29・霧の中
樹のゴリ押しに翻弄されて、週3回のみっちりペースで
サックスの個人レッスンを受け初めてもう2ヶ月以上が経つ。
風はすっかり湿気を帯びた初夏の匂いを纏っていた。
見上げた先の木々も両手いっぱいに太陽を浴びて
もうすぐ訪れる夏本番を待ちきれないとでも言うように
そわそわと体を揺らしていた。
いつの間にやら演技指導の時間もしっかりと入り、
放課後はほぼ毎日、土日も一日埋まってしまう状態だった。
全く自分が見えていない状況なのに
時間に押し流されながらも、しっかりみっちりレッスンを受けている自分が不甲斐なくも
また、目に見える変化に戸惑いながら嬉しく感じつつもあった。
特にサックスは、別格だった。
元々好きで嗜んでいたもの。
数年のブランクがあるとはいえ、すぐに感覚を取り戻し
筋トレなどを付加することで以前よりも、音に深みと伸び、
そして必要なところでの渋みが加わったことが
手前味噌ながら感じることが出来た。
その反面、演技のほうは・・・。
今まで生きてきた世界とは違う。
それを肌で感じていた。
恵太のやり方が通用しない表現の世界に、唖然とした。
初めての挫折、そう言ってもいいほど戸惑っていた。
恵太に映像、演技の経験がないわけではなかった。
ブランドPR用の映像は毎期撮っていたし
今人気絶頂のグループのPVに出演もしていた。
しかし、今回はワケが違った。
映画。
しかも松浦作品。
新進気鋭の異端児監督。
それが今回恵太を指名した松浦監督・・・
松浦 泰次への誰もが口にする評価だった。
キャリアも年齢も全く気にせず、自分の求めている役者を選ぶ。
その証拠にどの役も全てオーディションで選んでいた。
それが、だ。
今回、泰次が初めて自分から指名したのが恵太だった。
本格的な演技の世界では、全く無名。
その恵太をこともあろうに主役。
開けっぴろげな性格の泰次のせいか、
包み隠さず恵太の名を出したものだから。
非公式ながら「どうやら次は諫山恵太。しかも松浦監督直々のオファーらしい!」
と言う話はこの芸能界で、今一番旬なものだった。
それを知ってか知らずか、演技指導者の熱も
明らかにヒートアップしていた。
そんな毎日に、逆らうことも出来ず
無言のプレッシャーに押し流されながら
恵太は、それでも必死にもがいていた。
俺は、郁とは違う。
俺は、郁じゃない。
俺は・・・。
悪夢のような、その呪縛から逃れる術を。
自分の本当の居場所を、必死に探っていた。
セリフらしいセリフが一つも、ない・・・(笑)。
悶々恵太なのでどうしてもこうなってしまいました。
ここから少しずつ、その闇も亜子との関係も進展していくはずですので
今後も見守っていただければ嬉しいです。
いつもありがとうございます。