微笑んで見せた。
だが、亜子の微笑みは自虐的で悲しそうで・・・。
今まで恵太が見たことのない、一番寂しい微笑だった。
「うん。先生もそう言ってた。ただの噂だからって。
でも・・・友達3人とね、塾の冬季講座の帰り道息抜きに
映画見に行ったの。
その帰り道、カオルさんが女の人と一緒にいるところ見ちゃって。
もーすごい美人で。友達が興奮してたの覚えてるなぁ。
周りの人みんな振り返るくらいお似合いで・・・。
友達もまさか私がカオルさんと付き合ってるなんて知らないから『後つけてみよう』
って騒いで・・・。
そしたらカオルさんとその人、すごく楽しそうに笑いあいながら
私の地元じゃ一番高級なホテルに入って行った」
恵太は何も言えずに俯いたまま話す亜子の小さな姿を見つめていた。
確かに郁はすごくモテていた。
年より若く見えるし、何より可愛いと評したくなるような
そのルックスは恵太にはないもで、誰しも目を奪われるほど綺麗に整っていた。
だからといって本人がそれを自覚して鼻にかけるとか
遊ぶとかいうタイプではなく、それが更に人気に拍車をかけているようだった。
そんな郁だから同時に二人の女性と付き合うとか
浮気をしたりすることは、あの性格からして無理だ。
肉親の欲目とかではなく、恵太にはそれは不可能な気がした。
黙ったままの恵太に亜子は続けた。
「家に帰ってから何度もカオルさんに電話もメールもしたけど・・・。
その日から数日間繋がらなかった。
カオルさんはもう私なんて、飽きたんだ、遊びだったんだなって思ったの、話も聞かずに。
もう、なんかいっぱいいっぱいになっちゃって。
メールでさようならって送ったわ。
・・・一番嫌な終わらせ方だよね。
最低だったと思うわ。
冬休み明けて入試が終われば、もう塾に行く必要もないし
カオルさんの顔見ずに済んだのがせめてもの救いだった。
それまで地元の大学希望してたけど・・・。カオルさんのことで頭いっぱいだったから
当日、半分も解けなかった。
もちろん不合格よね、そんなもの。
その前に腕試しと思って受けた東京の私立に
たまたま受かってたから、親にすごく無理言って入学させてもらったの」
「郁は・・・その人のこと何も言わなかった?
郁・・・そんなに器用じゃない気がする・・・」
亜子はまた、あの微笑で小さく首を左右に振った。
「何度も携帯に電話もメールもしてくれたよ。
『ごめん。会ってきちんと話したい』って言われた。
でも・・・。私が逃げたの。約束破って行かなかった。
カオルさんの口から『別れよう』って言われるのが怖くて。
私ね・・・みんなに遅いって言われるけど、初めて好きになった人がカオルさんだったの。
その言葉聞くくらいなら、逃げて逃げてこっちからさよならした方が
自分が傷つかなくて済むって思っちゃったんだよね・・・。
もう、呆れちゃうくらい子どもでしょ」
俯いたままの亜子からはその表情を窺うことが出来なかったが
その言葉に力はなく、後悔の念がにじんでいるように思えた。
亜子はいつの間にか諫山先生ではなく『カオルさん』と呼び
その単語を慈しんでいるように恵太の耳に響いた。
恵太は自分の知らない過去で亜子がどれだけ郁を想っていたのか。
郁がどんな瞳で亜子を見つめていたのか・・・。
やり場のない嫉妬心に飲み込まれないように必死だった。
「聞く耳持たないわたしにカオルさんも呆れたんだと思う。
結局そのまま話もせずに卒業した後は進学するために地元を出たから・・・。
カオルさんとはそれっきり。
自分から連絡することも、カオルさんから来ることもなかったわ。
・・・恵太君・・・偶然だったとしても・・・。本当にごめんね・・・」
大きく頭を下げる亜子に恵太はゆっくりとかぶりを振った。
ものすごい久しぶりすぎて更新を躊躇したくなりましたが・・・。
亜子のように逃げ回っていてもお話は進まないので、恐る恐るアップしてみました。もし、次話をお待ちいただいている方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんでした(深謝)。
人生いろいろあるもので・・・。人の子の親をやっていれば、その、子の人生が絡んできてまた悩みも増えていくもの。
未熟ながら右往左往してようやく先へと時が流れ始めました。
亜子と恵太も右往左往しながら自分たちの道へ辿りついてくれたらいいな。
なんて思いながら・・・(←無責任・・・)。
それではこんな隙間までご覧いただきましたあなたの明日が
素晴らしい日々でありますように・・・。