47・冷蔵庫の中の幸せ
その日の撮影が終わったのは午後11時を回ってからだった。
時間を置いて冷静になった頭で考えると、恵太は自分の子どもじみた態度が
気まずく思えてきた。
亜子からのメールに返事をしていない事が気にかかる。
妙な緊張感を落ち着かせようと、深呼吸をして亜子へ電話をかけてみたところ
ワンコールも鳴り終わらないうちに繋がった。
「たまたま、携帯を手にしていただけよ」と亜子は言ったが
きっとずっと、自分からの連絡を待っていたんだろう。
携帯から聞こえる亜子の声。その背後では何も音がしない。
あの部屋のあの小さなテーブルの前で一人、テレビもつけずに携帯を握り締め
律儀に正座してずっと恵太からの連絡を待っていたのだろう。
そんな亜子を想像すると、胸が締め付けられる思いがした。
拗ねて返事をしなかった自分に、恵太は激しく後悔した。
「今から行くから」
そう言い終わるや否や恵太は亜子の元へと向かっていた。
先生は・・・悪くない。
さっきまでの不安な気持ちや、疑う気持ち、逃げ出したい気持ち・・・
それらが消えることはないが、それでも。
・・・だからこそ、ちゃんと亜子の話を聞こう。
亜子を知ろう。
腹に抱え込んでもしこりが残る。
今のぐちゃぐちゃな気持ち全部、亜子に伝えよう。
たまたま、過去で郁と繋がっていただけ。
恵太は自分に言い聞かせる。
過去でどんなことがあっても、俺は今の先生を好きになったんだから…。
先生も、同じ気持ちでいてくれているのなら…。
『今』の二人のために何が出来るか。
恵太は愛車―-- といっても一度撮影で使い、気に入って人生初の衝動買いをした自転車、
クロスバイク:LAND ROVER AL-CRB7001 ---
のペダルを思いっきりこぎながら気持ちを整理していた。
途中のコンビニで亜子の好きなチョコレート菓子と
甘いコーヒー、それから自分用のお茶を買って亜子の部屋へと向かった。
玄関が開くと同時に、恵太は亜子を抱きしめた。
「け、恵太君・・・?」
恵太の腕にすっぽりと収まった亜子は、
その胸に顔を埋める恰好のまま戸惑いながら小さな声で名前を呼んだ。
「ごめん・・・。先生は・・・悪くない。ただのヤキモチ」
恵太は搾り出すような、苦しそうな声でそう呟くと亜子を抱きしめる腕に力を込めた。
「ううん・・・。私こそごめんね・・・。
本当に・・・諫山先生がお兄さんだなんて知らなかったの・・・」
遠慮がちに背中に回された細い腕。
シャツを握り締める亜子の手も声も、微かに震えている。
亜子の口から出る、『諫山先生』という、兄の肩書きに
チクリと胸が痛む。
「俺・・・。ちゃんと聞くから。
だから、全部話して。・・・郁とのこと」
「・・・」
何も答えない亜子の頭を恵太は小さい子を宥めるように
優しく撫で、穏やかな声で語りかけた。
「・・・大丈夫だから・・・。
じゃないと俺、ずっと郁にヤキモチ焼き続けることになる。
・・・先生の過去に嫉妬しながら付き合いたくないんだ・・・。
それだけは・・・嫌だ」
亜子は恵太のその言葉に腕の中で黙ったまま小さく頷いた。
その反応に、亜子の細い肩をそっと握って体を離す。
重なる瞳。
亜子の瞳は潤んでいて、今にも大粒の涙が零れ落ちそうになっていた。
「ぷっ。変な顔」
眉間に精一杯しわを寄せ下唇を噛みながら涙を堪えていた亜子は
いつもと変わらない、亜子を惹き付けてやまない恵太の屈託のない笑顔・・・
―――亜子を笑わせようと無理して作ってくれている優しい気遣い―――
に触れた途端、堰を切ったように嗚咽を漏らして泣き出した。
「ごっ・・・ごめんね・・・ほ・・・ほんと、にっ・・・」
「あーあーぁ。先生、泣き虫なのな」
からかいながら、亜子の頬を伝う涙を手のひらでぐいっと拭う。
恵太は速まる胸の鼓動を悟られないように亜子へ笑顔を向ける。
こんなに・・・。
先生がこんなに泣くほどのこと過去を
俺はちゃんと、受け止められるのか。
恵太は自分の下手な演技に亜子が気付き、それ故の涙とは思いもせず。
