35・神様、今日だけ 2
二人が食事を楽しんだサン・ボーンのマスター、鈴木が持たせてくれたのは
野菜がたっぷり入ったコンソメスープと、
プゴクのお粥だった。
プゴクとは干し鱈のことで、コラーゲンたっぷりで肌にも良いと
わざわざ作ってくれたらしい。
病み上がりでさすがに全て食べることはできなかったが
それでもマスターの気持ちが嬉しかった。
なにより二人で他愛ない会話をしながらの食事は
亜子にとって一番の薬になった。
「あ、そういえば」
食後の食器をキッチンへ運びながら
亜子は座っている恵太へと目を向けた。
「今朝・・・大丈夫だった?おうちの方、心配してあったでしょう?
本当にごめんね」
食後にアイスコーヒーを運び
ミルクと砂糖は?と聞きくと、
恵太はミルクだけ、と答えながら苦笑いした。
「あぁ、大丈夫。父さんはまだ寝てたから良かったけど、樹が・・・」
コーヒーにミルクを入れ、ゆっくりとかき混ぜる恵太の大きな手に見惚れる。
氷がぶつかり合って涼しそうな音を立てながら
混ざり合っていく様がキレイだった。
「・・・樹って?」
「あ、悪い。母親。母さんて呼ぶと、怒るんだ」
「へぇ…そうなの」
恵太君のお母さんて、きっとものすごい美人なんだろうなぁ。
そんなことを思いながら自分用にはお白湯と薬を置き、恵太の向かい側に座った。
「樹が、玄関で仁王立ちしてて参った」
「に、仁王立ち?!」
その言葉に驚いて、薬を飲もうとしていた手を止めた。
そうなのだ。
恵太が早朝、慌てて帰宅してみると、
いつもならテコでも起きない超低血圧の樹が
玄関の扉を開けてすぐ。
完璧なメイクとファッションに身を包み、
それはそれは立派なフォルムの仁王立ちをして恵太を出迎えたのだ。
「おーかーえーりー。けーえーたーくーんー????」
右の眉が上がり、威厳たっぷりなスマイルの仁王像。
恵太の背筋を一瞬で凍らせるには充分すぎる迫力だった。
「た、ただい・・・」
「ただいまじゃないわよ!このバカ息子!!
最近真面目にレッスンしてるかと思ってみりゃー、あんた!
え?!高校生の分際で無断外泊とはいい根性してるわね!大体ねぇ・・・」
玄関から中へ一歩も入れぬまま、マシンガンのようなお説教をお腹いっぱい喰らった。
樹が仕事の電話で場を離れた隙に恵太は自室へ逃げ込み、
父の朝食を準備する樹の目を盗んで学校へと向かったらしい。
自分のせいで
仁王像にお説教をされている姿を想像すると
いたたまれない気分になった。
「そうだよね。大切なご子息が帰ってこないんだもん。
ご心配は尋常じゃなかったはずよね・・・。ホント、ごめんなさい」
亜子は深々と頭を下げた。
朦朧とした意識の、緊急事態といえども
生徒を自分の部屋へ泊めてしまった事実が胸を衝いた。
そんな亜子に、恵太は少しだけ驚いて
そして
「や、あのまま寝た俺が悪いし。特に問題ない」
そう言って、いつも亜子を惹きつけてやまない、あの笑顔を向けてくれた。
「でも・・やっぱり迷惑をかけたのは私だから・・・」
そう言って俯いたため
恵太の視線が、ふとローテーブルの下にある収納スペースに
向けられ、そして手を伸ばしていることに気付かなかった。
そこには数冊の雑誌を置いていたのだったが…。
「…ん…?あ!…だああぁっ!!!!」
恵太が動く気配を感じて顔を上げ、その行動を目にした途端
亜子の顔は見る見るうちに赤くなった。
と同時に奇声を上げながら慌てて恵太の隣にすべり込み、隠そうとした時にはすでに遅く。
雑誌は全て恵太の手中に居場所を変えていた。
恵太は、確かめるように一つ、また一つと眺めていた。
「ちちち、違うのっ、それはっ!!」
亜子は必死に言い訳を探して咄嗟に口を開くが
後が続かず、口をパクパクさせるしかなかった。
そんな亜子に、恵太は少しだけ顔を上げて
微笑んでみせた。
「先生、また、酸欠の金魚みたい」
「なっ・・・・・・、だから、それはっ」
そう言って恵太の視線は、また雑誌へと戻る。
亜子は全身から大量に汗が噴出すのを感じた。
それは熱のせいではなく、暑いような寒いような
あまりの恥ずかしさからくるもので。
叫んでしまいのに、ぐうの音も出ない。
金縛りの様な硬直が、体を襲っていた。
全ての雑誌を一通り眺めた後。
恵太は、ふっと笑って顔を上げた。
「これ・・・全部俺ばっか」
「!!!!ご、ごめんなさい・・・」
あまりの恥ずかしさで涙が出そうになる。
恵太の顔が直視できず、左下のほうに視線を落とした。
「どうして謝るの?」
「だ、だって・・・これじゃぁ、私・・・ストーカーみたいじゃない・・・」
自分で言っていて、これほどばつが悪いことも、そうそうない。
最後のほうはほとんど聞こえないような声になっていた。
恵太がモデルをやってるという話を聞いてからだった。
最初はモデルの恵太を見てみたくて雑誌などを探したのがきっかけだったが、
いつの間にか、自分の知らない恵太のことを知りたいと思うようになって
コンビニや書店などで、恵太が表紙を飾っているものや、
『諫山 恵太』の文字があると思わず買っていた。
それがここ数ヶ月で、小さな束のようになっていたのだ。
「ねぇ、先生?」
恵太の言葉に恐る恐る顔を上げる。
そこにはいつもの笑顔ではなく、体を亜子の正面へ向け
真っ直ぐに見つめる真剣な眼差しがあった。
その表情がとてもキレイで、
思わず射抜かれたように動けなくなる。
恵太の右手が、そっと亜子の後頭部へ回り
髪を優しく撫でた。
目の前に恵太の顔が迫る。
世の中から全ての音が消えたかと思うくらい
自分の心臓の煩い鼓動だけが鳴り響く。
恵太の額が、亜子の額にそっと当てられる。
「・・・俺のこと、好き?」
つ、ついにグダグダな恵太と亜子、正念場です。
展開が非常に遅いこのお話。
でも、この性格の2人には、これ位時間があったほうが自然な気がして・・・。
(力量のなさを、言い訳。)
果たして亜子は、どうするんでしょうか。
病み上がりなのに大変だわ(笑)。
今後を見守っていただければ嬉しいです。