28・秘密 4
恵太と亜子が初めて食事を楽しんだあの夜。
亜子を自宅まで送り届けた恵太。
そのまま帰ろうとする恵太を、亜子は心配し
今度は自分が恵太を送ると言い出した。
「そんなことしたら、また先生送ってこなくちゃいけない。
大丈夫、男だし」
亜子を安心させようと、少し大げさに笑顔を作って見せた。
しかし亜子はうーん・・・と唸り、俯く。
少しして小さく、あ!と声を上げると
「じゃ、家に着いたら連絡くれる?」
すごい名案を思いついたかのように笑顔を見せ、携帯を取り出した。
恵太は一瞬、生徒に教えていいのか?と思いつつ、
正直嬉しい申し出。
断る理由もなく、連絡先の交換となった。
何度も何度も「絶対だよ?元はといえば私のせいなんだから・・・。
ちゃんと電話してよ?」と、赤外線で通信している間も、繰り返す亜子。
「はいはい」
恵太はそう笑って、恵太は亜子を部屋へと促した。
小さなアパートの前、小さな蛍光灯の下
亜子が3階にある自分の部屋の鍵を開け、こちらを振り返った。
小さく手を振る亜子に、ちょっとだけ片手を挙げ、応える。
入るのを確認して、今来た夜道を戻り、自宅へと向かった。
それ以来、何気ない日常の中、メールや滅多にないが
電話でも亜子との関係を続けていた。
そんなことを思い出しながら、応接室のソファーに、その長い足をもてあまし気味に座る。
事務所内の脇にある、間仕切りだけで仕切られた小さなミーティング用の空間ではなく
応接室へと呼び出された時点で、恵太はなんとなく嫌な予感がしていた。
恵太に遅れること数分。
社長で母である樹と、チーフマネージャーの佐々木が入ってきた。
ソファーに座りなおしながらチラリ、と樹の様子を窺う。
右の眉毛が上がっているのを見て、あぁ、やっぱり機嫌悪いな、と
まるで人事のように思った。
「で?決めた?」
恵太とテーブルを挟んで向かい側に2つ並ぶ一人掛けのソファーに座るや否や
単刀直入に樹が切り出した。
「・・・まだ」
「はぁぁぁぁ」
恵太の答えが終わらぬ前に、大きな溜息とともに背もたれへと
体をどんっと預けた。
「あのねぇ・・・。もう時間がないのよ。分かるでしょ。
いいチャンスじゃないの。これからもモデル1本でやっていけるわけじゃないんだから。
幅を広げていくにはこれ以上ないチャンスよ」
そう言いながら、テーブルの上へ置かれた資料を指でトントン、と叩いて見せた。
『これからも』
その言葉に何も言えなくなってしまう。
流されてる。
最近恵太が感じていた、どうしようもない不安。
大手のイメージモデルが決まってから、大幅に露出が増えた。
それに伴って仕事のオファーも右肩上がりだが、
今までのやり方では通用しない内容も、同時に増えていた。
先行するイメージ。一人歩きする評価。
今頃になって足がすくんだ。
「あのさ、恵太君。とりあえずサックスの個人レッスンは受けてみようよ。
それからのことは松浦監督に実際会って決めたらどうかな。
君に会いたいって、正式に申し出があったんだよ」
張り詰めた空気を和らげるように、優しい口調で佐々木は諭した。
温厚で人望も厚く、それでいて仕事は敏腕。
そんな佐々木に信頼を寄せている樹は、ふうーっと息を吐くと
前のめりになっていた体を、また背もたれへと戻した。
「そうね。恵太、最近吹いてないじゃない。鈍ってる腕を鍛え直してもらいなさい。
気分転換にもなるわ。よし、じゃレッスンは決定ね。
佐々木さん、松浦監督にアポとっておいて」
「はい」
佐々木さんは恵太に軽く頭を下げると
「頑張ろう、恵太君。みんな期待してるよ」
そう微笑んで、席を立ち、早速アポを取りに向かった。
恵太は、小さく「はい」と言い頭を下げた。
樹がテーブルの上の資料と台本を恵太に向け直し、スッと押した。
「派手さはないけれど、いい話よ。目だけは通しなさい。
それから、来週からのスケジュール渡しておくわ。
自分での移動が厳しくなったら言いなさい。誰か専属でマネージャーに付けるから」
黙ったまま、それを受け取る。
台本を脇へやり、スケジュールに目を通す。
「ふっ・・・。きたねぇ」
苦笑いを浮かべ、目だけを樹に向ける。
「なにが?」
「サックスのレッスンも、映画の撮影も、全部組み込まれてるじゃん」
先ほどの樹のように、テーブルの上へ放り投げたスケジュールを
指でとんっと叩いて見せた。
「当たり前でしょ。仕事選ぶなんて100年早い。
選べるくらいの実力と人間性を身に付けてから言いなさい。
この世界、求められてナンボよ?代わりなんて吐いて捨てるほどいるわ。
だからこそ、指名してくださることに感謝しなくちゃ」
「分かってる・・・」
胸がムカムカする。
分かってる。分かってる。分かってる!!!
何度も自分の中で繰り返す。
これ以上話をしても樹の考えが変わることも
恵太の迷いが消えることはなさそうだ。
そう判断して、立ち上がる。
「もう今日は帰っていいの?」
台本とスケジュールを乱暴にバッグにしまう。
「ええ。それ、渡したかっただけよ。お疲れ様」
「お疲れ様でした」
母といえども社長。
頭を下げて部屋を出ようとドアノブに手をかけたとき。
「・・・ねぇ。恵太?」
社長としてではなく、母としての声色で
樹が呼び止めた。
「・・・何?」
「あなた・・・、まだ郁が引っかかってる?」
カオル・・・。
その名を聞いて、恵太は瞬間的に全身から汗が噴出すのを感じた。
樹はそんな様子を見逃さないとでもいうように、じっと恵太の目を見据えた。
「・・・な、んで、郁が関係あるの?」
「・・・見てたら分かるわよ、それくらい。あなた、郁と比べらるのが嫌だったんでしょ?
それで郁に勝てるもの探して芸能界に来たんじゃない?」
「ちが・・・」
図星だった。
自分の中を見透かされた恐怖で、寒ささえ覚えた。
違う。
否定したい感情と裏腹に、全身から血の気が引き、
音を立てて急速に凍って行く気がした。
「ねぇ、恵太。あなたはもう充分・・・」
「悪い。帰る。今日遅くなるわ」
やっと動いた震える手で扉を開け、樹の目を見ないよう
俯いたまま言葉を遮った。
「待って、恵太」
呼び止める樹の声を無視して、部屋の扉を強く締めた。
自分の心に蓋をするように、
見たくない現実と聞きたくない答えを無理やり押し込めた。
恵太が今できる、たった一つの小さな抵抗だった。
なんとか更新成功です。
最近、書けない時間があったのでその反動でしょうか。
やっと筆が進み始めました。
秘密シリーズ?!として最後の4話目です。
恵太と亜子の秘密に加え、恵太の中の秘密も出てきたため
いつもより文字数となってしまいました。
この話と同時に、モヤモヤ恵太登場^^;
ようやく中盤といったところですが(長い・・・)
恵太のお仕事や亜子との関係、影がちらつき始めたカオルなど
見守っていただければ嬉しいです。
お暇があれば、一言いただけますとますます嬉しいです。