亜子が自分に言い出せないような郁との過去を憂いてのものかと思い
亜子から見えない背中が、じっとりと汗ばんでいくのを感じる。
郁とのことは過去じゃないのか・・・?。
もちろんその予想は恵太の中の一番ネガティブな部分の底辺で。
最悪のことも覚悟してここへ来たはずだったが
やはり芯のない気持ちはいとも簡単に揺らぐ。
恵太は務めて穏やかに、そして亜子を気遣いながら部屋へと進み
恵太も気に入っている座り心地の良いローソファーへと亜子を座らせた。
涙の止まらない亜子に一言二言声をかけ、箱ごとティッシュを渡した後、
無意識のまま、まるで我が家のように慣れた手つきで食器棚から二つ、
おそろいのグラスを取り出し
氷を取り出そうと冷凍庫を開けると・・・。
そこには、恵太のお気に入りのストロベリーのアイスが入っていた。
色んなメーカーのものがいくつもいくつも。
初めて二人で出かけたあの休日、
露店のアイスクリームショップで即決でストロベリーを頼んだ恵太。
イメージと違う~!恵太君可愛い!!などと散々亜子にからかわれたことが蘇る。
冷蔵室を有効に使おうと置かれた仕切りの内側には
仕事で外食が増えた恵太のために亜子手作りのパスタソースが
密封のジッパー式の袋で小分けされキチンと立てられていた。
無造作に、いくつか手にとって見ると表面にはそれぞれの味と作った日にちが書かれていて。
その下には小さなマーク――― ◎・○・☆など・・・――― 亜子にしか分からない印があった。
恵太はさっきとは違う、胸の高鳴りを覚えた。
それは、幸せをかみしめる前の一歩手前というのか
幼い頃、サンタクロースを信じて眠ったあの前の晩のような何の根拠もない高揚感と期待感。
そっと冷凍庫を閉じ、今度は冷蔵室を覗く。
・・・夏の終わりにもサンタはいるようで
そこにはおいしいと噂の限定販売の老舗ケーキ屋のプリン、
カリカリに炒めた縮緬雑魚の乗った、水菜つきの大根サラダ、
栄養ドリンクに白菜の漬物・・・。
それらが上段を埋め尽くしていた。
小さな一人用の冷蔵庫いっぱいに恵太が溢れていた。
亜子の恵太への『想い』が、こぼれ落ちそうになっていた。
それを見た途端、恵太の胸は・・・いや、頭のてっぺんからつま先まで
亜子からの愛で満たされ、そして今悩んでいたこと・・・全てどうでもよくなった。
何があっても、今は亜子と郁を受け入れる自信が
そこはかとなく沸いて出てきた。
あれほどまでに押しつぶされそうだった猜疑心や不安。
それらがいつの間にか、霧がかかったように輪郭がぼやけて存在感が影を潜め始めていた。
今・・・。
今現在。
ちゃんと、俺は、先生の中にいる。
ここに存在する。
ちゃんと・・・。
亜子の中に、生きている。
今まで欲しくて欲しくてたまらなかった
『自分だけ』の場所。
『自分だけ』を愛してくれる存在。
小さな小さな冷蔵庫は。
恵太に想いの『芯』を与えてくれた。
いつからか郁と比べられる恐怖に怯え
『逃げる』というカタチで人知れず必死に闘って来た
臆病な恵太に静かに、しかし何より強い光をもって居場所を教えてくれていた・・・。
ほんっっとうに申し訳ありませんでした(土下座)。
初めて更新予告したのにまんまと守れず・・・。これじゃぁ「狼がきたぞーぅ」の、あの狼少年と同じです。
もし覗いてくださっている方がいらっしゃいましたら
本当に申し訳ないです・・・。ごめんなさい。
さて、本題ですが(といいながら話題を変える・・汗)
どんな過去でも受け入れる器、果たして恋愛経験の少ない恵太が
どう動くか心配しましたが・・・。
それでも経験も年齢も唯一関係ないのが恋愛だと思います。
みんな同じように切ないし苦しいし幸せだし。
それこそ幼稚園児でもお年を召しても変わらない気持ち。
そう思ったらするすると動き出したのでそのまま書いてみました。
こういう感じ方もありだな、と思っていただけたら嬉しい限りです。
次回は亜子と郁の過去が中心となります。
お時間あるときにお相手くださいませ。
それではありがとうございました(深謝)。